最終動


 ついに重く丈夫な支持台は地下三階の天井をやぶり、下へと落ちた。轟音と共に、地下二階の床に幅五メートル、長さ七メートルほどの大きな穴があく。

 電気系統は完全に沈黙し、来島が握り締めていたトーチだけが輝いている。床の瓦礫が落ちきったとき、濛々たる砂煙が下から吹き上げる風にかく乱され、四人の視界を奪う。

 同時に地下三階から、淡く不思議な光が地下二階管理壕全体を照らした。

「あ、あがってくる!」

 夢見は吾に戻って立ち上がった。まだ床は振動している。

「な、なにあれ」

 小夜は這うようにして、夢見のあたりに寄ってきた。

「……宝辺一尉が戦っている。なんとか外に出さないように」

 側防窖室のハッチから、来島はおそるおそる下を覗き込んだ。風と砂埃が吹きだす。顔の表面がちくちくした。脳の「芯」がやや痛む。

 そして、「ヤツ」と目があってしまった。来島の体内にアドレナリンが吹き出す。それは人間ではなかった。三割ほど膨張し、中からの圧力で崩れかけている。顔などは焼けただれ、ただ目だけが眩く輝いている。

 足元にはまだ、半分になったキャニスターを踏んでいた。気丈で己を鍛えることに喜びを感じる古武士、来島郎女は恐怖に足がすくんだ。

 本能を直接ゆさぶるような恐怖心を、脳の芯に感じた。

「危険です、さがってください」

 夢見は妙に落ち着いている。

「あの、わたしが行きます。真由良はわたしが下についたら、タイマーをセットして。ヤツが妨害するのを、食い止める」

「でも、そんなことをすれば」

「大丈夫、わたし一人ならあの……なんとかなる。多分」

「よし、タイマーは十二分にセットする。いいな。そしてわたしはエレベーターシャフト前で大神二曹の脱出を支援する。

 夢見は敬礼して、エレベーターシャフトへとむかおうとした。

「待って」

 小夜がすがりつこうとしたとたんに夢見はふりむき、鋭く言い放った。

「来ないで!」

 頭の先からつま先まで、声が貫いた。小夜は硬直してしまう。

「……ありがとう。でもこれはわたしが頼まれたこと。わたしの任務です。

 その……斑鳩一曹は遊部三曹とともに、『あまこま』で待っていてください。そしてもしわたしが戻らないときは」

 夢見は口に耳元に近づけた。

「隊長をよろしくお願いします」

 そう言うとふくよかですべらかな小夜の頬に、口を付けした。

 唖然とする小夜を残し、夢見は一メートルほど開いた頑丈な二重防護扉へとむかった。

「待っててください、宝辺一尉」

 地下二階部分から地下三階に停止している大型カーゴの天井までは約二メートル。丈夫な耐衝撃編上軍靴をはいた夢見は、飛び降りて片膝ついて飛び乗った。

 光るメンテナンスハッチから、風圧に耐えてカーゴへと降りたのである。

「よし、遊部三曹」

「は、はいっ!」

 真由良は突撃銃を小夜にわたし、穴の淵を飛び越えてハッチからはいった。落ちそうになるのを、来島が腕をひっぱって留めた。

 来島は大型セラミックナイフで、薄い金属製の保護ケースの一つを切り開いた。中には黒い粘性のある物質が詰まっている。

「わたしが合図したら、タイマーをセット」

 来島は風と恐ろしさに耐え、地下三階を覗き込む。あの光る化け物が上を見つめている。

「……なんだ」

 恐怖心とは別に、来島は奇妙な感覚を覚えた。「早く逃げろ」、そう言われている様な。

「クルシマ隊長っ!」

 姿は見えないが、光と風の中から大神夢見の声を聞いた。

「よし三曹、セットしろ」

 手はずどおり、起爆装置の先端を特殊爆薬につっこんだ。タイマーをセットし安全ピンを外すと、原始的なタイマーはじりじりと回りはじめた。

「いくぞ」

 来島、続いて真由良が穴の端を飛び越えた。小夜をせかせて、エレベーターシャフトへとむかわせる。小夜はシャフトの下を悲しげに見つめる。

「行くんだ、命令だ。大神二曹にまかせるしかない。

 君たちは『あまこま』の中から、心理的援護を行える」

「……はいっ!」


 光と化した「生物」は、キャニスターから立ち上がった状態で苦悩している。手を伸ばし、低い天井の割れ目をつかもうとしていた。

