エピローグ

過去を暗くしないために……


 ――時が経つというのは、本当に早い。


 僕が目を覚ました時、地面から顔を出すと、そこには『春の息吹』を感じられる『花のつぼみ』や『つくし』などが小さく顔を出していた。


「……ヘンゼルさん」


 ボーッと少し寝ぼけた頭をすぐさま起こし、急いで『ある場所』へとかけだした……。


「はぁはぁ……」


 一応部屋全て見て回った。


 だけど、ヘンゼルさんの姿はどこにもない。ただ、厨房やお店のところを見て、掃除はしたのが分かると、ほこり一つなく綺麗になっている。


「おかしいな」


 僕は首をかしげた。


 なぜなら、今まで冬眠とうみんをしていた。だから、ヘンゼルさんが行く前に掃除したとはいえ、ほこりくらいはあってもおかしくはないはずだ。


 つまり、『誰か』が掃除をしていなければ、ここまで綺麗な状態にはなっていないはずだ。


「これ、何だろう?」


 それに、厨房には『何か』を作った様な形跡があった。だから、僕は『ヘンゼルさん』が帰ってきていると思っていた。


「あら? マシュー君、おはよう」

「あっ」


 僕が玄関から出て来た姿を見て、声をかけてきたのは……『グレーテルさん』だった。


「どうしたの? そんなに慌てて」

「えっと、ヘンゼルさんがどこに行かれたのか……知りませんか?」


「ヘンゼル? そういえばさっき『スノーボール』の試作をしていたから、厨房にいるんじゃないかしら」

「それが……いらっしゃらないんですよ」


「そう」

「あの……」


「ん?」

「どうして、グレーテルさんがここにいらっしゃるんですか?」


 そう、僕の記憶が正しければ、グレーテルさんは元々遠く離れた『お父様』の看病をしていたはずだ。


「ああ、それはね。実は父さん。ヘンゼルが来た後、体調が良くなったのよ」

「あっ、そうなんですか? それはよかったです」


「うん……。でも、いつどうなるか分からないって状況なのは変わらなくてね」「はい」


 あっけらかんとした顔でグレーテルさんは言っているが、「なぜここにいるのか?」という僕の質問の答えにはなっていない。


「それで、父さんは『どうせ最期さいごを迎えるのなら、家族の近くにいたい』って言ったのよ」

「そうなんですか……」


 ちょうど体調がよくなっていたので、病院を変えるのであれば、すぐにした方がいいだろう……という話になり、今はこのお店の近くにある小さな病院に移った……という事らしい。


