指摘

躯螺都幽冥牢彦(くらつ・ゆめろうひこ)

指摘

「『自分の嫌いな奴の顔にする呪い』

だって? 馬鹿を言うのも程々にしろよ」

 私は何者かによって会社のポストに投函されていた手紙を見て、一笑に伏した。それによれば、私はその何者かによって既に呪われており、自分が最も忌み嫌う誰かの顔にされるらしい。

 全く馬鹿馬鹿しい。そんな話がある訳がない。それに、そんな事に気を揉んでいられるほど、私も暇ではない。生き馬の目を抜く世界情勢の真っ只中。少しでも気を抜けば、誰かに市場から弾き出される。

 数々のライバルを押し退け、自分の会社を大きくして来た私は、社長室の自分の席に腰掛けると、その手紙を紙飛行機にして飛ばした。そこまでは覚えている。

 それがどうなったかは、今以て思い出せない。


「お顔の色がよろしくないご様子ですな」

 その日も私は仕事で忙しく、白昼の往来を闊歩していた。その私に、声をかけた者がある。見やれば何処にでもいる様な易者が占いの札を下げ、客を待っていた。

「私がかね?」

 彼は頷いた。今朝、顔を洗う時に鏡を見たが、年相応の顔だと思った。接待で飲みの席に行く事は少なくないが、自分なりに体調には気をつけている。健康診断も特に医者は、何とも言っていなかったはずだ。

「仕事上の悩みが、顔に出ています」

 よくある話の振りだった。誰だって考えれば、仕事での悩みは必ずあるだろう。そこを指摘されれば、

『もしかして……』

と打ち明ける者も少なくはあるまい。そして、他人だから打ち明けられる話もある。そこを突いたテクニックだ。

 しかし、私は社長。それも一代で大企業を打ち立てた男なのだ。そんなものには騙されない。

「どんな悩みか当ててみてくれれば、話を聞いてやってもいい」

 あくまで私は落ち着き払って訊ねたつもりだった。易者は言った。

「職場に脅迫めいた手紙が届いたのではありませんか?」

 図星。しかし、昨今ライバル企業への脅迫などは珍しくもない。私もボディーガードを雇い、身辺に潜ませている。まぁ、その隙を窺っての例の手紙だった事で、ボディーガード達はクビにした為、今はいない訳だが。

「それで?」

「その内容がやはり穏やかではなかった事。相談相手を選ばねばならない内容だった事。それで焦りが知らず知らずの内に、お顔に出ているのでは……」

「むぅ」

 私の立ち居振る舞いは一般的なサラリーマンのそれのはずだったが、やはり会社を打ち立てた男ならではの何かが漂ってしまうのかもしれない。そこを見抜かれたなら、少しは信頼してもいいのでは。そんな考えが、私の脳裏をよぎった。

 それに行きずりの易者だ。後で余計に金をせびって来ようものなら、私なりに始末の仕方はある。

 私は自分に届いた手紙の内容を彼に打ち明けた。話を聞いている内に、易者の表情は見る見る曇って行った。何故そんなに深刻な表情を浮かべるのだろう。もし、客引きの為のテクニックだとしたなら大したもの。私は内心、この易者に唸らされていた。

「恐らくその呪いは本物でしょう」

「そんな馬鹿な。今時呪いだなんて」

「お見受けした所、何処かの会社でなかなかの地位に付かれていますね」

「ああ、今日も忙しく、我が社の為に立ち回っている」

「でしたら、あまり聞こえの良くない会社なのに、潰れずにいる秘訣みたいなものも、何処かで耳にされているのではありませんか?」

 私は更に唸った。別の業界だが、私がかろうじて平静を保てる様な、とても口に出せない方法で会社を存続させている所はある。もしかして、そちらの誰かから、恨みを……?

「そのお手紙を、こちらへお持ち下さい。まだどうにか出来るかもしれません」

「本当に?」

「時間がありません。なるべくお早めに」


 私はそれから会社へそそくさと戻り、社長室の隅から隅までを探し回った。じゅうたんを引っぺがし、スライド式の棚を何度も動かして隙間や裏を調べ、社長室で飼っている猫の餌が盛られた皿の中まで探した。ひどく猫の機嫌を損ね、そして、手紙もそこにはなかった。


「駄目だ、見つからない」

 後日訊ねると、易者は首を傾げたが、怪訝そうな表情で訊ねて来た。

「もしかして、先日お越しになられた……」

「そうだが」

「別人かと思いました。疲れなどではなく、お顔が別人の様です」

「そうだろうか」

 私は身だしなみを整える為の手鏡を取り出し、自分の顔をチェックしてみる。どう見ても自分の顔だ。しかし、手紙の捜索に追われ、あまり深く眠れていない為、やや疲れが漂っているといえば、いる様な気もする。

「私には分からない」

「恐らく、貴方に危険をもたらそうとする者の仕業でしょう。もう一度、お手紙を探してみて下さい。そう、明日までが恐らくは期限でしょう」

「何だって」

「内容は貴方から伺いましたが、どういう速度で効き目が現れるかまでは、手紙を見ない限りはどうにも出来ないのです。ですので、一刻も早く。出社も危ぶまれます。そして、貴方が苦労して築かれた会社は……」

「探してみよう。明日までだな」


 私は再び社長室へ舞い戻る事となった。以前探した場所を、今度は逆の順番で探してみる。今回も猫の機嫌をすこぶる損ねてしまい、そしてやはり、手紙はない。続けてスライド式の棚の隙間や裏、そしてじゅうたんの下を探す。見つからない。

 そこまで一人で全てやった。私はへとへとに疲れていた。壁にかかっている鏡を見る。そこには疲れ切った私の顔があった。

 手紙の内容がふと、私の脳裏をよぎった。

『自分の嫌いな奴の顔にする呪い……』




 私は背筋が凍るのを覚えた。かつての上司と仰いだ者達のスパルタ教育で今の自分が出来上がったのを思い出す。自分を無価値だと思い、ハードルを越えれば更に高いハードルが待っていた。それが当たり前だった。仕事の後は付き合いで夜の店へ向かい、夜の女と一時を過ごした事もある。しかし、未だに独身だ。部下も男性で固めてしまっており、女のおの字もない有り様。

「もしや、自分の一番嫌いな奴と言うのは……」

 夜の帳が落ちたにもかかわらず、私は部屋の明かりをつける元気すら、完全に失っていた。




「ありがとう。奴は自殺したよ」

 いつかの易者に、一人の男が厚い封筒を渡し、そっと囁いていた。彼はかつての社長のすぐ下で働いていた男だった。

「上手く行った様子ですな。あなたから話を伺った時には、私も仰天しましたが」

「いやはや、本人には分からず、傍から見ているものだけに分かる呪いとはね。

 彼は完全なワンマン社長だった。みんなくたびれ果てていたんだ。望まぬ転勤で離婚した奴も、体調を崩して会社を去った奴も少なくない。そういう連中には総じて冷たい対応。

 みんながあの社長がいなくなる事を望んでいたのさ」

 男は胸の内ポケットから社長に届いた手紙を取り出すと、その折り目の通りに畳んでみた。易者が言う。

「気をつけて下さい。折り畳む事でその呪いは発動するのです」

「おっと。それでは始末は任せるよ。

 また何かあったらよろしく」


 彼はそれを易者に手渡すと、立て直すべき自社へと、足取りも軽く去って行ったのだった―

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