第78話 宝石の城

「シャーク様に、敬礼!」


 門の前の衛兵がそう声を出した。ビシッと手を挙げる。わたしはラムズを見た。ラムズは唇を傾けて右手を前に出した。


「ようこそ、我がやしきへ」


 わたしはもう一度正面を見た。

 邸だ。邸。つまりお城みたいな場所ってこと。


 ──いや、何ここ?! ラムズの家なの?!


 白い外壁に青い屋根。一番高いところはおそらく四階建てくらい。ステンドグラスの窓、きらびやかな金色の装飾のしてある黒いドア。そのドアの横幅はわたしの三倍はある。窓や屋根の上も金で縁取られている。まさかこれが全部本物の金ってことはないわよね?


 ラムズが目配せするから、仕方なくわたしが先に邸の庭に足を踏み入れた。縦に真っ直ぐ並んでいる衛兵が怖い。全員敬礼中。


 待って。本気で、ラムズって何者?!



 ラムズはわたしの少し後ろからついてくる。なんで先に歩かないのよ! というかどうしてわたしだけ招待されてるんだろう? ロミューとヴァニラは普通の宿に泊まっているのに。なんでわたしだけがこんな……!


 庭は邸の五倍の広さはあった。もう日が落ちていてよく見えないけど、花壇

(ここに使われているのは、比較的攻撃性のない魔植ましょくよ。でも中には攻撃性のある魔植をあえて使う貴族もいるとかなんとか)

はきちんと整えられていて、噴水まである。けどわりと殺風景だ。必要最低限の物しか置いていない。



 門から邸のドアまで、おそらく50メトルはあったと思う。わたしはドアの前に立つと、恐る恐るドアノッカーに触れた。ドラゴンの顔のドアノッカーだ。口に丸いリングが付いている。

 ドラゴンの瞳が赤く光って、口を開いた。リングが勝手に揺れる。ガンガンと大きな音を鳴らす。

 なにこれ?! びっくりして後ろに後ずさった。


「何してんだ?」

「ノ、ノックをしようと……」

「家主はここにいるのに?」

「ハッ! そ、そうだった……」

「見てて飽きねえな、あんた」


 ラムズは笑いながらわたしを見下ろしたあと、ドアを開けた。鍵はかかってなかったのかな。もしくは魔法で鍵をかけていたのかもしれない。もう解除したのかも。



 ラムズが邸の中に入った。わたしも入ってみる。大量の使用人が出迎えてくれるんだろうな──と思ったのに、そこは誰一人いない。がらんとした空間だ。

 いや、がらんとはしていない。

 ──ダメだ。ラムズ、やっぱりおかしい。


 ここってなに? 宝石の城?


 天井には船長室のものよりも五倍はある、ダイヤモンドのシャンデリアがかかっている。あれが落ちてきたら確実に死ぬ。

 壁という壁に宝石がかかっている。どうやってかけているのかは知らない。宝石の色ごとに分けられていて、壁の模様みたいになって光っている。絨毯は青色で、フリンジに小さな宝石が縫い付けられている

(ラムズが一つ一つフリンジに宝石を縫い付けたんだとしたら、その執念と器用さに盛大な拍手を送るわ)。


 目の前には大きなサファイアの宝石があった。なんていうか、まるで銅像みたいにして置いてある。金色の台座の上、わたしの身長くらいの大きさの、ダイヤ形のサファイア。魔法でも使っているのか台座の上で浮いていて、それがゆっくりと回っている

(メアリも銅像にされるぞって、そんな皮肉なジョークやめてくれる? え、ジョークよね……? 違うの? え?)。

 その向こうに見える螺旋らせん階段の手すりにも、ところどころ宝石が埋め込まれているみたいだ。



 わたしは呆気に捉えて、しばらく声を出せなかった。でも何か言わなきゃと思って、捻り出すようにして言葉を漏らす。


「なに……ここ……」

「俺の邸」


 わたしの音のない声とは反面、「なに聞いてんだ?」なんて感じで返された。


「ラムズって……ナニ……」

「あー、俺、アゴール王国でも貴族の称号を貰ったんだ。子爵。男爵の一つ上。だから邸がある」


 なるほど、彼にとってはなんでもないことらしい。


「へ、へえ……」


 もうこれからは何を言われても驚かない気がする。そのうち『プルシオ帝国では侯爵だ』とか言われそう

(貴族の称号は身分が低い順に、男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵っていうのがあるらしいわ。この前ラムズから聞き出したの。でもまだちゃんと覚えてない。覚えなくてもいいかな?)。


