出会い②




彼女は今、悠の目の前で楽しそうに笑っている。 今まで何も苦しいことを味わったことがないような、とても純粋で素直な笑顔を浮かべていた。


―――・・・。


そんな彼女を見て、悠は何も言えなくなる。 どうしてこんなにも、笑っていられるのだろうか。 


目の前には――――ずっと動けず大人しく横たわるしかない、哀れな少年の姿があるというのに。 


悠は、そんな彼女をどこか受け入れる気がしなかった。 今の自分とは正反対でいる人と関わるなんて、気が重くて仕方がなかった。 別に彼女のことが嫌いで、全てを否定しているわけではない。 

ただその醜い程の笑顔だけが、どうしても気に食わなかったのだ。


「・・・お父さん、その人は?」


リーナと名乗る少女から父の方へ視線を戻しそう問うと、彼は静かに語り出した。


「悠、毎日が一人でつまらないだろ? それに今の状態だと、一人では何もできなくて不便だ。 だからこの彼女、リーナさんがこれから悠に付き添ってくれることになった。

 まぁつまり、悠のお手伝いさんというわけだ」

「・・・」

「リーナさんは他の人とは違って、面会時間がない。 だから悠が起きる時間から寝る時間まで、ずっと傍にいてもらうことができる。 

 話し相手もできるし、これでもう退屈な日常とはおさらばだろう?」


この時、悠は悟った。 リーナが常にこの病室にいるということは、明日からは父と母、共に見舞いには来れなくなるのだろう、と。 だがそのことに関しては、何も我儘を言わなかった。 

本当は寂しい気持ちでいっぱいなのだが、悠も両親にここまで面倒を見てもらって、少し申し訳なく思っていたからだ。

一日置きに仕事を休まないといけないし、毎回悠を楽しませるよう何かを考えなくてはならない。 

それらのストレスから解放されるのだから、見舞いに来れないということに対しては何も文句は言えなかった。 

だから――――


「そうだね。 分かったよ、お父さん」


父を心配させないよう、心に嘘をつく。 すると彼は悠の答えを聞いて安心したのか、小さな笑みを浮かべ時計を確認した。


「お父さん、今日は仕事を休まずにいったん抜けてきただけだから、そろそろ戻らなきゃ。 あとのことは、早速だけどリーナさんに任せてもいいかい?」

「はい」


リーナが優しく返事をすると、父は横になっている悠へと静かに歩み寄る。 そして悠の頭を撫でながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。


「早く元気になって、動けるようになるといいな。 大丈夫、お父さんはずっと、悠の味方だから」


悠が微笑んで小さく頷いたのを見てから、静かに病室を出ていく彼。 

そんな父の背中を見ながら“もうしばらくは会えなくなるんだ”と思い悲観的になっていると、突然リーナに明るい調子で話しかけられた。


「ハルくん、お姉さんとお話しよっか」

「・・・今は話すことなんてない」


ぶっきらぼうにそう言ったが、彼女はベッドの横に椅子を置き自然と笑顔を浮かべる。


「じゃあ、本でも読む?」

「今は読む気分じゃない」


誘いを断り続ける悠だが、それでもめげずに彼女は声をかけてきた。


「あ、じゃあ飲み物でも飲もうか」

「今は飲みたくない」


“これ以上話しかけないで、一人にしてほしい”といった気持ちを表現するよう、固く目を瞑る。 そんな悠を見て、彼女は優しい口調で尋ねてきた。 

どうやら眠いから目を瞑ったのだと、勘違いしたらしい。


「お昼寝でも、する?」

「・・・いや、今は眠くない」


それを否定するよう、ゆっくりと目を開ける。 だけどこのままだとすることもないため、窓の方へ目をやりしばらくの間外を眺めていた。

悠の目線からは空しか見えなく、のんびりと進んでいく雲やたまに通り過ぎる小鳥たちなどを、時間の流れるままぼんやりと目にしていく。

流石にリーナも悠の気持ちを察したのか、これ以上は口を開いてこなかったが、二人だけの病室はとても気まずく仕方がなかった。

あまり関わる気はないのだが、少しでもこの雰囲気をよくしようと、彼女の方へ首を傾け質問してみる。


「・・・お姉さんは、どこから来たの?」

「私はこの病院の、近くに住んでいるよ」

「お姉さんは、いくつなの?」

「16歳だよ」


―――高校生か・・・。


何故平日のこんな時間にここにいるのかは、多少は気になったが特に触れなかった。 今はそれ以上に、気になることがあったからだ。 悠はジッとリーナの顔を見つめてみる。

彼女は満面の笑顔のまま、視線を僅かでもそらすことはない。


「お姉さんは、どうしてそんなに笑っていられるの?」


「え?」


「何が今、そんなに楽しいの?」


「・・・」


「・・・ずっと寝たきりでいる僕を見て、どう思っているの」


その疑問に何か感じたのか、リーナは口を噤んだ。 それでも彼女は、優しく微笑んだままだった。 そんな彼女を少し気味が悪く感じてしまう。 目も、口も、笑顔であるがどこか無機質で。


「ハルくんを、元気にしてあげたいなって思っているよ」


―――それは・・・嘘だ。


そう答えた彼女に少し嫌気が差し、再び悠は窓の方へ目を向ける。 彼女の笑顔は素直過ぎるのだ。 

裏もない嘘もない笑顔だと思うのだが、顔の表面に強制的に貼り付けられているようで、悠は不気味で仕方がなかった。


一体何を考えているのかも分からない――――まるで一つの仮面のような、笑った顔だったのだから。


そこで悠はもう一度リーナの方へ顔を戻し、あることを提案した。


「ねぇ、お姉さん」

「なぁに?」

「悲しい顔、してみてよ」

「え?」

「少しだけでいいからさ」

「でも」


「できないの?」


「・・・」


リーナは一瞬だけだが、笑顔とは違う顔を見せてきた。 悲しい顔ではないのだが、思考が少し停止したような――――無表情のような顔。


―――・・・お姉さん、そんな顔もちゃんとできるんだな。


人間らしいところを見つけ少しだけ安心するも、それでも悠は強く促した。


「ねぇ、早く」

「・・・それはできないよ」

「何で?」


再びリーナは、表情を戻し――――小さく笑って、こう答えた。


「私が悲しい顔になっちゃうと、ハルくんまでも悲しい表情になっちゃうからね」


ただその笑顔は先程とはどこか違い、無機質に感じることはなかった。 もちろん、楽しくて笑っているようにも見えない。 何故か悲しみを含んだ笑顔が、逆に感情を感じさせたのだ。


―――それもどうせ・・・嘘なんでしょ。


それでも悠の中に、リーナのことを認めたくないという気持ちがあった。 しばらく眺めていると、やはり感情のない笑顔に感じられる

そんな彼女に再び嫌気が差し、また窓の方へ顔を向けた。 彼女は綺麗過ぎるのだ。 表情や心、言葉、何もかもが。 もっと言うと、でき過ぎている。

完璧な人間などいないと分かっていた。 だけどここで、自分自身の中にある違和感に気付く。


―――あれ・・・普段の僕って、こんな酷いことを考えたりしていたっけ?

―――あぁ・・・。

―――入院生活があまりにも退屈過ぎて、僕の心も頭も歪んじゃったのかな。


隣にいる彼女の存在を感じながら、それでも空を見続けた。


―――僕はお姉さんと、きっと合わないや。



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