春海(しゅんかい)の彼方へ……
雀は拭愁太郎の動きに合わせて快楽に身を投じ、身体を内側からあぶる様な、彼の繰り出す刺激に脳をとろけさせかけていた。
「ああっ! しゅ……愁太郎……殿……」
「お前の……胸も、尻も……そしてここも……!」
愁太郎は不意に雀のそこを激しく突き上げた。
「あ、あああっ!」
黒髪を体にまとわり付かせ、雀は激しくのけぞろうとしたが、愁太郎に抱きすくめられて、それをやり過ごす事が出来ず、切なげに眉間にしわを寄せ、喘いだ。
「ふふ、たまらぬ……いいぞ、雀……!」
正座した自分の太ももの上に彼女を載せ、しっかりと身体を密着させながら、彼女に悦びを与え続ける愁太郎の表情の、何と晴れやかな事か。
……そして情欲に身を投じる二人から滲み出る妖気の、何と禍々しい事か。
「……愁太郎殿」
横になって絡み合ったまま、雀が再び口を開いた。
「ん……?」
「私は……響馬殿が好きです」
「うむ。響馬殿もお前を好いている様子だった」
「……本当に?」
「見ておれば分かる。あのお方は……ホントにそういう所をごまかすのが下手だからなあ」
熱に浮かされた様な表情の愁太郎が、苦笑した。
「そしてお前様もお苑殿が好き」
「ああ。
……しかしな、はっきり言うぞ、雀」
「はい……?」
「俺はお前とお苑殿の二人に……優劣を付けた事などただの一度もない」
「……」
「上手く言えんが……それだけは信じてくれ」
愁太郎はあどけなさを残す瞳で雀の瞳を正面から見つめた。
「……愁太郎殿……」
雀は彼の首に両腕を巻き付け、強く抱きしめた……。
雨が上がり、再び追跡の道を雀と愁太郎は辿っていた。
微かに残る気配を辿り、彼方へ、彼方へ。
そして遂に二人は砂利道の先に、楓響馬とお苑を見つけ出した。
自分達を見た途端、お苑と響馬の二人は、何と左右へと別れて走り出した。
一瞬追っ手の二人は面食らったが、互いに顔を見合わせ、覚悟を決めた表情で頷き合った。
「私は楓響馬を」
「俺はお苑を」
そしてどちらともなく伸ばした手を、互いに硬く握り合う。
「自分の気持ちを伝えに行く。そうだな、雀」
雀は晴れ晴れとした表情で微笑し、
「はい!」
と返事をした。
「そして、仲間以外の誰の命令にも、俺達は従わぬ。俺達七人の仲間以外の誰の命令にも」
……七人。その意味合いを知って、雀は嬉しくなった。
「……仲間ですものね。みんな……仲間ですものね!」
愁太郎は何時もの、仲間に向ける微笑を浮かべ、涙ぐみながら言った雀にこう告げた。
「そうよ。仲間内で忍法比べをし、気持ちをほんの少し伝えるだけだ。
こんなつまらぬクソ試合に放り込まれんでも、何時かはしていたわ。
そうだな? 雀」
「そうですね……し、愁太郎殿……」
眉間にしわを寄せ、本格的に泣き出しそうになった雀に彼は優しく声をかけた。
「泣かずとも良い。
一寸言って来るだけ。すぐまた会えるわ」
彼は雀の涙を、解いた右手の人差し指の先で拭ってやり、
「またな、雀」
とだけ言うと、左手もそっと解き、背を向けた。
「はい……それではまた、愁太郎殿」
雀も背を向ける。
二人はそれと同時に、互いの想い人の所へ、一目散に風を切って走り出した。
「楓響馬!」
その声に、響馬は右手の小高い丘の上を振り仰いだ。風に吹かれて黒髪をなびかせながら、かつて愛した女、雀が立っている。
……右手に短刀を引っ下げて。
「お苑!」
かつて弟の様に思っていた愁太郎の声に、お苑は振り返った。
その表情は既に何も浮かべてはいない。川べりに立つ愁太郎の表情も、それは同じだった。
互いに相手の手の内を知らぬ、瞬時の判断のみが生死を分ける忍者同士の殺し合いだ。掛け声も念仏も要らぬ。
響馬は地を蹴り、雀はてっぺんから飛びかかり。
お苑と愁太郎は互いに白刃煌かせ、川向こうからの強風に吹かれながら走り出し。
先日まで笑みを浮かべて幸せな時間を共に過ごした二組は真っ向正面から激突した。
己に向かって斬り下ろされる白刃を見据え、険しい眼差しで響馬はかつての仲間に向かってそれを告げた。
「忍法……不動殺し……!」
たちまち雀の繰り出した短刀は彼女の方へ向き直った。
……こらえようとした彼女の短刀を握り締める手の骨を、腕の骨をベキベキとへし折りながら。
物理法則を捻じ曲げ、逆へと推し進める『忍法 不動殺し』が、彼女を無残に死へと追いやろうとしている。
「ああっ!」
たまらず声を上げる雀。そして……その白刃は彼女の胸へと突き立てられた。
愁太郎の白刃がすれ違いざまにお苑の右の脇腹をえぐろうとしたが、お苑の袂から吹き上げて乱れ散る桜の花びらが彼の視界を覆わんと迫る。
