第二章 ピンクの魔王 イン エデンの園

 学校の校門を出てすぐのこと。

「久々に喋ったので疲れました。もう歩けません」

 本当に死にそうな顔つきで、その場でしゃがみ込む数理がそこにはいた。

「…………」

 なんかもう呆れてものが言えなかった。

 あれか、勉強はできるけど、運動はからっきしってヤツか。できないにも限度ってもんがあるだろ……。

「おぶってやんなさいよ」

「いや、さっき出会ったばかりの女性をおんぶするということにもツッコみたいが、ここ、通学路だぞ。絶対周りのから変な眼差しで見られるだろ……」

「じゃあ、数理ちゃん、置いてくの?」

 再び数理の方に目をやる。

 うん、たぶん放って置くと死ぬな。

「はぁ……仕方ないな。牡丹、鞄持っていてくれ」

「あいよ」

 俺は数理の前にしゃがみ、おんぶする体勢を作る。

「ほら、おぶってやるから。早くしろ」

「あ、ありがとうございます……」

 数理がゆっくりと俺の背中にもたれかかる。

 さて、男性は当然のことながら、察しの良い女性の方も気付くであろう。

 俺も女性をおんぶするのは初めての経験だが、それでも意識せざるを得ないものがある。女性にあって男性にない弾性に富んだ二つの膨らみ。すべて言う必要はないよな?

 よくよく考えてみて欲しい。人はおんぶという行為にどんな印象を持つだろうか? 男性が女性をおぶるならば、その男性はたくましい、頼りがいがある、といったプラスイメージしかないはずだ。さらに正直に言おう。俺も(BLに微塵も興味を持たない)健全たる男子だ。ぶっちゃけ背中に当たるふくよかな膨らみはめちゃくちゃ嬉しい!

 おお、おおお、おおおお!

 数理がもたれかかった瞬間、思わず声が出そうになってしまった。

 決して大きいとは言えないが、モデルのような体つきに合った数理の胸が俺の背中に当たる。

 おい、おんぶスゲーよ! 今、すんごい幸せを感じているけど、これで俺が支払うべき代償は何一つないんだぜ? むしろプラスなイメージしかつかない。最高過ぎるだろ!

 とは言え、ここでずっとニヤニヤした顔を浮かべていたら変態という名のレッテルがついてしまう。そんなくだらないオチを回避するためにも、俺はさもすました顔で数理をおぶって立ち上がる。

「……どうした、牡丹」

 牡丹が俺の顔をじっと見ていた。

「うーんと…………賢者タイム?」

「意味がわからん」

「いや、何かを悟った感じの顔に見えたから」

「そーだ、数理さんとやら、俺たちはどっちに向かえばいいんだ?」

 悟ったことに関しては何一つ反論できないのでさっさと話題を変える。

「ええっとですね、ここに向かって歩いてください」

 そう言って数理はスマホを慣れた手つきで操作して地図を表示させる。

「了解した。で、もう一つ聞きたいことがあるのだが」

「なんでしょう?」

「自分のこと、数理って呼んでいるけど……もしかして叶数理さん?」

 珍しい名前なんだから、おそらくコイツが叶数理で間違いないんだろうけど、正直なところ、信じられなかった……こんなに変なヤツだと。もっと正直に言うと、心のどこかで叶数理ではない、と言って欲しいという希望的観測があった。

