第80話 青鬼

 ラムズのおやしきに来た日、夢を見た。あの日と同じ情景──まるで「あの日のことを忘れるな」って、記憶が言っているみたいだった。



 晴天の下、涼しげな海辺。いつものように、わたしは泳いで砂浜の近くまで来ていた。サフィアもしゃがんでわたしと話している。


 サフィアは金の髪の毛を軽くきながら、恥ずかしそうに笑った。彼のてのひらの上には、わたしが持ってきた大真珠貝がある。貝の中の丸い真珠は傷一つなく、白い艶が太陽に輝いている。拳くらいの大きさで、深海まで泳がないと手に入らないものだ。


「ありがとね。本当にくれるのかい?」

「うん。いいの、あげるわ」


 わたしはふいっとそっぽを向いた。サフィアは笑いながら、「メアリ」と声をかける。振り返って彼を見た。


「サフィアの瞳──きれいね」


 サフィアは瞳をぱちぱちと瞬いた。「そんなことないよ」と彼が優しく微笑むと、陽光のせいかまた瞳が光った。


 彼の瞳は藍色だ。金色の髪の毛の中で、サファイアのように煌めく蒼は素敵だった。

 サフィアはもう一度真珠の方を見て、それを痛ましそうに撫でた。


「きれいだね」

「うん。喜んでくれて、嬉しいわ」


 サフィアはきれいなものが好きだって言ってた。だからこの真珠を渡したのだ。喜んでくれて、本当によかった。頑張って探した甲斐があったな────。




 ◆◆◆




 やしきに泊まった次の日。ラムズは本気で光属性の魔法の練習をするみたいで、わたしはそれに付き合った。

 わたしが彼の手に傷をつけて、ラムズはその傷を見ながら怪我の治るところを想像、そして詠唱をするって感じだ。そう、かなりテキトウ。魔法の練習なんてこんなもんなのだ。

 でもなかなかできないみたい。本来、そう簡単に属性は増やせないからね。ラムズもそこまで異常じゃなくて安心した。


 ラムズは冒険者ギルドへ、独りウィルスピア(フェアリーの言葉を話せる能系アビリィ殊人シューマの子よ)に会いに行った。

 クエストを終えてベルンここに戻ったら、一緒にフェアリーの元へ行くことを約束したらしい。ウィルスピアのお父さん探しは、乙女の森ガーリェストに行く途中、少し聞き込みをするだけでいいんだって。彼のお父さんは10年くらい前にいなくなったとか。

 なんだか、行方不明者が多いわね。



 その日の夜も、ラムズに抱きしめられたまま寝た。もう何を言っても聞かないから諦めることにしたわ。


 そしてまた、わたしはサフィアの夢を見た。その日も記憶にあるのと同じ情景。サフィアは鱗に触れて「きれいだね」って言ってくれていた。今更思い出したけど、わたしの鱗を綺麗だと言ったのはラムズが二人目なんだ──。




 次の日の朝方、ラムズの腕の中で目を覚ます。彼はもう起きていたみたいで、わたしのことを見下ろしている。


「ずっと起きてたの?」

「ああ。今日はな」

「回復魔法使えるようになった?」

「まだ」


 わたしは辺りを見渡した。もう天蓋てんがいベッドのカーテンは開けられている。窓からは光が差し込んで。灰色の空が見えるだけ

(寝坊したわけじゃないわよ。朝って言ったでしょ。曇りってわけでもないわ。雲もないもの)。


「そっか。今日から七月だったわね」

「ああ」


 ラムズは仰向けになって、曖昧に返事をした。わたしは少し唇を尖らせて、暗い空を視界の隅に映す。


うろって憂鬱な気分になっちゃう」

「そうだな、ちょっと分かる。神様も大概にしてほしいよな」

「ええ。季節がなくてもいいから、せめて昼と夜は作って欲しかったわ」

「船も動かせねえしな」


 寝返りを打って、ラムズの方に体を向けた。


「でもラムズは魔法でなんとかできるでしょ?」

「まあ。けど人間の船は無理らしい。だから、そのせいで貿易が止まる」

「そっか。何かと不便ね。海にいた頃は、うろなんてあんまり感じなかったんだけどなあ」

「メアリもけっこう陸の世界に毒されてきたな」


 ラムズはわたしを見て笑った。

 そんなこといわないでよね、もう。わたしだって嫌なんだから。

 少し怒ったような顔をしてみせたら、ラムズは戸惑いと笑みを混ぜたような顔で謝った。「いいわよ」と笑って返す。

 


