忍法 子宮返し(にんぽう こつぼがえし)

「……天涯は逝ったか……」

「はっ」

 寂しげな七羽の声に愁太郎が応えた。

 彼は響馬が天涯の挑戦を受けるのを見た。二人の会話は距離があり過ぎて良く聞き取れなかったが、響馬が自分達と戦う気でいるのを彼はその目で確認したのだ。

 天涯の忍法にも驚愕したが、彼が心底驚いたのは響馬のその覚悟であった。

(響馬殿が俺達を殺す気でいる!)

 これまで兄弟子と慕った彼の心境の変化に愁太郎は付いて行けなかったが、更に驚いたのは響馬をお苑が助けた事だ。この殺し合いのルールは頭に入っていたが、しかし自分の目で見るまでは信じ切れなかった。

 お苑も自分達とやり合う気でいる。

……立ち合った時には、自分をもあの桜の花びらで切り刻もうとするのだろうか。

 愁太郎の思考はパニックに陥っていた。


 雀もまた天涯の死に動揺している。

 自分達の師としてある意味君臨していた彼をあっさりと屠り去った響馬の忍法や如何に? そう思っていると七羽が愁太郎にその事を訊ねた。

「して、奴の忍法、その目で確かに突き止めたであろうな、愁太郎」

「はっ。楓響馬の忍法は『不動殺し』と言いまする」

「『不動殺し』?」

 腕組みして聞いていた雲雀が怪訝な顔をした。

「はっ。私が見ていた限りでは相手の術を断ち破るものかと」

「その時の状況を聞かせい、愁太郎」

 七羽の言葉に愁太郎は顛末を話して聞かせた。




 話を聞いた七羽は腕組みをして首を傾げた。

「ぬう……」

「七羽殿、今の愁太郎の話だけでは奴の術を破るには心許無さ過ぎはしませぬか」

 雲雀が、生まれつき盲目のその白濁した目を細めながら囁いた。

「うむ。響馬が印を結び、その途端に天涯の術が破れた。それは分かった。

 しかし、その『不動殺し』、果たして術者自身に通ずるものなのか、術そのものを破るものなのか、今ここで判断を下すのは危険が伴うな。

 我らの編み出す忍法は千差万別。術者の死と共に解けるものもあればその後も効果を残し続けるものもある。

……天涯のそれがどうなのか、聞いておくべきであった」

 七羽はうめいた。

「しかし、響馬が術を発現させた事によって天涯殿の術が破れたのであるならば、これは後者ではありませぬか?」

と雀が言った。

「その際にはまだ天涯殿は死んではおりませぬからな」

 愁太郎も呟いた。

「ふむ、そうじゃな。

 いや、済まぬ。爺の頭ではやはりまとめ切れなんだ。

 礼を言うぞ、雀、愁太郎、雲雀」

「はっ」

「今は後者であたって考えを進めてみよう。

 愁太郎、天涯は確かに『不動殺し』をかけられた直後には生きておったのじゃな?」

「はっ、左様にございまする」

「よし。次はお主と雀を奴らにぶつけてみよう。

 それと、あらかじめ聞いておくが、お主らの忍法の効果をこの爺に教えてくれい」

「はっ」

 まず拭愁太郎が立ち上がり、袂から一枚の紫色の布を取り出した。


「では。雀、良いか?」

「はい」

 拭愁太郎が取り出した布は彼がつまんで広げると風になびいた。そしてそれは雀を包み込んで行く。

 完全に包み込まれた雀の体の輪郭が掻き消え、何も無くなったかの様に布は地べたを這った。

「……?」

 当然だが、七羽は只ならぬものを感じ、眉間にしわを寄せた。

 それから間もなく布の中で何かが急速に大きくなり、再び成人の身長と輪郭を象ったのである。丸みを帯びた体つきから女のものである事が七羽と雲雀には分かった。

 愁太郎は布を少し引いた。するとそれは彼の掌の中へしゅるしゅると収まって行く。

 そしてその布の下から現れたのは何とお苑であった。

 愁太郎は呟いた。

「……『忍法 子宮こつぼ返し』」


 再び愁太郎の布に包まれたお苑は、元の雀の姿へと戻った。お役目とは別に、愁太郎としては個人的に雀は雀の姿でいてくれないと困るからであったが。

「ご覧頂いた様に、今はお苑の姿にしましたが、私のこの術は包んだ相手を私の思うがままの姿に変えまする」

「……なるほど。混乱に乗じて響馬を倒すのに使えるかも知れぬな」

 顎に手をやり、七羽はそう呟いてから、

「雀、何とも無いかな?」

と訊ねた。

「はい」

 毅然とした表情で雀は応えた。

「よし。ではお主の技を見せてもらおうか」

「はい……あの、七羽殿」

「何じゃ?」

「私の忍法は下手をすると人死にが出ます。おいそれと試す訳には行かないのですが……」

「むう……ではどの様なものかだけ聞こうか」

「はい」

「どれどれ……」

 一同は顔を寄せ合った。




 嵐が去った翌々日の昼下がり。

 墨屋敷天涯を退けた楓響馬とお苑は廃村へと続く道を歩いていた。

 お苑が口を開いた。

「天涯殿は……安らかなお顔をされていましたね」

