とある科学者の偏愛もしくは狂気

橋本洋一

第1話起源

 ああ、刑事さん。ちゃんと初めから話しますからそんなに高圧的に怒鳴らないでくださいよ。落ち着いてください。えっ? どうしてお前は冷静なんだって? そりゃあ何日も取調室という同じ空間に居るのだから、もう慣れてしまいましたよ。何の目新しさもありません。飽き飽きしますよ。


 そうですね。話す前に水を一杯いただけますか? ……ありがとうございます。よく冷えていて美味しいです。


 さて。喉も潤ったことですし、早速ですけど話すことにしましょうか。一体どこから話せば良いでしょうか?


 名前ですか? ご存知のはずでしょう? 形式的なものだから一応話せということですか? まあ仕方がないですね。


 骨波田真人こつはたまひと。これが私の名前です。あはは。変わった名前と名字だと思われますか? よく言われますね。


 職業は大学の医学部の准教授。年齢は三十五歳で性別は男性。生年月日は――ああ、よろしいですか。

 大学の准教授と言ってもそんなに偉い立場じゃないんです。助手よりは自由度はありますけど。学生相手に授業を行なわなければなりませんし。


 私としてはただの科学者といったほうが正しいですね。研究ばかりしていましたし、学生のウケも悪かったですし。元々教わったり習ったりするほうが得意で教えたりすることは苦手なんですよ。


 医者とも違いますね。研修は受けましたけどすぐに研究に没頭しましたから。ですので私は科学者なんです。それ以上でもそれ以下でもありません。


 私の専門ですか? なんと言えばいいんですかね……自分でも不確かなものですので、はっきりと言えないですけど、それでも言うのなら人体の骨ですね。

 ええ、そうです。骨格や骨髄の研究をしていましたね。そればかり勉強したり研究していました。


 まあ今回の事件のためだけに勉強したり研究したりしていました。でも子供の頃から計画していたわけではありませんよ? 昔はもう少しまともでした。


 うん? 自分でもまともじゃないと思っているのか? もちろん、おかしくなければ、あんなことしたりしませんよ。


 私は異端であると認識しています。自分が異常だと理解しています。今まで常人のフリをしていただけなんです。


 精神鑑定ですか? 受けてもいいですけど、正常の結果しかでないと思いますよ? あんなもの簡単に普通の結果がでますから。


 考えてみてください。三十代で伊達や酔狂に准教授なんてやれないですよ? 私は自分を優秀だと自負していますから。まあ優秀でも天才ではないことも理解しています。


 天才でしたらもっと早くあの薬品が完成していたと思います。今から思えばどうしてあんなに簡単な処方ができなかったのか疑問に思いますね。

 結果として十年かかりましたから。


 えっと、それで次に何を話せばいいんですか? きっかけ? ああ、事件のきっかけですか。それを話せばいいんですね。


 長い話になりますよ? 小学校まで遡りますから。それでも構いませんか? はい、手短に話すことにしますよ。約束します。


 そもそもなんで私があんなことをしたのか。それは小さい頃からの性癖からですね。


 私は、骨が好きだったんですよ。

 お弁当に入っている骨付きの鶏肉から恐竜の化石図鑑など、骨でしたらなんでも好きでした。すべすべした触感。美しい光沢。混じり気のない白さ。その全てに私は虜になってしまっているんです。


 おかしいですか? ではこう考えてください。例えば車が好きで何台も購入しているマニアがいるとしましょう。愛情を以って愛車と接しているとしましょう。それっておかしいと思いませんか? 意識のない機械にそこまで熱を上げる行為に刑事さんは疑問を持ちませんか?


 見た目がカッコイイ? 実際に乗ることで爽快感を覚えるから? まあそう考えればおかしくはないのかもしれません。しかしそれならば骨に熱を上げる行為も同様に肯定されるのではありませんか?

