本編・後編
「じゃあ詩仙、貴堂くん。作戦の理解はおっけー?」
あれから二〇時間で、僕たちはできる限りの準備をした。富嶽撃墜作戦と、それに必要な物資を。
いや、実際に準備をしたのは作戦を立案した一華院さんと、必要なものをすべて揃えた弐条さんで、僕は彼女らが十分に動けるように料理を作ってお風呂を準備して洗濯していただけだけど。あと作戦終了後には、弐条さんに白衣と色移りする柄物を洗濯前に分けといてもらうようお願いしなくちゃいけない。
「問題ありませんわ」
戦闘指揮用のインカムを付けた一華院さんが応じる。
「現状で一番勝ち目がある作戦を立案いたしました。あとは、出たとこ勝負ですわね」
一華院さんが、意味ありげな視線を僕に寄越す。
「…………」
対する僕は、一華院さんの正気を疑っていた。
素人の僕の手には、非致死性の拳銃型スタンガン――テーザー銃を持たされている。
「お守り代わりだよ。さすがに実弾は持たせられないけど、それっぽいのがあるだけで心の支えになるでしょ?」
そう笑う弐条さんは九ミリのパラベラム弾をマガジンに装填し、ハンドガンのグリップへスムーズに挿入。そのまま銃の上部を掴み力強く引いて、薬室に弾丸を送り込む。
「こんなモノではたかが知れてるのでしょうけれど、ないよりはマシですわ」
弐条さんの奥では、一華院さんがアサルトライフルの湾曲したマガジンに細長い弾丸を装填していた。仏頂面でそのままマガジンを本体に叩き込み、コッキングレバーを引いて初段装填を行う。
ふたりとも素人とは思えないスムーズさで戦闘準備を整えていく。
「許可が降りましたわ。第一
一華院さんの伝令と共に、僕の手元のテーザー銃から電子音が鳴り、金属の留め金が外れるような音がした。それまで固定されていた引き金が、自由に動くようになる。
「よーし、スタートラインにはとりあえず立てた! あとは天のみぞ知る!」
そんな中、壁面のプロジェクタスクリーンに映し出されている富嶽が、白い尾を引く何かを発射した。それがミサイルであることを理解するよりも早く、爆発による振動と耳障りな低音に身体が揺さぶられた。天井の明かりの一部が明滅する。
「早速! きたよきたよ、攻撃が!」
「ひええええええ! に、弐条さん! こ、ここって大丈夫なんですか!」
「こんなこともあろうかと、地下施設は複数の防御フィールド&シェルターで守ってるから大丈夫! 確認、複数のミサイルが着弾! 被害状況は軽微!」
手近なテーブルを掴んで倒れないよう姿勢を保っていた弐条さんが、威勢よく現状分析をし始める。壁際の隅で城のように積まれた各種制御基盤をチェックし、複数のキーボードと複数のディスプレイを使い始める。
滝のような打鍵音を鳴らす合間に弐条さんは一つのコントローラを手に取って、僕へ放る。家庭用ゲーム機のコントローラーだった。
「はいそれ! ゲームで遊んだことある? フライトシミュレータとかFPSとかガンシューティングとか!」
僕が答えると、弐条さんは頷く。彼女に指定されたパイプ椅子に座った。目の前のディスプレイには暗い格納庫の映像が映し出されている。
「よし、じゃあ敵に当たるよう操作してね! 加減速はある程度効くけど基本はオートで問題なし! 右トリガーで発射!」
操作を一通り説明し終わると、弐条さんは右手を僕の手に重ねる。
その指の柔らかさを感じる間もなく、右手人差し指のトリガーボタンを強く押し込んだ。
すると、僕の見ているディスプレイが急に明るい映像を映し出す。格納庫のミサイルポッドから発射された弾丸が、真っ白い爆炎を抜けたのだ。映像がビリビリ振るえていることから察するに、飛翔体の内蔵カメラからの映像らしい。
「相手にぶち当たるつもりで飛んでね! ぶち当たる前に信管が起動するようになってるから」
僕の右耳に、弐条さんの息がかかる。
くすぐったさと生暖かさで、僕はコントローラの操作を一瞬誤ってしまう。
「ちょちょ! 貴堂くん、何やってんの!」
慌てた弐条さんが、右手だけでなく、左手まで僕の手にかぶせてくる。そのままコントローラの操作で飛翔体の軌道修正を行う。弐条さんに背後から抱きすくめられた僕は、背中に柔らかい感触が当たり続ける。顔のすぐ右から、弐条さんの声と熱を感じる。彼女の髪が僕の首筋に落ちて、ゾクゾクする感覚が、僕の背筋を這い上ってきた。