「ええ……やけに昔の事が思い出されます」

「昔?」

「そう、昔です。よく天涯殿に遊んでもらったではありませんか」

「ああ……そうでした」

 響馬は彼方を見やりながら、想い出に心を巡らせた。


 やがて廃村に入った。

 見渡す限りの無人の村。あちこちに白骨化した死骸が転がっている。

 様々なものの腐った匂いが漂い、枯れた草が風に吹かれている。

 お苑が袖で口元を覆い、眉間にしわを寄せた。

「酷い匂い。この村も……誰かの軍の蹂躙に遭ったのでしょうか」

「でしょうな。ここで少し時間が稼げればいいのですが……」

 二人が歩き出そうとしたその時、前方からお遍路の一団が歩いて来るのが見えた。見た所十二人。

 響馬はゆっくりと何時でも抜刀出来る様に刀の鞘に左手を下げながら、それとなく向こうの様子を伺うお苑に訊ねた。

「……どう……思います?」

「見た所、この村が荒れ果てたのはここ数週間の内ではないみたいです。また、甲賀者を自由に使う権限も七羽殿は与えられているはず。ただの偶然か……」

「ふむ。まずはやり過ごしてみましょう」

「はい」

 お苑の手を引き、響馬は隊列に向かって歩き出した。


 すれ違う時、響馬とお苑は先頭の者に頭を下げた。そのままやり過ごそうとした二人は、ある事に気が付いて驚愕に目を見張った。

 そしてその刹那、集団の十二人は一斉に仕込み刀を抜刀し、更に廃屋の壁を蹴破り、数十人のある共通点をもつ者達が一斉に飛びかかって来た。


「こ奴ら……!」

 うめく響馬と恐怖におののいた表情を浮かべるお苑は瞬時に揃って廃屋の屋根の上へと跳躍した。音もなく着地すると、お苑は背後から飛んで来た苦無を振り返りもせずに右手の人差し指と中指で挟み取り、手首のスナップのみでそのまま投擲する。屋根へと飛び乗ろうとした所に、片目にそれを食らった相手はもんどりうって落ちて行く。

 数多の黒い影が、白い影が、屋根のてっぺんを伝う様に疾走して行く響馬とお苑の後を追い、次々に飛び乗って来た。下にいた者達もそのまま二人を追い、風を切って疾走して来る。

「響馬殿、ここは二手に分かれましょう。私は下の者達を」

「承知」

「それと」

「?」

「私の術……あなたにはかかりませぬ!」


 手を離し、下へと跳躍した途端に振り上げられたお苑の両手。その袖の袂から視界を覆い尽くす様な桜の花びらが屋根の下にいた者達へと舞い散り、降りかかった。

「『忍法 濡れ桜』……!」

 それは彼女を追って飛び降りた追っ手の者達にも次々に降りかかり、切り裂き、貼り付き、血の霧を広げて行く。花びらと舐めてかかった者達は自分の着物が、部分部分に付けている粗末な鎧が、切り裂かれて行くのを見て目を見張った。

「ああっ!」

「がああ……っ!」

 刃となって切り裂き、吸血するその死の花びらは瞬く間に二十人ほどを地べたに這いつくばらせ、他の者達も顔を覆い、振り払おうとする。

 そこへ抜刀した楓響馬が殺到し、次々になます斬りにして行く。胴を、首筋をなで斬りにされ、追っ手の者達は血の噴水を上げながら、次々に地に伏して行った。


「ちい……っ」

 拭愁太郎は物陰からその様子を見て歯軋りした。

「あの二人を分断させるはずが……お苑の忍法、本人の思うがままに何処までも使い分けが出来る様ですね」

 雀の言葉に愁太郎は頷いた。

「うむ。なに、まだ手はある。しばらく様子見じゃ」

 殺気に満ちた四つの目はただただその様子を睥睨していた。


 全ての者を討ち倒したのを見ると、お苑は

「響馬殿……!」

と彼の名を呼びながら、辺りをねめつける響馬の元へたた、と駆け寄った。それをさっと抱き寄せる響馬。

 それは次第に自然なものへとなって行きつつあった。

 静かに、ゆっくりと心を通わせつつある二人は一滴の返り血も浴びていなかった。


 地に伏している全く同じ顔の者達を気味悪そうに見てから、お苑は響馬を降り仰いだ。

「お怪我は、響馬殿」

「いえ。お苑殿は?」

「大丈夫です。しかし、この者達……」

 倒れた者達は全て拭愁太郎の面相をしていたのである。

「次の相手は愁太郎か、もしくは雲雀か……先ほどまであった気配も消えましたな」

「ええ……まずは何処かへ隠れましょう。

私は何か今までの事とは別に恐ろしいものを感じます」

 ぶるっと震えるお苑の肩を、響馬はそっと抱き寄せた。

「俺もです。しかし、俺がいる限り、あなたをみんなに殺させはしない。

……行きましょう、お苑殿」

「響馬殿……」

 響馬はそっと体を離し、頬を染めたままのお苑の手を取ると、村の奥へ奥へと、再び歩き出した。

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