第74話 誰のせい?

[メアリ視点]


「いやああぁぁぁああぁぁ」


 ヴァニラが橋の前方で叫び声を上げている。もしかしてヒュドラに殺されたの?! さすがにそれはない──わよね……?


(ヒュドラは、巨大ポイズスネへびイクが五匹くっついたような、Sランクの魔物。スリーシ川に潜んでいる魔物で、生贄を川に投げれば襲われることはなかったはずなの。でもなぜかわたしたちは襲われてる。本当になんで? ラムズも分からないらしい)


 四匹のポイズスネイクが縦横無尽に動き、そのうち二匹がわたしとラムズ、ヘレウェスの方に猛追もうついする。一匹だけでもわたしくらい大きいのに、二匹も?!


 ラムズはわたしの後ろから魔法を放ち、ヒュドラに雷を落とした

(いやいや『雷を落とした』って、怒ってる方じゃないから! 本当に雷を落としたの。まぁたしかにヒュドラにはみんな怒ってるけどさ)。


 空を黄色い稲妻が走り、二匹のポイズスネイクに直撃する。

 でも全く効果がない。ポイズスネイクは頭をぶるりと振っただけで、そのままわたしたちの方に迫ってくる。


「ヘレウェス! 橋を降りるんだ! 早く!」

「お、おう!」


 ラムズの声に、ケンタウロスのヘレウェスはきびすを返して橋から遠ざかる。ポイズスネイクは3メトルほど体を伸ばして追いかけてくる。

 ヘレウェスはすごい勢いで疾駆しっくした。わたしは振り落とされないよう、必死に彼の体に掴まる。さすがにケンタウロスのスピードには追いつかなかったらしく、ポイズスネイクは舌をシューシュー鳴らして諦めた。


 橋から20メトル離れたところで、ヘレウェスが止まる。でも橋にはまだロミュー、アウダー、ヴァニラ、フォルティが残っている。わたしは声を上げた。


「ヴァニラたちは?!」


 ラムズはヘレウェスの背中から飛び降りると、走ってヒュドラに近付いていく。わたしも続けて降りた。



 ヴァニラはヒュドラに捕まったわけじゃないみたいだ。泣き叫びながらヒュドラに魔法を放っている。


「許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さないぃぃぃいいいぃぃい!」


 ヴァニラの体の周りが火のように燃えている。いや、炎をまとわせてる?! とにかく怒り狂って、ヒュドラにめちゃくちゃに魔法を放っている。

 ヒュドラはヴァニラの10倍は大きい。今にも一匹のポイズスネイクに食べられてしまいそうだ。


 ヴァニラの炎や水、氷、雷、様々な魔法がヒュドラに襲いかかる。でもヒュドラはそれにも意を介さない。怯むことなくヴァニラに毒や炎を吐いている。


「【水よ、嵐よ、全て飲み込まん


 ── Aque アキュー Tempesim テンペシム  Mandurat マンドラット 】」


 ラムズが詠唱をする。川の水とラムズの出した水がぐるぐると混濁し、大きな渦がヒュドラを飲み込む。

 ヒュドラはラムズの方に猛火を吹いた。太い火柱のような炎が迫り来る。

 わたしは思い切りラムズに体当たりをした。間一髪、髪をかするだけで済んだ。ラムズが叫ぶ。


「ヴァニラ! 切りがない! はやく橋から降りるんだ! ヴァニラ!」

「いやぁぁぁああぁぁぁいやぁぁああああぁぁぁああぁあああ」


 ヴァニラの服が紫色に染まってびしょ濡れだ。あれは何? 間違えて自分の毒を浴びたの? いやむしろヒュドラの毒を浴びた?!