「元々父さんは『木こり』だったからね、前の大きな病院の様な都会の雰囲気があまり合わなかったみたい」

「じゃあ、これからはずっとその病院のお世話になる……という事ですか?」


「ええ、私もこっちで仕事を見つけたし、父さんの看病も続けるつもりよ。それから……」

「?」


 グレーテルさんは、ジーッと僕の方を見た。


「これから、私の仕事が休みの時は『このお店の手伝い』をするつもりだから、よろしくね」

「えっ……ほっ、本当ですか?」


 確かに今までの忙しさを考えると、人手が増えるのはありがたい。


 それに、前回レシピを見ながらとはいえ、グレーテルさんは『お菓子作り』も出来る。正直、ありがたい助っ人である。


「そういえば、ヘンゼルを探していたのよね?」

「はい」


「それなら、もしかしたら……」

「?」


 首をかしげている僕に、グレーテルさんは「あそこの森の近くの川にヘンゼルがいるんじゃない?」と教えてくれた……。


◆ ◆ ◆


「あっ、いた。ヘンゼルさん!」

「ん? ああ、マシューおはよう」


 グレーテルさんに紹介された場所は、『よもぎ』や『つくし』などが生えている『草原』だった。


『あの子、これからは米粉と小麦粉だけじゃなくて、草や木の実を使って動物も食べられる様なお菓子を色々作りたいって言っていたから……』


 そこでさっそく、『食べられる草』がないか図鑑などを照らし合わせながら試行錯誤しこうさくごをしているらしい。


「探しましたよ。どこにもいらっしゃらないので」

「あはは、ごめん」


 ヘンゼルさんは笑顔だった。その姿を見ていると、僕は少しホッとした気持ちになる。


「ところでさ、コレ食べてみてくれる?」

「なんですか? 突然」


 僕は差し出された『お菓子』に驚いた。多分、コレがさっきグレーテルさんが言っていた『スノーボール』だろう。


「まだまだ試作の段階なんだけどさ、多分動物が食べても大丈夫だと思うんだよ」

「……多分ですか」


 あまり根拠のある言葉ではなかった。だが、断る……という選択は僕の中にはない。


「……」

「……どう?」


「ちょっと……粉っぽい……ですね?」

「あはは、それがこのお菓子の特徴だよ」


「ほぉうなんでふか?」

「そうなんだよ。でも、もうちょっと試さないとダメだね。色々な食材で試したいし……」


 そう言うとヘンゼルさんは、ポケット中に入れていた『手帳』を取り出し、なにやら書き込んだ。


「……ヘンゼルさんはなぜそこまでされるんですか?」

「えっ?」


「あっ、いえ……ちょっと不思議に思っただけなんですけど」


 実はこの疑問はずっと思っていた事だ。


 なぜなら、この世界の『お店』という場所は基本的に、『人間』と『動物』どちらかにしか適していない。要するに人間は人間。動物は動物……という目に見えない境界があると思う。


 特に飲食店は、その色が濃く出ている様に思う。


 でも僕は、それに対して特に疑問に思った事はない。いやむしろ、それが普通だと思っていた。


 でも、このお店はその境界はなく、むしろ食べられるモノを調べてでもその『注文に適したモノ』を作る。


「なぜかな……と思いまして」


 わざわざそこまでしなくても良さそうに思ってしまう。


「……俺はさ、特に分ける必要はないって思っているんだよ。それに、『動物』にしろ『人間』にしろ、思う事や考える事ってさ、意外に変わりないんだなぁって店をやっていて思うんだよ」

「それは、思います」


 今までの経験上、多少は分かるようになっていた。


「動物も人間もさ。抱える『悩み』や『トラウマ』も色々あると思う。そもそも『トラウマ』って何か分かる?」

「……いえ」


「そもそも『トラウマ』は心的外傷しんてきがいしょうって言って衝撃的な肉体的、精神的な衝撃を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態で、また否定的な影響を持っていることを指すんだよ」

「はぁ」


「イマイチ分かっていないと思うけどさ、今までの接客を思い出すとさ、何となく分かるんじゃないかな」


 確かにそう言われてみると、『個別に注文をする場合』は大体、心に傷を抱えている人や動物が多く、そこには『理由』があった。


「俺はさ、そういう『トラウマ』を抱えている人や動物の克服出来るキッカケになれたらな……って思っているよ」

「そう……なんですか?」


 僕の問いにヘンゼルさんは小さく頷いた。でも、ここまで考えている人間は少ない気がする。


「それで、お菓子を食べながら『こんなおかしな話があるんだよ』って昔話が出来たら幸せだなって」

「……ダジャレですか」


「あれ、バレた?」

「もし点数をつけるなら一桁ひとけたですよ」


 僕がそう言うと、ヘンゼルさんは「手厳しいな」と言いながら笑っていた。僕もつられて笑った。


「ヘンゼルー、マシューくーん。そろそろ準備しないと」


 お互い笑っていると、遠くからグレーテルさんのよく通る声が聞こえて来た。グレーテルさんだ。


「さて、行こうか」

「はい」


 春の陽気が漂う日、僕たちは草原をかけながらお店へと急いだ。思い返してみると、僕とヘンゼルさんが出会ったのもこんな日だった。


 ふと思い返してみると、1年は本当にあっという間だと思う。それでも、こんな毎日が続いていくだろう……。


 きっとその中でもこれから出会う人や動物も様々な『悩み』や『トラウマ』を抱えているはずだ。


 そんな人や動物に僕たちの出来る事は、多分限られている。


 でも、いつか『こんなお菓子な話があるんだよ』なんて冗談交じりに言える日が来る事を願い、そしてお菓子を食べて笑顔が広がる事を願いながら僕たちは今日もお店を開く。


 ――そして、みんなが素敵な時間を過ごし、笑顔になれる事を願っている。ただ、くれぐれもお気をつけてご来店ください……。


 僕もヘンゼルさんも、そしてグレーテルさんも皆様のご来店を心よりお待ちしております――。


 あなたの過去と未来が、笑顔でずっと光輝けるように……

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お菓子な話 黒い猫 @kuroineko

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