最初の目標②
数時間後
検温を終えた後は、悠は再び寝てしまうことが多かった。 だけど今日はそういうことはなく、今もなお読書を続けている。
そんな彼の邪魔にならないよう病室の清掃を静かに行っていると、悠は本を閉じベッドから降りた。
「・・・ハルくん、お絵描きするの?」
「うん。 朝に時間が結構あると、心にも余裕が持てるね」
「そうだね」
そのようなことを話しながら、悠はベッドの横にある棚の一番上の引き出しを開けた。 そこから紙と色鉛筆を取り出し、再びベッドまで戻っていく。
本来そういう作業はリーナが行うものなのだが『できるだけ自分のものは自分で取りに行く』と彼自身が言ってきたため、リーナはその姿を温かな目で見届けていた。
小さな動きでさえも、悠にとってリハビリになるのだろう。
そして数十分後、リーナも清掃がひと段落終えると、二番目の棚の引き出しを開けそこから編み物セットを取り出した。
続けてベッドの横にある椅子に腰を下ろし、編み物をする準備をしていると、その様子を見ていた悠がそっと口を開く。
「お姉さん、それは何を編んでいるの?」
「うん? ハルくんにあげるための、マフラーを編んでいるんだよ」
「僕に?」
準備を終えると、少し編み物に手を付けながら会話を続けた。
「そうだよ。 でもこの調子じゃすぐに終わりそうだから、他にも何か編んでおこうかな」
「・・・そっか。 だから色が、僕の好きな水色なんだね」
「そう、当たり」
互いに少し笑い合うと、机の上に置かれている紙を覗き込み今度はリーナから悠に尋ねる。
「ハルくんは、何を描いているの?」
「僕は舞ちゃんを描いているんだよ」
「ッ・・・」
“舞”という単語を聞き、思わず言葉を詰まらせた。 だがこれをチャンスだと思い、早速彼の心から舞を離れさせるよう促してみる。
「そっか、上手く描けているね。 あ、そうだハルくん、私と絵しりとりしない?」
「絵しりとり? 何で?」
「ハルくんがお絵描きしているのを見ると、私もしたくなっちゃって」
不自然に思われないよう笑顔でそう答えると、悠は一度舞の絵に視線を落とし考え込んだ。
「んー。 いいよ? じゃあ、舞ちゃんを描き終えてからね」
「あ・・・。 うん」
そう言うと、悠は楽しそうに歌を歌いながら再び絵を描き出す。 そんな機嫌のいい彼を見ると、リーナは何も言えなくなってしまい口を静かに噤んだ。
それから更に時間が経ち、今度は勉強の時間となる。 今は算数をやっていた。
「お姉さん、ここのやり方教えて。 3と2分の1って、どうやって3を消すの?」
「これはまずね、ここに×と+を書くの。 計算って、×の方から先にやるでしょ? だから3×2をまず問いて、その答えを分子の数と足すの。 それで出たものが分子になるんだよ。
分母はそのまま。 よって、この答えは・・・?」
「えーと、2分の7!」
「流石! ハルくん、解くの早いね。 じゃあ、この似たような問題をやっていこうか」
ここでいくつかの問題を提示すると、早速悠はその問いに取りかかった。 そんな彼を見て、リーナも手元にある資料に目を移す。
悠は元から頭がいいせいか、教えるのには苦労しなかった。 憶えるのも早く、さくさくと勉強が進んでいく。 彼が問題を解いている間、リーナは次に教えるところを予習していた。
いつも、そのような流れで勉強を教えている。
だが解き始めてから数分後、ピタリと鉛筆で書く音が止まった。
「ハルくん?」
問題を解いている音が突然聞こえなくなり、それを不思議に思ったリーナは悠の方へ目をやると、彼は鉛筆を握ったまま顔は窓の方へ向けている。
すると悠は、小さな声でこう呟いた。
「・・・僕が舞ちゃんに、勉強を教えることができたらな。 そしたらもっと勉強したいっていう気持ちになれるから、意欲も上がるのに」
「・・・」
勉強の最中にもまた出てきた彼女の名に、リーナは慌てて言葉を紡がせる。
「あ、ハルくん! もうこの解き方は大丈夫そうだし、次の計算の仕方を勉強しようか」
「あ、待って!」
教科書のページをめくろうとするリーナの手を、咄嗟に悠は止めに入った。
「もうちょっと、このやり方を勉強させてよ。 まだ慣れていないんだから」
「あ・・・。 そうだね」
「そんなに焦らせないで」
「・・・ごめんね」
そう言って悠は再び問題に取りかかると、リーナはそっと視線を資料へ移す。
―――・・・何か、空回りしちゃっているな。
自分が焦っているからなのか、リーナの心にはあまり余裕が感じられなかった。
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