文通の条件

 約束通り、山羊男は三日後再び首切り男の家を訪れた。

「返信は書き上がりましたでしょうか?」

 相変わらず山羊の面を被り顔を隠している。とはいえ首切り男もつい先程帰ってきたばかりで、結局今日も仮面を外し損ねてしまった。

 一年後、自分が処刑するという死刑囚との文通――あまりに奇妙奇天烈な話で、三日経った今でもまるで飲み込み切れていないのだが、一旦は引き受けてみることにした。まさか首切り男を詐欺に掛けようという悪党はいなかろうし、手紙のやり取りごときで今更何を失うものか。親父はとうの昔に死んでいるし、兄弟もいない。いい歳をして伴侶もいなければ跡を継がせる子もいない。まして、友人などもいるはずもない。首切り男の身の上は天涯孤独に等しかった。

「早速ですが、出してはいただけないでしょうか」

「できん」

 しかし、山羊男の要求には首を振らざるを得なかった。

「返信は出せん。まだ書いていないのだ」

「何故?」

 いぶかしむ山羊男に、首切り男は恥ずかしさと彼に対する呆れの入り混じった溜め息をついた。

「おれは読み書きというものができんのだ」

「なんですって」

 想像もしていなかった答えなのだろう、山羊男はうろたえたように声を裏返らせた。

「貴族や資産家連中ブルジョワジーはどうだか知らんが、おれ達下々の民草はふつう、文字なんて縁のない暮らしをしているのだ。手紙の内容もさっぱりわからんし、返信も書けん。そんなことも考えないでおれに依頼したのか」

「し、しかし……あなただって死刑囚の罪状を読まねば刑を執り行えない決まりになっているはずだ」

「なんの為に判事がいる。あれらはおれの代わりに罪状を読み上げに来ているのだ」

「学校には通われなかったのですか! あなたがた一族は王制の時代から高い給金を貰っていたはず! 読み書きを教える場にくらい通えますでしょう!」

「そうだ。おれの親父もその親父も、先祖代々首切り男だ」

 本当に、この山羊面の男はというものを一切知らないのだ。どれほど驚いているのか、仮面越しにも表情を見透かせそうなくらい動揺し、声を震わせている。

「いずれ首切り男になる子供と一緒に学びたい、ものを教えたい、そんな輩がどこにいるというのだ。神父も家庭教師もおっかながって、三日も教えないうちに逃げていく」

 山羊男はしばらく沈黙していた。いけすかないブルジョワ野郎を黙らせてやった、という爽快さと同時に、もの知らずの若造をいじめてしまった罪悪感に襲われる。山羊男がなかなか口を開かないので、気まずさばかりが大きくなっていく。

「どうだ、おれは文通相手にはまったくふさわしくないだろう」

 仕方がないので首切り男から話を再開させた。

「その貴人とやらも、おれ以外にもっと良い相手がいるんじゃないのか。わざわざ学のない処刑人を選ぶ道理はあるまい」

「いいえ、あなたしかいないのです」

 先程までの威勢はどこへやら、消え入るような声だった。

「あの方はあなたをご指名されたのです。あなた以外、あてなどありません」

 難儀な話である。きっとその貴人も、首切り男に負けず劣らず友がいないのだろうと思われた。山羊男の声はいかにも切羽詰まっていて、詐欺や『かつぎ』の類ではないのは最早明白だった。

「申し訳ありません、浅はかでした。わたし達はあなたの事情というのをまるで考えていなかった。我々の常識と、あなたの暮らしでの当たり前が同じはずはないのに」

「どうしたいんだ、おまえさんは」

 みるみるうちに小さくしょげていく山羊男が少し可哀想になってきて、なるたけ柔らかに声をかける。

「このまま返信を持たずに貴人のもとにとんぼ返り、とはいかんのだろう」

「……この文通は、あのお方が生涯で唯一、初めて御自おんみずから望まれたことなのです。死の運命を受け入れる代わりに求めた、たったひとつの交換条件なのです」

「ずいぶん、無欲な貴族だったのだな」

「わたしは、あのお方に何も差し上げることができなかった。あのお方に尽くし、全てを捧げることがわたしの定めであったのに……あのお方は何も望まなかった。奪われるだけの人生を受け入れていたのです」

 ようやく山羊男の素顔が垣間見れた気がした。貴人とやらに仕える身なのだ。それも芯まで主人あるじに心酔している。しかし、その忠信は今のところ全然報われていないらしい。

「最期の願いすら叶わぬと知ったら、あのお方は……」

「待て、待て。誰も断るとは言っていない」

 今にも川に身を投げ出しに走りそうな山羊男を慌てて止める。罪人でもない人間を殺す趣味はない。首切り男は結局、彼にほだされてしまったのである。

「おれには手紙が読めんし、返信も書けんと言っただけだ。それがなんとかなるならば、引き受けても構わん」

「本当ですか!」

 一方の山羊男も自分に心を開きかけているらしい。大げさに聞こえるくらい声に抑揚がつき、距離も少し近づいている。

「し、しかしいかがしたものでしょう。今からあなたに読み書きを覚えていただくにはあまりに時間がない」

「では、他の奴が手紙を書き、返信を読めばいい」

 首切り男の答えに山羊男はきょとんと動きを止めた。意味が伝わらなかったか。首切り男は山羊男に指をさしながら再び言った。

「処刑の時の判事と同じだ。おまえが手紙の内容を読み上げ、おれが考えた返信を文字にして書けばいい」

「そ、そんな――――恐れ多い!」

 彼は首切り男も思わず驚くほどの大声をあげた。

「わたしにあのお方の手紙を盗み読めというのか! 貴人の私信を許可もなく! それは冒涜だ、裏切りだ! そんなことはできない!」

「ではおまえはなんとする!」

 首切り男も負けじと声を張り上げる。

「このままおめおめと帰って主人を落胆させたいか! 子供の使いもこなせない、能無しのしもべと見限られるだろうな! その理由が自分の保身となればなおのこと、情けなさに呆れ果てるだろうよ!」

「し、しかし――それでもやってはいけないことは――」

「そも、手紙とは受け取り手が読まねば成り立たんものだろうが! 受け取り手のおれが良いと言っているのだ、おまえは二つ返事で手紙を読めばいい!」

 子供の時分でも言わなかったような屁理屈である。しかし山羊男は怒声に気圧され、すっかり丸め込まれてしまった。ごくり、と唾を飲み込んだ音が聴こえた。

「おまえの立場と、主人の願い。おまえはどちらを選ぶ」

「……あのお方の運命に比べれば、わたしの首など」

 長考と溜め息のあと、山羊男は意を決して首切り男の傍に寄る。彼が差し出した封筒を受け取ると、慎重さと怯えを感じさせる手つきで丁寧に封蠟を剥がした。

 すうっと息を吸い込み、山羊男は朗々とした声で手紙の内容を読み始めた。

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