それを、なんとかねじ伏せて、僕は体温が上がってくるのを感じながら操作に集中するよう力を籠める。意識をねじ伏せるため、僕は声を張り上げた。
「こ、こういうのって良いんですか! 高校生がやっちゃっても!」
「大丈夫! ここでしか使えないようになってるから、むしろレアな経験だよ! あ、社外秘だから喋ったら色々怖い目に遭わされるんでそこだけよろしく!」
「いま言うべきですか、その情報!」
頭が心臓の拍動で打ち鳴らされながらも、僕はコントローラの左スティックで微調整を繰り返し続ける。画面に新たに出現する、赤いマークとロックオン表示。
ロックオンされたことに気づいた画面内の富嶽が急加速・急旋回での脱出を図るが、もう間に合わない。ディスプレイの画面が爆炎で埋め尽くされ、映像が途切れた。
僕が壁面のプロジェクタスクリーンの方に視線を向けると、富嶽の周辺に無数の金属片と電気が走っているのが見えた。
「おーし、初段命中! 次弾もバシバシいこー!」
「電磁パルス攻撃――ですか」
古都上空。
貴堂らの放ったミサイルは、熱衝撃での直接的な破壊でなく、電子装備の麻痺を主目的としたEMP――電磁パルスミサイルだった。富嶽は健在しているように見えるが、その実、機体内部のダメージは甚大だった。
「あのドクター・サイモンの系譜だけあります」
わたしは左脚部に装着していたミサイルを全弾一斉に発射し、背面にマウントしていたウェポンポッドを切り離した。パージされ自由落下を始めたポッドは、しかし地面に落下するより先に派手な爆発を起こして、多数の破片に分解された。
「機体の内部回路の損傷は軽微。ただし背面爆撃兵装を破棄、電子兵装の七割が麻痺……やってくれましたね」
富嶽は熱源探知やレーダーなど、不要になった機能を次々とオフにしていく。
脚部エンジンの調子を確かめる富嶽。回路が一部焼き切れているが、補助用回路の併用で未だ戦闘継続は可能と判断する。
わたしはひと通り
わたしのウェポンポッドは戦闘中に交換できるよう、空中での換装が行えるよう開発されていたが――どうやら、先ほどの攻撃でこちらの兵装庫の受信機が破壊されてしまったらしい。
「なるほど、そのためEMPミサイルですか。換装は不可、残弾わずか――しかしミサイルの発射元は探知できました。であれば有効な戦術は……」
そして、わたしはエンジンの回転数を上げ、高く飛翔した。太陽に向かって。
「お、お、おお?」
弐条さんが変な声を上げている。
「詩仙、敵が高度を上げ始めた――脚部残弾は撃ち切って、背面のポッドはやっつけたはずなのに」
弐条さんが敵のモニタリングを続けている合間、僕は壁面プロジェクタスクリーンに映し出されている古都の町並みを見ていた。
「こ、これで……終わり、ですか?」
僕の質問に、誰も答えない。一華院さんは渋い顔で空に昇っていった富嶽を見つめている。弐条さんは風雲荘の施設損壊状況を調べるのに忙しい。
この中で、僕だけが当事者意識に欠けていた。仕方ないと思う。だってそうだろ? 渡されたのはゲームのコントローラーで、床とか震えるちょっとリアルなアトラクションみたいだ。コントローラーでミサイルを操作して、逃げる敵に当てて、撃破した。いきなり今日こんな状況に放り込まれて、現実味を持てって方が無理だよ。
そんな感じで、飛行機で敵機を撃墜するみたいなノリで相手にミサイルをぶち当てた僕は、これでステージクリアみたいな感じでいた。
その光景を見るまでは。
「……え」
僕は、本当に、いま自分の立っている場所が何処なのかってことを、忘れていたんだ。
僕の眼前、壁面プロジェクタスクリーンに映し出されているのは古都の町並みだった。
そしてそこには、当然のごとく町並みが映っている。僕がこれから通う七瀬川高校も。その通学路も。近所の駄菓子屋も。コンビニも。ことごとくが爆撃で破壊されていた。
そして半壊した学生寮と、その付近に散らばり倒れ伏している人間の姿も。
「これ、ぜんぶ仮想のセカイ……なんですよね」
声が震えた。
