第2話契機
さて、休憩も済んだことですし、話を進めましょうか。
しかし休憩中に思ったのですが私の生い立ちを話すことに意味があるのでしょうか? いくら取り調べとはいえ、意味があるとは思えないのですが。
ええ。先ほどは話す気満々でしたけど、よくよく考えたら無意味だと思いまして。
意味があるのかどうかはこちらで判断するですか。まあそう言われたら従うしかありませんが。
えーっと、何から話せばよろしいんですか?
ああ、中学時代からですか。事件のきっかけになった出来事を話せばいいですね。
分かりました。話しましょう。一から話しますので時間がかかりますけど。
中学生になった私は入学式から卒業まで勉強ばかりしていましたね。
部活はもちろん、塾に通い詰めていました。毎日勉強で息をつく暇もありませんでした。
テレビゲームも漫画もアニメも見せてくれませんでした。それはひとえに両親の教育方針が原因でした。
両親は揃って医者でした。父は先ほども言いましたとおり外科医で母は精神科医でした。
父が身体を治して母が精神を癒す。そう言えば耳障りが良いと思いますけど、実際にコンビを組むことはなかったですね。
身体と精神を病んでいる人はたくさんいますけど、それを治療するには二人では少ないですから。
父は大学病院に勤めていました。母はメンタルクリニックに勤めていました。二人とも仕事で忙しく家にいることは少なかったです。
まあお手伝いさんがいましたから私は不便を感じることはありませんでしたけど。
思い返せば家族水入らずで遊んだり旅行に行ったりすることはありませんでした。一度たりともです。二人とも仕事優先でしたから。
寂しいと思うことはありませんでした。それは普通の家庭というものを私が知らなかったことも原因だと思います。
私は愛されていなかったのでしょうか? それは違いました。二人とも昔から勉強ばかりしていたので、子供にどう接していいのか分からなかったと今では思います。
その理由として欲しいものはすぐに渡してくれる面もありました。化石図鑑などの骨関連の書物などは欲しい分だけ買ってくれました。
まあ物を与えることだけが愛情だとは思えませんけどね。
ああ、それと愛していたから勉強を強いたと今では思いますね。
自分たちと同じように医者になることでそれが幸せに繋がると考えたと推測できますね。
二人が亡くなった今となっては推測でしかありませんけど。
とにかく、そういった理由で私は中学校に入ってから勉強ばかりしていたんです。
私立の中高一貫校に進学しました。いわゆるエリート校ですね。
公立の普通の小学校からいきなり私立中学に進学したのもですから一年の一学期は周りについて行くのが精一杯でした。
まあすぐに追いつきましたけど。
これは自慢になってしまうので言うのもどうかと思いましたけど、勉強を真面目にし始めて二学期には上位の成績を修めることができたんです。
元々勉強は嫌いなほうではありませんでした。むしろ好きなタイプでした。
珍しい? そうですか? 知らないことを知る喜びは誰しも共感できると思いますけど。
そんなことはどうでもいいですね。
私はひたすら勉強し続けました。やることがそれ以外なかったことも理由として挙げられますね。
親の言うとおりにしていたら骨に関する本や写真集が手に入りますから。
しかしこの頃は私には目的がありませんでした。ただ漠然と医者になることを強いられて勉強していました。
自分のためではなく両親のために勉強をしていたんです。
褒めてほしいとか認めてほしいとか思ったりしたことはありませんでした。
朝起きて顔を洗うように生活の一部に勉強が組み込まれていたんですよ。
刑事さん、今から思えばなんてつまらない毎日を送っていたんでしょうね。今だったら想像もできませんね。
友達と遊んだり女の子とデートしたりする楽しみを私はこの頃感じていなかったんですよ。
そんな毎日に疑問すら抱かなかったんです。
だけどそんな毎日が変わってしまう出来事が起こってしまったんです。
学校から帰って塾に行こうとしていたある日のことでした。寒かったので秋か冬のことだと思います。
家に帰るとリビングに父と母が家に居たんです。
珍しいこともあるんだなあと最初は思いました。
父がこう言いました。真人、話があるからここに座りなさいと。
私は塾の時間が迫っていることを告げると父はそんなことはどうでもいいから座りなさいと言いました。
そんなこと? あの勉強を強いてくる父がそんなことを言うなんて、信じられなかったのです。
私は呆然としながらもそれに従いました。
よくよく見てみるとお手伝いさんも居ませんでした。普段ならお手伝いさんのお弁当を持って塾に行くルーティンでしたので、その時点でも面食らいましたね。
私が席に着くと父はこう切り出しました。
真人、お前はもしかして骨に興味があるのか? とね。
私は内心衝撃を受けました。ついにバレてしまったのかとショックを受けました。
ですのでとっさにそんなことはないと答えてしまいました。
子供ながら骨に興味があるのが異常なんだと気づいていましたから。
父は動揺している私に嘘は言わないようにしなさい。私たちは分かって質問しているのだからと言いました。
私は本当に興味はないのだと嘘を吐きました。いくらなんでも親に異常だと思われるのは嫌でしたから。
しかしそれまで黙っていた母はこう切り出しました。真人ちゃん、嘘はやめて。お母さんたちは全て分かっていて話しているのだからと言いました。
これを聞いて私は誤魔化せないと悟りました。だから何も答えずに黙ってしまいました。
父は溜息を吐いてからこう言いました。
お手伝いさんの一人から掃除しているときに骨に関する本が多すぎるから不審に思って私たちに報告したんだ。だから分かったんだ。
悲しそうな顔をしました。
それを聞いて私はしまったと思いました。あまりに露骨すぎたのだと理解しました。
私は何も言えなくなってしまいました。
母は私にこう語りかけました。
真人ちゃん、あまり良い趣味だとは思えないわ。お願いだからやめてちょうだいと。
私は黙って頷きました。ここで私は自分の性癖を告白する勇気なんてありませんでした。
だから刑事さんに初めて言ったというのは嘘ではありませんよ?