「ええっ! な、なぜ数理の苗字を知っているのですか!?」

 そして希望が虚しく砕け散った。

「いや、中間試験、ぶっちぎりで一位だったでしょ?」

「……個人情報が流出しています。これは訴えるしかありませんね……」

「いやいや、そんなことで訴えていたらオリンピックとか裁判のオンパレードになっちゃうだろ!」

「むぅ……まあいいです。数理は疲れたので寝ます。家に着いたら起こしてください」

「えっ? おい! 叶さん!?」

「呼び方は『数理』でいいですよ。てか『数理』って呼んでください」

「あ、わかった」

「それではおやすみなさい」

 そして地図の表示された携帯を俺に渡して、数理は眠りに就いた。

「……何というか…………ウルトラマイペースって感じのヤツだな」

「数理ちゃん、学校でどう生活してるんだろうね」

「……確かに、気になるな」

 牡丹と会ったばかりの同級生の不安事項を話しながら、自宅へと向かった。


* * *


 数理の自宅は庭のついた小さな一軒家で、学校からは二十分もしないところに位置していた。ただ、この近い距離を本当に数理が往復できているのかははなはだ疑問であったが。

「ほら、着いたぞ」

 約束通り、数理を起こす。

「うぅ……あ、おはようございます」

「おはよう」

「おはよー」

 数理を背中から下ろす。背中に熱がまだ残っている。が、牡丹がいる手前、下手に何かを考えないことにしよう。

 ん? ちょっと待て。牡丹だったらむしろ俺が変に意識していたことを伝えた方がいいんじゃないか? 俺がソッチの気がまったくないことを示すためにも。

 そんなアホなことに真剣に悩み始めたが、すぐに数理の声で遮られた。

「では、魔王を倒す作戦を決めましょう!」

「おー!」

 牡丹はなぜかノリ気だった。

 魔王(かつ主人公(?))の家の前で作戦会議という状況もだいぶシュールな光景だが、とりあえず、話は適当に聞いておこう。

「まず、お二人がインターホンを鳴らしてください。そして、扉が開いたら二人で石を投げつけてください」

「おいおいおい」

「どうしました? 確かに石つぶてはボス戦で使うような特技ではないかもしれませんが、実世界においては相当なダメージになるのですよ」

「そういうことを言っているんじゃない! なぜ俺たちが面識のない人、しかもお前の家内に暴力を振るわなくてはならないんだ! しかも実世界で石つぶてとかやったら確実に訴えられて、俺らの方が相当なダメージを被るぞ!」

「大丈夫です。トドメさえ刺せればそれに関しては問題ありません」

「……罪、重くなってるからな、それ」

 わかっていたが、改めて色々とぶっ飛んでいるヤツだった。

 溜め息をつき、俺は数理を諭す。

「そもそも、大きな目的ってのは自分で達成すべきだろ? 確かに、誰かに協力してもらった方が達成感を分かち合えるかもしれないが、これは元々お前の問題だ。自分の問題を自分で解決しないでどうするんだ? 冒険の旅に出ておきながら他のキャラがラスボスを倒してしまうゲームに魅力なんて感じないだろ?」

「なるほど! じゃあ、討伐は数理がやります! お二人はインターホンを鳴らしていただくだけで結構です」

 そう言って、数理は鉄の扉を開け、庭へと向かって行った。

「えっと、どうする?」

「うーん、インターホン押すぐらいなら協力してあげてもいいんじゃない?」

「でも、下手するとこれから目の前で暴力沙汰が起こるかもしれないんだぜ?」

「あきらん、よく考えてごらん」

「え?」

 牡丹に言われた通り、よく考えてみた。

「うん、無理だな」

「だよねー」

 どう考えても数理が魔王と戦っている場面が想像できなかった。

 そんなわけでインターホンを押す。


『ハイ、どちら様ですかー』


 インターホン越しに聞こえたのは、女性の透き通った美しい声だった。母親だろうか。

 と、一瞬、声に聞き惚れていたが、「どちら様」という問いになんて返すかまったく考えていなかった!

「あっ、えぇっと――」

「私たち、数理ちゃんのクラスメイトなんですが、数理ちゃんに届けなくちゃいけないプリントがあって、それを届けてきましたー」

『あら、わざわざありがとうございます。ちょっと待っていてくださいね』

 ガチャ、とインターホンが切れる音がした。

「ナイス、牡丹」

「なぁに、お安いご用さ」

 すると、間もなく家の扉が開かれた。

 現れたのは、美しい女性だった。

 そして、思わず、目を奪われてしまった。

 とてもグラマラスなスタイルをしていたとか、メイド服をさも当然のように着用していたとか、その女性の美貌そのものに魅了されたわけではない。

 髪の毛がピンク色だった。

 そう、アニメみたいに。

「覚悟ぉ!」

 数理の声に、これが魔王討伐の作戦の一環であったことを思い出す。

 数理がメイドに向かって勢いよく走ってきた。なんだ、捨て身の体当たりか?

 と思っていたら、数理の手に今まで持っていなかったはずの刀が握られた。

 えっ? 数理さん、本気で殺る気ですか?