 今はたぶん朝の10時くらいだ。でももう今日から一ヶ月は、時間をはかるのに空模様を当てにできなくなる

(言っていなかったっけ? 今日から季節が変わったのよ。春冬夏の次、うろの季節。一日中灰色の空で、太陽も月もないわ。だから朝も昼も夜も分からない。風も雨も雪もない。そして暑くも寒くもない。


 今月が終わったら、また春に戻る。今月で一年が終わるってこと。春と冬と夏はそれぞれ二ヶ月ずつあるけど、虚は一ヶ月しかない。一ヶ月は30日よ。


 そっちの世界は知らないけど、わたしたちはこれが一年で、この一年でそれ相応に成長する。

 例えば人間のアイロスさんは62歳だって言ってたけど、背は曲がっているしひげや髪の毛は真っ白。文字通りお爺さんって感じ。そうそう、人間で60歳を超えるなんて相当長生きよね。


 でも、そもそも人間以外の使族しぞくなら、60歳でもお爺さんらしい見た目にはなるとは限らないわ。ラムズだって5010歳だけど見た目は20歳くらいでしょ。生まれた時の姿も、例えばニンフなら赤ちゃんじゃないはず)。



 布団から出ようとしたら、ラムズがわたしの身体を引き寄せた。わたしの顔をラムズの胸に押し当てて、そのまま抱き締められる。昨日もこうしてきたのよね。ちょっとは慣れてきたけど……。

 それに布団の中で寝るのって少しいいかもしれない。温かくて、なんだか安心する。


「もう嫌だって言わねえんだ?」

「慣れたっていうか……」


 ちょっと間が空いて、ラムズが怪訝そうな声で言った。


「他のやつとは寝んなよ?」

「どうして?」

「襲われるっつったろ。人間とかヴァンピールとか」

「つまり性行為をするってこと?」

「ああ。ヴァンピールは少し子供を作る方法が違うが、性行為はすんな」


 ラムズに聞いてみようかな、他の使族しぞくの子供の作り方。すごく興味があるってわけじゃないけど、少しだけ気になる。レオンには人魚の作り方を教えたらすごく驚かれたし、使族によってかなり違うんじゃないかしら。


「えっと……他の使族はどうやって作るの?」


 そう聞いても、ラムズは大した反応は示さない。やっぱり自分以外の使族の作り方なら、特に気にならないものなんだろう。わたしはどこの使族の話も知らないけど、たしかに他の使族の話だったら普通に話しちゃうかも。

 わたしの髪の毛を触りながら、ラムズが答える。


「教えんのめんどくさい」

「なんでよ? それくらいいいじゃない」


 ラムズはわたしを見下ろして、楽しそうに笑っている。たまに情報を出し渋るのはなんなんだろう。なんのため?


「メアリ、もう少し俺のこと警戒した方がいいぜ?」

「え? 何が?」

「俺はメアリに好きになってほしいっつったよな。だが俺は別に優しい男じゃない。俺は、俺を好きになってもらうのにいかなる手段でも取るようなやつだ。例えそれがどんな最低な手でも」

「……えっと、つまり?」

「俺の話を全て鵜呑みにして聞いてちゃ、知らないあいだに泥沼に足を突っ込んでるぜっつうことだ」


 奇妙に曲がる唇と、怪しく光る瞳、その下の黒い隈。ラムズの言う通り、彼は"悪い顔"をしている。


 ──つまりその、ラムズのことを信じすぎるのはダメってこと?


 でも、なんだか変な感じがする。わたしのことが好きなくせに、それで好きになってほしいくせに、なんでわざわざ忠告するような真似をするんだろう? そんなの、むしろ優しいってくらいだ。



