はこには
降木要
はこには
収録日 二月二十七日
がちゃがちゃと、わやわやと、人々の喧騒が煩わしい。
彼はため息をつきながら、ステージセットの裏側をふらふら歩いていた。足元にはどこに繋がっているのかわからない、無数のコードが血管のように這っている。ベニヤで組まれた立ち台の上で、どこかの番組の司会者が媚びた笑みを貼り付けている。ちらりと一瞥し、再び漏れた嘆息からは明らかな不機嫌の色がうかがえた。
生まれつき、そう、物心ついたころには彼は此処にいた。
たまにあるのだそうだ。血縁者がこの世界の住人だったとかで、本人の意思に関係なく此処で生き、此処で死ぬことを余儀なくされた運命の人間が。彼もそのくちであるというわけだ。哀れなことだとかつて誰かに言われたような、言われなかったような、とにかくどうもそういうことらしいと彼はおぼろげに理解している。もっともその血縁者たる父か母かのことも、とんと覚えてはいないのだが。
愛想の悪さがたたったのだろうか。両親の話を含め、彼は彼や、彼自身をとりまく世界に関する話をあまり聞かされたことがなかった。しかしだからこそ彼は、この世界の常識ともいえる「言い伝え」を、他の住人のように手放しに信じられずにいるのである。
――この世界の外には神様が住んでいる。
此処よりずっと大きな世界を造り、廻す仕事をしている偉大な方々だ。神様たちはその仕事の息抜きとして、この世界の住人たちの暮らしぶりをじいっと眺めているのだと。住人たちの仕事もとい存在意義は、神様たちをおおいに楽しませることなのだ。
住人にとって最も素晴らしい名誉は何か。それは、神様に顔や名前を憶えていただくことである。「神様の記憶に留まってこそ、我々は存在することができるのだ」住人たちはみな、口をそろえてそう言った。住人はまるで何かに追い立てられるように、各々の「個性」を謳いつづける。彼はそんな彼らの生き様を、ときに薄気味悪くさえ思うのだった。
神様に愛される個性がなんだ、記憶に残る才能がなんだ。誰に認めてもらわなくたって、俺たちがいまここに居ることに変わりはないだろうに。
フン、と鼻を鳴らして、見上げる先には馴染みのスタジオ。今日は週一度放送の、彼にとっての看板番組の収録日なのだ。
レギュラーは彼を含む四人と、司会進行役のアナウンサー。基本的には最近話題になっていることをとりとめもなく話したり、たまにゲストを交えた企画を行ったりといった内容である。さして奇抜な番組でもないが、それゆえに一定の視聴率を獲得していた。
「お疲れ様です。これで全員揃いましたね」
女性アナウンサーが一番に彼に気づく。すでに他のレギュラーメンバーは支度済みらしい。彼の遅刻はいつものことだ。メンバーも驚きこそしないが、悪びれもせず歩いてくる彼に各々視線を向ける。
「おう、お疲れ」
「今日もまたえらい不機嫌面っすね。なんか気に食わないことでもありました?」
「馬っ鹿、逆にこの人は上機嫌なほうが不気味だろ」
挨拶代わりの軽口は二人組の漫才師。ツッコミ担当の先輩芸人とボケの後輩芸人、近頃の漫才師には珍しくプライベートでも仲の良い二人である。両者とも気のいい男で、爆発的なブームなしに地道な人気を得ているのもその人柄と世渡りの上手さ故だろう。彼のような歯に衣着せぬ物言いの毒舌タレントに、臆せず世間話を振れるのはこの二人くらいのものである。
軽く手をふり、最低限の挨拶を返す。撮影用セットの定位置に腰かけると、隣に座るアイドル歌手がぎろりと彼を睨んだ。この番組の企画当初から彼女はこの調子だ――彼も特に気にするでもなく、だんまりを決め込む。
気まずさに耐えかねたアナウンサーが困ったような笑みを浮かべる中、カメラの向こうから「5秒前です」の声が聞こえた。
「4、3、2、1――」
レンズの向こうをまっすぐに見つめ、全員気を取り直す。百点満点の笑顔を浮かべ、アナウンサーが毎回恒例の番組タイトルを高らかにコールした。
*
「ねえお父さん、このお姉さんだれ?」
「どれ。ああ、司会のアナウンサーじゃないか。おまえも見たことあるだろう、ほら、朝のニュースに出てる」
「何言ってるの、朝はこの人じゃなくて○○アナでしょ」
「ああ、そうだったそうだった。この人はどこの局の人だったかな、えーと。名前、名前が思い出せないな…………」
*
収録日 八月六日
「へーえ、今年は夏企画のロケ行かないんすか?」
アイドルから話を聞いていた漫才師が、わずかに目を丸くする。