父と母は一切の骨に関する本を処分するように私に言いました。私は身を切られる思いでしたけど、渋々了解したんです。
母は言いました。真人ちゃんはまだ子供だから取り返しがつくけど、大人になったら手遅れになるのよ? これから私があなたの治療をしてあげるから一緒に治していきましょう。
私は精神科医が異常だと認める異常者なのだと烙印を押された気分でした。実際異常者なんでしょう。
けれどこのときの私は今回の事件のようなことを起こしたつもりはありません。ただ骨が好きだった子供に過ぎなかったのです。
しかし母は分かっていたんです。今ここで治さないと取り返しがつかなくなると。
それはまさに当たりでした。実際にこうして事件を起こしてしまったのですから。
今日は塾に行かなくていいから処分の準備をしなさい。物が多いから一気にやらなくていいと父は言いました。
今から思うとなぜ両親があれだけ神経質になったのか理解できます。子供の悪趣味ほど両親の不安を煽るものはありませんから。
まあ私には子供は居ませんけど想像はできます。
私は自分の部屋に戻ると泣きながら本をビニール紐でまとめる作業をしました。
大好きだった骨。それから離れることは中学生の私にとってつらく悲しいものでした。
このとき初めて神様に祈りました。
どうか、骨を愛することを許してください。できればこれからも愛し続けさせてください。
そう願ったのです。
私はある程度まとめ終わるとリビングに戻りました。そこでそれぞれの病院に向かう父と母に報告したんです。
父はただ一言だけ、そうかと言いました。
母は一緒に治していきましょうと言いました。
私は黙って頷きました。
それが最期の会話になりました。
両親が車で家を出て、私はお手伝いさんが作った料理を温めて食べてお風呂に入って、それから寝ようと自室に向かいました。
そのとき電話が鳴ったんです。
普段がお手伝いさんが出るので無視していましたけど、今日は居ないことに気づいたので慌てて出ました。
電話の相手は知らないおじさんでした。
私が出るとおじさんは今居るのは君だけかい? と訊ねてきました。
なんて答えたか忘れましたけど、多分肯定したんだと思います。
おじさんは落ち着いて聞くように私に言いました。
君のご両親が交通事故に遭って、今病院にいる。今から大人を寄越すから外に出られる準備をしなさい。
私はそれを聞いた血の気が引きました。さっきまで話していた両親が事故に遭ったのですから。
私はパジャマから普段着に着替えてやってきた大人――父の同僚でした。家に来たことのある人です――の車に乗せられて、病院に向かいました。
だけど手遅れでした。私が病院に着いたときにはすでに息を引き取っていたのです。
父と母は病院まで息があったみたいですけど、処置が間に合わなかったみたいです。
事故の原因は暴走したトラックが両親の車に突っ込んだことによるものでした。聞いた話によると運転手は今も刑務所の中にいるそうです。
私は愕然としました。一気に孤児になってしまったのですから。
それと同時に嫌な気持ちになりました。さっき神様に祈ったことが最悪の形で叶えられたのですから。
両親が死んだおかげで骨に関する本を捨てずに済みましたし、これからも骨を愛することができるのですから。
そう考えてしまう私に私自身がゾッとしましたね。
死に顔は見せてくれませんでした。遺体の損傷が激しくて子供に見せられないとのことでした。
それから葬式まで、私の記憶はありませんでした。泣いていたのかもしれません。悲しんでいたのかもしれません。
その記憶がないんです。まったくと言っていいほど。
だけど反対に強烈に印象に残っている記憶があるんです。今でも夢に見ることがあります。
それは納骨のときでした。
いやいや、両親の骨に対して感動したわけではありません。むしろ逆です。
火葬された骨は美しくなかったんです。
醜いとまでは言いませんけど、なんていうか、刑事さんは見たことありますよね? 火葬された骨を。
ボロボロで光沢のない骨。死んでしまった骨なんですよ。
小学校のときに見たすべすべで美しい骨とは対極的なみすぼらしい骨でした。
私はこのとき分かったんです。私の求めているものは死んだ骨ではなく生きた骨なんだと。
永遠に白さを残した美しい純白を私は求めているのだと。
そして悟ったんです。私はその骨を自分のものにするために生まれたのだと。
だからあの事件を起こしたんです。
まあその話は今はいいでしょう。余談ですけど両親の骨を見たとき、私は嘔吐してしまったのです。あまりに醜いから。
周りの大人はそれを見て優しく介抱してくれましたね。なんて繊細な子供なんだと誤解してくれたみたいです。
まあ豪放じゃない私の性格はどちらかと言うと繊細でしょうけど。
それから私は親戚に引き取られました。近くに住んでいる母方の叔父さん夫婦で、彼らもまた医者でした。
