最終動
広い核融合炉建設全工区に警報が鳴り響く。
ペルシア湾に面した新首都アル・ジュムフーリーヤの東五十キロにある商用核融合炉「ヘスティアー」の巨大な建物では、多国籍警備軍四百人と現地民警がとり囲む中、工事関係者や職員の退避がすすむ。各種警報とサイレン、人の怒声が混じって騒々しい。
しかしまだ十数人の職員がとじこめられている。オーガスト大佐は司令部からの指示をあおぐが、現状では手がだせない。
「現場を封鎖しました。中の状況は不明です。一切連絡がとれません。
シュタイン監督主任は行方不明。人質にとられていそうです」
現場を封鎖したというより、篭城された状況だった。
「部隊で完全包囲していますが、相手の出方がわからない」
中の様子も皆目判らない。警備システムは総て無力化され、テロリストの制御下にある。建設会社は一応協力的だが、職員から技術者にいたるまで真っ先に逃げさっている。
「ともかく奴らの出方を待つしかないです。いつもみたいに、頭のおかしなメッセージを出していろいろ要求してくるでしょう」
「ロック解除、あきます」
メンテナンスハッチのロックを、小夜は開けた。
「新入りの確保は大神二曹に任せる。我々はテロリスト制圧だ、小夜っ!」
と、突然名前を呼んで見つめる。
「撃たなければ殺される。ためらうな」
「は、はい」
興奮し息があらい。大きな胸は軽量パンツァーヘムトでつぶされている。
「いくよ!」
来島はハッチを外側へ蹴破った。
中はうすぐらい、巨大な格納庫のような空間である。正面に高さ二十メートルはある、ハッチ状の物体が見えた。その前に大型トレーラーがとまっている。
小夜は機関拳銃銃口に取り付けた、二九式小銃煙幕弾を発射し煙幕をはる。かつての〇六式小銃擲弾の後継武器である。
その間、夢見はまた相手に恐怖心をおくりこんだ。
傭兵や環境テロリストたちは、不意をつかれてあわてふためいた。暗い空間を煙幕が満たしていく。そしてテロリストの心の中に、不安が流れ込む。
傭兵の一部は薬の作用で昂揚しており、めったやたらと発砲をはじめる。スガル部隊には特殊バイザーで、相手の姿が淡く光って見えていた。
夢見は物陰で深呼吸し、意識を深くもぐらせる。
「真由良、こたえて! わたしよ」
トレーラーの助手席でぐったりしていた真由良が、反応した。
「! いました。トレーラーの運転席です」
「あのデカブツか。ありゃなんだ」
「あの、援護してください。助けます」
「待て二曹。武装兵がトレーラーに隠れている。下手に動くと人質にとられる。
斑鳩一曹、わたしが火線をひきつけているあいだにマルティセンサーをつかえ。 あのトレーラーの中がなにか知りたい。
来島は目立つ位置で、発砲する。小夜はオペラグラスのような装置を操作して、巨大なトレーラーを見つめた。
「低い温度ですね。それと……なんでしょうこの低いエネルギーのβ線は。
人体には影響なし」
「……トリチウムだね」
「あの……まさか、フロギストン爆弾」
「ほかに考えられない。そっち戻るよ」
来島は小型煙幕手榴弾をもう二つ投げつけてから、小夜たちのいる柱の陰に転がり込んだ。夢見が助けおこす。
「あの、その……一尉の嫌な予感があたりましたね。ついに作り上げたんですか」
「ああ。でも奴ら、死なばもろともって感じじゃないな。ここを脱出しないかぎり、爆発させないだろう。何としても食い止める。残っている敵の数は」
夢見は目をとじて数度深呼吸した。
「……多分五人以上。
そのうち三人はあの、例によって恐怖心をほとんど失っています」
「新入りはおきているか」
「たぶん理性は。
でもやはり薬の副作用と、手術後の鎮痛剤のために動けないみたいです」
「やつらはパニックに陥ってる。小夜と二人で、ひきつける。新入りは頼んだぞ」
小夜と来島は、新機関拳銃を発砲しつつ飛び出した。ルガー弾よりも小口径で炸薬の多い特殊弾丸を使う。しかしさほど弾丸は携帯していない。このすきに柱の反対側から飛び出した夢見は、煙幕の中をトレーラーの運転席へ近づく。