 意識のないものを愛する点では同じですから。


 骨だって愛でることはできます。磨いたり触ったり。ああ、宝石で例えたほうが良かったですね。とにかく私にとって骨とは宝物と同意なんですよ。


 気持ち悪いと思われても結構です。今更他人にどう思われようがどうでもいいんですから。

 逆に清々しい気分ですよ。今まで人に言えなかったことをこうして公言できるんですから。晴れやかな気分です。


 話が逸れてしまいましたね。それではどうして骨が好きになったのかを話しましょう。


 はっきり言って理由なんてありません……ああ、すみません、でも本当に理由はないんですよ。原因はないんですよ。


 思い起こせば父の書斎にあった専門書を見たときかもしれませんね。私の父も医者だったんです。外科医でした。今はもう母と同じく他界してしまいましたが。


 家にあった医学書を読んで、それで私は骨に興味を持ち始めたのかもしれません。実際のところ理由は分かりません。

 元々好きだったから。生まれながら骨が好きだったから。そう答えるしか私の性癖は説明できませんね。


 骨部愛好者。そういうらしいですね。私の性癖は。その言葉を初めて知ったとき、私は喜びに震えましたね。だってその言葉があるということは私と同じ嗜好を持つ人たちがいるという証明じゃないですか。

そう気づいたときの感動を刑事さんには分からないでしょうね。

 ああ、皮肉じゃないですよ。刑事さんはまともな人間だと思いますので、こうしたマイノリティーな考え方は理解できないと思いましたので。


 とにかく私は生まれながらの骨部愛好者なんですよ。


 しかしまあこの秘密を告白したのは刑事さんが初めてですよ。なぜって? 子供ながらに異常だと察知できたんでしょうね。思い返せば妻にも打ち明けたことはないですね。まあ両親は感づいていましたけどね。


 栄えある一人目です。おめでとうございます。


 ふざけるな? いえいえ、私はふざけていませんよ? 至極真面目です。


 この部屋に入ってからの発言は本心から言っています。心を偽ることなく、ありのままを話しています。

 信じてくれませんか? 

