1章 別人_4
「あら、まぁ。摂津の方は口が貝におなりのようですもの。どうぞ、お続けなさいまし」
詠うのは、不如帰を季語にした昔を
かつて初めてもらった
「不如帰は確か……、夏の季語」
春を詠った藤大納言への返歌であるなら、同じ季語を使うべき、と城介も
けれど不如帰と言った時点で夏花が口にしたのは、夏の和歌。そうとわかっていて促されたのだからと、夏花は肯定の意味を込めて、周囲へと
疑問を
「…………そう、ご自身で仰る気はありませんのね。でしたらわたくしが、和歌の不得手な方々に解説してさしあげましょう」
解説とはありがたいと口にもできず、夏花は
「本当に豪胆なお方。わたくしの家が春の花である、と言えば夏花君の歌の意味がおわかりになりましょう」
藤大納言は藤原の
夏花は藤大納言の和歌が、藤原の権勢を花の盛りに譬えて詠った真意に、遅まきながら気づいた。つまり、天皇家の
豪胆なのはどちらか。夏花が呆れる内に、藤大納言はまだわからない顔をしている東宮妃候補に説明を続けた。
「おわかりになりませんの? 不如帰は橘に好んで宿る鳥。夏花君は、ご自身のお家がかつての栄光を取り
思わぬ
「……っ。深読みにございます、
本当に深読みでしかないのだが、藤大納言はもちろん、他二人の東宮妃候補も、まるで夏花が肯定したかのような態度で受け止める。
橘家はかつて確かに今の藤原家のような権勢を手にした時期がある。夏花の実父なら返り
どうこの場を収めるべきか、夏花は答えが見つからなかった。
「失礼申し上げます」
不意に、困ったような声が御簾の外からかけられた。
「ご
最初に呼ばれた藤大納言は、立ち上がる
「同じ北山にいた程度で、先を
悔しげな
二番目に案内が用意された摂津は夏花へ向けて
「
負け
三番目に
人の気配に満ちていた室内も静まり返り、残されたのは夏花と侍女の
案内がすぐには来ないと見た夏花は、
「姫さま……っ」
心配、不安、お小言。
同時に、沢辺も夏花の表情から何かを察したらしく、息を詰めた。
「沢辺、若君は
「姫さま……っ。お
夏花は
一つ息を
「何を仰っているのですか、姫さま? 久方ぶりの再会で我を忘れるお気持ちは察して余りありますが、あれはあまりにも無礼なお
「違う……っ。うん、違うの」
何処までも
「若君は山を下りて立太子なさったと聞いたではありませんか。それに、
「違う、違うんだって。別人なんだよ。従者の方には見覚えがある。
幼少を共にすごした若君の顔を、今さら
「まさか、まさかですよ、姫さま。それじゃまるで、若君が誰かに成り代わられているとでもいうような……。ありえません、そのような不敬、いえ不敬どころの話ではすみませんよ!」
思わず声を荒げた沢辺は、
東宮を前に夏花が
夏花は誰より
「ねぇ、沢辺。本当にお前にはあの東宮が若君に見えた?」
「い、いえ。私は御簾越しで
「だったら、ちょっと東宮を
「な、なんてこと仰るんですか、
今すぐ行けと言わんばかりの夏花に、沢辺は慌てる。
「わからなかっただけなのかな? 私の……思い違いだったのかな?」
顔を合わせた時にあった確信が、
「でも……、
出家とは、
夏花もかつて、親に捨てられるように北山で育つことになったのだから。
「と、ともかく、姫さま。このことは内密に。東宮さまがもし偽者であったとしても、あのように場を取り
外から近づく
「……そう、だね。あの場で取り繕ったなら、自分から正体を見せるようなことはしない。私が静かにしてれば、あの東宮は何もしてこないかもしれない」
何度も
「でも、何もしないなんて、できる気がしないよ」
「姫さま……」
「私は、若君に会うためにここに来たんだ」
夏花は近づく案内の気配を察して、沢辺を一度だけ振り返り、姫君と呼ばれるに
「果たさねば、耐え
口調を取り繕い、元の場所に戻って
「最後になりましたが、ご
恋がさね平安絵巻 君恋ふる思い出の橘/ 九江桜 角川ビーンズ文庫 @beans
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