 ラムズはニヒルに笑いながら言った。


「俺は誠実な男じゃない。好きだから優しくするわけじゃねえし、好きだからなんでも教えてあげるわけでもない。そこを分かった上で、俺に頼れ」

「つまり……、ものによってはわざと教えなかったり嘘をついたりするってこと?」

「賢い賢い。そういうこと」


 ラムズはわらって頭を撫でた。意地悪そうな笑みにドキリとする。わたしは尋ねる。


「でも、どうしてわざわざ言うの? それを教えてくれるなんて、むしろ親切じゃない?」

「親切だと思ったんなら、俺の勝ちじゃん」

「え、あ、そう……ね……」

「だろ? まー、優しい俺を好きになってもらっても、俺は困るからかな」


 ちょっと考えたあと、ラムズに返す。


「本当は優しくないから?」

「そう。優しくねえから」


 愉悦を載せた声がそう言った。


 わたしを好きなのに優しくしてくれないなんて。そんなの変だし、それ自体がもう優しくない。

 体が冷たいラムズが本当のラムズであるように、優しくないラムズが本当のラムズなら、たしかに彼だって本当の自分を好きになってほしいと思うのかもしれない──。

 でも、誰も優しくない人なんて好きになったりしないわ。わたしも含めて。


 わたしがむっとした顔をしていると、ラムズが手を伸ばして頭を撫でた。


「それでいい。その方が落とし甲斐がいがあるってもんだ」

「……なにそれ。でも本当に、意地悪な人なんて好きにならないわ」

「さて、それはどうかな? それに俺は全くメアリに優しくしないわけじゃない」

「そうなの?」

「ああ。たまにはな」


 意味が分かんない。さっきと言ってることが違う。

 好きになってるのはラムズのはずなのに、どうしてわたしが振り回されてるんだろう。


「それで、他の使族の作り方だっけ?」


 ラムズの顔を下から覗く。

 使族の子供の作り方の話も、本当かどうかは分からないんだっけ。眉をひそめて見ていると、彼はそれに満足しているような顔をしてみせた。


「……と、とりあえず聞いておく。こんな話に嘘なんて必要ないと思うけど」

「はいはい。そうだな、例えばアークエンジェルは互いの翼の羽根を抜いて、それを集めて揺りかごのようにする。光属性の魔法をそれにかけると、卵ができるらしい。そのあと毎日卵に魔法をかけ続けると、子供が生まれる。たしかこれは摘翼てきよくと呼ばれる」

「性行為は関係ないのね」

「ああ。人間だけだな、性行為だけで子供が生まれる使族は」

妖鬼オニは?」

「片方の者がつのを折って、その角でもう一方の腹を裂くんだ。そのあと裂いた腹の中に角を入れる。裂かれた方は、アレティアの泉の水を飲む。数ヶ月後に、子どもが腹を引き裂いて生まれるらしい。裂角れっこうという」


 色々とツッコミどころが多すぎない?


「最初に角でお腹を裂いて、そのお腹は治るの……?」

「腹の中に角を入れれば勝手に治癒する」

「じゃあ──。子どもが生まれる時もお腹が引き裂かれるんでしょ? その時も治癒する?」

「いーや。産んだ方は死ぬ」


 わたしは目を瞬いた。親が死ぬっていうのに、全くなんてこともない風に言うのね。


「アークエンジェルにも治せないの?」


(アークエンジェルは光属性の魔法──つまり回復系統の魔法が一番得意だからね)


「治せるとしたら神だけだろうな」


 つまり、無理ってことね。

 それにしてもお腹を引き裂いて子供が生まれるなんて。物凄く痛いんだろうな。それに産んだ方は死んでしまう…………。


「親が死んじゃうなんて可哀想だわ」

「そうでもねえよ。生きててもどうせすぐ忘れるし」

「え、忘れる?」


 ラムズはきょとんとした顔で首を傾げた。


「え? 忘れるだろ?」


 なに言ってるんだろう。ラムズは親がいなそうな気がするし(親がいない使族なんてそうそういないと思うけど──、まあ例えばニンフがそうね)、親への愛とかそういう感情がないのかしら。

 生きていれば会いに行くこともあるだろうし、忘れるわけないじゃない。


「あいつらはアレティアの泉──」

「それ! それも初めて聞いたの! アレティアの泉って、乙女の森ガーリェストにある泉だっけ?」


 勢いあまってラムズの言葉を遮っちゃったけど、彼は大して気にしてない。半分閉じたような目でわたしに返した。


「そうだ。森の中にある。正確にはその森の中の迷宮ラビュリントス──。まあこれはいいか。妖鬼オニが《覚醒》(*1)するって話は聞いたか? 五回目の《覚醒》の時は、泉の水を飲まないといけないんだ」


