選択④




数時間後 病室



夕食を終え、今のこの時間をまったりと過ごしていた。 あとは寝るだけの状態であり、互いにリラックスモードに入っている。 

その間リーナはいつも通り、病室の掃除を行っていた。 棚の上を整頓したり綺麗に拭いたり、花瓶の水を入れ替えたり。 

徐々に整っていく部屋を見るだけでも笑顔になり、心も洗われているような気分になる。 そんな中悠は、白い紙に何かを楽しそうに描いていた。 

その様子を見るなり、隣から声をかける。


「ハルくん、何を描いているの?」

「舞ちゃんとお姉さんと、僕の絵だよ」


そう答えるも絵を描くのに夢中で、こちらへ目を合わせてこない。 そのためリーナから、彼に近寄ろうとした。


「どれー?」

「あ、まだ見ちゃ駄目!」


近付こうとすると慌てて悠は両腕を机の上に乗せ、自分自身が覆いかぶさるように絵を見せない形をとる。 

そんないきなりの行動に驚き思わず進む足を止めてしまうと、悠は申し訳なさそうに言葉を付け足してきた。


「・・・僕、人の絵はそんなに上手くないから。 でももし完成したら、お姉さんに見せてあげるね」


彼から発せられたその言葉に嬉しく思い、リーナは柔らかな笑顔で頷いてみせる。


「うん。 楽しみにしているね」


そう答えると、リーナは再び病室の清掃をし始めた。 確かに悠から言われたその言葉はとても嬉しく思ったのだが、それ以前にもっと嬉しかったことがある。

それは、絵に描かれている者にリーナ自身も含まれているということだった。 悠と出会った当時はお世辞にも関係がいいとは言えなく、気まずい状態が続いた日々。

だけどいつの間にかその日常は変わっており、今となっては互いに笑顔で過ごすことができている。 

どんな拍子で悠の気持ちが変わったのかは分からないが、少なくとも舞と出会ったことは関係があるのだろう。 だが、それでもよかった。 悠がそれで、笑顔でいてくれるなら。

今を頑張って、生きてくれるなら。


「・・・ねぇ、お姉さん」

「うん?」


ふと悠から声がかかる。 その声に反応し作業する手を止め彼の方へ向くと、悠も絵を描く手を休め窓際の方を向いていた。 

カーテンは閉めていないが当然外は暗いため、景色を見るなんてことはできなく、窓は光を透過して病室の中を綺麗に映し出している。

それなのにもかかわらず、悠はその状態のまま窓の方をぼんやりと見つめ、そっとあることを口にした。


「最近ね。 ・・・僕、よく考えちゃうことがあるんだ」

「・・・何を、考えちゃうの?」


先程の様子とは一変し、急に改まった態度を見せる彼に違和感を抱きつつも、リーナはベッドの隣にある椅子に腰をかけた。 

そして話が聞ける態勢であることを、病室を映し出している窓から確認すると、悠はなおも顔を背けたまま小さな声で言葉を紡いでいく。


「・・・今僕、リハビリを毎日頑張っているじゃん。 そのおかげで、入院した一日目と比べて、大分動けるようになった。 

 動かない身体は本当に痛くて重くて大変だったけど、今ではもうその苦労がなくなった。 ・・・だけど、さ。 

 もし僕がこれからもリハビリを頑張って、普通に動けるようになったら・・・退院、しちゃうんだよね」

「・・・」


彼の言葉に何も返せずにいると、悠は首を動かし視線を窓からこちらへと移してきた。 

そしてリーナのことを潤んだ目で見つめながら、震える声で一番伝えたかったことを口にする。


「もし僕が元気になって退院しちゃったら、また舞ちゃんとは会えなくなっちゃうの? ・・・だったら僕、もうリハビリなんてしたくないよ」


この言葉を聞いて、リーナは思った。 もし舞が生きられなくなったとしても、悠を悲しませない方法。 それは彼女の死を知らされる前に、悠がこの病院から抜け出すことだった。

だけどその考えは――――即座に、打ち消される。


―――・・・確かにハルくんの身体は動くようになってきてはいるけど、残り一ヶ月じゃ退院なんてできない。


そのことは悠だけでなく、リーナでも知っていた。 悠の身体が完全に動くようになり、退院できる予定は一年後。 それに合わせ、リーナの契約も解除されるようになっていた。

今から頑張ったとしても、身体が元から弱い悠には厳しいこと。 身体が丈夫な一般人ならば努力すればすぐに退院できるだろうが、彼に限ってそんなことはできなかった。

そこでリーナは閃いた。 これ以上不安にさせず、再び彼を笑顔にさせる方法を。 


「大丈夫だよ、ハルくん」

「・・・え?」


リーナは悠の目を見ながら、優しく微笑んで言葉を丁寧に綴っていく。


「ハルくんの頑張りは、私が一番知っている。 でもね、頑張っているのはハルくんだけじゃないんだよ。 舞ちゃんだって、今を頑張って生きているの。

 だからハルくんも負けないように、リハビリを頑張ろう? そして舞ちゃんと一緒に、元気になって退院しよう」


ここでまた――――悠に、嘘をついたのだ。 


どんどん積み重なっていく、いくつかの嘘。 そのことに責任を感じ少し複雑な心境になりながらもそう言い終えると、悠はリーナが見たかった表情を自然と見せてきた。


「・・・うん。 そうだね。 ありがとう、お姉さん。 舞ちゃんも頑張っているんだ。 だから僕も怠らないように、もう少し頑張ってみるよ」

「うん」


笑顔になりながら礼を言う彼に、リーナも笑顔を返す。 そして再び悠が絵を描き出したことを確認すると、リーナも席を立ち自分の作業を再開した。

少しでも気が楽になったのか、今では楽しそうに歌を歌いながら絵を描いている。 そんな彼の歌を心地よく耳にしながら、リーナは今後のことを考えた。


―――・・・私やっぱり、ハルくんの笑顔を守りたいな。


嘘をついてもいい。 そうすることで、悠の笑顔がずっと保たれるなら。 それにやはり、舞の命はなくなってしまうということは、どうしても口にすることができなかった。

それを告げると、悠は悲しんでしまうから。 だとしたら、今の自分にできること――――


―――ハルくんを舞ちゃんから、少しずつでも離れさせればいいんだ。

―――そうしたら、たとえ悲しんだとしても酷くは悲しまない。

―――・・・明日から、試してみようかな。


今は舞に夢中の悠。 だけどそんな彼の心を舞から少しでも引き剥がすことによって、依存心がなくなり、もし悪いことを聞いたとしても衝撃は今よりも大分和らぐだろう。

リーナは悠の笑顔を守るため――――少しずつ、動こうとしていた。



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