第4話挫折
やっぱりピザはマルゲリータが一番美味しいですね。トマトとチーズとバジルだけのシンプルなピザ。最近のごちゃごちゃした具たくさんのピザは胃がもたれてしまいます。
私の年齢のせいもあるかもしれませんが。
腹ごしらえも済んだことですし、話始めましょうか。すみませんね、私だけ食事をしてしまって。
今度は大学生の頃の話ですね。
私は国立大学の医学部に入学しました。自慢になってしまいますが、結構偏差値が高い大学ですよ。ちなみにストレートで入りました。浪人はしてません。
当時恋人だった真木のぞみも同じ大学に入学しましたね。理学部でした。彼女は可愛いところがあって、私が高校の中の理系コースに進級する際に文系なのに一緒のクラスを希望したんですよ。
どうしてそんなことしたのか訊くと、うるさい馬鹿! 訊くな馬鹿! って怒られました。きっと少しでも私と一緒に居たかったのかもしれませんね。
ええ。もちろん分かってて訊いたんです。
キャンパスライフは楽しいものでした。彼女と一緒のサークルに入って飲み会したり、医者になるための試験勉強を仲間みんなで協力したり、高校と同じくらい充実していましたね。
今思えば、普通の人間らしい生活をしてましたね。
趣味の骨蒐集も止めました。国立大学に入学するために地元を離れてしまったことが一番の原因ですね。それと先ほど言ったように飽いたのも原因でした。
だから特筆すべき異常なことはありませんでした。ですので、私が医学部を卒業して研修医を体験して、研究を始めることからお話したいと思います。
今でも恩を感じている教授の研究室に入って、私は骨についての研究をし始めました。教授の専門は骨髄移植でした。白血病などの患者とそのドナーの骨髄移植の際に起こりうるリスクの軽減を研究していました。
えー、簡単に説明しますと骨髄移植は術後に痛みを伴うケースがあります。それを少しでも和らげる研究を教授はしていました。
元々は別の研究をしていたらしいですけど、教授の娘が白血病で亡くなったのをきっかけに研究を始めたらしいです。
もしも教授の娘さんの時代に骨髄移植のリスクが軽減されていれば、ドナーが見つかって助かったかもしれませんね。
あくまでも想像ですけどね。
娘と同じ目に遭う子供を一人でも救いたい。そうおっしゃっていましたね。
私は自分が将来行なう骨の研究のために役立つと思い、研究室に参加しました。そして師事を受けたんです。
教授の研究は長年の研究と最新の技術を併せ持った素晴らしいものでした。骨髄を取り出す際の道具をできうる限り痛みと後遺症を軽減させるものへと医療メーカーと協同して開発したり、どの箇所が骨髄を効果的に取りやすく、また痛みもないのか。
語りだすと一晩かかってしまいますけど、そのぐらい斬新的な研究でした。
私は新人でしたけど、重要なセクションを任せてもらっていました。研究室の人間が全部で六人っていうこともありましたから、やむを得なかったのでしょう。
しかし研究は頓挫してしまいます。私が研究に参加して二年が経った頃でした。その原因は教授が病に侵されたからです。
元々働きすぎなところもありましたけど、研究の進度が遅々として進まないことへの苛立ちが教授の身体を蝕んだのでしょう。
高齢であったことも原因に挙げられるでしょうね。確か七十代でしたから。
結局そのまま教授は亡くなってしまいました。私の目測ですが、後三年ほど研究を続けていれば実用化に踏み切れたと思います。
しかし困ったのは私です。このような形で私は二十代後半にして職を失ってしまったのです。別の研究室に入る選択肢がありましたが、なかなか入れてもらえませんでした。
その理由は師事をしていた教授は横のつながりが希薄だったことが挙げられますね。周りと連携していなかったのです。
私自身、研究に付きっ切りで人脈を築くことを疎かにしていたのも原因ですね。学生時代と比べてそんな時間がなかったですから。
私はとりあえず他の大学に自分の論文を送って再就職を試みましたが、それも上手くいきませんでした。
私は悩みました。いつか自分の研究室を開いて人工骨の研究をしたいと思っていましたから。このままでは何もできやしない、そう思いました。
人生のどん底とはまでは言いませんけど、落ち込んだ私を慰めてくれたのは恋人の真木のぞみでした。
彼女は私に言いました。あなたは頭も良いし発想力もある。才能だってあるんだから、地道に努力していけば認めてくれる人だっているはずよ。だから諦めないで。
その言葉に私は救われた気持ちになりました。たった一人でも認めてくれる理解者がいることがどれだけ心強いか、刑事さんには分かりますか?