「てやっ!」

 掛け声とともに斬りかかる数理。しかし、案の定と言っていいだろうか、メイド服の女性に足払いを食らわされて盛大にコケた。

 そして何事もなかったようにメイドさんは俺らに向かって挨拶をする。

「わざわざ、ありがとうございます。本当は数理様のいたずらに付き合わされているだけなんでしょう?」

「……あー、はい」

 その通り過ぎて頷くことしかできなかった。

「お二人とも、時間はあるかしら? せっかくなら家に上がってください。あまり盛大にとはいきませんがおもてなし致しますので」

「えっ、いいんですか?」と牡丹。

「ええ。数理様がお友達を連れてくるのも珍しい、いえ、初めてのことですし、その友達をおもてなしできるのも私にとって嬉しいことですからね」

 笑顔でそう答えるメイドさん。

 友達というフレーズに疑問を感じたが、それを否定するメリットもないだろう。

 それよりも、実は会話をしている最中、数理が起き上がって再びメイドさんに斬りかかっているのだが、面白いぐらいにかわされていた。

 そして力尽きた。

「じゃあ数理様がへばったところですし、家に入ってください」

 ちょうどいいタイミングですね、と言わんばかりのセリフとともに、息も切れ切れな数理を軽くつまみ上げる。

 そして、数理の持っていた刀が地面へと落ち、そのまま霧消した。

「「…………」」

 死んでいる数理を除いた、この場にいる全員がこの現象を見ていたのが、

「では、中にどうぞ」

 メイドさんが笑顔でスルーした。


「「お邪魔しまーす」」

 俺と牡丹は声を合わせて数理の家に入る。

「鞄は持っておきますから、数理はさっさと着替えてきなさい」

「はぁい……」と死んだような返事をして、数理は階段を上がって行った。

「ではでは、こちらへどうぞ」

 メイドさんに案内され、リビングへと向かう。

「今、お茶を淹れますから、そこで座って待っていてくださいね」

 台所へと向かうメイドさん。

 俺と牡丹はソファに座る。そして部屋をゆっくり見渡す。

「普通だよな」

「普通だね」

 普通な家だった。

 そもそも普通じゃない家に巡りあう機会もなかなかないだろうが、数理という変人を産み出した家だから、何か特別なものがあるのだろうとどこか期待していた。何しろ(まだあまり信じたくないが)学年主席の優等生だ、何かあるに違いないと信じてやまなかった。というか何かあって欲しかった。

 いや、でも現に先ほど刀が目の前で消えるという怪現象を見ていたわけだし、やっぱり家にメイドがいるってのはおかしいぞ!?

「どうぞ」

 紅茶と、続けて洋菓子がテーブルに並べられた。

「あっ、ありがとうございます」

 お礼を言い、紅茶に砂糖とミルクを入れていると、目の前の席に自分の分の紅茶を持ったメイドさんが座った。

 ……なんだろう。奉仕する人間と一緒にお茶をするという状況に違和感を覚えまくりなのだが、これはひょっとして貴重な体験なのか?

「そう言えば自己紹介がまだでしたね。私、数理様のメイドをしております、カノンと言います。お二人の名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「芹澤彰です」

「私は霧島牡丹って言います」

「芹澤様に霧島様ね。さて――」

 カノンさんはそのピンクの髪を揺らし、足を組み、メイドらしからぬ態度でフランクに尋ねる。

「――数理様とはどのようなご関係で?」

 気まずそうな顔をして牡丹と顔を合わせる。

 おそらく純粋な興味からの質問なのだろうが、俺たちにとっては軽い尋問のように感じられた。


* * *


 結局、すべてを正直に話した。

「昨日、ずいぶん遅くまで起きていると思ったら、こんなものを作っていたのね……」

 カノンさんは魔王討伐のビラを見つめながら我が子を心配するかのように呟く。

「芹澤様、霧島様、数理様は多少……いや、かなりおかしな子ですけど、仲良くしてやってくれませんか? 人と話すのは苦手なのですが、根はいい子…………だと思いますので」

 今、一番ためらってはいけないところでためらっちゃったよね? しかもカノンさん、一瞬目を逸らしたし。

「そんなのお安いご用ですよー」

 牡丹が威勢よく返事をするので、俺もそれにつられて頷く。とは言え、おそらく違うクラスだからなかなか学校で会う機会もないのだがな。

「そう言えば、他に家族の方はいないんですか?」

「この家は数理様と私の二人暮らしです。数理様が高校は実家から離れたところで通いたいと申されましたのでね」

 つまり実家から離れた高校に通うために家を買ったってことか。メイドさんといい、数理がかなりの金持ちだという説が浮上してきたな。

 今度は牡丹が尋ねる。

「カノンさんって、小さな頃から数理ちゃんのお世話をしてきたんですか?」

「いえ、私が数理様の世話を始めたのはここ一年ぐらいですね」

「でも確かにカノンさん、すんごく若く見えますよねー。失礼ですけど、おいくつなんですか?」

「うーんと、まあ一歳ですね」

 …………えっ?

