第73話 治らない怪我 *

[*三人称視点]


 熾衿しえりは横で歩くゼシルを見た。

 黒い髪は長めで、襟足から先に鎖骨まで伸びた一房の髪の毛がある。耳の横の細い三つ編みはお洒落だ。ゼシルはさっきシャツのボタンを三つくらい開けていた。そこから金の複十字のネックレスが見える。

 騎士というだけあって、頼りがいのありそうな雰囲気だ。細身の身体だが、引き締まっていて背は高い。赤い瞳が細められるとなんだかドキリとする。人懐っこい笑顔は優しくて、熾衿はその笑みを気に入っていた。


「ゼシル、どこに向かっているの?」

「レオンと会う約束をしているんだ。あー、そうだ。レオンも異世界から来た人だったから、俺の宗教を受け入れやすかったのかもしれないな。だからシエリも崇神セブンス教に入らないか?」

崇神セブンス教?」


 熾衿は首を傾げた。聞いたことがない宗教名だ。熾衿が知っているのは三つ──光神カオス教、悪魔デモン教、使族ナチュル教だけだ。ゼシルが誇らしげに言う。


「俺が作った宗教なんだ」

「どんな宗教なの?」

「この世界には神様が七人いるだろ。その彼らを全員同等の神と見なしている。神様は俺たちに試練を与えてくれているから、俺たちは自分の役割や使族しぞくとしての生き様をちゃんと貫いていこうねって感じだ。お分かり?」

「んー……。崇神セブンス教に入っても、普通にしていれば大丈夫そう」

「ああ。シエリがこれを普通だって思うなら、入っても大丈夫だ。レオンもそう言って崇神セブンス教に入った」

「レオンが入ったならいいのかな、私も入る」


 ゼシルが教祖なら、なんだか安心できる気がした。それに彼が喜ぶことなら何でもやりたい。自分を助けてくれたヒーローなのだから。

 熾衿がそう言ったのを聞いて、ゼシルは顔を綻ばせた。ポケットから複十字のネックレスを渡す。熾衿は自分の首にネックレスを下げた。


「この複十字は、どうしてこういう形にしたの?」

「棒の数を数えてごらん?」

「三本じゃなくて?」

「重なっているところを別と考えれば、同じ長さの棒が七本になるだろ」

「本当だ!」

「ああ、ただそれだけだ」


 縦棒に横棒が二本。それでできる小さな棒が、全て均等の長さになるように縦棒と横棒が並べられている。熾衿はそれをしげしげと眺めたあと、また歩き出した。


 熾衿は自分の頭の三つ編みをなんとなく触る。──これで、もっと親しみやすい見た目になったかもしれない。



 熾衿は元々、転移前に学校で冷たい性格だと思われていた。そう思われていることを、自分自身でも知っている。曲がったことが嫌いで、それこそ誠実に生きたいのだ。どこか正義のヒーローのようなものに憧れている節もある。


 熾衿は周りからのイメージを変えたいと日頃から思っていた。だが小心者であるせいで、なかなか最初に作りあげたキャラクターから脱せなかったのだ。

 今回転移をしたことで、髪の色と髪型が変わった。顔つきも変わっていたが、自分ではどう変わったのか上手く説明ができない。だがそのおかげで性格を変えることができそうだ。


