信じて返す

 山羊面の男の足取りは、その日もずっしりと重くなった。

 もう首切り男とは顔を合わせたくない。彼の不信は日に日に大きくなって、最早知らぬ存ぜぬでは通らなくなってしまった。次に会ったとき、またあんな風に怒鳴りつけられたら、今度こそ秘密を口走ってしまうかもしれない。

 しかし、今日は貴人の手紙を届けねばならぬのだ。

「ああ、せめてあと一日、あの男と会うのを先延ばしに出来たなら」

 彼の願いが聞き遂げられたのか、その日首切り男の家は無人だった。堅く閉ざされ、しっかり鍵のかけられた扉に、ナイフで紙片が刺し留められている。知り合いに宛てた書きつけか? いや、ここは誰もが避ける処刑人の家、彼には貴人以外に親しい友人はいないはずだ。胸騒ぎを感じた山羊男はそれを読んでみることにした。

「な……!」

 それは首切り男から山羊男に宛てた手紙だった。伝言だけを書き留めた、置き手紙ならぬ刺し手紙である。その内容に、山羊男は驚きのあまりその場に座り込みそうになった。


 ――お前が答えられんというのなら、本人に聞きに行く。


 たったそれだけである。それだけのことが、貴人にとってどれだけ命取りであることか。

「まずい……早く止めなければ!」

 北西の大監獄に向かったことは間違いない。首都のはずれだ、ここからでは馬を急がせても一時間はかかる。そろそろ正午、首切り男が朝から出かけたとすればとうに着いてしまっているか。とにかく一刻も早く首切り男に追いつかねば。監獄で騒ぎでも起こされて、それで世間に貴人のことが知られてしまったら。

 来た時の足の重さが嘘のように、山羊男は脇目も振らず首切り男の後を追った。




「最上階の独房に行きたいのだ」

「許可状はお持ちですか? 首相の許可がなければお連れすることはできません」

「持っていないが」

「でしたら、お引き取りください」

「どうしてもだめなのか」

「お引き取りください」

「おれは処刑人だぞ」

「……お、お引き取りください」

 門前払いである。

 どの道鍵が必要になるのだからと馬鹿正直に言ってしまったのがまずかった。今更力ずくで押し通ろうにも、首切り男の不審さに怪しみ警備が強められてしまっている。そも、自分は牢破りがしたいわけではない。貴人と会って話がしたいだけなのだ。それだけの為に国に刃を向ける真似をするわけにもいくまい。

 とにもかくにも、一度門から離れる。警備兵の目を気にしつつ、どこかから忍び込めはしないかと塀を沿って監獄の周囲をゆっくり回る。貴人の独房はあの五階建ての塔の最上階だろうか。しばらく歩いていると、ちょうどその塔の窓の真下の位置に来ることができた。鉄格子こそ嵌っているが、窓は開いている。首切り男は一縷の望みにかけ、その窓に向かって叫んでみた。

「おおい! 聞こえるか!」

 何度か試してみたが、返事はない。聞こえなかったのか。首切り男は近くに落ちていた小石を拾い集め、窓へ投げつけた。五回ほど投げたところで石が窓に届き、格子や枠にぶつかって物音を立てた。

「なに? だあれ?」

 風に紛れてそんな声がした。首切り男は持ってきた羊皮紙を広げ、その場で大急ぎで書いた手紙を石にくくりつけて窓に向かって投げた。手紙は見事格子を潜り抜け、独房の中へ落ちていった。


 ――おれはおまえの友達だ。今日は、おまえに会いに来たのだ。


 手紙を読んだか、少しして窓に人影が現れた。なんと、頭に布の被り物をしていて、素顔どころか髪の色すらわからない。なのに不思議と目が合い、ああ、この人こそが友達なのだと確信できた。

「あなたは――――」

 貴人も確信したらしく、こちらに向かって何か言う。しかし、風が彼の声を途中でかき消してしまう。彼もそれに気づき、部屋の中に引っ込んだ。しばらく待っていると、たった今書いたらしい手紙を首切り男が投げた石にくくり付けて投げ落としてきた。


 ――こんにちは、ぼくの友達! まさか、直接会える日が来るなんて! 嬉しくて、天に舞い上がってしまいそうです!