 女性に聞いてはいけない質問をサラリとした牡丹はさておき、今、このピンク髪のメイドさんは何とおっしゃった? 一歳? ……これはギャグなのか?

 俺と牡丹が呆けた顔をしているとカノンさんは紅茶を飲みながら軽く言う。


「ああ、私、いわゆるヒューマノイドなんですよ。人造人間ってヤツです」


「「えっ、ええぇぇぇぇっー!?」」

「数理様が私を作ってくれたんですよ」

 驚愕する俺らを無視して、さらりと衝撃事実を立て続けに述べる。

「えっ、冗談ですよね?」

「冗談だったらどれほど良かったことか……」

 どこか遠い目をしているカノンさんが嘘をついているようには見えなかったが、俺はまだカノンさんの言葉を文字通り受け止められなかった。

「もしそうだったとして、だったらあいつは何者なんですか?」

「簡単に言ってしまうと、コミュニケーション障害を患った天才ですかね」

 めっちゃ簡単にまとめられたが、なぜか頷けてしまう!

 確かに、さっきから違和感ありまくりのピンク髪+メイドが数理の趣味だと言うならばある程度納得できる。でも、人間を作るって……。

 まだ驚きから抜け出せない中、リビングのドアが開かれる。

 天才コミ障の登場だった。

 散々転んで泥だらけになった制服姿から、パンツルックになっていた。胸には立方体のペンダントが青白く輝いていた。ボーイッシュな着こなしで、モデルのような数理にはよく似合っていたのだが、それにしても

「服のサイズ、合ってなくないか?」

 どうもサイズが小さいように思われる。そのおかげで綺麗な身体のラインがよく現れているのだが。

「うるさいです! 数理はあんまり服を持っていないのです!」

「あら、いつもコスプレ衣装みたいなの着ているじゃない?」

「カノンは黙っていてください!」

 恥ずかしそうに顔を真っ赤にさせる数理。牡丹は「可愛い!」と発狂しそうだが、俺には色々と残念な子にしか見えない。

「カノン、私の分のお茶はどこです?」

「準備してあるから自分で入れなさい」

「ぶー」と不満を垂らしながらとことことお茶を入れに行く。

 そしてお茶を持って数理がソファに座った。

「「…………」」

 き、気まずいぞ! なんだ、この空気? この場合、普通数理が何かしゃべるべき……ってコミ障には無理か。黙々とお茶を飲んでやがるし。これは俺から何か話しかけるべきなのか? 何を? 人間作れるなんて天才ですねってか? 流れ的におかしくね? カノンさん、助けてよ!

 カノンさんを見ると、ニコニコしているだけで何かしようとする気配は微塵も感じられなかった。

 気付いたら、数理が紅茶を飲み干していた。そして、

「さて、部屋に戻りますかね」

「ちょっと待ちなさい」

 笑顔のままのカノンさんに首根っこをつかまれていた。

「そんなことだからいつまでたっても友達ができないんですよ」

「いるもん! 数理だって友達たくさんいるもん! ゆきりんとかつっちーとか」

「それは有機生命体の友達じゃないでしょう」

 ベクトルがぶっ吹っ飛んだ方向に向いた会話だった。

「じゃあコイツら友達!」

「じゃあお二人の名前を言ってご覧なさい」

「……戦士Aと僧侶B」

 もっとごまかすとかなかったんですかね、数理さん。もっとも、カノンさんには先ほど自己紹介をしていたので、ごまかすのは不可能であるのだが。

 そんなわけで再び自己紹介。

「俺は芹澤彰。気軽にアキラって呼んでくれ」

「私は霧島牡丹。私も牡丹でいいよ」

「……というわけでアキラと牡丹です!」

 胸を張ってドヤ顔で答える数理。

「では、数理もお二人に自己紹介しなさい」

「えっ? 二人は数理の名前知っているから、これ以上言うことはありませんけど」

 カノンさんが深くため息をつきながら、数理に説明する。

「数理、自己紹介っていうのは名前だけを教えるものじゃないんですよ。趣味とか自分の夢とか、自分に関することならどんなことでも自己紹介になります」

「でも、それって等価交換じゃないじゃないですか!」

「数理……あなた、自分の名前に価値があると思って?」

「えっ! 価値ないんですか!?」

「いいから、お二人を待たせていないで何か話しなさい」

 しぶしぶと数理がしょぼーんとした顔をこちらに向ける。

「え、えぇっと……」

 カノンさんと話しているときは威勢がいいのだが、やはり俺たちと会話するときは緊張してしまうようだ。

「叶、数理、です」

「「…………」」

 えっ、終わり?