ああ、やっと共感してくれましたか。
私は今まで彼女のことを好きでしたが、骨と同じくらい愛していたとは言えませんでした。そういう意味では異常というよりも欠陥と評したほうがいいでしょう。
人を愛する気持ちが私には欠けていたのでしょう。
彼女に慰められて励まされて。認めてくれることで私は初めて骨以外の事柄を愛することができたのだと思います。
学生時代に惹かれてた彼女をようやく愛することができたんです。
それから私はなんとか大学の研究室に入ることができました。多分三ヶ月はかかりましたね。
私の書いた論文が認められたんです。テーマは私なりに調べた骨髄移植のリスクの半減方法でした。師事していた教授の理論と別の方法でリスクを減らすことについて述べたんです。
ああ、決して盗用したわけではありませんよ? こうしたほうがいいのではないかと以前の研究室で考えて温めていたものを論文に仕立てたのです。
この論文は斬新であるとされて、結構良い待遇で大学に向かい入れられました。
そしてこれをきっかけに私は真木のぞみと結婚しました。愛していることを自覚したことや私には彼女が必要だということを知ったからです。
プロポーズをしたとき、妻は泣いていましたね。そして喜んでと快諾してくれました。
それから私は妻と過ごしたり、研究を続けたり、論文を書いたりして生活を送りました。
三十歳になった頃、私が提出した骨髄移植の論文に記載した方法が現実的に実現したんです。ニュースにもなりましたから自分でも有名だと思いますけど。
ああ、見た記憶がある? 五年も前の話なのによく覚えていましたね。
画期的な方法だと自負しています。実用化に短期間でなったのはそれが有効だと認められたからです。
そのおかげで私は自分の研究室を持つことができました。
しかし人工骨の研究はまだできませんでした。骨髄移植の研究をしなければなりませんでしたから。
私は以前の研究室で学んだことを基礎として、自分なりに応用することで研究を飛躍させました。
その結果、一年ぐらいで研究の完成ができたんです。
この頃が私の人生の絶頂期だったと思います。
私は准教授になりました。骨髄移植の権威だなんて言われるようになりましたね。
テレビの取材なんかも来るようになりました。私はあまり気乗りがしなかったのですが、大学側が出るように強要したんです。
有名になって資金が潤沢になったこのタイミングで私はようやく人工骨の研究ができるようになったんです。
やっと自分がしたい研究ができるようになったんです。今までの苦労が報われた気がしました。
刑事さんもお分かりになると思いますが、誰からも指示されずに自分のやりたい仕事ができるって幸せなことだと言い切ってもいいでしょう。
その幸せに包まれて、私は研究をし始めました。
人工骨は今までも研究されていた分野ですでに実用化されています。しかし丸々一本の骨を創るのではなく、小さな欠損部分を埋めたり、粉砕骨折や腫瘍で再生できない骨の代替するための物でした。
私はそれを不完全だと思いました。小学校時代に見たあの白々とした美しい骨とは月とすっぽんのように違いました。
私は人工的に美しい骨を創ることを望んだんです。
私は骨の主成分であるヒドロキシアパタイトの研究をしました。
ああ、リン酸カルシウムの一種です。カルシウムは分かりますよね?
骨は水と有機物と無機物によって構成されています。その七十パーセントがリン酸カルシウムでできているんですよ。
詳しい話は省略しますけど、私はそれらの成分の比率を割り出して精製させて人工骨を創ることを計画しました。
骨とまったく同じ成分から創れば、人工骨が完成できると思ったからです。
人工骨の研究は大学からも認められていたので資金面や人材面からの多大なバックアップを得ることができました。
研究は滞りもなく進んでいくと――そう周りに思われたんです。
私でさえ疑いもしなかったんです。自分の才能を過信していたのでしょう。
研究は二年続けましたけど、どうしてもあるところで躓いてしまったのです。
それがなんだか、刑事さん、分かりますか?
それはですね、私の初期の研究テーマが暗示されていたんです。
そうです刑事さん。骨髄なんですよ。
骨髄を人工的に生成する研究は世界各国で行なわれてします。実用化間近であると発表する研究機関も存在しています。
しかし、私の知識や発想力ではどうしても人工骨髄を創りだすことができなかったんです。
骨髄がどうして大切か、刑事さんは理解できますか?
白血病に関係してあるのは知っていますよね? では訊きます。血液はどこで作られてしますか?