オドアケルは心の底からわきおこる恐怖心と戦いながら、煙幕の中を這ってトレーラーに近づいた。頭上を罵声と弾丸が飛び交う。
「あの娘が俺の命の保証書だ。娘を連れて帰らなければ、俺も吹き飛ばされる」
ポケットに残っていた圧縮注射器を二本とも、自分の首筋に打った。
「うぐ……」
強すぎたのか、めまいがする。しばらく震えていたオドアケルは、やがて不気味にニヤつきながら立ち上がった。
助手席の真由良はやっと目をあけた。運転席の窓が銃弾でくだかれて降り注ぐ。
「……動けない、た……助けて」
真由良の意思を感じた夢見は、弾丸が飛び交う中を大型トレーラーに近づいた。
助手席側のドアを開けた。しかし真由良の姿はない。
「どこ、どこなの?」
意識を感じた。トレーラーから少し離れたところ、こぶりなコンテナの前に、ふらりと真由良が立っていた。いや、なにかにもたれかかっている。
運送会社の作業服を着て、帽子は落ちている。そりあげた頭のうしろに取り付けられた銀色の「装置」が、薄くらがりのなかでぼんやりと輝いてみせる。
夢見は銃すら構えていない。「新入り」との距離は二十メートルほどか。そして夢遊病者のように朦朧としている彼女の背後に、狂気を感じた。
作業員姿のオドアケルが真由良をたてに、彼女の右肩に突撃銃をのせている。
「真由良っ!」
「おっと近づくな、ベッピンさん。仲間が傷つくぜ」
「……その子を傷つけたら、ただじゃおかない。なんてひどいことを」
「やったのは俺じゃない。それにこいつは大切にしてるぜ。大金のかかったこの娘を無事に連れて帰るのが、俺の使命だ。
たいして役に立たなかったが、使えることがわかったぜ」
左手には名刺入れ程度の大きさのカードを握り締めていた。
「ついてくるな。こいつを人質にする」
「オドアケル!」
煙幕のなかで、浅黒い女科学者が叫んだ。
「また一人やられた。傭兵ども、笑いながら突撃していく。おかしいわ!」
「薬が強すぎたな。七番の通路の前にいろ。そっちへ行く」
「行かせない」
夢見は、両手で空気をおすような格好をした。
流れていた煙幕が一瞬にして拡散した。
「うわ!」
首魁は仰向けにひっくりかえった。
夢見が駆け出そうとすると、オドアケルは叫ぶ。
「やれ! おまえの敵だ」
青ざめ朦朧とした真由良は、震える両手を前に突き出した。走りかけていた夢見は、なにかにぶつかったように転んでしまう。
「やめて! マユラっ!」
夢見の脳裏に、あのジーンの惨劇がよみがえる。
「あなたは操られているの、お願い、わたしよ」
真由良はまた、震える右手をあげた。夢身は腹に正拳つきをくらったように顔をゆがめ、数歩うしろにさがる。真由良の「装置」に赤い光がともっている。
「やれ、やっちまえ」
狂気を帯びた笑い声をあげるオドアケルは、立ち上がった。カード大のコントローラーを操作している。真由良にとりつけられた「装置」のものらしい。
「大神二曹っ! 伏せろ!」
十メートルほどうしろで、来島が機関拳銃を構えて発砲した。幽霊のように立つ真由良の周囲で火花が散り、流れ弾がオドアケルの右肩を射抜く。
「た、隊長、やめて……彼女は、恐れている」
右肩を撃たれたオドアケルはコントローラーを落とし、うすれつつあった煙幕のなかを這って逃げ出そうとしていた。
小さな通信機に叫ぶ。相手は女性科学者だった。
「の、のこった技術屋どもはどうした」
「予備倉庫にとじこめてある。建設会社の主任クラスだけど逃がさなくていいの」
「人質だ。そいつらを盾にして脱出する。あの化け物女は囮だ。そっちへ行く」
「夢身、伏せろっ!」
「でも………」
「新入りは装置に操られている。早くフロギストン起爆装置をはずさないと。
爆発させれば威力は十メガトンを越え、中東の油田地帯は壊滅する」
「ころ……して」