学生寮の近くで、横転している車。その車に僕は見覚えがあった。
「そう。この街で生きているのは、私と詩仙と貴堂くん――それからあの娘の四人だよ」
弐条さんは平淡に言う。
僕は、身体が冷たくなっていくのを感じた。仮のセカイ。すべてまがい物の異空間。現実の世界には影響がない。それが、わかっていても――。
「この世界は私たちPRCと、敵対する存在――今回は富嶽佰系を名乗ったあの娘しかいない。そして、この仮想セカイを支配した方が勝利。そうやって倒した相手から、惡の秘密結社が遺した『惡』を回収するのが私たちの役目。技術だったり、兵器だったり、人物の保護だったり」
その話はさっき聞いた。
この世界はいつだって滅亡に瀕している。
そして、ヒーローとかそうじゃない大人とか子どもとかが、命がけで戦ってるって。
だけど、僕は考えたことがなかったんだ。ウルトラマンが倒れこんだ地面に、人がいるなんて。だって、あれはフィクションだったから。
でも、これは。この目の前の光景は。
覚束ない足取り、気持ち悪い浮遊感。震える指で、僕は壁面ディスプレイに触れた。
横転した車の窓からは、手が投げ出されていた。小さすぎてよく見えない。けれど、僕はその持ち主を知っている。
視野を広げてみると、同じように静止した時の中で潰れて止まっている人たちがいる。高精細な画像なのに、よく見えなくなっているのは仮想セカイだからか。
「私たちは限りなく相手の力を抑えるため、できる限り仮想セカイを現実に寄せて戦うの。神様みたいな相手が出てきたらどうしようもないからね。だから、この仮想セカイはすごく現実に近い」
「これ、僕が――僕たちが負けてしまったら、どうなるんですか」
僕の声に答えたのは一華院さんだった。
「あの、『惡』が花開いて世に出ますわ。私たち以外のPRCが対処に当たるでしょう。そして、弐条もわたくしも咎を問われるでしょう。もしかしたら、貴方だけは解放されるかもしれません」
「でも、こんな戦闘――それこそ一華院さんたちがする必要ないんじゃないですか。に、逃げましょうよ。こんなの大人に任せる話じゃないですか。だって、僕たちって、ま、まだ高校生なんですよ!」
僕は、自分が何を話しているのかわからなくなっていた。
逃げたかった。ただこの場から逃げたかった。一華院さんと弐条さんが戦い続ける理由もわからなかった。才能があるから? それで命がけで世界を救う? 冗談じゃない。僕は嫌だ。なんでそれで、こんな理不尽に巻き込まれなきゃいけない。逃げ出したい。なんで彼女たちは逃げないんだ。わからない。まったくもって、理解できない。
そんなことを僕は言った。
彼女たちの境遇も、過去も、何も知らなかったから言えた。
僕の言葉を聞いて、一華院さんは何も言わなかった。
弐条さんは、少し哀しそうに笑った。
「だって、わたしのお父さん、悪の秘密結社の幹部だったもん」
……僕は、本当に、何も知らなかったんだよ。
風雲荘の地下室に警報が鳴り響いたとき、一番早く対応したのは一華院さんだった。
「弐条! アラート!」
弐条さんは口を引き結ぶと、僕の存在を忘れたように、ゴチャゴチャした機械の元に戻った。
壁面の映像で、あちこちに爆炎が起こった。町が焼かれていく。
風雲荘の周辺にもいくつか爆発が生じた。
揺れる地面と、痺れるような空気の痺れ。
「迎撃システム全滅……富嶽、急降下! この場所は――」
弐条さんは、僕たちを振り返って言う。
「風雲荘直上!」
何度も、爆発と炎上を繰り返した。残弾で目くらましをしつつ、自分の身を護るためには一切残弾を使わなかった。
ギリギリのところで回避行動を行い、交わしきれず直近で爆発が起こる。
けれども、いま撃ってしまっては、勝敗が決してしまう。
視界を埋め尽くす真っ赤なアラートの嵐。それはわたしの認知機能であるセンサー類のことごとくの故障・不調を訴えるものだった。
わたしは落下しながら、それでも勝ち筋を探す。
自分が亡ぼすのだ。滅亡させて、灰にして、壊滅的打撃を与える。
それをできる機体だと、お仕着せられた期待と重圧に応えるのだ。
それが、それこそが、それだけがわたしの存在意義なんだから――!