「戦っているんですね、一尉」

 風と飛び交う無数の小稲妻に耐え、五メートルほど離れて立っている夢見。不思議なほど恐怖心はなかった。大きく息を吸ってはき、両掌をそろえて突き出し、目を閉じた。

 心の中で宝辺一尉の姿を思い浮かべた。

「負けないで」

 目を閉じた視界に宇宙が浮かび上がる。その果てにある赤い星が近づく。地球に似た雲が渦巻くが、海洋も大地もあくまで赤い。

「……これがヤツの故郷。ここに戻りたいの。でも無理。ここから外へでればどんな災厄をもたらすか。絶対にださない。命にかえても」

 地下窖室ではタイマーが作動している。脱出まで十分もない。

「キャッ!」

 夢見はなにかの衝撃を受け、目を見開いて仰向けに倒れてしまう。

 少しよろめきつつ立ち上がる。

「そう、どうしても出たいわけね。でもそうはいかない」

 すでに身長二メートルほどまで膨張した「ヤツ」は、人間の姿を崩し始めている。電子的な叫び声をあげて悶え苦しみ、天井の穴から出ようとしている。

 それを宝辺の理性が留めているのか、穴の周囲を手で潰すだけで出られない。

 ――もう、だめだ……逃げてくれ」

 そんな声が夢見の頭の中でひらめく。

「だめ、このままじゃ。あなたも持たない」

 さらに天井が崩れ、地下二階はほとんどなくなってしまう。

 ――来るな、こいつはわたしが止めている。君まで逃げられなく……」

 夢見の背後でも崩落がはじまった。カーゴがひしゃげ、防護扉が半ば埋まる。もう脱出は不可能だった。

 かろうじて人の形を保っていた怪物は、まだ穴から這い上がろうとする。風と小雷が渦巻く中、今度は地下二階の天井も崩れだした。

「いけないっ!」

 立ち上がって近づこうとする夢見にむかって、強風が吹きつける。下半分になった保護キャニスターが二つに割れ、回転しつつ横にすべってくる。

 それにぶつかり、夢見は小さな悲鳴をあげて転がった。額に傷ができて血が流れる。それでも起き上がり、片膝ついて怪物を見据えた。

「行かせはしないっ!」

 両手の手の平で、空気を押すような動作をした。

 両手で大穴から這い上がろうとしていた怪物、かつての宝辺一尉は電子音とも霧笛ともつかぬ奇妙で不愉快な咆哮とともに、床に落ちた。

 そのとき、光る怪物の全身から四方へ、光の破片のようなものが飛んだ。それが洞内の金属や夢見のボタン、バックルにあたると激しくスパークする。

「キャ!」

 夢見は熱くなり、あわててベルトをはずした。ズボンや上着から煙が出ている。しかし次の「攻撃」はなかった。

 地下洞内を吹き荒れていた風も、急速に収まる。

「なに、どうしたの」

 膨張し、銀色のスーツもほぼちぎれのこっていない。身長二メートルほどの焦げて爛れた光の巨人は、知り餅をついたように座り込んでいる。

 その右手の下には、半分焦げた暗い灰緑色のパイロットスーツがあった。

 左胸にぬいつけられた、手作りのエンブレム。怪物の光る目が、それを見つめている。子供が描いたF15のイラストを、基地近くの刺繍店でエンブレムにしてもらったものだ。

「が……ああ」

 怪物の口から奇妙な声がもれた。よろめき立ち上がった夢見は、その光景を悲しげに見つめているしかなかった。

 昇降機前の天井も崩れ、もう脱出も不可能だった。あと五分もないだろう。

 その時、小さなジェット推進装置のような音が響いてきた。上のほうからだ。梁と一部を残して地下二階の床すなわち三階の天井は崩れ落ちている。

 爆音はエレベーターシャフトからひびく。地下二階の昇降機防護扉の二メートルほどのすきまから飛び出したのは、小型低空偵察飛翔体「エアロ・トライク」である。

「夢見っ!」

 操縦しているのは来島だった。地下二階からそのまま地下三階に下りてきた。

「風がおさまっている、今だ」

 来島は手をのばす。夢見はその手をしっかりと握り、後部座席にとびのった。車輪のかわりにそりのついたバイク状の車体の両側と後部に、小さなビア樽のようなダクテッドファンがとりつけられている。三つのファンの力で、エアロ・トライクは飛び上がった。