夢身も来島も凍りついた。真由良が声をしぼりだす。
「う……撃って、わたしごと、撃って」
その時二人のユニ・コムに、小夜から連絡が入った。
「東部を制圧。でももう弾丸がありません」
「どくんだ。射殺はしない。一時的に気絶させる、任せろ」
「だめ!」
夢見は右手をうしろにさしだした。来島は軽い衝撃をうけて尻餅をついた。
「夢……見?」
「あの…まかせてください、隊長はトレーラーに。起爆装置を解除してください」
オドアケルはほうほうのていで、同志らのところへかけつけた。炉心工事現場の奥、研究室のような部分が出来上がっている。
女同志と傭兵二人で立てこもった。ほかにも、フォルティア社から派遣されていた技師五人が、逃げのこっていた。
「なんだ、話が違うじゃないか」
年配の技師はオドアケルにかみついた。
「おまえがリーダーだな。我々までまきこむつもりか。会社は承知しているのか」
傲慢なテロリストは、妙におどおどしている。
「すみません。てはずが狂いまして。でもここなら安全です。騒動が終われば、ここから脱出できるはずです。ベルリンも承知していますし……多分」
「あなたは、わたしなの。わたしもさみしかった、怖かった。ずっとこんな力のせいでも心をとざしてきた。友達もほとんどいなかった。でも今は違う。
あなただけは、いえあなたとジーンだけはこの力を、神様の悪戯を認めてくれた。わたしに近づこうとしてくれた。もう、仲間を失いたくない。お願い」
夢見はゆっくりと軽量プロテクターを胸と腹からはずした。その下は腹のあたりまでしかない袖なしの黒いシャツと、黒い短パンツ。まったくの無防備である。
幽鬼のごとく立ち尽くす真由良は青白く、脂汗をかいている。後頭部の「装置」は薄くらがりであやしく輝き、赤い目からは涙がこぼれている。息も荒い。
「わたしたちは超人でも継承人類で見ない。単なる女の子よ。でもたまたま、人と違った力をもってしまったの。
たんなる偶然、遺伝的浮動、ランダムドリフトの産物なの。
でもこんな力、欲しくなかった。わたしはわたし。あなたもよ。力なんてなくても生きていける。行きましょう、いっしょに」
理性と「命令」のはざまで苦しむ真由良に、手をさしのべつつ近づいた。装置が淡く輝き、小さなインディーケーターランブ総てが赤く輝く。
「あああああああ! いやっ!」
「真由良っ!」
真由良の意識が混濁しだしたのは、夢見にも感じられた。視界が歪む。
「もうおまえはわたしの娘じゃない。すまん」
恰幅のいい紳士が、涙を流している。
「おまえの母親は、古来の『はふり』だ。死者の魂を送る『あそべ』の一族だ。
そう言う契約だった、古き一族との。おまえはその『遊部』の一族をつげ。
わたしは代々の神官の家系だが、普通の人間なんだ。本当にすまん…もう、わたしは長くない」
「わたしも普通の人間よ! 母さんだって。わたしたちを捨てないで、父さん」
「すまない。十三まで育てるという約束で、お母さんをもらった。わたしも聖なる一族の末端だ、古来の掟は敗れない。本当にすまない………」
「いやああああああ」
後頭部を覆っていた銀色の装置が火花を散らした。広大な空間を照らすライトのいくつかがはじけて、火花と破片を撒き散らして消える。
夢見は頭の「芯」に鋭い痛みを感じた。めまいがしたが倒れはしなかった。しかし真由良は膝をおり、前へと倒れた。あわててかけより、助けおこす夢見。
銀色の装置の接合部から、僅かに血がにじんでいる。
「真由良っ! しっかりして」
「ゆ……夢見さん」
「真由良………」
「あいた……かった。あなたに……ずっと」
さみしげに微笑むと、涙をこぼして気を失った。
「真由良~~~~~~っ!」
小夜がかけよってきた。
「早く、脱出よ。やつら技師数人とともに奥にたてこもって震えている」
巨大トレーラーの後部では、来島がなれない装置と格闘していた。
「一尉っ! ヘムトにつけた小型カメラ、映ってますか。解体支持を願います」