「こんなにたくさんの宝石、どうしたの?」

「集めたに決まってんだろ」

「ど、どうやって?」

「俺の年齢教えただろ。5000年もあればこんくらい集まる」

「そっかぁ……たしかにぃ……」


 なんだか規模が違う。でも5000年あればたしかにこれくらい集まるのかな。もう分かんないや。呆れて何も言えない。

 でも船長室とは違って広い空間だから、宝石の煌めきで目がやられるなんてことはなかった。


「それよりこんなに大きなお邸なのに、使用人みたいな人たちはいないの? 外には衛兵がいたのに」

「必要ねえからな。掃除は魔法でやればいい」

「魔法で?」


 ラムズはわたしの方を向いて小首を傾げた。またもや「なに言ってるんだ」とでも言いたげな顔。

 ラムズは手を出して魔法を使った。邸全体が海の中みたいになる。青色の揺らめいた水の中に見える宝石が綺麗────。そして、すぐに水が消えた。


「……浄化魔法?」

「ああ」

「こんなに広い空間を?! そんなことできるの?」

「メアリだって一部屋くらいならできる。あー、魔力量が足りなくなるかな」

「そうでしょうね……。ドラゴンみたい……」

「ドラゴンなら国全体に浄化魔法を使えるだろうな」

「そんなに?!」

「ああ。だから大したことねえよ」


 大したことないのかな……。分からない。もうラムズの常識がおかしすぎて。そんな事言ったらわたしの常識もおかしいのかな。どんどんラムズに毒されている気がする。



「衛兵もいらないんじゃないの?」

「ああ。いらねえな。普段は置いていない」

「今回は騎士を雇ったの?」

「ああ、だがあいつらは従士じゅうしだ。その方が安くなる」


(従士は、戦士ナイトの中で騎士と魔士ましの一つ下のくらいの人たちね)


「裏切って家の中に入ってきたりしないの?」

「そんなことしたらあいつらの将来が閉ざされるから、しねえだろ。まあドアは開かなくしてあるし平気だ」

「ふうん、そっか……」

「部屋に行く」


 ラムズは一度サファイアの銅像を惚れ惚れした顔で見たあと(ハァ)、螺旋階段を登っていった。



 絨毯じゅうたんはやっぱり青色だ。まるで星空みたいな絨毯。藍色の中に銀のきらめきがちりばめられている。

 普通の絨毯とは全然違う。たぶん魔法が使ってあるんだと思う。絨毯の模様が少しずつ変わり続けていて、奥行があるのだ。本当に夜空の上を歩いているみたい。


「綺麗だろ?」

「ええ。ラムズがやったの?」

「ああ。本当は宝石を付けたかったんだが、歩く場所だから諦めた」

「壁の宝石もラムズが並べたの?」

「そう。模様については意見をもらったがな」

「そうなの……。誰かがこの邸を壊したりしたらどうするの?」


 ラムズはびくりとして立ち止まった。考えるだけでも怖いみたい。わたしの方へ振り返る。


「強度な魔法をかけてるから大丈夫なはずだ。たぶん」

「ドラゴンが来たら壊れる?」

「……ああ」


 なんだか項垂うなだれてしまった。申し訳ないことしちゃった。なんか言ってあげなきゃ。


「でも綺麗ね、本当に。よくここまで集めたわね。尊敬しちゃう」

「尊敬?」

「だってこんなにたくさん集められないわ、普通の人は」

「これが生き甲斐だからな」


 ラムズは少し投げやりに言った。



 廊下には全部で10部屋くらいあった。どれも扉は似ているけど、一際目立つ扉があった。ラムズは、その一番豪華な扉の前に立った。扉は白色で、青い宝石がいくつも埋め込まれている。


 ラムズが扉を開ける。

 部屋は広くて、天蓋てんがい付きのベッドと、水晶の机、金の肘掛け椅子があった。暖炉もある。どれも至る所に宝石の装飾がある。

 天井には小さなシャンデリアがかかっていて、魔法なのかそれが光っている。今は夜だけど、このシャンデリアのおかげで部屋は明るい。


「基本的にはこの部屋を使う」

「ラムズはどこにいるの?」

「ここ」

「一緒の部屋? 他にも部屋があるのに?」

「いやか?」

「えっと……ラムズはその、襲わない? この前とは色々と変わってる……し……」

「ちゃんと警戒してんだな? へえ、エラいエラい」


 ラムズは手を伸ばして、わたしの頭を撫でた。わたしはびくっとして後ずさる。ラムズは笑いながらまた言った。


「だが、俺は人間じゃねえだろ? メアリは人間の常識にとらわれたくねえよな。メアリを尊重してやるから、このまま一緒の部屋にいよう」

「そ、そう……。よく分からないけど、ありがと」


 ラムズはわたしを見下ろして笑っている。彼によれば、わたしに配慮してくれているらしい。アゴールにいた時も何かしてきたわけじゃないし大丈夫かな。

 それに一人でこの部屋を使うのは寂しい感じもする。広過ぎるんだもの。普段の宿の部屋の五倍はあると思う。15メトル×15メトルくらい?


