炎天下に乞う

「読み書きを教えてくれ」

 いよいよ太陽がその力を増し、地上がうだるような暑さで包まれるようになった夏の日。突然そんなことを言いだした首切り男に山羊面の男は暑さも忘れて面食らった。

「なんですって?」

「何もあるか。読み書きのしかたを教えてくれと言っている」

 どうして、いきなり。読み書きができないという首切り男のために山羊男は不満ながらも精一杯代読、代筆業を務めてきた。貴人の言葉が正しく伝わるように心を込めて呼んだし、首切り男のぶっきらぼうな言葉も、自分の首が飛ばされる覚悟でありのままに書いた。何がいけなかったというのだろう。

「おまえもいいかげん、うんざりしているだろう。毎週何度もおれの家に来て、手紙を書いたり読んだり、大変なんじゃないのか」

「それは、そうですが」

「最近は特に疲れているように見えるぞ。手紙を読むたび、へとへとになっているだろう」

 山羊男ははっと顔をおさえた、いつも通り、自分の顔はしっかり山羊の仮面で隠されている。自分がどんな顔で貴人と首切り男の手紙を読み書きしているかなどわかるはずがない。

「いちいちおまえに読んでもらわなければならんのもしち面倒だ。それに、友達との手紙を、自分の筆で書けないのは、やっぱりおかしいんじゃないか」

「しかし、なぜわたしに?」

「ほかにあてもない。おまえをもっと忙しくさせるのはわかっている。できないというなら、無理強いはしないが」

 首切り男が自分で読み書きできるようになればそれ以上のことはないだろう。自分も貴人の私信を読む不敬を犯さなくても良くなるわけだし、断る理由は本来ないはずだった。

 だのに、首切り男のなんだか思いつめた表情から胸騒ぎを覚えるのはどうしてなのか。

「どうだ、頼まれてくれるか」

「え、ええ、はい。できる限り協力しましょうとも。教材も取り寄せておきましょう」

「そうか」

 頷いた途端、明るくなる首切り男の顔に、やはり考えすぎかと杞憂を振り払う。それ以来、手紙のやりとりと並行して、首切り男への識字授業が始まったのである。



 こんにちは、おれの友達。

 夏だな。毎日日差しが強い。おれの仕事は相変わらず減らないが、こうも暑いとおれが首を切らずとも外に放り出しておけば勝手に死ぬんじゃないかと思ってしまう。おれの代では方法すら伝わっていないが、実際そういうやり方もあったらしいな。

 おれがわざわざ首を切らずとも、人間なんて勝手に死ぬんだ。

 おまえも窓を覗くのは良いが、あんまり太陽を見すぎて目を焼かれるなよ。この暑さで監獄の中が蒸して、おれが殺す前におまえが死んでしまわないか心配だ。

 最近、おまえのおじさまから読み書きのしかたを習っている。次の春までに間に合うかはわからんが、ちゃんと自分の字でおまえに手紙を書きたいし、おまえの手紙を自分で読めるようになりたいのだ。おじさまの調子はずれの声でおまえの言葉を聞かされるのもうんざりだしな。

 次の返信の時までには、少しはおまえの手紙が読めるように、bとdの区別がつくようにしておくよ。

 おまえの友達より




 こんにちは、ぼくの友達。

 本当に暑いですね。ぼくの独房はあまり日が入らないので、そこまで暑くはないのですが、山羊のおじさまが汗だくになって来てくれるたびに外の暑さを思い知ります。

 あなたも、お仕事が大変でしょう。どうか気を付けて、日差しで目を回さないようにしてください。処刑人の人が罪人より倒れてしまったら、笑い話にもなりません。ぼくもあなたに首を切ってほしいのです。

 読み書きのことはおじさまからも聞きました。とても良い考えだと思います。おじさまにも大変な思いをさせてしまっているし、あなたと直接手紙のやりとりができたらなんて素敵なのでしょう。ぼくも何か協力できたらいいのですが。

 あなたの直筆の手紙が読める日が早く来るように祈っています。

 あなたの友達より




「嘆願書を書こうと思っているのだ」

 首切り男に文字の書き方を教える最中、ふと彼がそんなことを漏らした。

「なんですって?」

「おまえは何、何ばかりだな。だから、お上に嘆願書を書くのだ。首切り男をやめさせてもらう」

 山羊男はいよいよ驚き、握っていたペンを取り落としそうになった。

「どういうことですか!」

「ああ、おまえの主人はちゃんと処刑する。おいとまを貰うのはそのあとだ」

 首切り男の表情は憑物が落ちたようにすっきりしていた。迷いも悔いも感じさせない様子にますます解せない。

「どうして……」

「さあな。おれ自身、よくわからんのだ。ただ、おれが首切り男を続けなくとも、なんとかなるんじゃないかと思ったのだ」

「そのあと、どうするのです?」

 「首切りの仕事以外をしたことがない」と再三言っていたのを思い出し、訊ねる。この仕事を辞めたら彼に稼ぎのあてなどないはずだ。

「どうにかなるだろう。できなかったらそこらで野垂れ死ぬだけだ。人殺しにはふさわしい末路だろう」

「そんな」

「おまえの主人の首はおれが刎ねる。心配するな」

 それだけ言うと首切り男は黙り込み、書き取りの練習を再開した、大文字のIと小文字のlの区別がつかず、難航しているようだった。

 まるで今更日差しに頭を焼かれたように、山羊男は眩暈でふらついた。

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