第3話邂逅

 では愛情という言葉が出たので高校に進学してからの話を始めましょう。


 私は高校生になってからも勉強に専念していた――わけではありません。

 ちゃんと人並みの青春を送っていました。ああ、もちろん勉強を疎かにはしていませんよ? こうして科学者になっていることが証拠ですよね?

 でもまあ犯罪者になるとは流石に想像できませんでしたけど。


 とにかく、私が青春を送れたのはひとえに妻の影響がありました。

 そうです。妻とは高校のときに出会ったのです。


 中高一貫校でありますけど、何十人かは外部入学で高校に進学します。試験の難易度は内部受験よりも遥かに高いでしょうね。

 ですのでそうした外部入学生を私は警戒しました。今は上位の成績ですけど、私の知らない優秀な人間が現れたらあっさりと負けてしまう可能性があったんです。

 誰だって自分の地位を脅かされるのは嫌でしょう?


 でもそれは杞憂でした。外部入学生は確かに優秀でしたけど、私に勝てる人間は見られなかったんです。高校に入って満足してしまったからかもしれないですけど。

 いえ、一人だけ居ましたね。


 高校に進学して初めての中間試験。このとき私は初めて学年一位になったんです。今ではもうやっていないのかもしれませんが、母校では上位五十位の成績が廊下に貼り出されるのです。


 私はそういうのを見るのが嫌でした。だって悪かったら落ち込むじゃないですか。しかし友人の一人が一位だということを知らせてくれたんです。その友人はまるで自分のことのように喜んでくれましたね。


 それで廊下に出て、貼りだされた結果を見て、私は周りに嬉しさをアピールしようとしました。本当はそこまで嬉しくはありませんでした。けれど私は今ここでアピールしないと逆に周りの心証が悪くなると思ったんです。


 少々オーバーな反応を見せると周りの人間は苦笑いをしました。いくらなんでも過剰すぎるだろうと思ったのでしょう。


 私は自分の反応が周りにウケていると確信して安心しました。

 しかし、そのときある生徒がこう言ったんです。

 まるで造られた反応ね。本当に嬉しいの? って言ったんです。


 私は内心バレたと思いました。背中に冷や汗がじっとりと滲んだのを感じました。

 後ろから話しかけられたので振り向くとそこには可愛らしい女生徒が腕組みしてました。


 腰まで伸びた艶やかな黒髪。大きな瞳に少し分厚い唇。浅黒い肌。痩せてもいなく太ってもいない標準的な体型。

 そんな少女が私の目の前に居ました。しかも睨みつけていました。


 私はどう返したほうがいいのか分からなかったのであたふたしてしまいました。

 ふうん。やっぱり本心から喜んでいるわけじゃないんだねとさらに追撃されました。


 それでますます反応ができなくなった私の代わりに知らせてくれた友人がこう切りかえします。嬉しくないはずないじゃないか。骨波田は変わった奴だけど良い成績を喜ばないわけないだろう?


 それを聞いて女生徒は言いました。私にはそういう風に見えなかったけど。まあいいわ、今度は私が一位になるから。


 そう言ってくるりと背を向けてその場を去りました。居なくなってようやく話せるようになった私は友人に彼女は誰だと訊きました。


 今回の試験の学年二位の女だよ。ここに書いてあるだろう? それに彼女は有名人だろう? ていうか彼女は同じクラスメイトだろう? と友人は私の無知を呆れながら言いました。


 そんなに有名なのかと私が訊くと入学式に外部入学生代表で挨拶したよと返されました。


 私はようやくそこで思い出しました。入学式は話半分で出席していたので覚えていなかったのです。そしてクラスメイトだということにも気づいたのでした。女子とはあまり話せないシャイな男子高校生だったんです。