「ほら、他にも喋ることあるでしょ? 趣味とか将来の夢とか」

 カノンさんのツッコミに「うー」とうなりながらも、

「趣味は家で勉強したり、家でゲームしたり、家でマンガ読んだり、家でアニメを鑑賞することです」

 詳しくなったものの、

「完全にひきこもりだな」

「夢は――」

 俺のツッコミを無視して数理は続ける。


「――二次元世界のような理想郷を三次元世界で築き上げることです!」


 はっきりと、俺たちの目を見て言い放った。

 その瞳は無駄に輝いていた。本当に無駄に。

「数理、よく言えましたね」

「えへへー」

 いやいやいや、何かおかしいだろう。母親が小さな子供を褒めるように、カノンさんが数理の頭を撫でているのだが、そんなことはどうでもよくて、

「えっと、その夢はどうなんだ……」

 レベルとしてはアニメとか特撮物に影響を受けた子供が「ヒーローになる!」と言っているのと大差ない気がする。まあ口にはしないが。

「あら、わりと数理様は本気ですよ。数理、『インテグラル』を見せてあげたらどうでしょう? お二人なら大丈夫でしょう」

「うん、わかりました!」

 威勢のいい返事をすると、数理はとことこと走り出してリビングを出ていった。

「数理様と一緒に地下までついて行ってくれませんか? そうすれば、あなたたちが気になっていることも少しわかるかもしれませんよ」


* * *


 俺と牡丹はカノンさんに言われるがままに地下へと向かった。

 一階とは違い、地下は生活臭がまったく感じられなかった。というのも、ドアがまったくといって存在しておらず、白い回廊が延々と続いていた。

「なんかこれからボス戦って感じだね」

「はは……」

 牡丹の言うことがシャレに聞こえなかった。如何せん、相手はヒューマノイドを作っているわけだし。……いや、まだ本当にカノンさんがヒューマノイドだと信じたわけではないが。

「あっ、扉だ」

「よし、じゃあ開けるぞ」

 扉を開く。

 そこに広がっていたのは――白い空間だった。ただ何もないというわけではなく、壁際にはやたら大きな液晶とキーボードが置いてあった。

 そしてその前に数理が立っていた。

 扉が自然に閉じる音に合わせて数理はキーボードのキーを叩き、こちらへ振り返って大きく手を広げて言う。


「これが『インテグラル』です!」


 白い空間が静寂に包まれる。

 えっ? どこが『インテグラル』?

 と思っていたら、


「お、お兄ちゃん……」


 幼気な幼女が俺のシャツの裾をつかんで、上目遣いで見つめていた。

 か、可愛い…………って、ちょっと待て! お、俺は断じてロリコンでもシスコンでもないぞ! いや、でもこの庇護欲のそそる表情は……って、おい!

