ほんとうを教えて

 貴人はいつにないほど悩んでいた。首切り男への返信を、どう書いたらいいかわからない。

 あの人は貴人の正体が気になるという。しかしそれを明かすことは禁じられている。自分の顔と名前、これまでの経歴すべてを隠し、他人には決して明かさないこと――それが貴人が生きるための唯一の道なのだと、山羊面の男からよく言い聞かされている。所詮それも、次の春までの話なのだが。

「どうせ、ぼくがあの人に殺されることは決まっているのだもの」

 首切り男は友達だ。友達に対して隠しごとをするのはいけないことなのではないか。きっと首切り男も騙されているように思って傷ついているだろう。本当の友達なら、きっと心の内を明かしあうに違いないのだ。

 やはり、本当のことを伝えてしまおうか――


 「どうか、どうか誰にも言ってはなりませんよ。真実が明らかになれば、あなたも、それを知った者も不幸になってしまいます。あなただけではないのです。きっと、多くの民が傷つくことになるでしょう――」


 決意しかけた貴人の胸に、ふいに以前言われた山羊男の言葉が蘇った。多くの民――その中には首切り男も含まれているのだろうか。貴人の正体を知れば、知らされずにいたときよりも傷ついてしまうのか。昔は理解できなかった言いつけも、今では意味がはっきりわかる。山羊男の言う通り、きっと大変なことになってしまうだろう。

「お父さま、お母さま……ぼくはどうしたらいいのですか?」

 教えずに傷つけ続けるのが良いのか、教えてもっとひどく悲しませる方を選ぶべきなのか。どちらを選べばいいのだろう。どうすれば、友達のためになるのだろう。そんな迷いが、常ならばすらすらと書ける手紙の手を止めているのだ。

 白紙のままの羊皮紙を、西日が緋色に染めあげた。




 あれから翌日。首切り男に呼びつけられ、山羊男が再び彼の家へ訪れた。

「………………」

 無言である。怒りからくる閉口か、怯えて言葉が出ないのか、仮面の上からでは判別できない。埒が明かぬと感じた首切り男は手振りしながら言った。

「仮面を外せ」

「………………」

「どうした。貴人はともかく、おまえの正体はわかっているのだぞ」

 ややして、山羊男が仮面を脱ぐ。やはりその顔は、昨日訪れた役人のそれである。しかしその表情は怒りとも怯えとも違い、悩み、苦しんでいるように見えた。

「今日の用件は、言わなくてもわかっているだろうな。……政府の役人が、どうしてこんなことを」

「あなたには、関係ない」

 山羊面のときの慇懃な口調とも、役人としての横柄な物言いとも違う、年相応の若者らしい口の利き方だった。首切り男は初めて彼の本当の姿に近づけた気がした。

「無関係なものか。おれこそ一番の関係者だろう。政府の人間であるおまえが主のように敬う、『おれの友達』は何者なのだ」

「………………」

「そも、あいつは貴族ではないのか。役人が貴族贔屓をしているなんて知れたら大ごとだ。おれが何人、おまえさんのお仲間の首を切ったと思っている?」

 反逆ととられても不思議はあるまい。山羊男の行動は役人としてはあまりに不可解な、ありえないものだ。元召使いがこっそりやっていることであればまだしも、政府に属する人間がやっていいことではあるまい。処刑人と囚人に文通をさせるということは、本来そういうことのはずだ。

「言え、おまえの目的を、真実を。さもなければおれも動かねばならん」

「政府に伝えるつもりか。そんなことをしてみろ、あのお方の身に何が起こると……」

「言えと言っているのだ! あのお方とは、貴人とは何者なのだ! 何故隠す!? おまえ達は何を隠している!」

 のらりくらりと言葉を濁す山羊男に耐えかね、声を荒げる。大体おかしな話だ。いくら高貴な生まれとはいえ、囚人となって首を切られる定めにあるのに今更素性を隠す必要があるのか。名誉か? 意地か? いや、そんなもの貴人からは感じられない。その意味不明さが不気味な居心地の悪さとなり、首切り男の足元をぐらぐら揺らしている。

「教えてくれ……! おれとあいつは友達ではないのか! どうして隠しごとをする……!」

「……言えない」

 やがてぽつりと山羊男が呟く。感情を抑えているのか、声が掠れている。

「言うわけにはいかないのだ。そうしなければあのお方を守れない」

「守るだと? 何を言っている、あいつは――おれが殺すのではないか」

「おまえに何がわかる!」

 突如山羊男が激昂した。その目には涙が浮かんでいる。ぎょっとする首切り男をよそに、彼は堰を切ったようにまくし立てた。

「あの方が死んでいいものか! あの方は、本来殺される理由などない! 真実無実だ、あんな牢から出て、自由に生きるべき方なのだ! なのに……何故死なねばならない!? どうして『首を切られるのが幸せだ』などと言わせなければならないのだ……!」

「おまえ――」

「どうかあの方を殺さないでくれと、何度おまえに頼もうと思ったか! どんな手段を使ってでも判決を覆そうとした! できない、何をしてもあの方の運命を変えることはできなかった! 次の春には殺されてしまうのだ! おまえに――――」

 そこまで言って我に返ったか、山羊男は濡れた顔を手で乱暴に拭った。取り繕おうとするかのように、歪んだ笑みを浮かべている。

「――いや、が殺すのか」

「どういう意味だ」

 山羊男は答えず、真実を隠そうとするように再び仮面を被った。ほんの少し厚いだけの布皮一枚で、二人の距離は隔てられる。

「頼む、もう聞かないでくれ。あのお方の命が尽きるまで、決して明かしてはいけない秘密なのだ。あの方の友達でいてくれるというのなら――もう、これ以上の詮索はするな。それがお互いのためなのだ」

「待て、せめて理由を――」

「聞くなッ!」

 首切り男の制止を振り払い、山羊男は足早に逃げ去った。あまりに身勝手な言い分に、首切り男はその後ろ姿に向かって叫ぶ。

「なんだというのだ!」

 無論、その問いには誰も答えてはくれなかった。

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