 わたしはそろそろと歩いて、ベッドの上に座った。ふわふわだわ。

 ベッドの布団は白地に薄い青の模様が描いてある。糸が特殊なものなのか、ところどころ光っている。天蓋のカーテンは藍色。これも星空みたいだ。



 ラムズが近付いて来て、わたしの隣に座った。わたしは少し離れる。


「どうかした?」

「いいえ、なんでもないわ」

「避けられると悲しいなー?」

「ご、ごめんなさい。避けてない!」


 わたしはラムズに近付いた。「ありがと」と言って彼は微笑む。悲しませるつもりはないわ。ちょっとびっくりしただけだもの。

 そういえばさっきアリスに言われた話、聞いてみようかな。今聞くのでいいのかしら。わたしがもう一度口を開く前に、ラムズが話した。


「服着替えるか。綺麗にしてやる」


 ラムズはまた浄化魔法を使った。水で身体が浸される。わたしはまだこの魔法を上手く使えてない。簡単そうに見えて意外に難しいのかなあ。テクニックが必要っていうか。

 ラムズのおかげで髪の毛がさらさらになる。艶もできている気がする。嬉しいな

(この魔法本当に便利よね。本当はお風呂に入るんだっけ。そもそも海の中じゃ大して汚れないのよね。海藻や貝殻で身体を拭くことはたまにあるけど)。


 ラムズはベッドから立ち上がった。「服を取りに行ってくる」と言って、部屋を出て行った。




 ラムズが戻ってきて、服を受け取る。部屋で着る用の服みたい。なんでこんなもの持ってるんだろう? 女の子用のものよね。わざわざ買ってくれたのかな。それとも、誰かが泊まってたことがある、とか……。


 ラムズがまた部屋を出て行ったから、わたしは着替えることにした。今着ていたチュニックを脱いで、靴下も脱ぐ。下着も貰ったから、今履いている下着も脱いだ。

 裸になったせいで人間の脚がよく見えるようになった。人間の足って、やっぱり変よね

(わたしとしては、特に地面を踏む部分の足が変だと思うわ。どうしててのひらと同じ形じゃないのかしら? 指の長さも掌とは全然違うし)。


「あれ? 治ってる!」


 わたしは自分の胸元を見た。鱗が大分治ってる。今まで見ないように着替えていたから、気付かなかったみたい。

 ところどころ鱗ががれたせいで肌があらわになっているところもあるけど、残っていた鱗は綺麗な青色のオパールに戻っている。


 よかった。自然回復は早かったみたいね。早く全部の鱗が生えるといいな。このままだと肌がちらちら見えていてなんだか変だ。



 わたしが服を着ようとしたら、ドアが開いた。ラムズだ。明らかに喜んでいる。


「鱗が治ったって本当か? 叫んだ声が聞こえた」

「そんなに大きな声で言っちゃったかな」

「ああ。ていうか、着替えてる途中かよ」


 ラムズはわたしの身体を上から下まで見た。わたし裸だったわ。まぁ気にしてないからいっか。上はもう見られているし、下は人間の脚だしね

(なんか言った? 『枕をラムズに投げつけろ』?)。

 

 ラムズはそのまま部屋に入ってきた。ラムズも全く気にしてない。たぶん性欲ってものがないのかもね。ラムズも人間じゃないもの。

 あれ、でもそういえば、前にレオンに忠告されたことがある。船でそのまま着替えるなって。「男に裸を見られたらどうするんだよ」みたいな。今見られているのってまずい?


「鱗が治ったなら、こっちにしろ」

「これ? 分かった」


 ラムズが違う服を渡してきたから、わたしはそれに着替えた。



 なにこの服。着てるか着てないか全然分かんない。スースーする。レースとかリボンが付いているからかわいいけど……。

 上は肩紐だけで、胸元から腰すぎまではひらひらした薄い生地。生地が透き通っているせいで、胸の鱗が見える。キャミソールみたいな感じだから、腕の鱗も剥き出しだ。服の色は白色

(ネグリジェ? ベビードール? 名前がたくさんあるのね。とりあえず教えてくれてありがと)。

 靴下とガーターベルトがあったからそれは履くけど、あとは下着のパンツだけだ。寒いしこれって服って言えるの?