急降下爆撃を仕掛ける富嶽に対し、弐条さんと僕はありったけのEMPミサイル、通常弾頭のミサイルを叩きこんだ。叩きこんで尚、富嶽は爆散せずに風雲荘へ突っ込んでくる。
「富嶽、脚部エンジン再始動! 回転数上昇、減速していた機体速度が戻ってる! うそぉ!」
弐条さんが絶叫しながら、モニター下のキーボードを乱打する。ディスプレイ上に出現したいくつもウィンドウは、すべて富嶽のコンディションを表していた。右翼に甚大な損傷、左翼に被弾、けれども富嶽は飛んでいる。否、落下するために全速力を出している。
「渾身の一撃だったのに! なんでぇ!」
直後、鼓膜を破るような轟音で部屋内が満ちた。
一度、二度、三度――何度も轟音が響くたび、僕たちはより大きな地響きを感じた。
そして、最後の地響きが鳴り終わったとき――瓦礫と共に、それが目の前にいた。
「――初めまして皆さま。富嶽佰系と申します」
機体を傷だらけにした、機械の少女が。
「急降下爆撃で地下まで穴を開けて特攻――なんて無謀な戦術かしら。貴女、まるで機械らしくありませんわね」
自動小銃の銃口を富嶽に向けつつ、一華院さんは僕を庇う位置へと移動する。ドレス姿でアサルトライフルを持つ一華院さんの眼光は、富嶽を捉え続けている。
「お褒めに預かり光栄です」
合成音声が一華院さんの皮肉に返答する。
「この度、皆様と存分に戦うことができ、わたしも十二分に存在証明ができました。戦うために――町を焼くため、人を殺すために生まれたわたしの意義は、果たしました」
「それは重畳ですわ。わたくし達も正義に堕する前には、惡としての矜持を最後まで果たしましたもの」
「決着がつくまで戦う。死力を尽くして戦う。出せる手はすべて出し尽くす。その上で、敗北すべき時は潔く負けを認める――それが、ルールでしたね」
富嶽は淡々と続ける。
「実のところ、わたしはもう弾の一発も残っていないのですよ。それにセンサー類もダメになってしまっていて。一発程度残っていれば、この場でお見舞いすることもできたのですが――難しいものですね」
「であれば、わたくし達の勝利――とみなしてもよいかしら?」
一華院さんの質問に、富嶽は抑揚のない合成音声で答える。
「いえ、わたしの勝利でしょう」
「どうして? あなた、残弾もないのでしょう」
アラートが鳴り続ける地下の作戦会議室。地上まで開けられた風穴から青空が覗く。
富嶽の背後で、弐条さんが声を張り上げる。
「詩仙! 高速で飛翔する物体、一! この軌道は――」
「わたしは――わたし達は富嶽。富嶽という名の
壁面のプロジェクタスクリーンに映る、七瀬川高校の学生宿舎――貴堂の部屋だった空間から、一つの飛翔体が空に飛び出す。
「富嶽、番外――九十九系特殊爆撃機、ツクモ。使用する可能性はとても低かったですが。人工知能搭載のミサイルみたいなものです。わたしのような
淡々と言う富嶽。
彼女の言葉を耳にしながら、僕は空を見上げる。
「先ほど、あなた達が持つ対空兵装はすべて破壊しつくしました。対抗策を練るにしても、あれが落ちてくるまで数分とありません。この仮想セカイの支配権を争って戦いはしましたが――共倒れで幕を引きましょう。判定が勝ってさえいれば、わたしは良いのです」
半壊した壁面に投影される映像が、複数のアングルからツクモを捉える。古都の天空を切り裂いて空に昇る、破滅の牙を。
「……どうして」
僕には分からない事が多すぎる。『惡』を回収するとかいうPRCの仕事も。一華院さんや弐条さんの複雑そうな過去も。
けれど、何よりもわからないのは。
「富嶽――君は、あれに耐えられるの」
空から落ちてくる破滅を見上げて、僕は言う。
「いえ、この機体が十全であったとしても、あれの破壊力には耐えきれないでしょう。合金製のボディも、内部回路も、すべて燃え溶けるでしょうね」
「だったら、なんで……」
「惡の矜持を果たすため、でしょう」
僕の言葉に応えたのは、富嶽ではなかった。
「一華院さん」
「貴堂、この世には自分の命より優先しなければならないことが――宿命宿願というものがあるのです」
