ただいま,オオカミ見習い中

@Aya_Himemiya

ただいま,オオカミ見習い中

人里離れた森の中,そこに小さな食堂がありました。

女の人間が一人でやっている小さな食堂です。

その食堂は森の動物たちに大人気でした。

毎日毎日いろんな動物たちが,その人間のつくる美味しいごはんを食べにきます。

動物たちはみんな,美味しいごはんをつくってくれるその人間が大好きでした。


ある日のことです。

一匹のオオカミが食堂にやってきました。

森の中にはたくさんのオオカミがいますが,そのオオカミはほかのオオカミよりも一回りほど身体の小さなオオカミでした。

そして,このオオカミは女の人間がつくったごはんをよく食べにくる常連さんでもありました。

人間もオオカミがやってきたのを見て,嬉しそうに微笑みながらキッチンに立ちます。

オオカミはそんな人間を見ながら,はぁ,とため息をつきました。


実はこのオオカミ。ちょっと前に友だちからあることを言われたのです。

それはオオカミにとって,ひどくわくわくする,けれど,ちょっぴり胸の辺りが苦しくなるような,そんなことでした。


運ばれてきた料理をもぐもぐと食べていたオオカミですが,不意に箸を置きました。それに気付いた女の人間がオオカミのテーブルに近寄ります。

「今日はあまり食べないのね? どこか調子でも悪いの?」

お皿の上に食べ残しがあるのを見つけてそう言います。

確かにいつもならペロリとたいらげてしまうオオカミでしたが,今日はたくさん残してしまいました。

「……ああ。ちょっとほかに食べたいものがあってな」

「そうなの? デザートかしら?」

女の人間は鼻歌まじりにメニューを開きます。

その姿を見ながら,オオカミはごくりと喉を鳴らしました。


オオカミは友だちに言われたことを思い出します。

自分よりもすごく身体の大きい友だちは言ったのです。

「お前はいつまで経っても〝見習い〟だな」

「見習い?」

聞きなれない言葉にオオカミは首を傾げます。

「半人前ってことだよ。お前はオオカミのくせに,たいしたもの食ってないだろ?」

「そんなことない。いつも美味いごはんを食べている」

オオカミの言うとおり,彼はいつもあの食堂で美味しいごはんを食べています。

「そういう意味じゃない」

「?」

首を傾げるオオカミに友だちは冷たく言い放ちました。


「お前,ヒトを喰ったことないだろ?」


びくり,とオオカミの身体が震えます。

「例の食堂,だったか? そこに美味そうなやつがいただろ? あいつ,食えよ」

さらに,びくりと震えます。

「ヒトを喰ってこそ一人前だ。とっとと見習いから卒業しろ」


さて,友だちにそう言われたオオカミは,重い足を引きずりながら食堂へやってきました。

いつもは軽い足取りで来るはずの場所を前にして,肩も眉も視線も落ちます。ついでに気分も落ちています。

確かに半人前と言われるのは嫌でした。

ただでさえ身体が小さいのに,そんなことではオオカミとしてやっていく自信がなくなってしまいます。

でも,とオオカミさんは思います。

楽しそうにキッチンに立つその人間を,自分は本当に喰えるのだろうか,と。


「おススメは,このイチゴのタルトね。とーっても甘いイチゴが手に入ったの。きっとすっごく美味しくできるわ」

デザートのメニューを見せながら,喰うべきモノがうきうきとした口調で言います。

オオカミは,ずきずきと痛む胸を押さえながら言いました。

「俺は,今日……,お前を,食いに,来た」

途切れ途切れでしたが,はっきりと彼は告げました。

とうとう,言ってしまったのです。

その言葉を聞いて,ソレは笑顔を貼り付けたまま固まります。

「な,んで?」

「ヒトを喰ったことのない俺は仲間に言わせりゃオオカミ見習いらしい。そんなみっともないのは嫌だ。だから,俺はヒトを喰う。……お前を,喰う」

喰われるモノはメニューをぱたんと閉じると,そっと机に置き,すっと姿勢を正しました。

それから手早くエプロンを脱ぐと,前髪につけていた髪留めを外していきます。

「……何をしている?」

突然の行動にオオカミが思わず尋ねます。

「噛み切れないものは外しておいた方が良いでしょ? この食堂で食事をして,お腹を壊してもらっても困るし,ね?」

おどけたように言いますが,その声にいつもの明るさはありませんでした。

「一人前になりたいんでしょ? その気持ち,わかるもの」

言いながら最後にコック帽を脱ぎました。

それは,ここに食堂を開いた時にお母さんからもらった大事な帽子でした。

それは,一人前のコックさんになった証でした。

ソレは目を閉じて,じっと待ちます。オオカミが一人前になる瞬間を,じっと待ちます。……じっと。


オオカミは大きく口を開けて,そのままがぶりと喰いつこうとしました。

けれど,オオカミは気付きます。

これから喰わんとするモノが震えていることに。

そして,それ以上に自分が震えていることに――。


「……イチゴのタルト,もらおうか」

オオカミは開けた口をゆっくりと閉じ,かわりに女の人間が置いたメニューを開きました。

その言葉を聞いておずおずと目を開いた人間は,きょとんとした顔でオオカミを見つめます。

オオカミは照れくさいのを振り切るように早口でまくしたてました。

「やっぱり,俺はお前を喰えない。喰いたくない。その,イチゴのタルト,だっけか? それ,お前より美味いんだろ? なら俺,美味いもんが食いたい。お前がつくった,美味いもんが食いたい。だから……ほら」

オオカミはそっぽを向いたまま,コック帽を彼女に向かって突き出します。

彼女はひとしきり呆然とした後,お腹を抱えて笑い出しました。その楽しそうな笑い声に包まれて,オオカミは心の底から彼女を喰わなくてよかったと思いました。


イチゴのタルトをほお張るオオカミに彼女が尋ねます。

「でも良よかったの? それじゃ,あなた見習いのままじゃない」

オオカミはタルトを充分に味わってから飲み込むと,ナプキンで口を拭きつつ答えます。

「俺はずっと見習いでよいや」

彼女はタルトの味に幸せそうな顔を浮かべるオオカミを見て,あることを思いつきました。

「それじゃあ……」

 それはオオカミにとって,ひどくわくわくする,そして,ちょっぴり胸の辺りがくすぐったくなるような,そんなことでした。


「準備中。新装オープンまで,もうちょっと待ってね」

最近,森の小さな食堂にはそんなプレートが掲げられています。何かあったのかと初めのうちは心配していた動物たちですが,事情を知ってほっと一安心しました。美味しいごはんが食べられなくても,今日も食堂の周りは動物たちであふれかえっています。


みんな,女の人間の笑顔とオオカミの不器用な料理姿を見に来ているのです。

掲げられたプレートにはもう一文,可愛らしい丸い文字でこう書かれていました。


 〝ただいま,オオカミ見習い中〟



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