 理性を取り戻そうと首をぶんぶん振っていると、わなわなと震える牡丹の顔が見えた。

「そ、それは、もしや……」

「もしや?」

「アニメ『爆殺☆魔法少女ボマード』の第三話『くたばれロリコン!』の回で登場したみぃちゃんでは!?」

 まったくもって子供向けとは思えない魔法少女の名前、そして酷いタイトルだな。

「なんなんだ、そのアニメ?」

「魔法少女のボマードちゃんが相手を爆殺することで事件を解決する痛快ラブストーリーだよ」

「ラブストーリーの要素微塵も感じられないんですけど!?」

「第三話はボマードちゃんがロリコンに対してみぃちゃんを送り込んで、見事ロリコンを爆殺することに成功するというお話だったよ」

「えっ? それってみぃちゃんが爆は――」

 言ってるそばからみぃちゃんが光り出して――爆発した。

「うおうっ!」

 どうなっているのか自分でもよくわからなかったが、どうやら今自分は、重力の鎖を引きちぎって宙へと浮かび――地面にぶつかった。

「痛ぇ! 一体どうしてこうなったんだ!」


「そんなに怒るなよ。俺がいるだろ?」


 気付いたら上半身裸のマッチョに抱きつかれていた。

「おい、誰だ! コイツは! 牡丹!」

 今度は牡丹が鼻血を垂らしながら、恍惚の笑みを浮かべて俺を見つめていた。

「そ、それは『爆殺☆魔法少女ボマード』の神回――第九話『やめて! そんなに僕、プロテイン飲めないよ……』で登場した安藤さん……」

「またボマードかよ! くっそ、オチが読めちまったじゃないか!」

 必死に抵抗するも、筋肉が俺をがっちり捉えて離さない。

「もう、せっかちだなぁ……坊やは。油か? 俺の汗という名の油が欲しいのかなー?」

「気持ちわ――」

 俺が本音を叫び終わる前に、また光り輝いて爆発した。

 そしておそらく宙を舞って、地面に叩きつけられる。

 痛い。これはかなり痛い。色々と痛い。

 目の前にキーボードを操作している数理がいた。

「ふふっ、どうですか。これが『インテグラル』です!」

「この爆発兵器がか?」

「違います! 周りをよく見てください!」

 俺は起き上がりながら周りを見渡す。

 すると、さっきまで何もなかった白い空間にたくさんの人……とたくさんの人外。

 人外というのは小動物とかそういう類ではなく、簡単に言ってしまえばUMAといった感じの見たことない生き物なのだが、どこかしら愛着のある――アニメやマンガで出てきそうなキャラクターだった。あっ、あとロボットもいるなー。

 それに興奮の度合いが最高潮に達していた牡丹もいた。

「なんだこれ……。もしかして、これ、全部アニメのキャラクターか?」

「そう! その通りです! これが『インテグラル』です!」

 ようやく三度目の決めゼリフ(?)で『インテグラル』がどんなものかがわかった。

「えっと、つまり、その『インテグラル』ってのは、二次元世界のキャラクターを積分して三次元に投影するための装置ってことか?」

「やりますね、アキラ! 有り体に言えばその通りですが、この『インテグラル』、数理の汗と涙の結晶なのです! そもそも二次元と三次元では圧倒的に情報量が違います。微分すれば情報量が減り、積分すれば情報量が増えます。微分方程式を解くならば初期条件が与えられないと一意性が担保できないのは常識ですよね? それを加味した上で積分を行わなければならないわけですが、やはり単純に積分できるものじゃありません。てゆーかぶっちゃけ積分してません! アニメのキャラクターのデータを多角的にインプットして、そこから三次元データを推測して再現します。しかし、その際に色々と細かいノイズやらラグが発生してしまいます。それらを抑えるためにまた新たにプログラムを組む必要があるわけです。それだけではありません。やはり二次元のキャラクターをそのまま三次元に投影しようとすると違和感が出てしまいます。わかります? デフォルメとかマスコットキャラクターならそのままでもいいかもしれませんが、人型となると顔のパーツなどの構成が通常の人間と多少異なっているわけです。酷なことを言うかもしれませんが、二次元のキャラがそのまま三次元に現れたらキモいのです! そこで新たに――」

 まるで舞台役者のように揚々と独白を始めた。完全に自分の世界にのめり込んでいる。

 数理のよくわからない演説をBGMとして聞きながら液晶を見る。そこにはたくさんのアニメキャラが3Dとして表示されていた。その横にはたくさんの意味不明な数字と数式、プログラムの羅列。

「――だからこそ、一つのキャラクターをこの空間に実現するだけでもかなりの時間がかかるわけです! ですが、その時間を――」

 確かに、これらのデータを入力するだけでも骨が折れそうだ。俺は仕組みが理解できたとしても、そんな作業はやりたくない。

「はいっ、はーいっ! 数理ちゃん、質問です! その『インテグラル』ってのは私たちにも使えるんですか?」

 数理の言葉を牡丹の質問が遮る。

「この空間であれば誰でも使えます! 外で使う場合も『インテグラル』のコアとなる部分を持ち出せば大丈夫です! でもその代わり、呼び出せるデータはかなり制限されてしまいます」