 彼女は地球にいた頃は黒い髪の毛で、それをポニーテールにしてくくっていた。その髪型のせいで冷たいと思われていたのかもしれない。

 今は肩までの長さで、髪の毛が少し巻かれたようにふわふわしている。これなら見た目で怖い印象を受けることは絶対にないはずだ。



 ゼシルはなんとはなしに熾衿に話しかけた。


「異世界から来たって言ってただろ? それからどうやってクラーケンを倒すことになったんだ?」

「えっとー、初めに冒険者ギルドに飛ばされたの。魔法陣ペンタクルが下に現れて……」

魔法陣ペンタクル? なんで異世界から来たのにその言葉を知ってるんだ?」


 ドキリとして一瞬立ち止まる。熾衿は考え直して、すぐにゼシルに返した。


「この世界の言葉は分かるの。わたしの住む世界の言葉とは違うけど、最初から理解できる」

「なるほど」


 ゼシルは顎をさすって何やら考え込んでいる。何かおかしなことを言ったのだろうか? しばらくして彼はまた優しく笑いかけた。


「それで、そのあとは?」

「ギルドで出会った二人のくるい妖鬼オニと、もう一人の人とパーティを組んで……」

「もう一人?」


 彼の名前はなんだっけと、熾衿は頭を巡らせる。だが色々ありすぎて頭から抜け落ちてしまったらしい。


「なんか茶髪の……正義感がある人で……。彼はクラーケンを倒すのは渋ってたの。でも狂妖鬼オニの二人はやる気満々だったし、私もいいと思ったの」

「そりゃ狂妖鬼オニだからなあ」


 ゼシルは笑いながら相槌を打つ。

 クラーケンに関しては、たまたまギルドの誰かが愚痴を零していたことから始まった。正義のヒーローに憧れを持つシエリは、なんとかみんなを助けたいと思ったのだ。


「そのあとこのアゴール王国に来たんだけど、捕まっちゃったの」

「その時、誰かと会った?」

「うーんと、黒髪の人が食事を届けに来てくれたかな。その人はさっきあの場にはいなかった」

「なるほど」


 ゼシルは前を見据えてむっと顔を顰めている。


 これからどうなってしまうのかと不安に思っていたが、今回ゼシルが助けてくれたことで希望ができた。熾衿は改めてゼシルに感謝する。それこそ、ゼシルは熾衿のヒーローだ。彼の方を見て、熾衿は独りでに微笑んだ。




 熾衿とゼシルは、いつの間にかある居酒屋の前に着いていた。今いる通りは賑やかで人通りも多く、最初に見た裏路地なんかよりもずっと明るい。

 ゼシルは熾衿の方を見て笑いかけたあと、扉を開いた。


 ぷうんと酒と食べ物の匂いが鼻をかすめる。机が六つくらい並んでいて、正面にカウンター、その奥に厨房が見える。若い女の子がやって来て、二人に声をかけた。


「注文はエールでいいかな?」

「俺は白ワインで。シエリはどうする?」

「え、えっと……。ジュースとかあるかな」

「アプルとオランゼをしぼったやつでいい?」

「それで大丈夫」


 アプルとオランゼなら以前に食べたことがある。熾衿が頷いたのを見て、少女は厨房の方に駆けていく。ゼシルは居酒屋を見渡したあと、ある机の方へ向かった。



 そこには深緑の短髪の男が座っていた。四角い机で、男は向かいに座っている。ゼシルが椅子を引いて、熾衿に座らせる。

 ゼシルは熾衿の隣に座ると、男に声をかけた。


「お望み通り、シエリを連れてきた」

「ゼシル! 本当にありがとう! えっと……黒須、だよな?」

「川戸くんよね?」

「あれ、黒須ってそんな感じだったっけ? もう前のことが思い出せないな」

「前はちょっと違ったかも。なんだか川戸くんとは初めて話した感じがしないわ」

「それ、分かる」


 怜苑れおんはくしゃりと笑った。彼の目はおっとりしているからか、熾衿の緊張した心がほぐれていった。


 地球にいた頃、川戸怜苑かわどれおんとは話したことがなかったはずだ。だが今会って話してみると、まるでずっと前から彼を知っているかのように、ごく自然に会話ができた。転移前の自分を知っている者と話すのが少し怖かったが、上手くいったと安堵する。