 私は改めて成績が書かれている紙を見て女生徒の名前を確認しました。

 真木のぞみ。それが彼女の名前でした。


 私は彼女を警戒しました。今まで周りを上手く欺いていた演技が彼女に通用しなかったからです。それはとても恐ろしいことでした。


 当時の私の行動や言動はすべて計算されたものでした。相手にどんなことを言えば喜ばれるか。または怒らせないか。自分の中で一旦考えてから話す癖をつけていました。

 それは幼少期から中学校の半ばまであまり人と接してこなかった私の悪癖でした。


 刑事さん、今でこそ本音で話していますけど、ここに至るまで私は建前だけで生きてきたんです。


 まあそんなことはどうでもいいですね。


 というわけで私は彼女をどうしようか悩んでいました。そして方法を二つ考えました。それは友人たちを使って彼女を虐めて二度とそんなことが言えなくなるようにするのか。それともこちらから歩み寄って友達になるか。この二つの選択を迫られたんです。


 前者は中学校の頃に何度か使いました。私のことを気に食わない生徒が居たので、私が虐められる前に先手を打ったのです。

 その生徒ですか? さあどうなったか知りません。不登校になってしまいましたから。


 後者も何度かしたことがあります。嫌っている人間のベクトルを反転させて好きにさせるのは確かに根気が要るものでしたけど。


 私は――後者を選びました。

 この頃、虐めは馬鹿馬鹿しいと思うようになったので、ただ単純に友達になることを選んだのです。


 女子と仲良くなるのはあまり経験のないことですけど、それでも挑戦しようと決めました。


 もしかしたらこのときすでに彼女を好いていたのかもしれないと大人になって思うようになりました。

 無意識で好きになっていたからこそ、彼女と仲良くなろうと決意したのかもしれません。


 それから私は真木のぞみと仲良くなるために積極的に話しかけました。

 テレビの話題だったり学校の話題だったりいろいろな方向から話しかけたのです。


 初めはうっとおしいと思われました。

 骨波田くん。私はあなたをはっきり言って敵視しているの。だから気安く話しかけないでね。


 そう言われて繊細な私はショックを受けました。なんてことのない話、私は彼女に好意を持っていたのだとその言葉に気づかされたのです。警戒したから近づいたのではなく、好かれたいと思ったからこそ近づいたのだとはっきり思い知らされたのです。


 いわゆるこれが初恋だったんです。


 私は自分が骨だけしか興味のない人間だと思っていましたが、そうではなかったんです。人を好きになって、人に好かれたいと願う普通の感性を持つ人間だったんです。


 刑事さん。私は自分では異常だと思っていましたけど、彼女を想う心だけは正常だったんです。それは決して勘違いじゃないと思います。


 そう自覚した私は彼女に好かれようと一心不乱に努力しました。

 彼女が私の言うことに反応してくれるようになるまで一ヶ月かかりました。

 そして私を嫌っていた理由も判明したんです。それは彼女のほうから言ってくれました。


 ねえ、骨波田くん。私はあなたのことが嫌いだったのはなぜだか分かる? 私より少しとはいえ上位の成績に居るあなたがそこまで喜んでいなかったからよ。私が欲しいものを溝に捨てるような行動に腹が立ったからよ。


 聞くところによると、彼女の父親と母親は教育熱心で絶対に学年で一位にならないといけないと強く押し付けられていたんです。

 私の父と母と同じでした。


 気持ちは分かるよ。つらいだろうね。と私が言うと、彼女はキッと睨みつけて、あんたなんかに何が分かるのよ! と大声で言われてしまいました。


 その会話は教室の中でした。彼女の声はみんながみんなこちらを注目してしまうぐらい響いていました。


 私は呆然として何も言えませんでした。そんな私にさらに彼女は続けて言いました。


 普通の親しか持たないあんたなんかに何が理解できるのよ!


