第2話

課内の同じ部署に所属する、中堅職員の四十代の矢口と二年目の新人である二十代の杉本は、朝から午後の会議に向けて資料の最終確認をしていた。他の業務も同時進行でこなしていた為、気付けばあっと言う間に昼休みになっていた。

「今日も遅くなる。ごめん。うん。そっちも無理するなよ」

 職員食堂で電話をかけていた杉本は、矢口が近づく気配を感じ慌ててスマホをポケットにしまった。直後に「おつかれ」と、どかりと矢口が隣の席に座る。矢口と杉本は同じ企画チームに所属している事もあり、職場にいる時はほぼ一緒に行動していた。


しばらく並んで食事を取っていると、食堂のテレビが他府県で起こった幼児拉致事件を報道していた。

「馬鹿じゃねぇの」

 矢口が親子丼をかき込みながらつぶやく。杉本が苦笑した。

「まあまあ。うちは関係ないんだからいいじゃないっすか」

「お前の所も気をつけろよ」

「止めてくださいよ、そこまで馬鹿じゃないですよ。大体俺、あれが売ってるとこ、うちで見たことないんですけど」

「だよな。あのステッカー、まだ販売してる所あるんだな・・・。よっぽど平和ボケしてるんじゃねぇの」


乳幼児拉致事件、別名「ベイビーインカー事件」。【ベイビーインカー】のステッカーを貼った車が他府県に入ると、信号待ちなどで暴漢に襲われ乳幼児が攫われる被害が近年急増し、今年はすでに全国で三十件を越えた。【ベイビーインカー】を貼っている車はまず軽自動車、軽なら大抵運転手は母親である女、大人は大抵その女一人。同乗者はベビーシートに乗っている乳児か他にもせいぜい助手席に幼児が座っているくらいで、母親は常に子供を意識しているため周囲への注意が散漫になる。襲撃強盗には格好の材料がいくつもそろいすぎている。声にこそ出さないが、誰もが最初にこの犯罪を考えた犯人は頭がいいと思っているに違いない。

「赤ちゃんがいますよ」というサインステッカーを貼ると言う事は、昔と違いわざわざ他府県の人間に幸せアピールをしていると取られかねないし、うちの県にはうっかり犯罪を助長するようなそんな愚かな事をする者はいない。大方、地方の治安状況を知らないトーキョーあたりの勝ち組都会者だろう。

矢口はそう結論づけると、冷めた目でテレビ画面を見ながら味噌汁をすすった。


攫われた子供は犯人が見つからない限りまず戻ってこない。たまに犯人が捕まっても皆判で押したように自称幼児好きの若い男で、子供は性的被害を全く受けておらず無事に保護。犯人は大変反省しているとの事で、執行猶予付きで釈放されて終わり。

この手の事件は、攫われた子供の保護者とその地域を除けば、異常なくらい他府県の反応は静かだ。


皆分かっているのだ。

子供は喉から手がでるほど欲しいと。

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