「そうなんですよ。今年は私、ユニットでの活動をメインでやるスケジュールになってるので……」
「う~ん、今年はあの水着が見られなくなると思うと残念だなあ」
「あはは、水着だったら今度撮るⅯⅤで着てますよぉ」
誰かにコーナーを引き継いでほしいそうなんですけど、と、アイドルらしく思案するようなポーズを作ってみせる。おそらく先程番組プロデューサーと話していたのはその件だろう。
「それならお前達で確定じゃないか。あの手のロケは、俺みたいなテンションの奴が行ってもおもしろくないだろ」
彼が口を挟むと、漫才師二人も頷いた。
「それもそうだな」
「海辺でロケかぁ、学生時代ぶりっすよね」
本番入りまーす、の一声で定位置に戻るメンバーたち。その途中で、刺すような冷たい声が彼だけに聞こえた。
「一匹狼ぶって。なんであんたみたいなのが」
彼がその意味を考える暇もなく、漫才師二人は声をそろえ、カメラに向かって番組タイトルを高らかにコールした。
*
「ちょっと。見て、Twitterでニュースになってる」
「へえー! この人、またドラマに出るんだ。前のも結構良かったもんね、意外と俳優業一本でもやっていけるんじゃない?」
「お笑いコンビの人だっけ? 最近ネタやってるの見ないね」
「そういう番組自体減ってきてるからじゃないの」
「片方売れると、もう片方ツラいよねー。あのツッコミで茶髪のほうの人、出てきたときからパッとしないなーと思ってたけど」
「コンビの宿命でしょ」
「やだー、かわいそー!」
*
収録日 八月十三日
「番宣の時間作ってもらえるんすか!? あざぁーっす!」
「VTRだけじゃ時間が余っちゃったからねえ。終わった後のコメントの時間で、ドラマのコマーシャルみたいなものを入れるから。コメント、軽く考えておいてね」
おどけて帽子を取るふりをしながら、嬉しそうに頭を下げる漫才師。番組プロデューサーはニコニコと笑みを浮かべながら、既に編集済みの企画VTRの最終確認をとっている。
漫才師は今日のところやけに上機嫌なようだ。黙って撮影準備を整えていた彼に気づくや、満面の笑顔で手を振りながら定位置に近づく。
「情報解禁、昨日だったのか。すっかり時の人だな」
「ハイ、おかげさまで! ネットのニュースってすごいっすよねぇ、たった一日でブログのアクセス数が増える増える――ああスタッフさん、こっちの椅子人数分より多いですよ? 始まる前に片付けちゃってください、邪魔なんで」
あわてて応じる新人スタッフを横目に見て、アイドルはおそるおそるといった様子で漫才師に近づく。無邪気に首をかしげる二人に、彼女は震え声で訪ねた。
「あの。ロケ、週の前半に行ってきたんですよね」
「え? ハイ」
「どうでした?」
凄むような眼だった。一瞬怖気づいたものの、漫才師は悪びれもせず答える。
「どうって……そりゃあ、面白かったですよ。民宿の人たちも優しかったし、海辺の町がすごくいいところで。ここんとこドラマの件で忙しかったし、仕事で行ったんだけどいい息抜きになったかなーって」
「今思い出しても、おかしなところとか、なかったですか」
彼と漫才師は顔を見合わせた。アイドルの質問の意味がわからない。彼女がこんなにおびえたような、祈るような眼差しで待っている返事の種類も。彼らをとりまく、嫌な空気の理由も。
「……ちょっと、やだなあ! 心霊系の話とかカンベンしてくださいよ! ないない、確かに年季の入った民宿でしたけど、ソッチ系の話とか一切なかったんで!」
重い沈黙をかき消すように、漫才師が無理に明るい声で答えた。しかし、嫌な空気は変わらない。そういう意味じゃない――かすかに聞こえたアイドルの独り言を、今度こそ彼は聞きとがめる。
それから慌ただしく本番の準備がはじまり、なんとか誤魔化された澱みの中、気を取り返した漫才師はお決まりのタイトルコールを行った。
「さっきの質問はどういう意味なんだ」
VTR映像の上映が始まってからも、アイドルの顔は真っ青だった。カメラが回っていないタイミングを見計らい、彼は小声で話しかけてみる。
「本当にわからないの」
「悪いが、さっぱりだ。あのロケに何か不審なことがあったのか?」
「本当に何も気づいてないなんて……だから馬鹿なのよ、あんた! 何も知らないから、そんな気楽にしてられるのよ!」
「いいから質問に答えてくれよ、お前は何か知ってるのかって聞いてるんだ!」
「私のユニットは何人グループ!?」
