星空にわがままを

 二通目の手紙を読み終わったとき、貴人の心は既に決まっていた。

 もうすっかり夜更けである。窓の下には、言葉通り首切り男がこちらを見上げながらじっと待っていた。ああ、なんて真っ直ぐな人なのだろう。自分が同意すれば、本当にどんなところへも連れていってくれるのだろう。それを思うと、貴人の胸は温かくなると同時にきゅうと痛んだ。

 ぼくはどれほど優しい人と友達になれたのだろう。

 首切り男の提案を叶えられたらどれほど楽しいだろう。この塔の外にある色んなものを見に行きたい。春のお祭りだとか、初夏の長雨だとか、町の市場に飛ぶすずめだとか、あるいはそれよりももっと素敵なものがあるに違いないのだ。

 けれど――――

 貴人は意を決してペンを握った。貴人には既に、それよりも大切な夢があるのだ。それを捨てるわけにはいかない。こればかりは誰になんと言われようと曲げることはできないのだ。

 きっと、あの人ならばわかってくれる。そう信じて、新しい羊皮紙に文字を走らせていった。



 あなたという人は、いったいどれほどすてきな人なのでしょう。

 ぼくも、あなたと文を交わすたび、心が躍り、胸が高鳴ります。

 ぼくにとってもあなたのことは、何よりかけがえのない存在です。もしもあなたがいなくなってしまったらと思うと、それだけで胸が張り裂けそうになります。きっと世界から光がすべて失われたかのように、生きる望みを失ってしまうでしょう。

 ぼくがあなたにどれほど残酷なことを望んでいるかくらいはわかっています。

 けれど、これはほんとうの望みなのです。あなたや他の人にはおかしく映るでしょう。本心からそんなことを望んでいるはずがないと、強がりを言っているか、気が触れてしまっているかと思っておられるのでしょうね。それでも、ぼくはこの願いを曲げるつもりはありません。もうずっと以前から心に決めていたことなのですから。

 かつて王宮をひとりで抜け出して、初めて街を見たときに、人々がみんな辛そうな顔をしていたのが忘れられません。あの頃の平民は、貴族や、ぼく達王族のせいで苦しんでいたのでしょう。だから革命が起きたのですよね? 革命からしばらく、この国は乱れたと聞きましたが、それでも最近は昔よりずっと落ち着いてきたはずです。少なくとも、重税のせいで今晩のパンにもありつけない人や、枯れた畑を必死で耕さなければ生きていけない人はずいぶん減ったはずなのです。

 ぼくのお父さまは、よくこう言っていました。「民あっての王であり、国のための王なのだ」と。王族というものは、本来何よりも国や民の為に尽くすためにいるのです。国のため、民のために東奔西走するお父さまはとても大変そうでしたが、ぼくにとっては憧れの人でした。お父さまと同じく、民を幸せにする王になるのが、ぼくの昔の夢でした。

 ぼくが民のためにできることはなんでしょうか?

 もしもぼくが処刑を免れて、どこかで生き永らえるとしたら、きっと不安になる民がいるはずです。ぼくがいずれ力をつけて王制を復古しようとし、国に再び内乱が起こると思うでしょう。ぼくの意思にかかわらず、不安に駆られた人々は何をするでしょうか? ぼくを助けようとするでしょうか。あるいは抹殺し、真の共和を取り戻そうとするでしょうか。

 問題なのは、ぼくがそんなことに耐えられないということです。

 ぼくにも誇りというものがあります。いかな立場にあろうと、天の御主に誓って、正直で善く生きようとしていました。それが、ぼく自身は幸福になれたとして、その代償として多くの人を不幸にしてしまったら、そんな罪深い生を生きていくことなんてできません。今は囚人で、名も無き貴人であろうと、ぼくはかつて王の息子であり、今も天にまします父の子なのです。そんな自分に恥じない生き方をしたいのです。

 ぼくが死んだあと、この国は民が民のために尽くす国になるでしょう。飢えや渇きに苦しんだ民はもういなくなります。街ではいつでもお祭りのときのように、笑顔の人々が行きかうことでしょう。そんな光景を思い浮かべるだけでぼくの胸がいっぱいになります。それを作ることこそがぼくのまっとうすべき使命だと思うのです。

 あなたにはほんとうに、辛い目に遭わせてしまいます。そればかりは、なんという風にお詫びをしたらいいかわかりません。それこそ、あなたの言う方法でもって償えたらいいのですが、それもできないでしょう。だから、あなたの心が変わってくれることを信じて、こうして文を綴ります。

 あなたがぼくを殺すのは、それがあなたの仕事だからではなく、ぼくがそう望んだからだと思ってください。あなたとぼくは処刑人と囚人ですが、友達同士でもあります。ぼくが友情を望み、あなたにこの仕事を託したと思ってもらうことはできないでしょうか? だって、友情は死では失われません。ぼくとあなたの友情は、あなたがぼくを覚えてくれる限り、ずっと続くはずです。

 ぼくが死んでも、ぼくが失われるわけではありません。なぜなら、ぼくは死ぬときまで――いいえ、死してなお、あなたと友達だからです。この身が天の国に辿り着いても、あなたのことを尊敬し続けるでしょう。それはあなたも同じなのではありませんか? 姿がなくなり、手紙を交わすことはできなくなっても、それで寂しがることはありません。あなたがぼくと同じなら、目を閉じて、自分の心の中を覗き込めば、いつでも友達がそこにいるのだから。

 どうか、ぼくの首を刎ねてください。

 どうかあなたの友情で、ぼくの願いを助けてください。あなたの刃であれば苦しむことなく、ぼくは天に召されることができるでしょう。ほんとうにそれこそが、ぼくの最後の望みなのです。

 これが、ぼくの気持ちのすべてです。どうかあなたが友情によって、ぼくのわがままを聞いてくださいますように。

 あなたの友達より




 はは、と――首切り男は読み終わったあと、息とも声ともつかぬ音を小さく吐き出した。手紙から顔を上げると、インクを垂らしたような黒天に、飛沫に似た無数の光が瞬いている。こちらを見下ろす貴人の顔をも、星の光の一つであるように見えた。

「おまえは、なんてひどいやつだ」

 星明かりを頼りに返信を記す。

「おまえのようなやつと友達でいられるのは、世界中を探してもおれくらいのものだぞ」

「そうです。知りませんか?」

 まもなく、貴人からも返事が来る。

「王族は何より残酷で悪辣なものなのです。処刑人と肩を並べるくらいに」

 お互いの手紙を読み、聞き慣れた冗談に笑いあう。まったく、あんなことを言われたら仕方がない。わがままの一つも聞けず、何が友達だというのか。

 それからふたりはしばらくそんなくだらない皮肉や冗談を交わし続けた。夜が明けるまでの短い時間は、まるで永遠の最中にいるようだった。

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