 そのままくずれた地下二階にあがり、エレベーターシャフトに飛び込む。その直前、夢見はふりかえって地下三階の光る怪物を見た。

 知り餅をついたまま古いパイロットスーツを手にしていた怪物は、顔をあげた。そして瞳のない光る目で確かに夢見を見つめ、右手をあげたのである。

 夢見は涙をためて敬礼し、そのままエレベーターシャフトに突入した。

「いっきに上昇する。つかまってろ!」

 地上一から二メートルほどを飛行する実験「車輌」である。いや機体とよぶか車輌とよぶかも、高等計画研究所でも議論が続いている。高くはとべない。それが十数メートルはある巨大エレベーターシャフトをゆっくりとのぼって行く。

「隊長、いそいで!」

 小夜が上から叫ぶ。一階部分では小夜と真由良が待機している。

「あと三分です!」

 そのとき、ついに宝辺の力が尽きたらしい。「ありがとう」と言う言葉が、夢見の頭の中にひらめいた。言葉にはならなかったが、感謝の気持ちが小夜と真由良の心の中にも広がった。

 必死でアクセルをふかす女武者は、なにかしら安心した。

「あと少しで一階の……」

 その時、下から凄まじい風が吹き上げてきた。それは爆風と言ってもよかった。宝辺の理性が「息絶えた」とたんに、押さえつけられていた「意思」が爆発したかのようだった。

 細かな破片と砂塵、そして中空でのたうつ無数の輝く蛇のような小さな稲妻が渾然となって、垂直上昇しつつあったエアロ・トライクを襲った。

 たちまち電気系統が破壊され、インディケーターはふきとぶ。三つの小型ダクテッドファンから火花と炎をが噴出す。

 推力を失った二人乗りの偵察飛翔体は、風圧に押されて開け放たれた一階の昇降機搭乗口から横向きに飛び出した。

 来島と夢見がふりおとされた次の瞬間、エアロ・トライクは高くもないベトンの天井にぶつかって、さらに床に落ちて分解した。床に落ちて転がった夢見は、痛がる暇もなかった。