 なるほど。先ほどカノンさんを襲う(?)ときに持っていた刀もこの『インテグラル』によるものだったわけか。

「じゃあじゃあ数理ちゃんにお願いすれば、私が三次元化? したいキャラを三次元化してくれるのかな?」

「いいでしょう! 牡丹のために特別、数理が頑張ってあげましょう!」

「やったあ! ところで数理ちゃん、普段はどんなアニメとか見たりしてるの?」

「えぇっと、数理はですねー……」

 数理が作っていた独自の世界に牡丹も加わってしまい、完全にぼっちになってしまったので、

「ちょっと外の空気吸ってくるわ」

 誰に言うでもなく、俺は言葉だけを残して地下室から出ていった。


* * *


 インテグラル。

 おそらく数学の積分記号の『∫』で初めて出会う言葉だが、英単語で『integral』は形容詞で『不可欠な~・完全な~』といった意味があった気がする。

『二次元世界のような理想郷を三次元世界で築き上げる』

 数理が夢と言っていたこの言葉だが、三次元に完全なる世界を築き上げるという意味で、あの装置のインテグラルという名前はすごく理に適っていた。

「芹澤様、お茶でも飲みますか?」

「ああ、結構です。お気遣いなく」

 俺は言った通り、窓を開け、縁側に座って外の空気を吸っていた。

 なんというか、この家は現実から乖離しすぎていて、思考の整理が間に合わない。

「隣、よろしいですか?」

「あっ、ええ、どうぞ」

 思考の整理が追いつかない原因の一つであるカノンさんが俺の隣に座る。

 俺もカノンさんもぼやーと空を見つめている。口を開いたのは、正座しているカノンさんからだった。

「数理様に『インテグラル』は見せてもらいましたか?」

「ええ。かなりぶっ飛んだ発明品でしたね」

「何か聞きたいこととかありますか?」

「ええ。色々あるんですが、色々ありすぎて何から質問すればいいのかわからないって感じですね……」

「では、昔話をしましょうか。芹澤様、『プラスゼロ』って企業、ご存知ですか?」

「そりゃ知ってますけど……って、ええっ!?」

 知ってるも何も『プラスゼロ』と言えば、名前はまったく儲かりそうもないが、一代で家電業界のトップに躍り出た凄腕の企業だ。知らない人を探す方が難しい。社長の名前は確か……叶円明。つまり、

「そう、数理様は『プラスゼロ』の社長、円明の一人娘なのです」

 あれ、社長さん、呼び捨てですか?

「正確には数理様には兄が四人いらっしゃるのですが、まあ父親としては一人娘は可愛いでしょうね。そして、ろくに学校にも通うことなく、無駄に英才教育を受けて数理様は育ったのです。どんなに数理様が学問の才能に秀でているかは……言うまでもありませんかね」

「僕も勉強には自信あったんですけど、あっさり負けてしまいましたからね。しかも見た目も、スタイル抜群であの牡丹も可愛いとベタ褒め。天って二物を与えるんですねー」

 単なる事実を述べていただけだったが、言っていて虚しさがこみあげてきた。

「数理をお褒めいただきありがとうございます。ただ、『天が二物を与えている』と言われると、ちょっと違うんですけどね」

「? どういうことですか?」

 カノンさんはちょっと悩ましい表情を浮かべたが、

「それについては追々話すことにしましょう。少なくとも、数理はその反面、かなりの世間知らず、というよりコミュニケーション能力に障害を伴った子になってしまいました……」

「まあ……そうみたいですね。今は奇跡的に仲良くしていますが」

「今夜はお赤飯ですよ。正直、数理が人を家に連れて来る日なんて一生来ないと思っていました。しかし、こうして人と交流できることが証明できました。本当に記念すべき日です」

「そこまで言いますか!?」

 とは言え俺は数理に出会ってまだ一日も経ってない。カノンさんの知っている以前の数理はもっと酷いのかもしれない。

「でもそしたらどうして数理は現在、高校に通っているんですか? 元々英才教育を受けて学校には通っていなかったんですよね?」

「……それにはですね、実に浅くくだらない理由があるんですよ……」

「浅くくだらない!?」

「数理様はご実家ではかなり甘やかされていましたから、数理様が欲しがるものは円明のヤツが買ってあげていました」

 今、円明のヤツって言ったよね? 聞き間違いじゃないよね?

「そこで数理様は出会ってしまったのです。…………美少女ゲームに」

 あー、浅くくだらねー。

「もちろん全年齢版ですが、数理様はそこで舞台となった学園生活に異常なまでの憧れを抱くようになりました。それを皮切りに他にも学園モノのゲームをプレイしてみたり、必然的にアニメやマンガにのめり込むようになりました。『インテグラル』の製作を始めたのもこの頃からです」

「……もしかしてカノンさんが作られた理由って――」

「何も言わないでください」

「……ハイ」

 どうやら触れてはいけない領域らしい。

「ともかく色々ありまして主に私が円明の畜生を言いくるめて数理様の高校生活を約束させました」

 畜生!? どんだけカノンさん、数理の父親嫌いなの!?