「分厚いシェルターの中みたいなもんで、電波が乱れとる。
こっちの分析ではマイク・ガジェット・タイプの原始的な構造と判明した。起爆システムはやっぱりフロギストン点火プラグらしい。時限点火装置はないか」
「判りません。どこが起爆装置か」
「電波発信源はわからへんか」
来島は小型弁当箱程度の装置を操作する。
「この部分から微弱電波がでていますね」
「こっちでも解析した。そこ、遠隔装置やな。やっぱりは核融合炉で核融合爆発させ、商用炉開発を頓挫させつつ、核融合発電に対するぬぐいがたい恐怖心をうえつけるつもりや。
はじめから宣言も要求もない。無放射能性核爆発をひきおこしよる。
これでメタンハイドレート燃料市場はうなぎのぼり、中東再開発の挫折は中東と東欧州経済に混乱をひきおこす。ようできたシナリオやな、まったくっ!」
「どうします。解体なんかしたこともない」
「今、対策を練ってる。下手にさわると遠隔操作で爆破されるし、解体しようと思てもどんな罠がしかけてあるか判らん………」
来島の特殊軽量ヘルメットに通信が入る。
「こちら斑鳩一曹。田巻一尉、テロリストの残存勢力は多分五人。それと逃げ遅れて人質になっている技師が数人、奥の研究室にたてこもってます」
「……たてこもっとる。どう言うつもりや。遊部三曹心得はどないした」
「わたしと大神二曹とで保護しました。今は気を失っています。体温や脈拍がさがって危険な状態です。指示を」
「よし、アメリカさんらと協議する。君らは新入り連れて、退避せえ。退避ルートは今からユニ・コムにおくりこむ。フロギストン起爆システムは破壊する」
「破壊ですか、解体も出来ないのに」
「大爆発はせん。起爆装置がのうなったら、ただのトリチウムや。二尉も早よ逃げぇ!」
「爆発は脅しです。やつら死ぬ勇気もないでしょう」
「遠隔装置しよるわ。起爆システムの秘密を守り、国際経済を救うためだ。
ためらってるヒマはない。ともかく脱出しろ。破砕手榴弾は遠隔装置にして、今から指示する部分におけ」
来島はその場に破砕手榴弾をおき、夢見たちの元へと走った。
「さ、逃げるよ」
夢見と小夜が、ぐったりとした真由良を両脇からかかえた。来島が先頭に立ち、突入したルートから脱出するのである。
さきほど蹴破ったハッチを来島は中から閉め、スイッチを押した。トレーラー後部のシステムがふきとんで、超低温のトリチウムが白煙とともに飛び散りだした。
包囲部隊がその轟音に驚いているところへ、司令部から連絡が入った。
「オーガスタ大佐、部下を退避させたまえ。日本政府からの情報でテロリストは細菌兵器を装備している可能性がある。今からナパームミサイルで中を焼き尽くす」
「しかし、融合炉はどうなります」
「基幹部分は仕方ない。逃げ遅れたフォルティナ社の技師もだ」
「真由良、もう大丈夫よ」
日本人技術者宿舎玄関に待機していた医療キャニスターに、真由良は収容された。透明な小窓からのぞきこんだ夢見は、うっすらと涙ぐんだ。
意識を失い青ざめた真由良の顔が、かすかに微笑んだかもしれない。
その時、三人の背後でなにかが光った。ふりむくと一キロほどはなれた商用核融合炉の建物が、オレンジ色の炎に包まれている。
建物自体は丈夫で、ほとんど形は崩れない。しかし飛び込んだミサイルかせ、内部を焼き尽くしていく。
左手首のユニ・コムを見つめていた来島が、吐き捨てるように言った。
「国際連邦軍がテルミット・ミサイルを撃ち込んだそうだ。なんて真似を。
……今はともかく、市ヶ谷に戻ろう。出発だ」
かくて意識を失ったままの真由良は、高高度高速多目的機でスガル挺進隊とともに日本へもどった。あとは多国籍軍の処置だった。
テロリストは全滅、技師も数人が犠牲になった。
「最後の判断は、副委員長からお願いいたします」