 色々とついていけない。とりあえず最後の話にだけ質問してみる。


「飲まないとどうにかなるの?」

「そのままくるい妖鬼オニになる」

くるい妖鬼オニ?」


 なんだか物騒な言葉。ラムズはチラッとわたしを見たあと、溜息混じりに言葉を落とした。


くるい妖鬼オニってのは、《覚醒》の時の力を永続的に持っているんだ」

「それって物凄く強いわよね? ラムズよりも強いわ。でも、それならみんな狂妖鬼オニでいた方がいいんじゃないかしら。泉の水は飲まなくていいわ」


 ラムズは声を潜めて話した。


「話はそう簡単じゃない。くるい妖鬼オニは『殺欲さつよく』という欲求を持ってるんだ。食欲や睡眠欲と同じように、満たさないと生きていけない」

「殺欲って──つまり……殺したくなるってこと?」

「そうだ。あまりの飢餓感に苦しんでたら、あんただって目の前に食いモンがあれば食べるだろ? 眠気の限界がくれば倒れるように寝てしまうだろ? それと同じだ。満たされていればそこまで危険はないが、いが回ってると殺される」


 また初めて聞いた言葉だ。


いが回ってるって?」

「殺したい欲求がまってるっていう意味の言い回し。くるい妖鬼オニが使うんだ。他にも言い方はあると思うが」

「『お腹が減った』みたいな? それの殺欲さつよくバージョン?」

「そう」


 わたしだって人殺しをすることはあるにはあるけど、それはちゃんと理性があってやってる。ラムズも宝石が取られればおかしくなるかもしれないけど、意味もなく人を殺すことはないと思うわ。

 でもくるい妖鬼オニは、文字通り"生きていくために"人殺しをするのね……。


「見た目で、妖鬼オニとの違いはあるの?」

「ねえな。刺青はあるが、顔にあるのは隠してるし、体の方は脱がねえと分からねえし」

「そっか……。じゃあ妖鬼オニは全般気をつけなきゃいけないの?」

「そうだなー。だが、くるい妖鬼オニだったらなんとなく察すると思うぜ」


 ラムズは天井の方に顔を向けると、深い吐息と共に呟いた。


「あいつらはお前らがものを食べ、眠り、息をするように人を殺すんだ。食べるために殺す、襲われたから殺す、宝石を盗まれたから殺す──」


 そこでちらっとわたしのほうを見て、ラムズは笑った。でもすぐに真剣な顔つきに戻って、静かに語る。


「それらとは一線を画している。それがくるい妖鬼オニなのだから仕方ないとは思うが、生命活動の一部として『殺し』をしている以上、妖鬼オニとはもはや全く違う使族だとすら思う」

「わたしが息を吸うように人を殺すってことね……。でも、それじゃあくるい妖鬼オニになる必要はあるの? だって五回目の覚醒の時に、ちゃんとアレティアの泉を飲めばそれでいいんでしょう?」

「まあな。だが、近くに泉がないのに、どうしても助けたい者が現れたらどうする? どうしても力が必要になってしまったら?」

「……それで、くるい妖鬼オニになる方を選択するってこと?」


 ラムズはゆっくり頷いた。


「それ以外の理由でなる者もいるだろうがな」


 彼はなにか小さな声で呟いたけど聞こえない。まあいいわ。わたしは首をかしげたあと、また新しい質問をしてみた。


「元の妖鬼オニには戻れないの?」

「一定数殺したあと泉の水を飲めばいいらしい」

「じゃあ普通の妖鬼オニは、ちゃんと元に戻る?」

「おそらくな」


 よかった。それならさほど心配することはないわよね。

 わたしがそう一息ついていると、ラムズはこちらを向いて悪戯っぽい目付きをした。


「なあ、青鬼あおおにって知ってるか?」

「いいえ。妖鬼オニのことも最近聞いたばかりだもの」


 ラムズは冷たく笑い、低い声で言った。


「青鬼は、最初にくるい妖鬼オニになってから一度も戻っていないんだ」


 ぞぞぞっと背筋が凍った。

 彼は、ずっと人を殺すという欲求を持ち続けて生きているってこと──? でも──、会うことなんてないわよね? こんなに世界は広いんだもの、そこまで運は悪くないでしょ。


「青鬼って……なんなの?」


 ラムズは肩を竦めると、ゆっくりと布団から起き上がった。部屋の奥の奥、むしろ部屋の壁を突っ切ってわたしの知らないどこか遠くを見るような目付きになった。

 右の青い瞳は虹色に輝く。宝石の目はそれとは対照的に、何も写さず無機質。そして、生の感じられない声が空間を割いた。



Once ワンス  upon アポン  a ア  timeタイム……」

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