「立ってっ!」

 自分も風で倒れていた小夜が叫ぶ。真由良は来島にかけよって助けおこす。

「さ、いそいで」

 来島は足を痛めていた。しかし助け起こされる。

「一曹も二曹も早く!」

 二人は助け合い、肩を貸しあって走り出す。挺進隊長は悔しそうに言う。

「あと二分ない。とても間に合わない」

 真由良は肩を貸すと言うよりひきずっている来島に、言った。

「申告します。軍法会議は覚悟しております」

「なんだこんな時に」

「ご命令に背きました。タイマーは十五分にセッティングしました」

「……普段なら厳罰だが、今回ばかりは殊勲賞だよ。生きてもどれたらな」

 五分近くあればチャンスはあった。


 多目的輸送機「あまこまⅡ型改」はダクテッドファンを立ててホバリングしていた。元木は「いますぐ飛び出せ」と命令したい衝動をなんとか抑えていた。

 後部格納扉を大きく開き、木下特務曹長が身を乗り出してスガル部隊を待っている。下からの通信は途絶えたままだ。木下も死を覚悟していた。

 十分ほど前に木下が「起爆装置作動」と報告してきた。あの男は勝手に、積み込んであった「エアロ・トライク」を組み立てて、来島に渡してしまった。

 ここでスガル部隊を回収せずに脱出したら、自分達を撃ちかねない。

 アメリカやオーストラリアの特殊部隊やレンジャーにまじって、西部ロシアや中国大陸、アフリカや南米で実戦経験を積んだ猛者なのである。

「戻ってきたっ!」

 ボブ木下が通信機に叫んだので、パイロットや副操縦士の鼓膜がやぶれそうになる。台形の巨大トーチカのような中央棟から、四人がややよろめきつつ飛び出してきた。

「近づけろ、機体をもっと近くへ!」

 木下はコックピットのハッチを叩いて怒鳴った。

 あまこま二型改は、両側のダクテッドファンをかたむけて飛び上がり、車輪でフェンスをたおして中央棟正面上空半メートルにホバリングした。

 すさまじい砂埃を周囲に叩きつける。

 開かれた後部格納扉から飛び出した木下は、夢見たちを助けて格納庫の中へ放り込んだ。

「急げ! パイロット、急いでとべっ!」

 無線に叫びつつ、自分も格納庫に飛び込んだ。あまこまは急上昇する。ダクテッドファンが水平になり、禁断の基地から全速力で遠ざかる。

 後部格納扉を閉めつつ木下は座席に戻った。来島はよろめき立ち、敬礼した。

「トライクの件、本当に感謝する」

「そんなことはあとだ。早く座席でしっかりとベルトつけなっ!」

 木下とスガル挺身部隊四人は席につき、両肩からかける安全ベルトをつけた。

「緊急用アフターバーナーを使います!」

 ベテランパイロットはそう叫んだ。次の瞬間、機体後部に一基あるロケット推進装置が火をふき、急速に加速する。

 夢見たち背もたれに押し付けられた。顔が歪む。しかし十数秒でロケット推進装置の燃料は尽きた。加速は充分だった。


 光の怪物はほとんど崩れた地下二階まで上っていた。その天井も、光の圧力でぼろぼろになり、崩れつつあった。

 その時、地下二層管理壕の両側にしかけられたTNT爆薬四キロトン相当の藤村式特殊火薬が、時限発火装置によって点火された。

 空間が別の光で満たされた。

 ほとんど消滅しかかっていた宝辺利人一等空尉の意識は、漆黒の闇の中で小さな輝きを見つめていた。それはぐんぐんこちらに近づいてくる。

「お迎えがきたのか」

 そんなことを思った。しかし宝辺をむかえに来たのは、天使でも地獄の使者でもなかった。

 それはかつての彼の愛機F15J戦闘機だった。


 さほど深くない地下での大爆発は、瞬時に地下部分を粉砕消滅させ、地上の構造物も吹き飛ばした。ヒロシマ型原爆の三分の一ほとせま爆発力である。

 人も通わぬ信州奥深山、古来の禁断の聖地「あやかしの森」が震撼する。すでに獣や鳥、昆虫までもが逃げ出していた。古い巨木が吹き飛ぶ。

 吹き上がった炎の固まりは上空ではじけ小さなきのこ雲をつくり、周囲に衝撃波を走らせた。

 爆風は、遠ざかりつつあった「あまこまⅡ型改」をも襲った。機体が激しくゆれ、電気系統がショートする。きのこ雲は土砂爆破が予告されていた地点からは、数キロ離れていた。