 私はごめんと謝りました。彼女に拒絶されることがどんなに悲しいか想像に難くありませんでした。


 教室中に気まずい空気が広がりました。


 友人たちが仲裁に入ったおかげでなんとかその場は収まりました。私はこれで決定的に嫌われてしまったと思いました。


 しかし次の日のことでした。


 私は真木のぞみに放課後呼び出されました。下駄箱に手紙という今では古風なやり方で。

 場所は学校の屋上でした。私は少し警戒しながらも言われた時刻の三十分前に屋上に行きました。

 早すぎるかなと思いましたけど、すでに彼女はそこにいました。


 私は率直に用件を聞きました。嫌われると思っていたので緊張していました。その緊張からさっさと解放されたかったのです。


 彼女は今までに見たことのないような不安げな表情で私を見つめました。そしてこう切り出しました。


 ごめんなさい、骨波田くん。私知らなかったの。あなたのご両親が亡くなったことを。


 多分、中学校時代を知っている誰かが彼女に告げたのでしょう。私は彼女に謝られたことに少々戸惑ってしまって、別に気にすることないよと返しました。


 それから私は両親の話をしました。教育熱心であることや医者を目指すように強いられたことを言いました。しかし勉強が好きでそんなにつらくなかったことは隠しました。そのほうが彼女に共感を得られると思ったからです。


 私の話が済むと彼女はもう一度ごめんと言いました。私は全然つらくないよと笑顔で答えました。

 そして私はこう続けました。真木のぞみさん、私と友達になってくれませんか? 


 彼女はどうして私なんかと友達になりたいの? 今までつらく当たっていたのにと言ったので私は友達になりたいと思うことに理由が必要かな? と言いました。


 正直理由になっていませんが、それが彼女の心の琴線に触れたのでしょう。初めて見るとびっきりの笑顔で、私なんかでいいの? 勉強しかできない女の子だよ? と言ってくれました。


 こうして彼女と私は友達になりました。


 刑事さん、ここから私と彼女がどうやって恋人になって結婚したのか、話してもいいですけど、どうしても惚気話になってしまいますよ? それでも続けます?


 ああ、高校時代の事件と関係ある異常な行動を言えですか。分かりました。話しましょう。多分証拠も残っていないでしょうし。


 あれは高校二年の初めでようやく暖かくなってきた四月の末の頃でした。


 恋人になるかならないかのタイミングでしたね。その日、私と彼女は一緒に下校していました。二人とも部活に入らず塾通いしていたので、その日も同じ時間帯で帰っていたのです。


 彼女が最近読んだ小説の話を聞いていると視界にあるものが見えたんですよ。


 それはネコの死骸でした。おそらく車に撥ね飛ばされて死んでしまったと推測できました。


 私は嫌なものを見てしまったなと思いました。できることなら彼女に見せたくないと思いましたが、間に合いませんでした。


 彼女は可愛らしい悲鳴を短くあげました。私はあまり見ないほうがいいよと言いかけました。しかし彼女はそれが当然のようにネコの死骸に向かいました。私はそれに付いていきました。


 灰色のネコでした。彼女は血がもう乾いたと言っても雑菌がいるかもしれないネコを拾い上げて、歩き始めたんです。


 私がそれをどうするつもりなのか問うと彼女はどこかに埋めるわと言いました。私はネコを彼女から取り上げて近くの公園に埋めるように提案しました。彼女は黙って頷きました。


 公園までの間、私と彼女との間に会話はありませんでした。

 公園に着くと人目につかない、目立たない場所を選んで穴を掘ってネコを埋めました。

 彼女は悲しそうな顔をしていました。後から聞いた話ですけど、彼女は動物が好きだったんです。


 その日はお互い何も話さずに帰りました。


 そして帰った後、私はあることに気づきました。あのネコの骨はどんなものなんだろうと。すべすべだろうか、綺麗だろうか。


 それが気になってとてもじゃないけど寝られる気分になりませんでした。


 そこで私は夜中、叔父さんの家を抜け出して公園に向かいました。公園は深夜で誰も居ませんでした。そして穴を掘り返しネコの死骸を持ってきた黒いビニール袋に入れて、友人と肝試しで行ったことのある町外れの廃墟に運んでいきました。