「おおっ!」
思わず声を上げながら背後に2メートルほど飛び退きつつ、愁太郎は瞬時に布を引き抜き、虚空にそれを広げようとした。
……しかし、彼は見た。
布に触れる傍から次々に反転し、舞い散り、逆に布そのものを覆い尽くす勢いで量を増す桜の花びらが自分の両の掌を切り刻むのを。
それは彼の血を吸いながらも、天涯を葬り去った時と同じく彼にまとわり付き、切り刻み続ける。
布は同様に刻まれて虚空に四散し、愁太郎は遂に一太刀も浴びせる事無く、仰向けにどう、と音を立てて倒れ込んだ……。
血にまみれ、死の息を漏らしながら、虚空を彼の瞳は眺めていた。
「愁太郎殿!」
お苑が走って来て、恐る恐る手を伸ばすと、彼を抱き起こした。
「何故! 私達の戦いを見ていたあなたならやり様があったでしょうに!!」
弱く息を吐いて、愁太郎は涙ぐむ彼女を見つめ、呼びかけた。
「あ……おそ……の……殿……」
「はい? 私はここにいますよ……?」
朱に染まったその顔の、口からも血を流しながら、青年は愛した女の声をその耳で確かに聞き届けたのを知ると、涙を流し、微笑した。
「雀……!」
地に伏した彼女を響馬は抱き起こし、短刀を引き抜くと、お苑が愁太郎に訊ねたのと、ほぼ同じ事を聞いた。
「愁太郎から……俺の術について聞いていたのではなかったのか?」
雀は彼の腕に抱かれ、黒髪の奥から瞳を輝かせて、悲しげに自分を見下ろす響馬を見上げた。
「き……響馬……殿……」
彼女がそろそろと伸ばした、折れてしまった手を、響馬はしっかりと自分の掌で包んだ。
……如何なる偶然か。雀と愁太郎は、その時全く別の場所でありながら、声を揃えて自分の想い人にこう告げたのである。
「これ……で……大好きな……あなたを……殺……さずに……済みまする……!」
「雀! 俺は……」
雀は彼の口をそっと自分の折れた手で塞ぎ、そして首を振った。
「あな……たの傍には……お苑……殿が……いる。
もう……他を……見て……は……なりません……」
そう告げて、雀は掌を名残惜しそうにゆっくり離した。
「……分かった。それは……お前の願いなのだな……?」
「いいえ……響馬……殿が……自分で……決める事で……す……」
「……俺が?」
「そう……お苑……殿と……手を……取り合いながら…………話を……きちんと……聞いて……あげながら……自分で……決め……て……」
「分かった。分かったぞ……雀……!」
そう告げて、悲しげに自分を見下ろす響馬を見つめ、雀は嬉しそうに微笑すると、彼の胸にゆっくりと頭をもたれかけさせる様にし、
「……響馬殿……」
とだけ呟くと、一筋の涙を流し、そのまま動かなくなった……。
「愁太郎殿……」
お苑は涙をボロボロこぼしながら愁太郎を胸に抱きしめた。
「……お苑……殿」
「はい?」
「俺……達は……なか……ま……です。お頭が……いや、重が……俺達を、どの……様な、立場に……置こうとも。
みんなを悲しませ……る、決まり事なぞ……クソ食らえ……です……!
……俺が……こう……思った……事……響馬……殿にも……伝えて……下さい……」
「はい……はい!」
お苑はただただ、消えて行く彼の温もりを感じながら、涙を流し続けた。
「……お苑殿」
「な、なあに?」
無理に微笑を浮かべ、彼女はすっかり血の引いた愁太郎を見た。
「俺や……雀の事など……気にしないで……下さい。みんなの事も……辛かったら……忘れて……構いませぬ」
「そんな事、出来ません……!」
「み……みん……な……か……かくっ……覚悟……の……上……ですっ……!
俺は……あなたが……響馬殿と……何処かで、どこ……か……で……」
「愁太郎殿!? 愁太郎殿!!」
悲鳴に近い声でお苑は彼の名を呼んだ。
「たの……しく……く……ら……して……」
それだけ言うと、彼はお苑を見つめて再び微笑し、がっくりとのけぞった。
「あ、ああ……。
……ううっ……!」
お苑は抱きしめた彼の頬に頬ずりし、嗚咽した。
二人の忍者は、それぞれ、かつての仲間を抱きしめたまま、しばらく動かなかった……。
……もうすぐ完全に日が沈む、紫色の空の下。
川の水面の上を、血を拭ってもらい、綺麗な顔に戻った雀と愁太郎の二人を載せた船が流れて行く。
お苑が摘んだ花の中に、埋もれる様にして身体を寄せ合いながら、満足げな微笑を浮かべ。
それを響馬と、泣き腫らした目のお苑はただただ、黙って見送っていた……。
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