 ――おれもうれしい。一度、こうして話したかったのだ。まさかこんなふうにやりとりせねばならんとは思わなかったが。


 首切り男も早速返信を書き、窓へと投げ渡す。わくわくした様子で待つ貴人に石が当たりはしないかと内心肝が冷えた。


 ――この間は、おまえのおじさまをひどくどなってしまってわるかった。実は今日も、その話でおまえをたずねたのだ。おまえにとっていやな、さけたい話であるのはわかっている、だが、このまま知らないでいたら、おれはきっとおまえとは友達でいられなくなる。

   おまえたちがかくすひみつとはなんなのだ? それは、おれにも言えぬ話か。


 ――おじさまのお仕事をお知りになったのですね。あまり、おじさまを責めないであげてください。おじさまはぼくの為に、とても頑張ってくださるのです。

   ぼく達のことが信じられない気持ちはわかります。ぼくもできることなら明かしたいのです。友達に隠し事をすることがどれだけ心苦しいことか。だけれど、言えないのです。秘密にすることが、あなたの為になることなのです。


 ――おまえの正体を知ることがそれほど大ごとなのか? おれはこの国いちばんのおそれ知らずなのだぞ。国王へいかや王妃でんかをころしたのはだれだ。たとえおまえがであったとしても、おれはしっかり首をはねてやるぞ。


 ――さすが、この国を支え続けた誰より貴い人。ですが、そうではないのです。たとえあなたが気にしなくても、他の人はどうでしょうか。うっかり小耳に挟んだ人が、怒り、悲しみ、あなたに八つ当たりをしたりはしないか。それがぼくの心配なのです。


 ――ほかのやつにもらされるのがいやなのか? 友達だぞ、ひみつをみだりにふれまわったりするものか。おまえがのぞむならはかばにまでもっていくとも。この場で舌を切り、おまえにさしだしてもいいのだ。


 ――どうして。


 貴人の手紙はそこで止まった。窓を見上げると、途方に暮れたように貴人もこちらを見下ろしていた。雨も降っていないのに、水滴がぽたぽたと降ってくる。

「おまえがおれをだと呼んだのだぞ!」

 精一杯声を張り上げ、首切り男は叫ぶ。

「おれだって嬉しかったのだ! 花とか、鳥の羽根とか、そんなものでは足りないくらいにおまえの言葉が幸せなのだ! おまえのことが知りたい! おまえを信じたいのだ! それとも、おまえはおれのことを信じてはくれないのか!? おれに友情を託してはくれないのか!」

 慌ただしい足音が聞こえてくる。すわ警備兵か、と思いきや、その姿は山羊面の男である。仮面越しにもわかるくらい慌てふためいていた。

「見つけたぞ……! もう余計なことはやめてくれ! よせと言っているんだ!」

「おい、こら!」

 こちらが何も言わないうちに掴みかかってくる。押し問答しているうちに、どさ、と上から石がくくりつけられた手紙が降ってきた。貴人の返信だ。山羊男を押しきり、手紙を開く。それに気づいた山羊男が悲痛な声を上げた。

「おまえ、なんだそれは……!」

「静かにしていろ!」

 「どうかこのことは絶対に、誰にも明かさないでください。あなたならばきっと、守ってくれると信じています」と念を押した前書き。奪い取ろうとしてくる山羊男を抑え込みながら、首切り男は貴人の告白を読んだ。




 ――ぼくが次の春に死刑に処されるのは、その日ぼくが成年の十五歳になるからなのです。

   ぼくが成年になったとき、王位の継承権が与えられる法がかつて存在したのです。罪状は、だから、内乱罪とか、反逆罪とかになるのでしょう。

   ぼくは、七年前にあなたが処刑した、国王陛下と王妃殿下の実の息子であるのです。

   これが、ぼくの罪のすべてです。

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