 ケンタウロスのアウダーが、手を掲げて矢を打つ素振りをする。弓矢なんてのに──。見えない矢が射られた。


 ──ヒュンッ。


 橋の上で射たれた矢の音が、10メトルは離れたわたしの耳に聞こえた。


「グギャァァオオオァァ」


 見えないがヒュドラのポイズスネイク一匹に突き刺さっている。


「今のうちだ! 来るんだ! ロミュー!」


 ロミューはケンタウロスに乗ったまま、ヴァニラの体を思いっきり引っ張る。フォルティの上に乗っていたヴァニラは、そのままロミューの手の中に入った。


ってぇえっ!」

「放してええぇぇえぇええ」


 ロミューが顔を思い切りしかめている。ヴァニラがロミューの腕を噛んだらしい。それでもロミューは手を離さない。ロミューとアウダー、フォルティは橋から降りていく。



 一目散に二人のケンタウロスがこちらに突進し、近くまでやってくる。ヒュドラから離れられて、ようやく息をついた。アウダーは息絶え絶えだ。


「ハァ、ハァ……。なんとか、なったね……」

「どうすんだ? これじゃあ橋を渡れないよ?!」


 女ケンタウロスのフォルティが、地面に座ったヴァニラを心配そうに見ながら言う。ヴァニラの髪は乱れ、体は濡れている。服が紫色に染まり、お酒の匂いが漂ってきている。


「ヴァニ、ヴァニの……」


 ラムズは手を掲げて、ヴァニラに浄化魔法を使った。彼女の体が一瞬青色の水泡に包まれて、すぐに消える。髪の毛や服の色が元に戻った。

 ラムズはゆっくり彼女に近付いた。


「酒を落としたのか?」

「そうぅぅううう! 倒すの! あいつの! せいなのぉおおぉぉぉおおお!」

「分かってんだろ?! Sランクのヒュドラなんて倒せるわけねえ!」

「でも、でもぉぉおおおぉ! いやああぁぁあぁぁあああぁぁ」

「おい! 泣くな! ヴァニラ!」


 ラムズはヴァニラの体を引き寄せ、そのまま抱き締めた。ヴァニラはラムズの胸の中でぎゃんぎゃん泣きわめいている。ラムズはその度に、何回か浄化魔法を使った。

 それにしてもヴァニラは……。大事なお酒を落としちゃったなんて。かわいそうだ。なんでこんなことになったの? ヒュドラが許せないよ。なんとかしてお酒を取り戻してあげなきゃ────。


 いや、待って、待って。またおかしくなってる。

 ラムズがヴァニラを抱きしめていてくれてよかった。わたしは涙を見るとおかしくなるんだ。わたしは耳を塞いで、彼女の声もなるべく聞かないようにした。このままじゃ理性的な判断ができなくなる。