言われた広い執務室のソファーにすわる小柄な日本人は、ブランディーのグラスを置くと立ち上がった。シュライヒャーは左手首のユニ・コムを操作して、巨大な画像を浮かび上がらせた。
「ジルヴェスター議長、おひさしぶりです」
片野秀信は整った顔を珍しく強張らせている。中空に浮かび上がった相手は、シルエットだけだった。ドイツ語なまりの英語で話す。
「わざわざ東京からか、ご苦労だな」
「……開発した特殊能力者は残念ですが、仕方ありません。新しい世界の殉教者です。惜しいですが、起爆スイッチを押します」
「よかろう、新しい時代のために」
シュライヒャーは指紋認識式のアタッシュケースをあけ、大物大臣の実弟、「国防相の懐刀」の前においた。
片野秀信内閣長期政策諮問委員会「副委員長」は、胸から取り出したカードキーをさしこみ、キーをおした。赤いランプがともってスイッチが起動する。
一つ大きく呼吸すると、中央のボタンを押した。
「………」
グラスにのこった最高級のブランディーを飲み干すと、強張った顔で言った。
「ジルヴェスター博士。終わりました」
何秒か待っていた副委員長の表情が曇る。あわててアタッシュケースの中を見つめた。
「どうした。なにもおきないようだが」
「いえ、確実に作動していますが。こちらに問題はありません」
大きなシルエットは消え、執務室いっぱいに風景がうつる。新首都アル・ジュムフーリーヤの東五十キロにある、商用核融合炉「ヘスティアー」の工事現場である。警備部隊の警戒は解かれ、救急車などが出入りしている。
「これは……」
片野副委員長はあわててまた起爆スイッチを押した。浮かんでいる画像に変化はない。片野秀信もシュライヒャーも、冷や汗を流しはじめた。
「こんな馬鹿な。なぜ………オドアケルたちはどうしたんだ」
「残念ながら、計画は失敗したようだな」
「し、しかし博士。お待ちください……」
ふと気づくと、周囲が光につつみこまれつつあった。卓上の書類などが、ゆっくりと浮かび上がる。
二人の全身に悪寒が走り、体表から水分が奪われていくのを感じた。
「こ……これは?」
二人は天井を見上げた。突如マホガニーの天井が裂けまばゆい光が視界を覆う。 ほぼ同時に二人の肉体は強烈なコヒーレント光につつまれて、瞬時に蒸発した。
軌道衛星から打ち下ろされたレーザー砲は、巨大ビルの最上階にあった一部屋を、きれいに消し去ってしまった。隣室にいた秘書は、なにがおきたのか十分ほど気づきもしなかった。
高速輸送機は、真由良を保護している医療キャニスターとともに厚木に到着した。待ち受けていた医療部の特殊運搬車輌にキャニスターをうつしかえる。
夢見はつきそおうとするが、橋元医務正がとめた。
「あとは医療部にまかせて。いまから大変な手術がはじまるの。
わたしも手がだせないような」
夢見は、棺桶のような医療キャニスターの小窓をのぞきこんでみた。青ざめた真由良の瞼が、少しうごいた。
「もどってきて、きっと……」
ー戻るわ。きっと」
夢見の頭にだけ、その声が響いた。特別搬送車は警務隊に先導されて出発していく。来島は迎えの車輌に乗り込みつつ、田巻にユニ・コムで連絡した。
「スガル挺進隊三人は帰還しました」
「さっさそく検査や。緊急兵站道をつこていい。いそいでこっちで検査うけい」
夢見が珍しく上官の会話に割り込んだ。
「……新入りは、あの、遊部三曹心得はかならず、回復するんでしょうね」
「確約なんて誰にも出来ん。でも出来るだけのことはする。僕が見つけた子ぉや。
ジーンの装置は壊れてしもたけど、脳に取り付けられた端末の構造は、ちゃあんと研究したある。難しい手術やけど、なんとかせな。いや、なんとかしたる!」
夢見もそれを信じるしかなかった。
「ジーン。あなたも普通にもどりたかったでしょうね」
ふと嫌な事実にも気づいた。真由良の装置を無事はずすことで、わが国の研究機関は念願の増幅装置を手にいれることができるのだ。
数日でいっさいの法的処理と隠蔽が終わり、政治的解決がはかられた。