 店員がやって来て、白ワインとジュースが机に置かれる。ゼシルは白ワインを一口飲んだあと、二人に話しかけた。


「いきなりだけど大事な話をする。シエリは追われているから、なるべく早くこの国を出た方がいい。プルシオ帝国、ニュクス王国もダメだ。聖ナチュル国に行くといい。あそこならシエリのことを恨んでいる者はほとんどいないはずだ」

「聖ナチュル国? そこってどこだ?」


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「今は南大陸にいるだろ。南大陸の東部にここハイマー王国がある。そして北西部に聖ナチュル国があるんだ。その国は使族ナチュル教を信仰していて、クラーケンが倒されたことを何とも思っていない。だからシエリが捕まることはないだろう。むしろ歓迎されるくらいだ。だがわざわざ身分は明かす必要はないよ」

「分かった。ゼシルの言う通りにするね。ゼシルも一緒に来てくれるの?」

「悪いが、俺はやらなきゃいけない事があるんだ。知り合いの商隊を紹介するから、その馬車に乗って聖ナチュル国を目指すんだ」


 熾衿はゼシルが来ないことを酷く残念に思った。ここで別れたら、もう彼には会えないのかもしれない。

 熾衿が俯いたのを見て、ゼシルが優しく声をかける。


「シエリ、大丈夫だ。きっと会える。俺はそんな気がしてる」


 ゼシルの赤い瞳が怪しく瞬いた。熾衿は首を傾げてそれを見たが、いつも通りの彼だ。たまに不気味な雰囲気になるゼシルも、なんとなくミステリアスで素敵だ。


 怜苑がゼシルの方に声を放った。


「ゼシル、本当にありがとう。まさかほんとに連れて来てくれるとは思わなかったよ。黒須と会えてよかった。しかも今後のことも手伝ってくれるなんて」

「気にするな。俺がそうしたいと思ったからやっただけさ」


 ゼシルは残っていた白ワインを飲み干す。もう居酒屋を出るみたいだ。

 熾衿は自分のジュースのグラスに手を伸ばした。だが、手が滑ってグラスが落ちる。机の上でグラスが割れ、割れた破片が飛び散った。


「わっ!」


 熾衿はガタンと椅子を引いて机から離れる。ジュースが机から垂れて、床に滴り落ちる。破片は辺りに散乱している。

 すぐに店員の少女がやってきて、床を拭きガラスの破片を片付けた。熾衿は小さな声で謝る。少女は「気にしないで」と呟いたあと、いなくなった。



「ゼシル、それ大丈夫か?」

「えっ?」


 怜苑の台詞に、熾衿しえりは驚いてゼシルの方を見た。

 ガラスの破片は、隣に座っていたゼシルのところまで飛んでいたらしい。彼の手の甲が少し切れている。血がにじんでいて、それは一向に止まる気配がない。

 熾衿はポケットの中に手を突っ込んだ。たしかハンカチを入れていた気がしたのだ。白色のハンカチを出すと、それをゼシルの手に当てた。だがハンカチは徐々に血で赤く染まっていく。