 コックピットでは各種警報が鳴り響く。パイロットが叫ぶ。

「操縦不能、失速します! 右推進ファンに異常! 機能停止しますっ!」

 元木二佐は青ざめ、副操縦士の座席にすがりついた。

「なんとかしろ、脱出装置はないのか」

 パイロットは操縦桿を握り締める。

「この高度では無理です。後の人たちはどうしますっ!」

 後部格納部の兵員輸送席は、比較的静かだった。決して飛行機などが好きではないボブ木下は、激しく揺れる機体の中で叫びだしたかった。

 しかしはるかに若い乙女たちが冷静なことに、驚いてしまっていた。

「だめだ。落ちるぜこのままじゃ……」

 夢見は隣の座席の小夜が、手を握ってくるのを受け止めた。手を前の座席にいる真由良に伸ばした。

「いい、三人いっしょよ」

 三人は目をとじ、ゆっくりと息をしだした。その呼吸がシンクロしていく。

「右エンジン出力半減! 左も下げる」

 左ばかりをふかしすぎては、機体が回りだす。ただでさえ推力が落ちている状態で、左エンジンをやや上にむけて速力を調整しなくてはならない。

 機体に破片がいくつも穴をあけ、油がもれて黒い煙を噴出している。

 下界は樹海と切り立った岩場、崖などである。どこに落ちても機体はひっくりかえり、破壊されてしまう。

「操縦士、だめです! 油圧がほとんど……」

「……このまま森につっこむか」

「前方十一時の方角、森の中に空間発見」

「だめだ、もたない。失速、墜落するっ!」

 熱心なカトリック教徒である元木二佐は、主に祈り始めていた。パイロットも墜落を覚悟した。確度を調整できない右ファンが小さな爆発とともにとまってしまったのだ。

 左側だけでは、飛んでいられない。

「だ……め……だ」

 その時、なにか異様な事態がおきた。「あまこま」は左側のダクテッドファンをほぼ垂直にしたまま、ゆっくりと高度を下げつつある。失速しているが墜落はしていない。

 そのまま目の前にある森のなかの空間に、むかっている。それは清水が湧き出す湿地のようなところだった。

 森の動物たちの水のみ場であり、小さな草などは長年草食動物たちが食べ続け、その場所に木々が育たないようにしてきた。

 あまこまⅡ型改はその湿地にむかっている。元木は顔面蒼白で伊達眼鏡をずり落とした。

「……なんだ、なにが起きているんだ」

 片肺だけで進む「あまこま」は古い木々を飛び越えて、その小さな湿地に着陸した。機体は五十センチほど湿地に沈んだが、無事だった。

 主任パイロットはエンジンを切り、急いで救難信号をおくって救難照明弾を打ち上げた。日本列島上空で見守っている偵察衛星が、見つけてくれるように。

 元木は座席でうつむき、両手を固く結んで主への感謝を続けていた。

「よくやった。さすがね」

 来島はベルトを外して立ち上がり、一人一人に握手した。最後の夢見は、思わず抱きしめてしまった。

 感極まった真由良も二人に抱きつき、小夜もそれにならった。

 四人の心の中に、暖かいものが広がっていく。ふと夢見は、上を見た。輸送機後部格納室の無骨な天井しかない。

 しかし確かに、「ありがとう」の声を聞いた気がした。木下はなにがおきたのか判らず、しばらく座席から立ち上がれなかった。

「……ともかく一杯ひっかけたいな」

 そんなことを呟いた。


 爆発は、自然堤防の爆破作業成功と言う形でマスコミに流された。爆破終了をよろこぶ作業員の写真つきで。

 退避命令も解除された。写真は高性能CG合成だったが。

 集積所は敷地ごとあとかたもなく吹き飛び、大きな穴が開いていた。変異した宝辺は、さすがにふきとんだらしい。その姿はなかった。

 土壌分析でわずかな肉片と骨の欠片が回収された。DNA鑑定の結果、かなり変異しているが宝辺利人のものと確認された。

 放射能も異質な物質も、毒物も観測されなかった。

 この日の十七時、統合情報統監部長将帥は、作戦終了と軍機特種希少資材乙号「クルクス」の完全「処置」を、服部軍令本部総長と上田国防大臣に報告した。

 同じ頃、市ヶ谷要塞地下の情報統監部参謀控え室に一人いた田巻己士郎は、むかしながらの音声電話で会話中だった。

「それでええ、万々歳や。魔女たちは衛戍病院でしばらく検査。橋元ハンがつきっきりや。

 ともかく協会と元木のオッサンの関係がはっきりした。これで決定的やな」

 田巻はやつれた顔で大きなあくびをした。


 人類史を密かにゆるがせた一日が終わり、次の日となった。

 新潟の北日本海警備区衛戍病院で検査を受けた夢見たちは、風呂に入ったあとは食事もせずに朝遅くまで、死んだように眠り続けた。

 皆軽い傷や打撲があったが、肉体、脳波ともに異常はなかった。心理的なショック、ストレスは仕方なかったが。

 市ヶ谷では、石動はこの朝の六時をもって「作戦完全終了」を命じていた。彼女も少し眠ったあとに、服部球磨邦軍令本部総長最高将帥の元に出頭した。

 国防大臣上田徹也も同席し、白瀬首相や同盟各国への説明をかって出た。

 犠牲者の名前を、石動は手書きの書類で提出した。傍らでは第七課長の加川美麗二等佐官と、情報第十一課課長補佐三等佐官の富野勝が、神妙な面持ちで聞いている。

 特殊保護キャニスターを奪った強襲部隊では、二人の撥ねっかえり下士官と東黎協会の武断派、影山克二一尉幹部学校学生指導監。国立技術学院を優秀な成績で出てから任官した航空総監部兵站一課課員大崎義則二尉も、遺体が発見されないまま死亡と確認された。