軍令本部では田巻の責任を問う声もあったが、監督責任を誰が負うかなどでもめ、結局いつもの「臭いものに蓋」をする形で決着した。
クライネキーファー商会極東総支部からも政府に正式の秘密使者が訪れ、本家を代表して詫びた。すべては末端の「はねかえり」の暴走だと言う。
凶悪な国際テロリストは自滅した。中東における商用核融合発電所建設は、一ヶ月後に再開されるだろうが、メタン燃料市場は値を下げつつある。
核融合関連株を空売りし、メタンハイドレート関連の株を買い占めていた「世界友愛クラブ」は、一国の国家予算に匹敵する巨大損失をだしたらしい。
かくて国際的投機集団「世界友愛クラブ」も崩壊し、FM社ほか関連会社のいくつかが倒産、いくつかが警察に踏み込まれた。失踪者や自殺者も少なからず出た。
また上田大臣の懐刀、現代の長野主膳ともいわれた片野秀信内閣長期政策諮問委員会副委員長、堀口大学理事が出張先のベルリンで「事故死」したことで、多少政局は混乱した。その実兄の片野秀太郎大蔵大臣が、引退をほのめかしだした。
その隠蔽工作とマスコミ対策でも、田巻が活躍することになる。
さまざまなややこしい工作と後始末を終え、さすがにつかれきった中年一等尉官田巻己士郎は、市ヶ谷国防省棟中央エレベーターホールへむかった。すでに佐官進級の内示を受けていた。
彼は軍令本部の兵科色たる灰色の勤務服に、参謀飾緒を吊っている。
「今回は……ほんま、疲れたな。休まな、身がもたんわ」
市ヶ谷台には統合軍令本部と国防省、国防施設局などがある。
しかしその「本丸」は地下に広がる堅牢なシェルター都市だった。公的には地下第三層までしかないことになっている。
情報統監部は地上棟とは別に、地下第一層に平時中央司令室をもっている。
田巻は指紋と角紋で地下専用エレベーターを呼び出し、カーゴが着くのを待っていた。緑のランプがともり、ドアが左右にスライドする。田巻は疲れているが満足そうに乗り込んだ。ドアが閉まる直前、その女性は足早に乗り込んだのである。
振り向いた田巻は凍りついた。
「ひっ!」
カーキ色の制服をきた、夢見がすぐ前に立っている。ドアがしまっても、カーゴは動かない。地上一階部分に停止したままである。
「な、な……なんや」
夢見は整った顔の中で大きな目を少し赤くして、半メートル前の大きな丸顔を見つめる。
「……あそこまでする必要は、本当にあったのですか」
「あ、あれ以外にどんな手ぇがあったんや。わが国の最高機密も守れた。新入りも救えたやないか」
遊部真由良の手術は成功し、組織修復も順調だった。田巻が言った通り。
来島によると、その取り外しにあたって増幅装置はかなり破損したらしい。それでも真由良の無事が最優先だと断固主張したのも、田巻だった。
「はじめはあなたを憎みました。でも何万もの人たちを救うためだと自分に納得させています。今はともかく、真由良のことをお願いします。感謝しています」
ひとりでにドアがあいた。夢見は敬礼し、踵をかえして出ていった。ドアが自動的にしまると、硬直していた田巻は足をすべらせてそのままへたりこんだ。
カーゴは地下第一層めざし降下して行く。田巻は両目から涙を流し、ふるえた。
「し、死ぬかと思うた……」
スガル挺進隊が作戦を終えて一週間後の夜、築地にある料亭「嘉つら吉朝」に、田巻はまた招かれた。
待っていたのは例によって、後見人の上田哲哉国防大臣である。田巻の好物である伊勢海老の刺身と、鮑が並んでいる。
「まったくご苦労、ごたゃあげさまだった。君の言うとおりにすすんだが、もう少しで核爆発だったがや」
「いや、あれは予想不可能でした。ホンマにあぶなかった。ほんまもう少しで、世界最強のPSN部隊を失うところでした、統自一のベッピンさんたちをね」
「もろ『世界友愛クラブ』とその背後にする連中の陰謀だったか」
「まさか国際投機マフィアがあそこまでやるとは、誰も思ってなかったでしょ。