「はあ!?」
「いいから答えて!」
「……三人、だろう」
彼がしぶしぶ答えると、彼女はきっと床を睨みつけた。そして、一枚のCDジャケットを投げるようにして彼のもとへ寄越す。不審に思いながら確認すると、そのジャケットは見るからに奇妙なデザインをしていた。
ユニットの記念すべきデビューシングル、と銘打たれたそれには、目の前にいる彼女を含めた三人のアイドルが全身でポーズをとっている。それだけならおかしなことはないのだが、問題はその三人の立ち位置だ。
離れすぎているのだ、それぞれのメンバーが。まるで――誰かが入るための隙間を、わざと開けているように。
「違う。私たちは七人だったのよ! デビューが決まってすぐのころ、よくみんなで遊んでたもの……みんなでテーブル囲んで、七等分でケーキ切り分けたりしたのに!」
「嘘だ、そんな話聞いたことがないぞ。初期に脱退したメンバーがいたなんて……」
言いながらCDケースを開け、歌詞カードと一体になった写真集を開く。冒頭のメンバー紹介のページを順にめくっていき――次の瞬間、ぞっとした。
空白。
今も活躍中のセンターのメンバー、今は女優業をメインに仕事している人気メンバー、そしてリーダーである彼女のほか――すべてのページが真っ白だった。他のページのカラフルなレイアウトから、どう見ても浮いているのに。
「もともとこうだったわけじゃないことくらい、いくらあんたでも察しがつくでしょ……。脱退なんかじゃない、ここに居たはずの子たちは《消えた》のよ!」
神様に忘れられたせいで!
彼はゆっくりと顔を上げた。目の前で上映されているVTRは、楽し気に海辺の暮らしを紹介している漫才師の姿が映し出されている。だんだん、彼にもその違和感の正体が見えてきた。カメラアングルが、どう見ても「1人」を映そうとしたもののそれでないのだ。
「ちょっと待てよ。 ……あいつの肩書ってなんだ、『お笑いコンビ』だろ……?
コンビってことは、残りの一人はどこに行ったんだよ……!?」
頭を抱える。思い出せない。「もう一人」が存在していたことはまちがいないのに、何一つ記憶に残っていない。顔も、声も、名前も。さっき新人スタッフが片付けた椅子に、つい一週間前まで座っていたはずの人間がどんな人間だったのか、彼は完全に「忘れている」のである。
「あんた、思い出せる?」
「……」
「それだけじゃない。ひょっとしたらこの番組、ほかにももっとレギュラーがいたかもしれない。神様が、私たちが忘れてるだけで」
額を抑えたまま動けない彼に、アイドルは低く震える声で言った。
「……たぶん、次は私の番だわ。ほかの二人はソロでの活動もどんどん増えてきてるのに、私は相変わらず……もうすぐ私も、完全に忘れられて、」
消える。
それから二人は、一言たりとも話すことはなかった。
*
「さすがに、もうそろそろ潮時かなあ」
番組プロデューサーの何気ない独り言に、編集長が振り返る。
「終わりですかね、この番組も」
「うん。さすがに、レギュラー三人で回ってるのって聞いたことがないでしょ。残ってる子たちも、いまいちパッとしないのばっかりだしねえ。ゼロから別枠で仕切りなおしたほうが、視聴率取れるだろ?」
「確かに……また新しい企画の会議、予定組んでおきますね」
「よろしく」
敬礼のふりをして笑顔で送り出す。ふと、二年前に作った番組企画書に目を落とす。総勢八人の人気芸能人を集めて始めたこの番組も、気づけばもう息があるのは三人だ。
「あらあら。終わっちゃうんですか、これ? この二世タレントの彼なんか、レギュラーなのこれが最後だったんじゃないです?」
言われてみればそれもそうだ。この世界にいるのにちっとも神様に取り入ろうとしないところが気に入り、急遽プロデューサーの彼が抜擢したレギュラーのひとりだった。思った以上に長持ちはしたが、あれももう駄目だろう。ここのところなんとなく「察した」ふしがある、今後はもうこれまでのような無鉄砲なふるまいは期待できない。そういう意味でも、足を切るなら今がいちばんよさそうだった。
「いいんじゃない? ああいう子はまたいくらでも見つかるし、新しい可能性の枠を広げるってことで」
彼は肩をすくめ、もう不要になった企画書を鼻歌混じりでシュレッダーにかけた。
はこには 降木要 @wihadone
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