彼女の声は震えてもなく、小さくもなく――ただ、事実だけを誠実に伝えようとしていた。
一華院さんは続ける。
「まだ、貴方は見つけられていないかもしれませんが、わたくしにも、弐条にも、この富嶽にもそれがある。ただ、それだけの事です」
一華院さんはツクモが粛々と落下し続ける映像を見ていた。
「だからわたくし達は、相手の宿命宿願を討ち果たし、勝ち続けなければならないのです。相手と真正面から戦い、討ち果たし、禍根を断ち切る。『惡』の回収とは、相手の宿命宿願を討ち果たすこと。現代に残る惡の亡霊を消し払うことが、わたくし達のPRC『六道六花』の役割ですの」
一華院さんの言う事は、僕にもわかる。
自分の子供を守るために命を懸ける親。
絶対に果たしたい夢のため、身を削る若者。
漫画やゲームや映画のフィクションで腐るほど見てきた。
いつかは僕にも、絶対に譲れないものができる日だって来るんだろう。
だけど、今の僕には理解できなかった。今の事態は、僕のキャパシティを完全に超えている。
「……僕にはわからない。わからないですよ」
僕は、怒っていた。
「こうして自爆まがいの事をするのが悲願だとか、目的を果たせれば死んでもいいとか。それを打倒するのが役割だとか。まともじゃないですよ」
富嶽を睨む僕の言葉に、一華院さんは表情を強張らせる。
彼女の唇は強く引き結ばれていた。
「貴堂、巻き込んでしまった貴方には大変申し訳なく思います」
「申し訳なく思います、じゃない!」
一華院さんの言葉に、思わず叫び返してしまう。
自分が何に怒っているのか、理解できなかった。
けれど、淡々とした様子で「終わり」を待つ富嶽と。
冷静に自分の感情を押し殺して、僕に謝罪をする一華院さんと。
空を見上げて、両手で頭を掻きむしっている弐条さんと。
そうした彼女たちが、雁首揃えて僕を見ているこの状況が。
一般人の僕が巻き込まれているこの状況が、とても腹立たしかった。
「人生って、その宿命宿願とやらだけじゃないでしょ! もっと楽しい事とか、嬉しいイベントとか、祭りとか海とか文化祭とか、そういうのがあるんですよ!」
事ここに至って、ようやくわかった。
自分の命が危険に晒されているから。それもある。
自分の両親が一歩間違えたら殺されていたから。それもある。
けれど、そこじゃない。
「なに勝手にヒトの人生まで終わらそうとしてるんですか。僕の人生まだまだ先は長いし、もっとエンジョイしないといけないんですよ。勝手に幕を引いてくれるな!」
僕は富嶽に向かって、腹立たしい感情をぶつける。
なにより、僕が一番気にくわないのは――。
「もっと、もっと楽しい事があるんだよ。花の高校生活、バラ色の毎日、そうしたものを知らずに死ぬのって勿体ない! つまらなさそうな顔してるな、宿命宿願しか生きる意味がないって顔をしてるな! 富嶽、お前この状況でひとを巻き込んだんだ、負けたときは相応の覚悟しろよ」
僕が弐条さんや一華院さんと会った時、富嶽と対面した時、彼女たちの発していた雰囲気が気になっていた。顔の表面上だけ楽しさを塗りたくったような、仮面めいた偽装。
ようやく思い当たった。あれは「生きることを諦めた」者の雰囲気だ。
「一華院さん、弐条さん、なんだか面白くなさそうな顔をしてますけど、もしこの場を切り抜けて上手く生還できたなら――」
その時、壁面のスクリーン映像が真っ白に染まった。
「富嶽、ひとつ貴女に教えてあげましょう」
顔の半面が光で美しく照らし出されてた一華院さんが言う。
「勝ち名乗りは、最後の最後で勝利を確信してからするものですわ」
真っ白なスクリーン映像が、徐々に現在の状態を描き出す。
四分割された映像の右下、そこに映し出されているのは学生宿舎。
半壊どころではなく、僕の入居予定だった部屋あたりが完全に陥没している。
そして、その付近に人影があった。
この仮想セカイで動く、人影が。
「ようやく出てきた。あー、もう。今回はほんっとダメかと思った……」
途端に弐条さんの気の抜けた声が聞こえた。
「念入りに施設全体を爆破しておけばよかった」
