忍法 凶ツ風(にんぽう まがつかぜ)
楓響馬とお苑が、愁太郎と雀の亡骸を乗せた船を見送っているのを、別の方からふたつの人影が片膝をついて見つめていた。言うまでも無く、陣羽織雲雀と松沢七羽である。
二人は響馬とお苑がどの様に彼らを倒したのかを見るのには間に合わなかったが、こうして今、あの二人を見下ろせる、やや高い崖の上にいた。
「雀……愁太郎……」
七羽は、瞳の奥に消えて行く二人の面影をただ見送った。
呟く老人を横に、雲雀は言った。
「七羽殿。最早バラバラに仕掛けていてはらちがあきませぬ。ここはあなたと私とで奴らを」
七羽はそれを聞いて、少し考えるそぶりを見せたが、頷いた。
「そうじゃな。何としても奴らを仕留めねば天涯、雀、愁太郎に顔向けできぬ」
「はっ」
「雲雀、ひとつ良いか」
「何でしょう?」
「お前、
『外の国を見てみたい』
とゆうておったな」
「はっ」
「あの二人を始末したら、お前は姿をくらませるがよい」
雲雀はあっけに取られた顔をした。
「な、何を申されますか。私に抜けろと?」
七羽は頷いた。
「左様、後はわしが言いくるめておくから、好きな所へ行くが良い」
「し、しかし、それでは七羽殿が」
老人は盲目の若者に微笑した。
「わしは……今までお前達の願いをほとんど叶えてやれなんだ。
それどころか生き延びる為にお主達に稽古をつけて来たのが、結局はこのザマじゃ。
仕方のない事とはいえ、地獄に引きずり込んでしもうた……仲間同士で殺し合う地獄に!」
雲雀の表情が歪んだ。
「それは、あなた様のせいではありませぬ!
忍びとして生まれたからには、何時かはお役目に死すのは必定。それは敵に回った響馬とお苑も承知の上の事です。
私は……今まで言った事はありませんが、あなたや皆と過ごした日々を掛け替えのないものとして、心の底からありがたく思っておりました。
そこで私だけ抜けるなどと……」
七羽は苦悶に喘ぎ、眉間にしわを寄せながら、それでもこう告げた。
「……お前ならそう言うと思った」
「七羽殿……」
安堵のため息を漏らした雲雀は、次の瞬間、こう告げられた。
「ならば命令じゃ。
陣羽織雲雀。お前はこのお役目を果たした後、里を去れ。二度と戻るでない。
して、一生涯、見聞を広め続けるが良い。 ……ならば、良いな?」
「七羽殿……」
「わしらの事は……忘れよ。何処かで皆の分まで達者で暮らせ」
陣羽織雲雀は、この時師匠に初めて喜びと悲しみの入り混じった涙を見せた。
そして、七羽を優しく見つめると、押し殺した声でこう言った。
「陣羽織雲雀、承知仕ってござる!」
一刻の後。既に日は沈み、夜がやって来ようとしていた。
行く当てを無くしたかの様に手に手を取ってさまよう楓響馬とお苑の前に、黒い影がゆらりと現れた。
松沢七羽と陣羽織雲雀である。
「雲雀、七羽殿……」
この後に及んでも、響馬は七羽を師匠と崇めている。しかし、手はその腰の刀の柄に置かれていた。
七羽が口を開いた。
「けりを着けようぞ、楓響馬、お苑」
響馬とお苑はその途端、すっと手を離した。
そして互いに視線を交わすと、響馬は七羽に、お苑は雲雀に向かって歩き出した。
かつての師匠と向かい合う響馬。
七羽は如何なる構えも見せず、両手をだらんと垂らしたまま、訊ねた。
「響馬」
「はい」
「わしを恨んでおろうな」
「いえ。ただ、私は何としてもあなたを倒さねばなりませぬ」
「ほう。それは何ゆえ?」
「服部半蔵殿に事の真相を問いただす為にございまする」
「真相?」
「はい。
何故我ら七人が選ばれたのか。それを訊ねとうございまする」
それを聞くと、七羽は声を上げて笑った。嘲笑ではなく、実に楽しそうに。
頼もしい相手に会ったとばかりに、老人は笑った。
「聞くか、響馬」
「はい」
「直に半蔵殿に訊ねに参るか」
「はい。でなければ、死んだ仲間達にあの世で話してやれませぬ」
七羽の表情が硬くなった。
「それはつまり……『死にに行く』という事かの」
「はい。
事と次第によっては、楓響馬、服部半蔵殿に刃を向けます。忍法を仕掛けまする」
「そこまでする様な事か」
「少なくとも、私にとっては」
七羽の表情が再び柔らかくなった。
「……よかろう。己の信念の為には天にも仇を成すか」
「私にはそれほどのものです。
七羽殿の、天涯殿の、雀の、愁太郎の、お苑殿のささやかな幸せを粉々にしたのも、雲雀の、もしかしたら、何時かは叶ったかも知れぬ出立がご破算になったのも、私には到底納得が行きませぬ。
何故、我々が選ばれたのか。それを解き明かしてから死にます」
「響馬……」
風に髪をはためかせながら、楓響馬はまっすぐに松沢七羽を見返した。
(全く……融通の利かぬ、それでいて、末恐ろしいほどに逞しく……優しく育ったものじゃて)
松沢七羽は眩しいものを見るかの様に、楓響馬を見つめた。
お苑は陣羽織雲雀と真正面から対峙していた。
「お苑……いや、お苑殿」
「何です、雲雀殿」
「拙者の悲願、存じておいででしょうな」
「『外の世界を見て見聞を広めたい』
というあれですね?
昔から何度も耳にして、十二分に心得ております」
「して、私からお苑殿に質問があります。
……楓響馬を死ぬまでかばい、世界中を敵に回して戦う覚悟があなたにはおありか?」
それを聞いたお苑は、ゆっくりと息を吸い込み……吐き出してから、口を開いた。
「勿論です。今となっては、あの人の味方は私だけ。
これ以上……響馬殿をひとりぼっちにはさせません」
そして、お苑はこうも言った。
「そして、どうしようもなくなった時……響馬殿に引導を渡すのも、この私」
雲雀は素直に微笑した。
「それでよろしい。あれもきっと……喜びます……」
お苑も寂しげな微笑を浮かべた。
「……いざ」
次の瞬間、雲雀の足元を取り巻く様に、三つの小さな竜巻が砂塵を巻き込み、吹き上げながら、出現した。
「『忍法 凶ツ風』」
竜巻は次第にお苑の背丈ほどになりながら、彼女へと殺到した。
……その辿った跡の地面を腐臭と、それにより生じるあぶくで黒く染め上げながら。
『忍法 凶ツ風』。
その風に毒や細菌をはらませながら敵を取り込み、腐らせる死の竜巻。
少し風を吸い込んだだけでも相手の命は無い。また、薬や栄養素などを交えて対象の者を取り込めば、死にかけの者すら蘇らせる。
それを自在に操る陣羽織雲雀は一体何者か。
眼前に迫る竜巻を見ても眉ひとつ動かさないお苑の、だらりと下げた腕がつい、と上がり、その袂から花びらが散り始める。しかし、既に多少なりとも吸い込んでしまったのか、彼女の口の端からつう、と血が一筋流れた。
それでもお苑はにんまりと微笑を浮かべると、呟いた。
「……毒か。
陣羽織雲雀。私の花びらが毒を吸い尽くすのが早いか、お前の竜巻が私を地獄に突き落とすのが早いか、勝負じゃ……!」
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