 ゼシルはハンカチをどかして、熾衿に笑いかける。


「痛くはないし、大丈夫だ。気を遣わせてしまって悪いな」

「私の方こそごめんなさい……」

「俺、それくらいなら治せるかも」


 向かいに座っていた怜苑が、ゼシルの方にやって来る。ゼシルは「大丈夫だ」と言ったが、怜苑は彼の手を掴んで魔法を使った。


「【治癒せよ ── Sanitatem セニタテム 】」


 光がゼシルの手を包む。光が消えたあと、熾衿は彼の手を覗き込んだ。傷跡は消えているみたいだ。


「参ったな、ありがとう」

「私も頑張ればそれくらいできるもん……」


 熾衿も、一応魔法をくるい妖鬼オニたちに教わっていた。だが彼らは人間ではないので、魔法の教え方がざっくばらんで分からない部分が多かったのだ。

 熾衿がむっと唇を尖らせたのを見て、怜苑は「ごめんごめん」と謝る。



 ゼシルが席を立った。怜苑と熾衿の方を再度見やったあと、口を開いた。


「じゃあ俺は行くな。商人ギルドに行って、ゼシル・ゴディアス・ヴォルフの紹介だって言ってくれ。話は通しておくから」

「助けてくれてありがとね」

「ゼシルとまた会えるか?」

「ああ。きっとな」


 ゼシルはくいっと口角を上げる。ひらひらと手を振って二人から離れた。熾衿は彼の後ろ姿を、ずっと眺めていた。





 居酒屋を出たあと、ゼシルは自分の手の甲を見た。さっき治ったはずの傷が現れていて、また血が流れている。


「しくったなー。あー面倒臭い」


 ゼシルはそう独り言を言うと、道を歩き始めた。グルグルと黄色い布で手を巻く。血が滲んできているが、目的地に着くまではってくれるだろう。



 ゼシルはしばらく歩いて、再び暗い路地まで来ていた。ある露店の前で立ち止まると、店主らしき男に声をかける。


「神様をくださーい」

「はいはい」


 男はくいっと指を回す。ゼシルはそれを見たあと、露店の横の古びた壁の中に足を踏み込んだ。



 ゼシルは居酒屋のような場所に立っていた。乱雑に丸椅子と机が並べられている。男前で端正な顔つきの男が一人椅子に座っている。それ以外、誰もいなかった。

 男はオレンジがかった茶色の短髪を持っている。目鼻立ちのはっきりした顔で、程よい筋肉の付いた好青年だ。人が良さそうな雰囲気である。

 男がゼシルに話しかける。


「おいおい、今回で終わりか?」

「たぶんね。デキオスはいいのか?」

「うーん。どうしようか迷っててな。というかお前、その手……」

「ちょっとまずった。これからこもる」


 ゼシルはわざとらしく笑う。手に巻いていた布は、既に血でその多くが変色してしまっている。まだ傷は治っていない。

 デキオスと呼ばれた男は深い溜息を吐いた。男前の顔を歪ませて、またゼシルに言う。


「気をつけろよ。慢心があだとなるって言うだろ」

「大丈夫だって。気をつけてる。そういえばさ、ラムズ・シャークの話はない?」

「うーん。あぁ、そういえば女の子にご執心しゅうしんだったぞ」

「女の子?」

「メアリって言ってたな。人魚だ」

「へえ~、人魚ねえ。なんでまた?」

「鱗が宝石みたいらしい。下半身は人間だけど、人魚だってことが一部の人間にバレているんだと。人間に襲われないように、ラムズが守っているとか」

「ふうん。そりゃ面白い」


 ゼシルは不敵に笑った。赤い瞳がギラギラと輝く。胸元のネックレスを、ゆっくりと撫でた。神のためなら、は全て致し方ないものだ。

 デキオスはやれやれと言った風に頭を振った。


「あんまり問題を起こすなよ。二人でやってくれ。俺たちはあんなもの興味ないんだから」

「分かってるよ。そういやラヴィーは? この前いたよな」

「あいつもこもってるぞ」

「勿体ない。あれは好きだったのになあ」

「そうか? まぁ合ってはいたのかもしれないが」


 ゼシルはふと思いついたという風に、デキオスに声をかけた。


「なあ、サフィアもジャスティも頭がおかしいと思わないか? あんな、さあ?」

「そうだな、だがそれならアリュートもおかしくないか?」

「たしかに! サフィアはいつまで王子様ごっこを続けるんだか」

「さぁな」


 二人はくくっと笑った。ゼシルは手をひらひらと振って、部屋を横切っていく。

 酔ったような歩き方で、横にあった階段を上る。二階にはいくつか扉が並んでいて、そのうち奥から三番目の部屋に入った。床に転がっているペストマスクと銀のアイアンブーツを見て、ゼシルの眼がわらう。扉がバタンと閉じられた。

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