弐条さんがぽつりと呟いたのを、僕は聞き逃さなかった。
「え、爆破って……もしかして、僕の部屋がああなってるのって、弐条さんが原因ですか?」
「……、わ、私だけじゃ……ないし……」
僕は、弐条さんの視線が一華院さんに向けられたのに気づいて、一華院さんを見る。
「え、え、一華院さんもご存知だったんですか。というか、あの人動いてますけど。ねえ」
「…………」
僕は一華院さんの背後から抜け出し、その表情を眺める。
一華院さんは、無言で微笑みを浮かべていた。
「そこの少年。彼女らは、今回のこの戦いでわたしと事前に話し合ったうえで戦っていますよ。騙し合いの要素が含まれていない、とは言いませんが。わたしは超大型戦略爆撃機『富嶽』の系譜として――彼女たちは、わたしという『惡』を回収する存在として。いわば決闘ですね」
「は、え、ちょっと待って。理解が追いついてないんだけど……つまり、僕は巻き込まれ損ってわけですか?」
「お気の毒です」
まったく気の毒に思っていない冷淡な声で、富嶽は答える。
「ええええええええ! ちょっと待ってくださいよ。どシリアスな展開とか色々ありましたけど、ほんとどういう事ですか! え、じゃあ、これもプロレスというか、そういう?」
「みたいなものですね。禁則事項を決めたうえで、ルールを守っての決闘です」
「なんだー、じゃあ別に勝敗が決まれば、そのまま帰れるって感じですか」
「いえ? 負ければ死にますよ。だって、空を飛んでいるアレは本物の爆弾ですから」
「…………え?」
「この仮想セカイは虚構の空間だから、何をしたって現実世界に影響は出ないけど、ここで死んだら現実に還れずに虚無に消えるよ」
弐条さんがようやく言葉を発した。
「おい、事件の元凶」
「元凶じゃないよ! もともとだもん! 放っとけばこうなるのを、仮想セカイに持ってきて処理してるんだもん!」
「えっと、じゃあなんですか。空を飛んでるあれが落ちてきたら、ゲームオーバーってわけですか。みんな仲良く?」
「そうなりますわね」
一華院さんが微笑みながら言う。
「結局、事態は好転してないのか! うそだろ!」
一華院さんは、それでも微笑みを崩さない。
「落ちてきたら、ですけど」
「いつだって、おじさんはこんな役回りか……」
風雲荘から離れた、七瀬川高校のグラウンド。
煤だらけの姿の人物が、仁王立ちで空を見上げていた。
エプロンを着用した男性で、エプロンには『管理人』の刺繍が入っている。
彼が右手に握りしめているのは、剣の柄だけだった。刃はない。
「始末し損ねた借りは、ここできっちり清算させてもらう――!」
そう言い、彼が右手に力を籠めると、柄から光の刃が伸びる。
彼の名前は三鶴城剣司。
『惡』を回収する、惡の落とし仔たちが住まう風雲荘の管理人であり。一華院詩仙、弐条才子の保護者であり。
――今は役目を失った元・正義の味方でもある。
「お、お、おおおおおおおお!」
彼の手にした光の剣が、ひときわ輝きを増していく。
直視できないほどの眩い輝きになった光剣は天高く伸び――、
彼は宙を一閃した。
センサー類を破壊された富嶽は、かろうじて溶け残った右目のレンズを頼りに光学照準に切り替える。そして、ツクモの破壊を確認した。
富嶽の合成音声が、ひときわ無感情な声で伝える。
「ツクモの、破壊を確認――」
「貴女も言ったでしょう。切り札は、最後まで隠し持っておくものだって」
一華院さんが勝ち名乗りを上げる。
が、僕はどうしてもツッコミを入れざるを得なかった。
「待ってください、さっき弐条さんが『この世界にいるのは四人』って言ってましたよね」
「だって、彼が仮想セカイに来たのはついさっきですもの」
「じゃあ、あの人は? なんかビカーッてビームみたいなの出しましたけど。誰ですか」
「…………」
一華院さんは、黙って微笑む。この人、都合が悪いと微笑んで誤魔化そうとするな。しかも可愛いから始末に負えない。追及を許さない笑顔だ。
壁面ディスプレイに表示される大きな爆発。
これで、すべてが終わったらしい。
いや、終わったのか?