 まあ信じようと信じまいと話す内容は変わりがないんですけど。


 そういう訳で私は子供の頃から骨が好きでした。大好きで仕方がありませんでした。

 お弁当に骨付き肉を入れるようにせがんで、肉を削ぎ落として、その骨を綺麗になるまでしゃぶり続けました。


 遠足で博物館に行ったとき、化石の寂れた雰囲気がたまらなく好きで何時間でも見続けていました。

 昔は動物の骨でしたらなんでも好きでした。鳥だろうが牛だろうが豚だろうが。なんだって好きでした。


 人骨に興味を持ったのは小学生の高学年の頃でしたね。

 大分遅いと思いました? ああ、気のせいですね。小学生という年齢を考えれば早いに決まっていますね。


 そのきっかけになった事件。人にとってはたいしたことないんでしょうけど、私にとっては衝撃的な事件でした。

 事件というよりも事故でしたけど。


 それも意図的な事故でした。確信犯的な事故と言ってもいいでしょう。私が起こした事件と異なって計画的ではなく衝動的な事故と言ってもいいでしょう。

 小学生が起こした事故と考えれば異常に映るかもしれませんね。


 ああ、前置きが長くなってしまいましたね。

 それでは話しましょう。私が人骨に興味を持った事故のことを。


 それは給食を食べ終えて、昼休みの時間に起きました、当時の私は昼休みのときは本を読んで時間を潰すような内向的な子供でした。校庭で遊ぶのは稀なことでした。


 その日は稀な日でした。どういうきっかけか忘れてしまいましたが、友達にサッカーに誘われて校庭に出たんです。

 運動神経の良くない私がなんで誘われたのかは分かりません。人数合わせだったのかもしれませんね。


 誘ってきたのはクラスの主導権を握るガキ大将でした。ああ、ガキ大将と今は言わないでしょうか? でもそう言ったほうが分かりやすいと思ってその呼称を使います。

 クラスのヒエラルキーの下のほうに居た私はガキ大将の命令に逆らうことはできませんでした。だから渋々従ったんです。

 しかし結局サッカーはやれませんでした。その前に事故が起きたんです。


 校庭に出た私たちは早速、サッカーゴールを使おうとしましたが、そのときすでに使っていた生徒が居たんです。

 多分六年生だと思います。下の学年である私たちはサッカーを諦めるしかなかったんですよ。

 私たちの人数は十人ぐらいでしたね。みんな不平を言っていたと記憶しています。


 場が白けてしまったので別の遊びにしようとガキ大将が言い出しました。私はすぐにでも図書室に行って化石図鑑を読みたかったのですけど、周りの級友たちが別の遊びをしようという空気を作ったので断れませんでした。


 小学生でも人間関係は大事ですから。いや、些細なことでいじめが起こることを考えたら社会人よりも重要だと思います。


 まあそういうわけでサッカーから別の遊びに移行するときに級友の一人がこう言いました。ジャングルジムに嫌な奴がいると。

 ああ、この場合の嫌な奴というのは私の主観です。実際は名前を呼んでいました。

 その嫌な奴は隣のクラスのリーダー格でした。子供のクセに偉そうだったと記憶しています。傲慢という言葉が似つかわしい子供です。


 具体的なエピソードを挙げるとキリがないので省略します。刑事さんも聞きたくないでしょう? 早く核心に迫った方がよろしいでしょう?

 その嫌な奴はジャングルジムの頂点にいました。正方形に近い形状のジャングルジムの対角線が交差する真ん中に。

 まるで王様のようにジャングルジムの棒の上に立っていました。運動神経が良かったのか危なげなく立っています。


 嫌な奴はクラスの人間といつもジャングルジムを占拠していました。低学年の子供がジャングルジムに来たら追い出したりして。そのことが嫌な奴の悪評を知らしめていました。


 そのとき誰かが言いました。あの嫌な奴の顔面にサッカーボールをぶつけようって。

 嫌な奴はクラスでこそリーダーでしたけど他クラスの人間からは嫌われていました。正確には嫌な奴のクラスの中にも嫌っている人間はいましたけどね。


 だから級友の言葉に皆が賛同しました。私も賛同した記憶があります。

 今から思えばなんで賛同したのか理解できません。だって絶対危険じゃないですか。


 そんなことを考えずに、まずはガキ大将が蹴ることになりました。ガキ大将はサッカーを習っていました。地元のチームのエースだったと思います。


 みんなが見守る中、ガキ大将はボールを蹴りました。


 そのときの映像はまるでスローモーションのように思い返せます。ボールがまるで嫌な奴の顔面に吸い込まれるようにぶつかり、嫌な奴の体勢が崩れました。


 ガキ大将と級友たちと私は喜びました。だってたった一度のシュートで成功したのですから。いくらサッカーが上手い子供でも成功率が低かったと思われます。


 しかし喜んだのはつかの間でした。

 嫌な奴はそのまま気を失ってしまったのです。ジャングルジムの頂点で気を失った人間はどうなるか? 答えはそのままジャングルジムの中心に向かって落ちていくのでした。


 そのときの光景を今でも鮮明に覚えています。周りの子供が騒ぐ声。悲鳴、叫び。そして血の気の引いたガキ大将の顔。


 私はしばらく動けなかったのですが、ハッと気がつくと嫌な奴の元へ駆け出しました。助けないといけないと思ったからです。何ができるわけでもないけど、とにかく助けようと考えました。決して好奇心なんかではありません。


 刑事さん。ここが私の人生の分岐路だったんです。ここで近寄ったりしなければ、私はこのような事件を起こしたりしませんでした。誓って言います。私の性癖が歪んだのはこのときでした。