「これなに?」

「知らん。そっちの服だと常にメアリの鱗が見えるからいいと思ったんだ」

「まぁたしかに……」

「せっかくだから見よう」

「ちょ、ちょっと!」


 ラムズはわたしの方に近付いて、身体を持ち上げた。膝の裏と背中に腕が回される。横抱きっていうのかな

(これはお姫様抱っこっていうの? へえ、たしかにお姫様っぽいかもね)。

 「下ろしてよ」と睨んだけど、ラムズは笑ったままだ。


「わたしのことなんて持ち上げられないかと思ってた」

「なんで?」

「ラムズ、体力ないじゃない」

「こんくらいならできる」


 ラムズはわたしをベッドに下ろした。ラムズもその横に座る。

 


 わたしが「寒い」と言ったら、ラムズが暖炉に魔法を放った。一瞬にして炎が上がる。部屋が一部赤色に染まった

(今は夏だけど、夜はそんなに暑くないわ。そもそも、夏っていうのは春よりも少し温かいってだけ。長袖で過ごしていても、普通にしていたら汗はかかない。火の神テネイアーグといえど、その辺は考えてくれているみたい。

 あら、夏とペイナウ大陸の気候は大違いよ。ペイナウ大陸は少し変なの。季節もずっと変わらないしね。春や冬にも、あそこだけ雨や雪が降らない。一年中すごく暑い砂漠のまま)。


「これで問題ねえな」

「この格好で寝るの?」

「ああ。メアリ、貴族と関わりたいんだろ? この服は貴族が寝る時に着るらしい。似たのを着るんじゃねえか? 貴族っぽいことはしといた方がいい」


 わたしは素直に納得して、ふんふんと頷いた。ラムズは少し目線を上げて考えたあと、ぽつりと言う。


「貴族の女は、服を着替えるのも手伝ってもらうとか」

「自分でやらないの?」

「ああ」

「他には?」

「食べ方とか、言葉遣いとか」

「言葉遣いかぁ。少しは敬語も知ってるわよ?」

「へえ。話してみろよ」


 ラムズに? わたしが怪訝そうな顔をすると、ラムズは「早くしろ」と言った。ラムズほど流暢りゅうちょうには話せないし、見てもらった方がいいのかな。


「えっと……。シャーク男爵?」

「ああ」

「寒いでしわ」

「寒いですわ、な」

「分かったわ」

「分かりましたわ」

「分かりましたわ」


 ラムズは呆れながら、暖炉の方に目を向けた。


「寒くないだろ、今暖炉に火をつけたんだから」


 わたしもなんとなくそちらを見やって、頷いて言う。


「シャーク男爵は、魔法が得意なんでしの」

「魔法が得意なのですね、な」

「魔法が得意なのですね。驚いたですわ」

「驚きましたわ、だな」

「驚きましたわ。この練習、飽きましたわ」


 銀の髪の毛を耳にかけて、目を細めた。


「早すぎんだろ。本を貸してやるから、それで練習しとけよ」

「どうしてこんなことをするんですわ?」


 ラムズは頭を振って訂正する。


「こんなことをするのです? の方がいいな。メアリが貴族と関わるかもしれないから」

「そうなんですか? どうしてですの?」

「まあ、いずれ分かる。とりあえずもういい。言葉遣いは自分で勉強したのか」

「ええ。文字を勉強した時にね」

「そういえば文字も書けたな。それはいい」


 ラムズはわたしの頭をぽんぽんと撫でた。なんだか恥ずかしくなって、ラムズの手をどかす。


 けど、今後のためにもちゃんと勉強はした方が良さそうね。ラムズは本当に貴族みたいだから、言うことを聞くべきかも。改めて、ラムズに本を借りる約束をした。



 わたしがベッドの上でなんとなく腰を動かしていたら、ラムズに変な目で見られた。だってふわふわで楽しいんだもの

(やっぱりやりたくなるよね? ぼふんぼふんって。この布団すごくふわふわなの。この布団なら人間がベッドで寝るのも納得だわ!)。


 ラムズは目線をずらして、鱗の方を見た。慣れた手つきで眼帯を外す。もう魔法はかけないみたいだ。青い宝石の左目と、普通の右目がこちらを捉える。


「本当に綺麗だな。触っていい?」

「服の上から?」

「それじゃ意味ないだろ」

「そっか」

「見えづらいから、こっちに来て」

「どっち?」

「ここ」


 わたしは立ち上がって、ベッドに座るラムズの前に来た。

 ラムズは小さく頭を傾けて、優しく笑う。


「じゃあ、上脱いで」

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