「…………」
僕は富嶽の方に目をやると、彼女は黙ったまま直立していた。
機械が黙ってると、絶句しているのか機能を停止しているのか、単に待機している状態なのかわからないな。
「ええっと、富嶽――、でいいのかな」
富嶽が溶けかかったレンズを僕に向ける。
「世界が終わるとか、存在意義とかはわからないけど、とりあえず決着はついたみたいだし。帰っていいですか」
「……はい、問題ありません」
「…………」
「…………」
なんだろう、この無言の間。
一華院さんも、弐条さんも、なぜか僕を見ているし。
「ねえ、一華院さん。もともと勝敗を決したら、どうする予定だったんですか」
「私たちの手先になってもらって、という感じですわ」
「で、世界を守るために戦い続ける――と」
一華院さんが頷く。
「……あのさ、僕は巻き込まれてここにいるし、それは皆わかってると思うんだけど。弐条さんも一華院さんも、命がけで戦ってるし。富嶽さんも、なんだか惡の矜持とか言ってたけど、正直僕にはよくわからない」
誰も何も言わない。
だから、僕は続ける。
「ただ、僕は高校生活を楽しみたいんだよ。だから、世界を守るための戦いばっかりじゃなくってさ、なんというか、楽しい生活をしていけないかな」
「わたしは――兵器です。強大な大国を相手取るための、たくさんの人を打ち倒すための兵器でした。ですが、それも存在意義を失いました。潔く負けを認めましょう。如何様にでも扱ってください」
「うーん……」
僕は頭を掻く。
「兵器とか存在意義とか、そういう話じゃなくてさ。さっき話してた感じだと、普通に会話とかできるでしょ。だから、なんというか……」
「だったら、新しい名前かな」
弐条さんが言った。
「兵器である富嶽はここで終わり。これまでの、薄暗い地下生活もサヨナラして、新しい名前と新しい生活をスタートするってのは、どう?」
弐条さんが僕の背を叩きながら、同意を求める。
「いつものパターンですわね」
「いつものって……こういうの何回くらいあったんですか」
「…………」
無言の笑顔。むっ、なんだか手玉に取られているような。
「あ、でもほんとどうするんですか。ここに住むってなったら、今後もこういう事に巻き込まれていくんじゃ……」
「だーいじょうぶ、心配ない。心配ないよ貴堂くん! なんてったって私と、詩仙と、この富嶽――じゃない、まあこの子もいるし、なんとかなるでしょ!」
「僕の新生活を爆破した弐条さんが言うんですか、それ」
「たはは、ごめん。いやほんと、ごめんって!」
でも、弐条さんの言うことも一理あるかもしれない。
弐条さんの天然なのかボケなのか判断付きにくい発言に逐一ツッコミを入れながら、僕たちは半壊した仮想セカイを後にした。
だから、後ろで富嶽と話している一華院さんの発言も、よく聞き取れなかった。
これが後で僕を板挟みの刑に処すのだが――それはまた後の話。
「惡の矜持を果たせなかった――それは間違いですわ。わたくし達は『惡』を回収する悪の落とし仔。かつての『惡』は成し得るつもりはありませんが、わたくし達にも悲願はあります。そのために、貴女の力が必要なのです」
わたくしは、かつて富嶽だったモノへ言葉を続ける。
インカムを外し、決して三鶴城に聞こえないように。
「わたくし達の『惡』が時と共に薄れて消えてしまうその前に、なんとしても宿命宿願を達成するのです。奪われたものを取り返すため――残る三つの『惡』を回収し、六つの惡の華を咲かせるのです」
*****
風雲荘二階――二〇四号室。
部屋内には換装可能な各種アタッチメント・モジュールが並び、人ひとりが入れるくらいの立体格納ドックが設置されている。部屋の主は、いまはいない。
場所は変わって、風雲荘中庭。そこにホウキで桜の花びらを掃いている人影がある。
彼女の腕部マニュピレータが動くたびに、ホウキが一ミリも違わぬ正確さで落葉をかき集めていく。かつて富嶽と呼ばれた機体は、いま風雲荘の小間使いとして存在していた。