 佐伯梓三尉は命に別状なく、中央衛戍病院で治療を受けつつ警務隊の尋問を受けていた。

 中央高等研究所第九研究室特別班副班長で、集積所現地責任者の浦木理男も死亡した。キャニスター探索部隊にも三人の犠牲者をだしている。

 外務高級官僚、外務省情報総局第三課主任分析官である小島正和は、警視庁で事情聴取を受けている。

 同じく東亜黎明協会の理論的リーダー、極秘機関総力戦研究委員会会員で新昭和通商社外相談役たる山本聡史は「事故死」していた。

 その他、協会の主たるメンバーは警察や公安に事情聴取を受けつつある。

「例の東光寺一佐はどうしましょうか」

 服部は困っていた。まだ検束もされていない。都内の豪華な自宅に軟禁状態である。今のところ処分は決まっていない。

 おそらくは待命となるであろう。しかし処罰については不明だった。上田は鼻の下の八の字髭をなでつつ、言った。

「あの厄介な一佐は背後もいろいろとあってな。今回は軍機特種希少資材乙号奪取計画の総てを話すと言うておる。

 外務省の小島も起訴とかそう言う風にはならんじゃろう。政治的駆け引きの道具には使わせてもらうがね。ただし、辞めてもらうのは仕方ない」

 石動は少し厳しい表情を見せた。政治的な駆け引きは苦手だった。

 白瀬首相の強い希望もあって、事件の一切は隠蔽される。こうして四半世紀にわたって死につづけた宝辺一尉はやっと成仏できた。

 異世界の複製された意思も、消え去ったことだろう。こうして人類初かも知れない、地球外知的生命体との接触の証拠は永遠に失われた。

 あるいはこれこそ、何者かのもっとも望んでいたことかも知れなかった。


 この日の昼、通常のデスクワークに戻った情報参謀田巻己士郎先任一等尉官は、やや不機嫌だった。信州奥地の大爆発に関しての、マスコミ対策の厄介事が残っていた。

 元木二佐も協会との関わりが疑われ、警務隊に事情聴取を受ける予定である。

 その他今回での騒動での不適切な行為が問題視され、第十一課長に相応しくないと上層部は判断したようだった。

 元木の追い出しは成功しそうだった。そのことを田巻は、国防大臣の妖艶な秘書からこっそりと教えてもらった。それはいい。しかしその後釜は、暫定的に富野三佐になるらしいと言う。