 近づいた私の目に映ったのは真っ赤な血に染まった嫌な奴。そして――折れ曲がった脚でした。


 小学生らしく半ズボンを履いていた嫌な奴の脚は無惨にも折れ曲がっていたのです。生理的に受け付けられないような気分の悪くなる折れ方でした。


 だけど私は目を逸らすことができませんでした。


 なぜなら肉と皮膚を突き破って白い骨が見えていたからです。すべすべとした真っ白い骨が見えていたからです。


 私はこのときの雷に打たれたような衝撃を今でも覚えています。忘れることなんてできません。

 美しいと思いました。尊いとも思いました。それほど人骨には魅力がありました。


 人骨に比べたら、恐竜の化石なんてどうでもいいと思うほどでした。汚らしいと思ってしまうほどでした。


 刑事さん。あなたは物の価値が一転してしまうような体験をしたことがありますか? 今まで大事だと思っていたものの価値が下落してしまうほどのもっと大事なものが見つかったときの衝撃を、あなたは感じたことはありますか?


 ないですか? そうですか、じゃあ私の気持ちは分かりませんね。


 先ほど骨部愛好者という言葉を知ったとき感動したと言いましたが、それ以上に感動しましたね。この世の中にこれほどの美があるなんて思いも寄らなかったんです。


 まあ二十年も生きていない当時の私にとっての主観でしかないですけど。


 私は感動のあまりその場で卒倒してしまいました。人って感動すると気絶していまうのですね。驚きです。


 その後どうなったのか? 私はその場で気絶してしまいましたので伝聞でしかありませんけど、すぐに救急車が来たらしいです。そして嫌な奴は一命を取りとめました。脚から落ちたことが幸いしたようですよ。


 ガキ大将と級友たちは大目玉を食らったみたいですね。私は怒られませんでした。理由は分かりません。気絶してしまったからでしょうか?


 小学校ですから停学とかありませんでしたけど、ガキ大将は転校してしまいました。周りの心無い言葉にショックを受けたみたいですね。まあ自業自得でしょうけど。


 嫌な奴は手術を受けてなんとか杖を使って歩けるようになったらしいです。らしいというのはこれも伝聞です。彼も転校してしまいましたから。


 これが私が人骨を愛しく思い始めたときのきっかけですね。


 うん? その嫌な奴に対して同情とかないのか? いやまったくないですね。さっきから言うように嫌な奴はみんなから嫌われていましたから。私も例外ではありません。


 むしろ二人が転校したおかげで過ごしやすくなりましたから。


 刑事さん。子供は残酷なんです。平気で人の気持ちを踏みにじり、簡単に人の好意を無碍にする。そういう生き物なんですよ。


 大人との違いはやっていいことの区別がつかないことですね。ああ、刑事さんの言うとおり、私は精神が子供のままかもしれませんね。あんな事件を起こした根底にはそれがあるかもしれませんね。


 でも、それって何がおかしいんですか?


 美を追い求めることは罪ですか? ああ、程度によるんですか。私はそういう意味では罪人であるんですね。


 私は私を擁護するつもりはありませんけど、これだけは言っておきます。


 私は純粋に自分が欲しいものを追い求めただけなんです。ただ方法が残酷だっただけですよ。


 吐き気がしてきましたか? じゃあ今日の取調べはここまでですよね?


 えっ? まだ続けるんですか?


 ちょっと疲れてしまったんですよ。最近自分の体力のなさに愕然としましてね。ジョギングぐらいしておけば良かったと後悔しています。


 刑事さんも運動とかしたほうがいいですよ。これでも科学者の端くれの言っていることです。健康には留意したほうがいいですよ。


 余計なお世話? ははっ、これは失敬。

 それでは次は何を話せばいいですか?

 いつから計画を練っていたのか、ですか。

 それも昔の話になってしますね。それでも構いませんか?


 ああ、それでは休憩したあとに話すことにしましょう。

 私が起こした事件の元となった具体的なエピソード。

 それは小学校を卒業して中学生になったときに体験したことです。

 まあとりあえずは休憩しましょう。


 時間はたっぷりありますから。

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