「ご実家から離れたところで高校生活を開始できたのはいいものの……あの子、ちょっとひきこもり歴が長かったから――」

「ああ、なるほど。カノンさんも大変ですね」

 数理を心配する姿は母親そのものだった。実際、まったく逆の立場なんだけどね。

「話は戻りますが、『インテグラル』について、基本的に他言はしないようにしてください」

「はい。でも他の人に言っても信じてもらえない気がしますけどね」

「そうなのですが……数理の言っていた夢、実は叶いつつあると思いませんか?」

「確かに。実際に二次元のキャラクターが三次元になっていますからね」

「おそらく数理様の頭脳があれば実用化もすぐできるでしょうし、もし話が漏れれば、ご実家でなくてもそのプロジェクトに資金援助しようという輩はたくさん現れるでしょう。それは困るのです」

「なんでですか? やはり実家以外の利益になるのは――」

「ひきこもりばっかり生まれてしまうからです」

「……おっしゃる通りで」

「そんなわけで、私は数理様によって産まれた身ですが、数理様の夢……というより野望を打ち砕かないといけないのです。数理様のためにも、そして世界のためにも」

「なんだか勇者みたいなセリフですね」

「数理様には魔王呼ばわりされていましたけどね」

「ははは」

 数理はカノンさんを魔王と称していたが、ラスボスは数理自身であるような気がしてきたぞ。

「夢を打ち砕く、というより違う夢を見つけて欲しい、っていうのが本当のところですかね。本気で何かに夢中になる、という姿勢は嬉しいのですが、もっとアクティブでアウトドアに活動してもらいたいのです。言うなれば、ゲームみたいに、ですかね」

 苦笑しながらカノンさんは言う。そのまま、今度は俺の方を向き、

「そういうわけで芹澤様、数理様と仲良くやってくれませんか。そして数理様に学校生活の楽しさというものを教えてあげてくれませんか」

 笑顔でそう言った。

「僕に何ができるかはわかりませんが、できる範囲であれば協力しますよ」

「ありがとうございます。牡丹様にもよろしくお伝えください」

 丁寧にお辞儀をされたので、俺もつられて「わかりました」とお辞儀で返す。

「ところで、芹澤様。私の前でわざわざ『僕』とかしこまったり、敬語を使ったりする必要はありませんよ? 私の方が年下なんですから」

「いやいや、そんなわけにもいきませんよ」

 年齢は確かにそうなのかもしれないが、見た目が醸しだす雰囲気は俺より十分年上だ。

「そんなこと言うなら、僕らに『様』なんて付けなくてもいいですよ」

「いえ、私はメイドですので――」

 急に手を口に当てて悩みだすカノンさん。

「私、数理様と話すときは普通に『数理』って呼び捨てにしていますよね。確かに『様』を付けると距離が遠い感じもしますね。うーん、でもメイドですしー」

「いや、そんな真剣に悩まなくても……」

「いいえ、芹澤様。私はヒューマノイドで数理様のメイドでもありますが、まだ生を受けて間もない一人の人間でもあるのです。こうしてご実家にいる方以外と交流するのが実は楽しかったりするのですよ。人と仲良くなるために色々悩んだりしてはいけないでしょうか?」

「……そんなことはないですね」

「では芹澤様……ではなくアキラさん。アキラさんとお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「もう呼んでるじゃないですか」

「ふふ、そうでしたね。それと……私ともお友達になってくれませんか」

 俺はカノンさんが出してきた手を握り返し、快く返事をする。

「喜んで」


「そして僕ともお友達になってくれないか?」


 気付いたら後ろから半裸の男に抱きつかれていた。

「お、お、お前は……安藤!」

「ふふ、違うな、あきらん。その安藤さんは爆発しない……言うなれば安藤さん改だ!」

 わかりきった犯人――牡丹がやってきた。後ろに数理もいる。

「くっそ! 離れやがれ……」

「もう……乱暴だなぁ…………。やっぱり、そんなに欲しいのかい? 俺のア・ブ・ラ」

 爆発しないから、コイツから逃れる手段がなくなった!?

「うわあぁぁぁぁぁー!」


 ちなみに後で数理が教えてくれたのだが、地下室以外で再現したデータは、強い衝撃を与えると崩れてしまうそうだ。

 早く言え。

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インテグラル 瀬々院 @nessie_sesein

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