しかし黒幕の奴らがテロリストつこて世界を混乱させるのを、わが政府は黙認してたかも知れまへんな」
「やつらとは、誰かね」
「……さあ、誰やろ。誰かがこの腐りきった世の中、大掃除したろと思てるのは確かみたいやけど。それが誰か…。判ったら、僕かて生きてられへんかも知れへん。
けど情報関係のあいだでささやかれている、陰謀論めいた噂があります。
なんでもこの混沌を増す世界を一度、徹底的に改革したろう言う科学者の秘密結社。そんなんがあるとかないとか。
かつてのワイズメンの後釜か後継者か。よう判らん」
「は、世界制覇の悪の組織かね。たわけらしい。
……ともかくまぁ、大先生には気の毒だったが。これで癌は除去できたがや」
しばらくして田巻はトイレに立った。その帰りに廊下でユニ・コムをつかった。 箱根の東部衛戍病院特別病室へ電話したのである。手術後の容態もよく、真由良は眠っていると言う。
「脳の損傷はほとんどありません。人工頭骨が安定したら培養皮膚を移植します」
「よろしゅうお頼みします。どんなに高価な治療勝て、みぃんな通しますから。
眠れる森の美女。目覚ましのキスはまだ先やな。でも死なせへん。国の損失や」
その頃、スガル部隊の三人は来島のおごりで食事をしていた。イタリア家庭料理だが、さほど高くない。酒豪に近い来島はイタリアワインをラッパ飲みしている。
小夜たちも少しあきれた。
「あの……」
やっと夢見がきいた。
「真由良の入院先は、やっぱり」
「例によって国家最高機密、アルカーナ・マークシマ。でもおそらく箱根双子山山麓の衛戍病院だと思う。我が国、いえ世界有数の医療機関だし」
「まさかあの……闇から闇へってことはその、ないですよね」
「彼女は大丈夫。やっこさん、例によって美少女には弱い。今は信頼していいわ」
と小夜は言う。いつも楽天的な女性だった。そして田巻が密かに自分に憧れていることを、嫌がりつつもうまく利用する。
「田巻の野郎、最近機嫌いいから、多分うまく行ったんだろう。
あとは細胞再生とリハビリがあるとは思うが、ジーンが言ってたようにわが国の医療技術は進んでいるからな。
脳手術でも平均入院期間は一週間、癌で一月だ」
「……こんな力、わたしたちの人生にどんな意味があるのかしら。
わたしたちの力ってしょせん、神さまのきまぐれか悪戯なのかな。それともなにか、別の意味があるのでしょうか。あの……なんていうかその、恐ろしい」
「偶然の産物だろう。遺伝子の非中立的変異が、たまたまその力を生んだんだと思う。遺伝的浮動ランダム・ドリフトの産物。
まさに神様のきまぐれだ。正直わたしには羨ましいな」
「本当に遺伝子のランダム・ドリフトが産んだ一過性の怪物なんですか。
それともその……進化史的に意味があるのか………。ともかくこんな力、欲しくなかったですし、いつでも捨てることも出来るはずです」
「もうよしましょうよ、そんなこと考えるの。わたしはこの力が実は誇らしいのよ。それよりも新入りのために祈るほうがいいわ」
「もうすぐ会えます。きっとその、そんな気がします」
なにかにつけて自分をライバル視していた新入りが、実は夢見に憧れていたことは早くから感じていた。
そして数少ない、同じ力を持つ者として頼っていたことも。
「おいおい二曹、未来まで見えるようになったのか」
「まさか……」
あわててそう答えた夢見だったが、考えると恐ろしかった。しかし確信はあった。あの負けず嫌いな真由良が必ず元気に戻ってくることを。
その時は本当に同志になれることを。
今の夢見には、ただそれだけが楽しみだった。
完
S.G.A.L.2 エルフィン特殊機密指令 Das besondere geheime Befehl Elf-In. 小松多聞 @gefreiter
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます