第75話 欲しがり

 わたしたちは数十分、黙ったままどうしたらいいか考え始めた。でも全くアイディアは出ない。


 お酒がダメなら……水? でも水なんて、もう川にあるじゃない。海水がほしいとか? いやいや、まさか。

 人魚に戻りたいから、鱗が欲しいなんてことはないわよね──? 鱗とお酒は全く違うし……。


 とりあえず発言してみる。


「ラムズは何か思いつかない? ラムズならなんでも知ってそうなのに」

「俺だって人魚と旅したのはこれが初めてなんだよ。どんなに長く生きてたって、全て知れるわけじゃねえんだから」

「まぁ、そっか」

「とりあえずトキトウに投げてみたらどうだ?!」


 ヘレウェスが軽快な声で言う。テキトウに投げてなんとかなるのかしら? そんな能天気に決断しちゃって大丈夫なの?

 懐からヘレウェスはコインを取り出した。

 ──お金か、そんなものヒュドラが好きだとは思えないんだけど。


 ヘレウェスはさっきと同じように、腕を振ってコインを投げた。太陽の光に反射してキラキラっとコインが光り、川に落ちる。


「あ! 一匹潜ったわ!」

「本当だな。お酒の次はお金かあ」


 ロミューがひげさすって唸った。ヘレウェスはガッハッハと大きな笑い声をあげて、川の方を指差す。


「ほうら! 案外上手くいったじゃないか! よし、もう一回お金を投げよう!」

「待て。もう金はいい。次はまた違うものだ」


 ラムズが溜息混じりにヘレウェスを止める。

 しばらくすると、お金を落としたことで潜ったポイズスネイクは顔を出してしまっていた。効果が切れたってことなのかしら。お酒の方はラムズも投げたから、まだってる?


 ラムズは立ち上がって、円を描くようにゆっくりと歩き始めた。何か呟いている。


「美でもない……、睡眠、正義も無理だ……死? いや、俺たちはヒュドラを殺せないからな……」


 わたしも腰を上げてなんとなく辺りを見渡した。橋の周りはあんまり木が生えてない。天気は晴れ。風がたまに吹いて、わたしたちの後方にある林の木々を揺らしている。

 さっきのニュクス王国は、生贄を投げただけで渡れたのになあ。本当にわたしのせいなのかしら? 全く、嫌んなっちゃう。


「いっそのこと、また魔物でも投げてみたら?」

「それが正解だったんなら、もう一匹川に潜ってんだろ。──あ、そうか」


 ラムズは街道の方を見た。どうしたんだろう? ヴァニラもぼんやり顔で、街道を見ている。


「おそらく残り二つは、『食べ物』と『音楽』だ。メアリが歌えばいい。だが神力は使うなよ」

「つまり、操ろうとはしないでただ歌うってこと? 本当に歌が関係あるの?」

「食べ物っていうのはなんなのー?」


 ヴァニラが尋ねた。ラムズはまた街道の方を見る。


「魔物じゃなくて、使族を渡す」

「じゃあ、今度誰か通ったらそいつを殺すってことだな! じゃあラムズ、頼んだぞ! あ、ケンタウロスはダメだからな!」

「とりあえず僕たちは隠れようぜッ!」


 ヘレウェスとアウダーがそう言って、林の中に入っていく。ロミュー、ヴァニラも立ち上がり、幹の後ろに向かう。わたしもみんなと一緒に森の魔植ましょくの影に隠れた。

 林の中は少し涼しい。風がすうっと服の中を通って、体がぶるりと震えた。魔物がやって来ないといいんだけど。


 最後にラムズがこっちまでやってきた。隠れているわたしたちを見ながら、さもおかしそうに笑った。


「レオンがいなくてよかったな。あいつがいたら何を言い出すか分からん」

「あー」


 ロミューが眉を動かしながら相槌を打つ。続けて言った。


「たしかに普通の人間は、関係ない人間を巻き込むなんてって怒りそうだからな」

「ああ。全員人間じゃなくてよかった」


 ──そういうものなのね。

 わたしは何の疑問も浮かばなかった。まぁでも、言われてみれば可哀想なのかな? ただこの橋の前を通っただけなのに殺されちゃうんだもんね。その人は運が悪かったのよ、仕方ないわ。



 なかなか新しい馬車は通らない。ヒュドラはもう川の中に潜ってしまっている。たぶんわたしたちが渡ろうとすれば、また出てくるんでしょうけどね。


 それから一時間くらいして、ようやく荷馬車が現れた。ラムズはわたしたちの方を見る。


「俺がぱぱっとさらってくるから、お前らはここにいろ」


 現れたのは人間。ケンタウロスたちは、自分の仲間以外が殺されることについては特に何も思わないらしい。三人とも林のもっと奥に行って、何やら戦いの練習をしているみたいだった。


 ラムズは自分に魔法をかける。変わってるようには見えない。何したんだろう? 


 馬車が橋のたもとで止まる。商人の馬車かな。後ろの荷台がかなり大きい。中から冒険者らしき男が出てきた。商人に雇われてるのね。

 ラムズはその後ろを悠々と歩いていく。でも気付かれてない。まさか姿が見えないようにしてる?!


 冒険者は荷台から魔物を取り出している。わたしたちが最初やったように、魔物を五体川に投げ込むみたいだ。

 ラムズが男の目の前に立った。男はようやくラムズに気付いて、何か話そうとする。

 瞬間、ラムズが手を掲げて魔法を使う。男は棒きれみたいにパタリと倒れた。睡眠魔法か何か──?


(睡眠魔法はかなり高度な魔法よ。一応闇属性の魔法だけど、それこそエルフくらい魔法の威力がないと使えない。他の人が使っても、ほんの一瞬相手をクラっとさせるだけなの。もちろんわたしもそうよ)


 ラムズは男を引きずって、そのまま荷馬車から離れた。



 わたしたちの隠れているところにラムズが戻ってくると、ようやく荷馬車にいた他の人間が出てきた。今更冒険者の男がいなくなったことを不思議に思ってるらしい。

 まぁでも、気付かれないわよね。こんなにあっさりさらってきたんだから。森の中までは見に来ないと思うし。


 わたしはラムズが連れてきた冒険者の男を見た。どこにでもいそうな人間。茶色いジャケットと、薄汚れたズボン。腰にはロングソードが刺さっている。

 ラムズはそのロングソードを抜いて、森の奥に放り投げた。そのあと体をまさぐる。


「何してるの?」

「いや、金か宝石がねえかなと思ってさ。死ぬんだからこいつはいらねえだろ」

「たしかにそうね。けど、宝石なんて冒険者が持ってるかしら。貧乏そうだもの」

「んー?」


 ラムズは胸にかかっているネックレスを取った。水晶で出来た、わりと綺麗なネックレスだ。名前が彫られているように見える。


「誰かの形見なんじゃないの?」

「そうかもな。女の名前が書いてある。けどアクロナイトだ」


 聞いたことない宝石の名前だ。ラムズは光に透かして宝石を見ている。

 レアな宝石なのかな。わたしには水晶のように見えるけど、詳しい人──つまりラムズのような宝石狂いが見ればちゃんと違いがあるのかもしれない。


「文字が彫られてるのに、いいの?」

「こんなんすぐ直せる」


 ラムズは宝石に魔法をかけた。宝石の表面が液状化したかのように動いたと思ったら、つるんと光った。傷が消えている。


「わあ、すごい。どうやったの?」

「浄化魔法の上位魔法みたいなもんだ。教えてもメアリにはできねえよ。っと、こんなもんでいいか」


 ラムズは腰を上げた。お金も持ち物も全部取り上げたみたいだ。ロングソードには興味ないらしい。錆びれていて、大してお金にはなりそうにないからかな。ラムズが男を見下ろしながら呟く。


「こんな簡単に襲えるなら、旅の途中に盗賊の真似事でもするか」

「海賊も盗賊も大して変わらないからね。いんじゃない? ケンタウロスは何か言わないの?」

「言わねえよ。それに襲うのは俺たちだけで十分だ。あー、どうせならあの荷馬車ごと襲うんだったか……」


 ラムズは目を細めて馬車を見ている。彼らはまだ冒険者がいなくなったことに慌てているみたいだ。もし見つかったら殺すしかないわね。


「お金や食べ物が足りなくなったら襲えばいいわよ」

「まあそうだな。持って歩くのも面倒だ」


 それにしても、眠らせたまま投げるのかしら? ヴァニラが近付いて、男の体をつんつんとつついた。


「起きないの? 生きたまま投げるの?」

「まああと一時間は起きねえだろ。生きたままだな。さっき魔物は死んでたから、生きてる方がいいのかもしれねえだろ」

「じゃあそうするの。ヒュドラが欲しがるもの、あと一つはなんなの?」

「俺は思いつかなかった。だから最後の一匹は、魔法で牽制けんせいして渡ろう」

「一匹といえど、Sランクよ……?」


 わたしがそう返すと、ラムズはロミューとケンタウロスがいる方に顔を向けた。


「ルテミスとケンタウロスがいるんだ。ヴァニラもいる。なんとかなんだろ」

「そういうものかな。わたしは歌ってればいいの?」

「ああ。あんたはずっと歌ってろ。間違っても神力は使うなよ?」

「はいはい」


 ヴァニラがケンタウロスたちを呼びに行く。ケンタウロスは寝ている人間を見てぎょっとしていたけど、わけを聞いて頷いた。

 この人も可哀想ね。生きたままヒュドラに食べられるなんて。まぁ、本当に食べられるのかどうかは知らないけど。川で溺れるだけかしら。



 わたしたちは橋の方を見た。荷馬車の商人たちは、とりあえず冒険者の彼を探すのは諦めたようだ。文句を言いながら、違う人が魔物を投げ入れている。

 そして、荷馬車も橋を渡っていなくなった。



 次はわたしたちだ。橋の長さは20メトル。ヒュドラはだいたい横幅だけで10メトルあった。大丈夫、たった20メトルの橋だ。なんとか渡りきれる。

 みんなで橋の前まで歩く。先にヴァニラが魔物を五体投げ入れた。これを投げることで、わたし以外はみんな橋を渡ることができるからだ。魔物は、さっきケンタウロスたちが取ってきてくれたらしい。


「ロミューとアウダー、フォルティ、ヴァニラはもう橋を渡れ。俺とヘレウェスで、メアリと一緒に渡る」

「ありがと」

「ああ」


 ヘレウェスが腕をボキボキ鳴らしながら大声で言った。


「オレも一発くらい《風矢ふうや》を当てたいところだ!」

「おいヘレウェス、分かってんな? とりあえず渡れればいいんだ」

「大丈夫だ! 分かってる!」


 ヘレウェスは白い歯を見せながら笑ってラムズに返す。

 ラムズに言われた通り、ロミューやヴァニラ、アウダーたちは橋を渡って行った。たしかに何も起こらない。

 四人が向こう岸に着いてから、ようやくわたしたちの番になる。ラムズが先に足を踏み入れる。何も起こらない。

 ヘレウェスがヒッポスの足でパカパカ歩く。何も起こらない。


 わたしが橋を渡り始めた。


 ──起こった(最悪)。


「ヘレウェス!」

「あいよ!」


 川から水が溢れだす。膝の上まで水がかかった。橋の左側、ヒュドラが勢いよく体を出す。

 ヒュドラの五匹のポイズスネイクが自在に動き、わたしの方に迫ってくる。わたしはなるべく離れて歌い始めた。

 ヘレウェスが川の中にどんどん物を投げ入れる。まずさっきさらった人間

(人間は川の中に入ったあとも寝たままみたいね。おやすみ人間)。


 ラムズがもう一つ持っていた酒瓶も投げられて、何枚ものコインが川に落ちる。わたしの歌もあって、四匹のポイズスネイクは完全に動きが止まった。


 深緑と赤紫の濁った鱗の中、どきつい金の瞳が異様に目立っている。ポイズスネイクは一匹でも相当太い。わたしの頭を丸呑みするのも余裕だろう。

 ポイズスネイクはわたしをギロリと見据え、素早い動きでこちらに迫る。


「【迅雷よ、包め ── Flagdyフラグディ Covlare コヴェラーエ 】」


「【水毒よ、侵せよ ── Venelom ヴェニロム  Occidelon オチデロン 】」


 ラムズとヴァニラが魔法を放つ。動いている一匹のポイズスネイクに白銀の電撃がまとわりつき、同時に水毒魔法がかかった。赤紫色の液体が体を覆う。


「ヴィイギヤァアァァアィナグァ」


(意味不明な鳴き声かもしれないけど、文字ではこれが限界なのよ。あんまり気にしないで)


 わたしは歌いながら走った。ヘレウェスも剣で応戦している。ポイズスネイクはヘレウェスの剣を華麗に避けると、目前に迫った。わたしは驚いて後ずさる。胃が竦む。怖い。歌う声が震える。

 ポイズスネイクがガバッと大きく口を開けた。真っ赤な口の中、杭のように並んだ歯がギラギラ見える。


「メアリ!」


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