 その前にホームセンターに行って解体しやすいナイフを購入することを忘れませんでした。


 廃墟に着いた私は返り血を浴びないように合羽を着てから解体を始めました。正直初めての試みでしたのでなかなか上手く行きません。


 それでも終わらなかったので私は二日かけて解体を続けました。


 完全に肉を削ぎ落として確認すると、確かに綺麗と言えば綺麗でしたけど、私が小学校で感じたようなあの感動に匹敵するものではありませんでした。


 私は落胆しました。やっぱり人骨でないとあの感動を得られないのかと。


 このとき閃いたのです。もしかしてネコはだいぶ前に死んでしまったので、新鮮な白さを無くしてしまったのではないかと。


 私はそこでタガが外れてしまいました。


 廃墟の近くには野良ネコがたくさんいました。その中の一匹がいなくなっても誰も気づきはしない。その確信しました。


 一匹目は殺すのに苦労しました。ためらいがあったからです。


 慣れてきたのは五匹目からでした。


 そうやって殺して骨を蒐集するのが趣味のようになりました。


 そう言っても一ヶ月に一度の頻度でした。叔父さんたちにバレないように家を抜け出すのはなかなか難しかったからです。


 それに特別な日に骨を集めることに決めていました。


 真木のぞみと付き合うようになったとき。


 彼女と初めてのデートの翌日だったり。


 試験で一位になったときだったり。


 そういった特別の日に私は骨を集めたんです。


 えっ? 何匹殺したか?

 多分、二十は超えていると思いますよ。


 刑事さん、気分が悪そうですけど、大丈夫ですか?

 ああ、そんなに睨まないでくださいよ。訊いてきたのは刑事さんじゃないですか。


 その削ぎ落とした肉はどうしたか? そんなもの埋めていましたよ。

 案外バレないですね。あんだけ殺したのに、警察は何をやっているんだか。

 私が起こした事件はすぐに逮捕したのに。

 事件に大きいも小さいもないと思いますけどね。


 ああ、すみません。非難するつもりはありませんでした。言葉が過ぎました。


 殺したネコの骨は綺麗でした。骨にも鮮度があるんです。少し立てば美しい白が薄汚れた茶色になってしまいます。


 醜いものは嫌いでした。それも美しかったものが劣化していくさまはとても嫌です。


 この趣味は大学に入るまで続きました。ああ、殺すことが目的はなくて骨を集めることが目的でした。いわば殺すことは手段ですね。


 殺したネコに罪悪感? 当初はありましたけどすぐになくなりましたね。だって所詮は言葉も操れない畜生ですから。


 自分でも異常だと理解しています。殺すことに罪悪感を覚えない自分を罪深く思うこともあります。


 でも関係ないんですよ。


 そうですね、例えば狩りを趣味にしている人間だっているじゃないですか。職業にしている人もいます。そこで問題です。何の罪のない動物を殺す人間と私、どちらが異常ですか?


 答え。差異はないです。自らの愉しみのために動物を殺す点で彼らと私は同じ穴のむじななんですよ。


 納得しましたか? それでも私が間違っていますか?


 うん? 狩猟はちゃんと許可を与えている? まあそうですけど、倫理的な観点から物を言うと思ったので拍子抜けしてしまいましたね。


 では私の行為が法律で認められたら――そんなことはありえない?

 まあ確かにそうですね。私も違法だと思ってやっていましたから。

 でも逮捕される心配は感じたことないですね。証拠は何一つないんですから。

 自白? 日本国憲法では自白のみでは有罪にできませんよ?

 ただの科学者でも心得ていますよ。


 うん? どうして今はやっていないのか? 

 それは単純に飽きたからです。

 そして気づいたんです。やっぱり人工の骨を創る研究をしたいのだと。

 ネコの骨よりも人骨のほうが良いと悟ったんです。


 だからと言って人を殺すことはこの時点では考えていませんでした。

 それは大学生になって、そして科学者になってからのお話です。


 ところでお腹が空いたので何か食べるものをくださりませんか?

 リクエストできませんか? うん? もちろん後で払いますよ。

 そうですね、久々にピザでも食べたいですね。カツ丼じゃテンプレすぎて食べる気になりませんね。

 食事が済んでからお話を再開しませんか?


 刑事さんは食欲湧きませんか? ああ、ネコの虐殺の話を聞いて食欲が失せたみたいですね。

 それでは私だけ食べさせてもらいます。

 続きはその後ですね。

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