 隣にいたヘレウェスがわたしの方を見て不思議そうな顔をする。わたしは耳を塞いだまま、ヘレウェスに言った。


「涙を見るとおかしくなるの。泣き声も。だから聞かないようにしてるの」


 ヘレウェスは頷いて何か言ったけど、聞こえない。

 川の方を見ると、まだヒュドラはこちらを見ていた。完全に川から出ることはできないみたいだ。ポイズスネイクの頭をくねらせながら威嚇している。



 ラムズがようやくヴァニラから体を離した。どうやら泣き止んだらしいわね。わたしも耳から手を離す。


「ヴァニラ、落ち着いたか?」

「ラムズ……。どうしたらいいの……」

「これは事故だ。大丈夫だ。他の酒を買ってやるから。一番ヴァニラが好きなやつ。どんなに高い酒でもいい」

「でも……落としたお酒は……」


 ラムズは苦々しい顔をしながら川の方を見た。酒瓶は川の上でプカプカ浮いているけど、中身の酒はもう川に溶けて流れてしまっている。

 ヴァニラの方に向き直り、ラムズがしゃがむ。彼女の肩を掴んで、諭すように言った。


「あれは事故だ。事故。分かるか? だから仕方なかったんだ」

「分からない……」

「なんでも買ってやるから。頼む、もう元気になってくれ」

「お酒……お酒が……」

「……ロマネ・コンティ」


 ラムズの声に、ヴァニラがはっとして顔を上げた。うるうるとした瞳で彼を見ている。


「ドン・ペリニヨン」


 ヴァニラがごくりと唾を飲んだ。


「モエ・シャンドン」

「……あと、ちょっと……」


 ラムズが溜息を吐いて、小さく呟いた。


「アシエンダ・ラ・カピリャ。宝石は俺がもらう」

「元気になった」


 ヴァニラの瞳はまだ少し潤んでいるけど、なんとか立ち上がった。ラムズも腰を上げる。何の話をしていたのかはよく分からないけど、とりあえず解決したみたいだ。

 ラムズがわたしたちの方を向く。


「なんで橋を渡れなかったんだ? 今までこんなことあったか?」

「オレは知らんな! 本当にびっくりした! 初めての経験だ!」

「僕っちも! Sランクの魔物に《風矢ふうや》を射ったなんて、仲間に自慢できるやっ!」

「お前! 知らないうちに! ずるいぞ!」


 ヘレウェスが笑いながら、アウダーの頭をちょんと小突こづいている。アウダーは少し照れながらも、屈託のない笑みを向けている。二人とも、さっきまで襲われていたとは思えないポジティブさだ。──見習いたい

(火の神テネイアーグが創った使族だからでしょうね。戦うのが好きだって話してなかった? 命を脅かされてることなんて関係ないのかも。戦って死ぬことが最大の幸せ、なんて思ってそう)。


 ラムズは二人を見て溜息を吐いている。わたしはぽつりと呟いた。


「本当になんでこんなことになったのかしら。最初ヴァニラたちが橋にのったときは何も起こらなかったわよね?」

「あぁ! アタイたちは平気だったね!」

「僕っちも! 問題なかったよ!」


 女ケンタウロスのフォルティ、続けてアウダーもそう言った。ヘレウェスが顔を険しくさせる。


「たしかに、オレが足を踏み入れたら川が溢れ出したな! ラムズまさか、ヒュドラに怒られることをしたのか?!」

「は?! 俺?!」

「ラムズが一番怪しいの!」


 ヴァニラに同感。

 ラムズは視線を上にあげて、本気で考え始めた。やっぱり思い当たるところが──


「いや……俺、さすがにヒュドラに怒られるようなことはしてねえよ。それに前通った時は問題なかったぜ?」


 あら。本当にないのかな? 少なくともヒュドラ「には」って言葉が抜けてる気がするけどね。


「じゃあヘレウェスかの?」


 ヴァニラが言って、ヘレウェスはぶんぶんと頭を振った。


「オレはつい一ヶ月前、橋を通ったぞ?!」


 全員の視線がわたしに向いた。


「へ? わたし? わたしなの?」

「あんたしかねえだろ」

「メアリは半分人間で半分人魚なんておかしな使族だから、怒ったの!」

「そんな……、まさか、そういうこと?!」


 ウソでしょ? わたしのせい?