私は引き取られる前に骨の本を全て処分しました。こんな死んでしまった骨なんて魅力を感じなくなっていたのです。恐竜の標本も以前はかっこいいと思っていましたが、今思うと小汚いと思うようになりました。
私が求めているのは生きた骨なんです。
刑事さんには分かりますか? 生きた骨の魅力を。できれば一時間でも五時間でも話したい気分なんですけど。
結構? ならいいです。
とにかく叔父さん夫婦に引き取られた私は一層勉学に励むようになりました。学費は父の遺産があったので塾通いもできるようになりました。
叔父さんは遺産の管理をしてくれていました。誠実な人で使い込むなんてことはしなかったのです。
まああんな事件を起こしてしまった私の心残りは叔父さんたちに迷惑をかけてしまったことですね。
勉強に励むようになったのは両親を亡くした悲しみから目を背けるため――ではありませんでした。
私は科学者になって骨の研究をするためだけに勉強をするようになったんです。
科学者になって、あの美しい骨を人工的に作ること。それが私の目的だったんです。
子供ながら突拍子もない考えでした。
小学校のときの感動をもう一度味わうためだけに私は科学者になろうと決意したんです。
笑ってください。子供染みた子供の発想を。
しかし一念発起して勉強に取り組むとはかどることに私は気づいたのです。
今までは両親に言われるがままに勉強していたのですが、自分のためにしだすと成果が上がってきたのです。
学年で一位になったこともあります。全国模試で上位になったこともあります。
これもすべて科学者になるためでした。
ああ、関係のない話ですけど中学生は勉強ができると一目を置かれるんです。こいつは凄い奴だって周りから認められるんです。
学外でも私は有名になったんです。
少しずつ私に友人ができるようになりました。私は勉強の合間にその友人たちと遊ぶようになりました。
多分、孤児になったことも原因だったと思いますね。進学校だからこそ人を思いやる人が多いのだと思います。
私の持論ですけど優しさと知性は比例しますから。
優しさとは自己防衛を含んでいると思います。余計な敵を増やさないための防衛行動だと私は思うのです。
まあ心理学は私の専門ではないので正しいのかどうかは分かりませんが。
ところでどうして友人と遊ぶようになったのか疑問に思いませんか? 勉強だけを専念するのが賢いやり方であると思いませんか?
その答えは人脈を作るべきと判断したからです。
科学者になると心に決めてから私はクリアするべき案件を考えました。
一つは学力。これは説明するまでもありませんね。
そして大事になってくるのは人脈なんです。自分の研究を行なう上で資金が必要になるのは目に見えていました。
そのために中学生のうちに友人を作っておいて将来に役立てるように心がけました。
もちろん将来有望な人間とそうでない人間の違いは当時中学生の私には判断つきませんでした。
人を見る目がないんですね。
ですのでいろんな人と関わりました。進学校からドロップアウトしそうな不良っぽい生徒や成績が下位の人間など弱い立場の人間とも付き合いました。
当然嫌なこともありました。まあ人間関係のトラブルなんてどんな人間でも避けられないでしょうけど。
それを乗り越えて今の私があるのだと自負しています。
こうして人脈を作った私は高校へと進学します。学費は成績が優秀だったので奨学金でまかないました。
さて。ここから高校の話に移る前に、今回の事件の原因が両親の火葬された骨にあることを理解してもらえましたか?
理解できない? そうですか、残念ですね。
これまで分かりやすく話してきたつもりですけど、それでも理解されないですか。
はっきり言いましょう。両親が死んだのは私にとって大きな契機になりました。
愛する人を失うつらさを身に染みて感じたつもりです。
じゃあなぜあんな事件を起こしたのか?
それはこれから追々話していきますよ。
それと私は後悔しているんです。
もしも私の趣味がバレなかったら両親は今でも健在だったはずです。
だってそうでしょう? 私の悪趣味を治すためにわざわざ家に集まって、その帰り道に事故に遭ったのですから。
そう考えると両親を殺したのは私かもしれませんね。
そう気づいたのは中学を卒業する直前でしたけど。
うん? 他に罪悪感を覚えることがあるだろう? まあ今回の事件に罪悪感を覚えないと言えば嘘になります。
でも誓って言います。
私は今回の事件を起こして後悔したことはありません。
罪悪感どころか満足感を覚えていますよ。
刑事さん、私は狂ってなんかいません。
どうか信じてください。
すべては――愛情ですよ。
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