空には太陽が昇り、おだやかな日差しが降り注ぐ休日。
自然の環境音と生活音のなかに、彼女は規則的な擦過音を感知する。高らかに地面を跳ねる足音が一。静かな足運びをする足音が一。そしてそれらよりも、特徴に欠ける足音が一。
各種センサーで接近する生体反応を探知し、瞳に内蔵された光学レンズで対象を特定した彼女は、発話モジュールに電気信号を送り、声帯代わりのフィルターを振動させ、人間の可聴域の音を発する。
「おかえりなさいませ。一華院詩仙様、弐条才子様――」
三十度の角度で上体部を屈折させる彼女。
会釈をしながら彼女の隣を通り抜ける詩仙。楽しそうに笑いかけつつ、風雲荘玄関に消える才子。
ふたりから遅れて、取り立てて目立つところのない凡庸な少年がやって来る。
「――おかえりなさいませ、貴堂文也様」
彼女が、いまの自分の役割として与えられた「お出迎え」タスクを実行した。
すると、少年は足を止める。そして彼女と向き合い、笑いかけた。
「ただいま、テトラさん」
彼女の足元に書かれた『富嶽』の文字は二重線で雑に消され『篠宮テトラ』という名前が書き加えられている。
「……にしても、僕が名前を決めちゃってよかったんだろうか」
文弥は思い出す。
あの日『富嶽』との戦いが終わった直後、現実世界に戻ってきた文弥たちは、居間に鎮座する彼女を前にして「富嶽としての役割を終えた彼女を、なんと呼べばいいのか」という問題にぶち当たった。そして数時間に及ぶ討論と新人歓迎会をごちゃ混ぜにした乱痴気騒ぎの最中に、厳正なる審査を経て命名の儀を行ったこと。そして貴堂が引いたクジだけが赤く塗られており、当たりを引いた責任者として元『富嶽』の彼女に新しい名前をつけたことを。
「わたしにとっては、名前は些細な違いでしかありません」
そこでテトラはいったん言葉を区切った。貴堂が、テトラの言葉の続きを耳を傾ける。
と、そこへ。
「貴堂くん! テトラ! ちょっと見てみて! これー!」
声に貴堂とテトラが振り向くと、見上げた先の風雲荘二階の窓からテトラが手を振って呼びかけている。
「新しいモジュール作ってみたんだけど、ちょっとおもしろいの! ほら早くー!」
直後、才子の背後で爆発が起きて黒い噴煙が上がる。
「うわー!」
窓から植込みの茂みに落下する才子。
「ちょっと弐条! なんですの! 黒っ! うっ、ごほっごほっ!」
詩仙の咳き込む声が聞こえる。貴堂とテトラが顔を見合わせる。
「……また何かおもしろい事になってるんだろうな」
言葉とは裏腹に、困ったように眉根を寄せる貴堂。
一華院詩仙のような華やかさも、弐条才子のような閃きも持たない少年、貴堂文也。
しかし彼も、少しずつ風雲荘に毒されてきたようだ。
「テトラは二階の状況を調べて! 僕は弐条さんを!」
そう言って駆け出す貴堂を見送り、テトラは二階の黒煙を見上げる。
初めてもらった、コードネームでも型番でもない自分だけの名前。
篠宮テトラ。その五文字は、彼女の記憶領域にとってはわずかな容量を占有するだけ。しかしテトラにとってその五文字は、とても大きな価値を持っていた。
テトラは両足のエンジンを点火する。回転数を上げ、テトラの脚部が耳鳴りのような高音を発する。そうやって、黒煙に向かって突入する準備を整える。
「篠宮テトラ――」
その名前を呼ぶたび、ほんの少しだけくすぐったさを感じる。
しかし今は優先度の高いタスクが発生している。くすぐったさを心の奥底に押し込め、篠宮テトラは空を飛ぶ。
「――突貫します!」
篠宮テトラが白い噴煙を引きながら、才子の部屋に突っ込んでいく。その顔は、かすかに笑っているようにも見えた。
弐条才子の実験ショールーム カツラギ @HM_bookmark
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます