第81話 唯一つ

 妙に心地のいい発音と、脳に直接響くような澄んだ声のせいで、一瞬違う世界に飛ばされたような感覚に陥った。

 はっとして我に返ると、わたしもベッドから起き上がりラムズの肩を掴む。


「なにそれ? なんの言葉?」


 わたしを映した彼の瞳は、いつものように影を宿した。


「悪い。昔は、物語はこうやって始まってたんだ」


 答えになってない。でもラムズは、間髪を容れずそのまま妖鬼オニについて話した。


妖鬼オニって赤色か黒色の角を持つやつが多いんだが、一人だけ青色の角を持つ妖鬼オニがいるんだ。そいつは人間やその他の使族しぞくに酷く恐れられている」

「どうして?」

「ヤツが最恐のくるい妖鬼オニだからだ。しかも青鬼は妖鬼オニという使族が生まれた頃から生きている」

「なんていうか……妖鬼オニの王様、みたいな?」

「そう言ってもいいかもしれねえな。人間のあいだじゃ、青鬼がお前を食いにくるぞ、なんて言って子供をしつけるって聞いた。アリスティーナにでも聞いてみればいい」


 わたしはちょっと悪戯を思いついて、ラムズの方へ身を乗り出した。


「最恐なんて言ってたけど、そもそもくるい妖鬼オニ自体は使族しぞくのなかで一番強いじゃない?」

「まあ攻撃力という意味では一番強いんじゃねえか?」


 わたしは唇を結ぶと、したり顔で頷いた。


「てことはもしかして、青鬼はラムズより強い? ラムズもその青鬼、怖いんでしょ?」


 ラムズは目を瞬くと、眉をひそめて怪訝そうに顔を歪めた。視線をずらして考える素振りをしたあと、肩を竦める。


「まあ、怖いな」

「ほんとに?! 怖いの?!」


 思いのほか簡単に認めるのね?! なんだか拍子抜けしちゃう。ちょっとつまんないわ。


「ラムズにも苦手なものがあるってこと?」

「俺を神かなんかと勘違いしてんのか? 俺にだって苦手なものくらいある。あいつもその一つだ。勝てねえし、強いし、俺より長生きだし」

「しかも妖鬼オニの王様だものね」

「怪力だから、メアリの首なんてポキっと折っちまうだろうな」


 ラムズは仕返しと言わんばかりにそう言って笑った。


「関わったことあるの? 戦ったこともある?」


 ちらりと横目でラムズはこちらを見、軽い咳払いのあとに答えた。


「……まあ、見かけたことは。戦えば負けるだろうな」

「本当に? じゃあ青鬼がラムズの宝石を盗んだらどうするの?」


 彼は少し考えたあと、さらっと言った。


「返してほしいって懇願する」


 懇願? 開いた口が塞がらない。拷問はしないってこと? ラムズって他人に懇願なんてすることあるの? それに、そこまで強い相手で、そこまで恐ろしい相手ってこと?


「…………そんなに怖いの?」

「ああ。怖い」

「拷問してる時のラムズより?」

「あ? 俺?」


 両眉を上げて、彼は頭を傾げた。


「よく知らんが、俺より怖い。俺なんて大したことねえだろ。あいつは一目見ただけでその恐ろしさに震え上がるくらいだぜ?」

「えっと……そんなにすごいのね……」

「殺気みたいなモンを纏ってるんだと。常に周りを威圧している。あんたも会えばすぐわかるよ。こいつが青鬼だって」


 なんだか想像するだけで怖くなってきた。ラムズが怖いって言うくらいだし、拷問せずに懇願するって言うくらいだもの。

 隣でラムズがニヤっと笑って、低い声で言い直した。


「『会えば』じゃないな。近付いただけで分かるぜ、青鬼が来たってな」


 ラムズがわざと怖がらせるようなことを言うから、背筋に悪寒が走った。今ここに青鬼がいるわけでもないのに。


「えっと……その、どうして近付いただけで分かるの? オーラとか雰囲気とか、そういうこと?」


 頬を歪ませて皮肉な笑いを見せたあと、彼はベッドのそばにある机に手を伸ばした。空のワイングラスを掴むと、わたしのほうに向き直ってわざとらしく首を傾げた。


「あいつが来ると、音がするんだ」

「音?」

「そう。──シャラン、シャランってな」


 彼は宙から氷を魔法で出現させると、粉々になったダイアモンドのようなそれを、グラスの中に落とした。



 ──シャラン、──シャラン。


 ────シャラン、──シャラン。



 冷たい彼が冷たい氷をもてあそんでいるせいなのか、耽美たんびでいてぞっとするこの音のせいなのか、もしくは何度迎えてもどこか不気味なうろという季節のせいなのか──。


 怖い。


 身体中の神経が肌に突き刺さっていくように感じた。



 グラスの中が氷でいっぱいになったところで、彼はグラスを持ち上げてわたしの頭上で傾けた。細かくもろい氷が、想像していたよりもはるかにゆっくりと、その輝きを振りきながら零れていく。


 音はしない。澄んだみと白銀がスローモーションで落ちていく。時が止まったと錯覚しそうだ。



 わたしはアホみたいにそれをぼうっと眺めていた。顔に氷が落ちてくるだろうっていうのは忘れて──、結局、ダイアモンドはわたしの睫毛スレスレのところで光になって消えた。


「……きれいね」

「ああ」


 さっきの結晶と同じくらい美しいサファイアの瞳が、透き通ったグラスに視線を落とした。


「そんな美しい魔法を使う人、初めて見たわ」


 ラムズは視線を宙に浮かせたまま、虚ろな微笑で「あんたが世間知らずなだけだ」とこぼした。


「──でも、あの氷じゃ、あんな音鳴らないでしょ」


 さっきの「シャラン、シャラン」という音を思い出して、また少し背筋がひんやりと冷えた。彼は軽く笑い、なんてことはないという風に言う。


「俺は魔法が得意だから」

「……はいはい」


 ラムズは、たまに何がしたいのか分からないことがある。今のもそうだ。怖がらせたいのか、自分の魔法に魅了させたいのか、よく分からない。まあこれが彼なんだから、考えるのは無駄なんだろうけど。


 でももっと言えば、彼が本当にに存在しているのか、何をもってとすればいいのか、どこからどこまでが嘘で、どれが本当なのか、それもよく分からない。


 ──だけど、美しいものや宝石が好きで好きでたまらないってことだけは分かる。それだけは真実に思う。

 ううんむしろ、それだけが、そのただひとつだけが彼であるような……そうとさえ、思う。



 さっきの結晶と、彼の持つ鏡のごとく澄み切ったグラス、魅惑的なあおの瞳を見て、わたしはそんなことを考えた。




 とりあえず話を変えようと、思考を振り払って声色を明るくした。

 

「それよりラムズはヴァンピールなのに、一緒に寝てていいの?」

「ん? あ、まあな。俺は性欲がねえから」

「ないの? どうして?」

「さあ? どっかに置き忘れた」


 ラムズはくくっと笑っている。なに言ってるんだろう。どこかに忘れたなんて。そういえばラムズは睡眠欲もないんだっけ

(エルフも睡眠欲、食欲、性欲はないのよね。ニンフも食べ物は食べないんじゃないかな。性欲もないでしょうね。自然から生まれるんだもの。寝るかどうかまでは知らないけど)。


「ラムズって欲求がないの? 睡眠欲とか食欲とか……」

「たしかにないかもな。食べられないわけじゃねえし、寝られないわけでもねえが。性行為もしようと思わないだけだ」

「ふうん。わたしともそう思わないの?」

「なかなか聞くようになったな? まあいいけど。んー、メアリがしたいならやるかな?」


 むーん……。

 性行為がそもそもどうやるか分からないからな。いや、その前に性行為をする時にキスをするんだから、やっぱり今はしちゃダメだわ。

 もしも恋人になったら……。でもラムズもわたしも性行為がしたいわけじゃないのにするのって、おかしくないかしら。お互い一番の愛情表現だけでいいと思うわ。


「ラムズにとっては何が一番愛情表現になるの?」

「なんだろうな……」


 考えないと出てこないのかな。キスは違うのかしら。

 こちらを見下ろして、首を傾げながら言う。


「しいていうなら、んー。食べることかな」

「た、食べる?」

「あー、噛むみたいな。俺の中ではそう。それが一番相手を感じる方法だと思う」

「ふうん……。キスとかは違うの?」

「えっとー、したことねえから」

「あぁ、そうだったわね」

「していい?」


 さらっとラムズが言った。


「だ、ダメに決まってるでしょ!」

「はいはい。嘘だよ」


 ラムズは笑いながら、わたしの髪を触った。今はなんだかラムズが優しい気がする。

 ラムズって本当にコロコロ雰囲気を変えるのね。優しい時もその種類があるっていうか。結局、ラムズの言う通りわたしは悩みそう。でも悩んだら負けだ。気にしなくていいのよね。ラムズの勝ちになっちゃう──。



 ベッドから降りようと思って、彼の手をどかした。そうしたらぱっと腕を引かれて抱き締められる。


「ちょっと!」

「悪い」


 ラムズは笑ってる。からかってるの? もう。


「起きられないじゃない」

「たしかに。起きるか」


 ラムズはさっとベッドから降りると、うやうやしくわたしに手を差し出した。面倒くさいからのってあげる。


「ありがとう、わたしの騎士ナイト


 彼もくすっと微笑んだあと、頷いた。


「とんでもございません。いつでも起こして差し上げますよ」


 変なの、ばっかみたい。ちょっと含み笑いをして、わたしもぴょんとベッドから飛び降りた。

 伸びをしているあいだに、ラムズがまとめて浄化魔法を使った。全身が濡れる。なんだかすっきりする。眠気覚ましにもいいわね、これ。




 ◆◆◆




 やしきでの食事は、ラムズが作ることもあれば、『いちいち作らせんな』と邸を放り出されることもあった

(食欲がないのに料理ができるなんて面白いわよね。食欲もどこかに置き忘れちゃったのかな)。

 

 料理をするときは魔法でやっているから驚いちゃった。魔法で火をつけたり水を出したり、あとは色んな食器や食べ物が宙に浮いていたり。

 地属性と風属性で浮遊魔法が使えるわけだけど、あんなにいっぺんに操るのは相当テクニックが高くないと無理だと思う。見ていて楽しかったけどね。


『俺が媚薬でも惚れ薬でも盛るかもしれねえのに、よく食ってられんな』


 ──とかなんとか言ってたけど、媚薬ってなんだろう? 聞いても笑っているだけで、教えてくれなかった。



 邸にいるあいだ、貴族の言葉遣いと食べ方、座り方なんかのマナーも覚えろって言われた。それでいて協力してくれるわけでもないから嫌んなっちゃう。


 あとは、わたしは文字は読めるけど字があまり書けない。それをラムズに伝えたら、練習用の本とペンをもらった。


『たまーになら見てやる。その代わり、つまんねえこと書くんじゃねえぞ』


 貸してくれるって時点で珍しいけど、一体何を考えてるんだろう。もらった本は魔道具で、際限なく書くことができるらしい。なかなか素敵なデザインの本だから気に入ってる。

 もらった日のことを書いたら、ラムズは『そんな感じで使うなら、あんたが死ぬまでは貸しておいてやるよ』とか言ってた。わたしが死ぬ時の話なんてしないでよね。

 


 そしてもう一つ。ラムズのやしきにいるあいだ、わたしは毎日サフィアの夢を見た。悲しい夢を見たわけじゃないから泣きはしなかったけど、なんとなく変な気持ちになる。

 サフィアのことを考えてるのに、ラムズに好きだって言われてるんだから。今はもうサフィアのことは好きじゃ────。

 ううん、本当のことを言うと分からない。二年も会ってないんだ。だから好きな気持ちは消えたと言いたいところだけど──、夢を見るたびに恋しくなるのも事実。


 サフィアとラムズは雰囲気が全然違うけど、なんだかすこし似てる。

 例えば瞳の色。ラムズの目とサフィアの目は瓜二つっていうくらい。宝石のような蒼で、朝の海みたいな碧色で、青空みたいな青色で──。瞳の色が少しずつ変わって見えるのも、よく似てる。

 それに二人ともわたしの鱗が好き。きれいなものが好き。きっとラムズも、わたしがサフィアに渡した真珠をきれいだって言ってくれると思う。ラムズは宝石が大好きだからね。


 ラムズとサフィアは、両方とも王子様みたいだった。ラムズは現に『海賊の王子様プリンス』なんて呼ばれているし、記憶にあるサフィアの服装はかなり豪華なもの。


 サフィアが昼の王子様なら、ラムズは夜の王子様──。

 そんな感じがした。




 それからあっという間に五日間過ぎた。ここベルンを発ってクリュートに行く日になる。クエストをやるためだ。

 ラムズが仕入れた情報によると、クリュートは人間が行くとそのまま帰ってこなくなるらしい

(家でほとんど宝石を見て過ごしていたのに、いつ仕入れたんだか。『俺には勝手に情報が入ってくんだよ』なんて言ってたけど、意味がわかんない。テキトウに言ってるだけだと思うけど)。


 だからロミューはベルンで待っていることになった。殊人シューマも危ないかもしれないんだって。わたしとラムズ、ヴァニラでクリュートに向かうことを決める。

 

 今更だけど、ヴァニラの使族しぞくは何なんだろう? お酒に酔わない使族は光の神が関わっているのよね。うーん……、まだ知らない使族なのかしら。


 ケンタウロスはヘレウェスとフォルティだけが来た。ロミューが行かないから、アウダーは来なかったみたい。わたしはこの前と同じでラムズと一緒にヘレウェスの背中に乗った。




 ベルンから三日かかって、わたしたちはクリュートに着いた。


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 入国審査待ちの馬車の後ろに、わたしたちも並ぶ。そんなに列は長くない。あと10分もすれば順番が回ってくるだろう。


 街壁で覆われているから、街の中の様子が見えない。街門を守る兵士たちが、街の入口で入門審査をしている。

 でも兵士の格好がなんだか変。まるで玩具おもちゃ──ブリキの兵隊みたいだ

(海賊をやっていると、色々な商船を襲うことがあるのよ。その中にはもちろん貴族に向けた商品が乗っている船もある。貴族の子供が使う玩具に、兵隊だとかお姫様のお人形があるの)。


 赤い服に長方形の黒い帽子。普通の服っぽい感じがしない。どうしてだろう。あ、凹凸がなくて、服に絵が描いてあるだけだからかも。

 赤いコートの真ん中に金のチェーンが描かれている。ただ金色のペンキで線を引いただけの、簡素な絵柄だ。

 変な服ね。色を塗るくらいならちゃんとチェーンを使えばいいのに。黒い帽子だって、ただの円柱形の箱みたい。



 順番が回ってきて、わたしたちは門の入口に来た。兵士たちと簡単なやり取りを済ませ

(兵士の話し方や動作はちゃんと。服はともかく、中身は普通の人間みたい)、

街門を通る。


「わっ、なにこれ……?」


 街に一歩踏み入れた途端、今度は白い石造りの門が現れた。今までそこになかったのに、急に現れたのだ。


「あー。そっか」

「なに? ラムズはこの建物のこと何か知ってるの?」


 彫刻のある三角屋根と、それを支える石柱。何かの神殿みたい。左右に三本ずつ巨柱が並んでいて、真ん中だけ開いている。ここを通れってこと?

 こんな門初めて見た。門というより"門の建物"って感じだ。周りの薄暗さの中で、なぜか一際白く光って見える。なんだか神聖な雰囲気ね。


 

 三段の階段を上り門の中に踏み入れると、急に身体が浮いたように感じた。行く手の両側に数本柱が並んでいて、その背後には壁がある。

 ヴァニラのツインドリルがぴょんぴょん跳ねて、わたしの腰に当たった。


「わあ~。まさかそうだったのよのー」

「……神門プロピュライア

「なにそれ?」


 天井は想像よりもずっと高い。壁で囲まれていて足音が響きそうなのに、全くの静寂。息継ぎの音さえ聞こえない。こんなに柱が並んでいるのに、その影は全くない。もちろんわたしたちの影も。


 門を出ると、奇妙な静けさは収まった。やっとクリュートの街。隣で、ラムズが街の外観を見てはっとした顔をした。そして面倒くさそうな声で言った。



「クリュートは、神造域アサイラムになった」


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