 なんだかいたたまれなくなって俯く。ヘレウェスはわたしの背中をバシンと叩いた。


「気にすんな! 問題はどうするか、だ!」

「たしかにそうだな。けど、本当にメアリのせいなのか? なんでメアリに怒ってんだ?」

「わたし何かしたかなぁ……。────あ」


 もう一度、全員が揃ってわたしを見た。少しだけ視線を逸らして、小さく呟く。


「えっと……その……。今思い出したんだけど……」

「なんだ?! まさか人魚のあいだでヒュドラに小便をかけるのが流行ってるとか?!」

「ヘレウェスは黙ってな!」


 フォルティがぴしゃりと言った。


「なんか人魚の昔話で……。体がおかしくなった人魚がいたって……」

「体がおかしく?」

「うん……。わたしたち人魚って、海に誓いを立てたら絶対に破っちゃダメでしょ。ある人魚が海に愛を誓ったんだけど、それを破ったの」

「海に愛を誓う?」


 ラムズが尋ねて、わたしは答える。


「そう。人魚は、永遠の愛を海に誓うことがあるの。恋人同士でね。やってもやらなくても別にいいんだけど……」

「それでどしたの?」


 ヴァニラがふんふんと頷いて言った。わたしは息を吐いて、また吸い込む。


「誓いを破った人魚は──、下半身が五つに裂けたの……」

「まさかそれがヒュドラってことか?」


 ラムズはそう言うと、もう一度川の上にいるヒュドラを見た。

 うーん。人魚には見えない。鱗は人魚と似てなくはないけど、鱗が日焼けでもしない限りあんなドス黒い色にはならない。ちなみに鱗は日焼けしない。


「とにかくそのあと、その人魚は他の人魚には嫌われたの。見た目が変だし、海の誓いを破って水の神ポシーファルに怒られているしね。でも、もしかしたらあのヒュドラは他の人魚に嫌われたのを覚えているから、今回わたしを見て──」

「なるほどな。ありえなくはなさそうな話だ」


 ラムズがそう相槌を打った。ロミューが苦笑しながら言う。


「ニンフといい人魚といい、怪物になった使族は多いな。この前のスキュラもいずれ魔物として登録されるんじゃないか?」


(スキュラは、無人島にいた怪物。上半身が女のニンフで、下半身にフェンリルが六頭付いていたやつよ)

 まだヒュドラが本当に人魚だったかは分からないけどね……。あの話は一応伝説みたいなものだし。でも同じ人魚の話だからか、なんとなく恥ずかしい。


 でも本当にどうしたらいいんだろう。わたしとロミュー、ヴァニラ、ラムズは地面に腰を下ろした。正面突破は無理。とにもかくにも、作戦会議ね。



 ラムズは体を曲げて、もう一度ヒュドラの方を見やった。


「ヒュドラ、ポイズスネイクの数は五匹だよな」

「そうね」

「一匹はどこだ?」


 わたしは目を凝らしてヒュドラを見た。ラムズの言う通り、四匹しか川の外に出てない。

 ──あ、見つけた。一匹は川に潜ってしまっている。何かを探しているというか、何かに夢中になっているように見える。


「川に潜ってるわね。最初からそうだった?」

「ヴァニが戦ってた時は、たぶん五匹あったと思うの」

「俺がヴァニラを捕まえた時には、もう四匹に減っていたような気がするな」

「僕っちが弓矢を射った時も四匹だったぜ!」


 ロミュー、アウダーがそれぞれ言う。どういうことだろう? わたしは首を傾げて口を開いた。


「ラムズかヴァニラが一匹倒したんじゃないの?」

「ありえない。倒せるわけねえよ。見ただろ、ほとんど効果なかったの」

「あ、そういえば、ヴァニが酒瓶を落としたらの、それを追いかけるみたいに一匹だけ川に潜ったの」

「ヒュドラは酒が好きってことか?!」


 ヘレウェスが言う。ラムズが返した。

 

「酒が好きなら、一匹だけじゃなくて全部水に潜ったっていいだろ。だがまあ、やってみるか」


 ラムズは立ち上がると、自分の荷物から酒を取った。ラムズも一応お酒を持っていたみたいだ。ヴァニラが飲ませてって顔をしてるけど、これはラムズのお酒だからか怒るに怒れないらしい。

 ラムズはヘレウェスに酒瓶を渡した。


「投げ入れてくれ」

「はいよ! 任せな!」


 ヘレウェスは腕をブンッと振って酒瓶を投げた。空を高く瓶が飛んでいく。ケンタウロスの筋力もルテミスに負けてないわね。

 かなり遠い距離だったけど、ぽちゃんと音を立てて、ちゃんと酒瓶が川に沈んだ。わたしたちは全員、ヒュドラの方を見入る。


 ──変化なし。


「ダメだな。酒は関係ねえのか?」

「でも、ヴァニが落としたら一匹いなくなったのはたしかなの……」


 どうしたらいいんだろう? わたしたちはまた頭を抱えた。

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