 そのことがはなはだしく不愉快だった。しかし待望の佐官昇進は決定した。

 自ら企画し、一人一人吟味して育て上げたと自負しているスガル武装機動特務挺進隊を自分のコントロール下に取り戻す目論見は、はずれそうだった。


 来島たちスガル挺進隊員は東京に戻り、通常の任務に戻っている。当然、今回の作戦と戦闘については一切口をつぐむよう命令されて。

 もどって数日して、来島は夢見たちを将校クラブに呼んだ。お茶をのみつつ、古い小箱をとりだして机においた。夢見は見つめた。

「あの、何です、これ?」

「集積所が消滅して、あの人に関する全調査は終了した。これは研究本部の倉庫の奥に二十年以上保管されていた、一尉の遺品の一つだそうだ。

 特に学問的な価値はないだろうから、遺族にかえすことになった」

 なんの印刷もされていない粗末な小箱をあけてみた。中からは掌サイズの、ダイカストの模型飛行機がでてきた。

 夢見にはそれが、かつて航空自衛隊で使われていたF15Jであることがわかった。丁寧なつくりの特注品であろう。

 機体の日の丸の横には、KIYOSHIと書かれていた。

 誕生日ブレゼントかなにかであろうか。


「たからべ、清さんですか」

 神戸にある大輪田精密機械の営業副部長、宝辺清は若い美女に声をかけられてすこし緊張した。

「あの……ご連絡しました、統統合自衛部隊の大神と言います」

「同じく、斑鳩です」

 二人はほぼ同時に敬礼した。京都西郊にある有名でもない古い寺、その広くもない墓地の一角に、宝辺家の墓があった。

 本来は石動将帥が訪れると約束していたのだが、東京で重要な会議が入ってしまった。

「父の遺品が見つかったとか。いまごろ、珍しいですね」

「あの…その、古い資料を整理していたら、一尉の名前のついた袋の中にあったそうです」

 夢見はボール紙の箱をわたした。宝辺清は中のF15Jを手にとり、しみじみと見つめ、少し涙ぐんだ。

「……六歳の誕生日にくれるって、約束したものです。その二日前に父は事故で殉職しました。

 実は父の事、あまり覚えていないんですよ。

 ただ、いい父でした。母は大勢のライバルを蹴落として、父を撃墜したと今でも笑って自慢していますよ。

 父の死後、防衛省にはよくしてもらい、大学も出ましたし」

「……ええ、素敵な人でした。義務感にあつく」

「父をご存知なのですか」

「その、あの……石動閣下からお話を。わたしの生まれる前に、亡くなった方ですし」

「お母様には、石動将帥から直接連絡が行くと思います」

「本当にありがとう。わざわざこんな物のために」

「当然のことです。お父上はこの国と、世界を……。

 いえあの……、是非お参りさせてください」

 夢見は石動から預かった、加賀の銘酒の小瓶を墓に供ええた。小松基地時代、宝辺一尉が好きだったと言う。二人は線香を供えて、祈った。

「ありがとうございました!」

 普段小声の夢見は、大きな声でそう言うと敬礼した。小夜も続く。宝辺清は多少驚いたものの、両手でダイカスト製のF15Jを捧げ持ち、頭を下げた。

「とうさん、ありがとう。確かにもらったよ」

 抜けるような青空に、かすかに爆音が轟く。夢見たちは空を見上げた。雲ひとつない紺碧の天空に一筋、白いジェット雲が延びていく。

 夢見にはそれが、天に戻っていく一尉の魂のように思えた。


「いくぞ、アイドルさん」

 そう言ってヘルメットを小脇にかかえて颯爽と川崎T4練習機へと歩いていく特別臨時教官の後姿を、石動麗奈は思い出していた。

「アイドルさん」などと言われつづけ、当時の石動三尉は憤慨していた。

 しかし彼にだけはそう呼ばれて、照れくさくもうれしかった。何度も夢に見た、思い出だった。

「閣下、地下四階の入り口に、田巻一尉が到着しました」

 左腕につけた個人携帯装置はユニヴァーサル・コミュニケーター、通称ユニ・コムと言う。

「わかった。通してください。わたしもブリーフィングルームへ降りる」

 あの男を機密中の機密に関与させることは、諸刃の剣かも知れない。

 しかし彼は今回の騒動で、その一端を垣間見てしまった。元々「あの分野」に興味を持っていた。

 口を封じることは難しい。ならば「秘密の仲間」に引き入れたほうがいい。小心者で策謀家だが、一応役には立つ。

 あの「クルクス資材」に勝るとも劣らない「エステル作戦計画」に、彼を関与させることを石動が決めたのは、上田国防大臣のためだけではなかった。

 当の田巻は少し怯えつつも、禁断の市ヶ谷地下第四層で専用リフトを降りた。

 薄暗い空間に一つ、大き目のドアがある。その前に立つ兵士は、田巻の身分証と角紋をチェックした。そして敬礼するとドアをあけ、言った。

「まっすぐお進みください。係りの者がご案内します」

 言われるまま田巻は明るい廊下を進みだした。背後でドアが閉められ、電子ロックのかる音がした。少し足がすくむが歩き続けた。

「……まあ、ありがたいこっちゃけどな。

 だいたいこの国には、まだどんだけ国家最高機密があるねん」

 無機質で薄暗い廊下に、足音だけがこだましていた。



                               完

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S.G.A.L.3 軍機クルクス乙号資材 Das Militärische Geheimnisse Material  CRUX 小松多聞 @gefreiter

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