心臓? 違います。答えは骨です。骨髄なんですよ。
血液を生成させる役目が骨にはあったんです。
分かりますか? つまり骨髄を作れなければ、完全なる人工骨はできないんですよ。
私が持てる科学技術では見せかけの人工骨でしか創れないんです。
私は研究を続けるか打ち切るか決断しなければなりませんでした。このまま続けても大学の設備では限界に近いでしょう。他の研究機関に移るにも未だ私の実績は限りなく小さかった。かといって打ち切るのならば今まで勉強してきた意味が徒労になってしまう。
私は二択を迫られて、結局打ち切ることに決めました。
今の科学では到底できないと判断したからです。それを乗り越えるのが科学者の役目ですけど、私には無理だと思い知らされました。
しかし全てが無駄になったわけではありません。私が創った人工骨は従来のものと比べても後遺症もなければ拒絶反応もない、ある意味では完璧な代物でした。
私は遺憾に思いましたけど、その研究が評価されて私は研究者としてますます有名になったのです。
日本のみならず、海外でも実用化されていると聞いております。
そんな評価も私はどうでも良かったんです。
むしろ屈辱的でした。あんな美しくもない骨に過剰な評価を受けていることは自分が無能だと言われているようなものでした。
人生における汚点、そして初めての挫折でした。
分かりますか刑事さん。小さな頃の夢が破れて中途半端なものを提出しなければならなかった敗北感を。むなしさを。
分かるはずもありませんね。
私を理解してくれたのは妻だけでした。
私の研究の半分も理解できていなかった妻でしたけど、それでも私のやりたいことは分かってくれていたのでしょう。
まあ骨部愛好者だということは知りませんでしたけど。
妻は職を失ってしまった私を慰めたように優しい言葉で語りかけてくれました。
大丈夫。あなたならいつか完全な人工骨を創ることができるわ。だってあなたの理論は間違っていないのだから。
妻の言葉に私は年甲斐もなく泣いてしまいましたよ。そして思い知らされたんです。本当に私は妻を心から愛していたのだと。
誓って言います。私があんなことをしたのは妻を愛していなかったわけではありません。むしろ愛していたからこそ――したんです。
刑事さんには分かりませんけどね。
私はこのとき、骨よりも妻のことを愛してしまったと気づいてしまいました。
このことが私のアイデンティティを脅かしたのです。
骨が大好きで愛していなければ、私はいけなかったんです。
なぜなら両親の死が無駄になってしまうからです。
先ほど述べましたように、両親の死は私の骨を愛する気持ちが原因だと信じていました。
だからこそ、骨を一番に愛さないといけないと自分で自分を縛ったんです。
解けないようにきっちり縛りました。
骨を愛しているからこそ研究を行なったのですが、三割ぐらいは両親の死に対する罪悪感が残っていたのでしょう。
勉強ばかりであまり構ってくれなかった両親でしたけど、それでも骨の次くらいに愛していましたから。
子供は親を選べないですけど、それでも愛することはできますから。
だからこそ、骨より愛するべき対象を私は見つけてはいけなかったんです。
かと言って妻を嫌ったり否定したりできませんでした。
知り合って二十年経っていても私たちは愛し合っていました。ケンカはすることはあっても離婚したいとは思えませんでした。
互いに理解し合い、尊敬していたからこそ夫婦で居られたのだと思います。
刑事さんには妻はいますか? ああ、居るんですね。だったら気持ちは分かりますよね。
えっ? じゃあなんであんなことをしたのか?
だからこそなんです。
理由になっていない? そうですか。なら言いましょう。説明しましょう。
私は事件を起こす前から考えていたことがあるんです。
高校時代にネコを解体したのは言いましたよね。
私はネコを可愛いと思っています。イヌよりもネコのほうが好きですね。
じゃあなんで解体したのか? それはですね、自分の愛が間違っていないのか確かめたかったからです。
愛らしいネコを愛しい骨だけにする作業によってますます愛情を持つようになったんですよ。
異常? まあそうですね。異常だと思いますよ。
でも、私の愛は間違っていなかったんです。
可愛らしいネコが骨だけになってしまっても以前とまったく、いやそれ以上に可愛いものへと変貌したんです。
私の愛はまがい物ではなく真実の物だったんです!
おっと、つい興奮してしまいました。
そんなものは愛ではない? いいえ、愛です。それだけは否定させてください。
刑事さんの言うとおり、何かを傷つけて自分の好みに変えることは偽物の愛だと思います。しかし私のした行為はそれとはまったく違います。
そうですね、例えるなら整形外科手術なんてどうですか? 自分の理想の顔のために自らを傷つけているじゃあありませんか。
それとどこか違うんですか?
うん? まあ手術は本人の同意の上で行なわれるけど、お前のやっていることは強制ですって? うーん、確かにそう言われればそうですけど、美を追い求めるのに変わりはないと思いますけど。
まるで科学者じゃなくて芸術家のよう? それは違います。科学者は現実を追い求めていて芸術家は虚構を創りだしますから。
そう。私が欲しいものは現実でした。
考えてみれば人工骨なんて虚構にすぎなかったのです。人工の美を否定するつもりはありませんけど、それでも天然には敵いません。
天然物と養殖物、どちらが上か刑事さんにも分かりますでしょう?
私がそれに気づいたのは科学者になって十年が経った頃です。初めに言いましたよね?
十年かかったって。この発想に辿りつくのに十年がかかってしまったんですよ。
私自身、思いついたときは罪深いと思いましたけど、すぐにそんな気持ちは消え去りました。
道徳だとか倫理だとかモラルだとか。そんなくだらないものなんてどうでも良くなる瞬間ってあるじゃないですか。
私はそれを思いついてからそう悟りましたね。
まるで生まれ変わったような気持ちへとなりましたね。
そう考えてから私は実験と研究を続けました。そして一年で創りあげたんです。あの薬品を。
後は実践でした。実行でした。
そのために選んだのは私の愛する人でした。
そうです。妻ですよ。
私が最も愛しいと思う人物でなければいけなかったんです。
あの状態にしても愛しいと思えるように。
私の愛が真実であるように。
だから私は覚悟しました。
何の覚悟ですって? 決まってるじゃないですか。
妻を殺す覚悟――ですよ。
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