第68話 王女様

 王女様の言葉に、わたしはぎょっとして隣のラムズを見た。彼はにこやかな笑みで彼女に言葉を返す

(これは絶対に作り笑顔のはずなのに、すごくさまになってる。待って、本当に微笑んでるの?)。


「殿下、それは既にお断りしたはずでございます。わたくしめにそのような大義なこと、とてもとても」

「その話し方はやめてっていつも言っているでしょう?」

「ラピスフィーネ様! かのような者に、そんな扱いをする必要はございません」


 騎士のワリドーがそう声を上げた。彼女の名前はラピスフィーネというらしいわね。ラピスフィーネ様は、人形みたいなその顔を僅かに緩ませた。


「あら、ワリドー。シャーク男爵は聖魔士せいましなんですのよ。貴方と交代だっていいくらいだわ」

「なに? シャーク男爵、それは本当か?」


 嘘でしょ……。聖騎士と同じ、最上級のくらいの聖魔士とか……。ラムズはやっぱりこすい手を使うのね


(本当は戦士ナイトギルドは人間しか登録できないのよ。それなのにヴァンピールのラムズが登録したらどうなると思う? 人魚のわたしだって驚くくらいの魔法を使うのに、人間からしたら超人そのものよ。むしろ喜ぶかもね。人間からこんなに強い者が生まれたーなんて言って。

 ラムズは相当力を抑えているでしょうね。ラムズが通常運転で魔法を使ったら、すぐに人間じゃないことがバレてしまうわ。そこは上手くやったんだろうな。


 かくいうわたしも、実はこれは同じことをしようと思っていたの。だから人のことは責められないわ、てへ。

 人魚でも魔士まし(魔法を使う戦士ナイトよ)くらいの級位になら、なれるのよ。でも貴族という身分がなかったから、ギルドに入れなかったの。ラムズはなぜか貴族みたいだし、それで戦士ナイトギルドに入ったんでしょうね……)。



 それにしても、ラムズが『シャーク男爵』なんて呼ばれていると、違和感を禁じ得ないわね。本当にラムズのことを言ってるの?って思っちゃう。

 ラムズがワリドーに返事をする。


「ああ、聖魔士だ」

「ラムズ、それよりも本当に私の護衛をするつもりはないの? こんなに私が頼んでいるのに……」


 ラピスフィーネ様は、長い睫毛をパチパチと瞬いた。ラムズはそれを見て、また優しげな笑みを浮かべる。


「申し訳ございません、殿下」

「せめてその呼び方はやめてくださらない?」

「ですが」

「お願い、ラムズ」


 ラピスフィーネ様はしずしずと近付いてくる。わたしはなんとなくこの場にいたらダメな気がして、少しずつ後ずさった。ラピスフィーネ様は全くわたしには目を向けていない。



 ラムズはラピスフィーネ様の方へ近付いた。


「ねえ、だめかしら?」


 ラピスフィーネ様は優雅に微笑んで、ラムズの手を取った。藍色の髪がさらりと流れる。ラムズの手を自分の掌で包み、上目遣いでラムズを見ている。

 ラピスフィーネ様はラムズのことが好きなのかな……。人間がこんな風に好意を示すところ、初めて見たかも。ラムズはどう思ってるんだろう。


 ラムズは少しだけ、困ったように眉尻を下げた。それでも笑みは絶やさない。


「ラピスフィーネ様」

「フィーネよ」

「……フィーネ様」

「もう、全然言うことを聞いてくれないんだから」


 ラピスフィーネ様は、唇をツンと尖らせて不機嫌そうに言った。女のわたしから見てもとってもかわいい。ラムズはこんなかわいいラピスフィーネ様に言い寄られているなんて。


 例のワリドーという騎士も驚いているのか、肩をわなわなと震わせている。少し怒ってる?



「それより、彼らと一緒に旅をしているの? よかったらわたしの馬車に乗りません? この方向だと、ベルンを目指しているのでしょう?」

「いえ、フィーネ様のお手をわずらわせるまでもありません。わたくしめはこのままケンタウロスたちと向かいます」

「まあ……ケンタウロスだなんて。後ろにいる者たちは人間ですの?」

「もちろん、そうですよ」


 ラピスフィーネ様の言葉に、ヘレウェスたちは怒っているかしら。ちょっと盗み見てみたけど、そんな様子はない。あんまり気にしないのかもしれないわね

(わたしだったらちょっとしゃくに触るかな。怒っても仕方ないから反論はしないけど。人魚を馬鹿にされたってことだもの)。


「ラムズ、お願い。退屈なの。少し乗るだけよ?」

「申し訳ありませんが……」

「シャーク男爵、殿下の願いを聞き届けられないというのですか?」


 ワリドーが金の瞳を尖らせた


(ワリドーの話し方が今度は変わっていたわね。ラムズが聖魔士せいましだって知ったからかしら。貴族としては対等な立場だけど、戦士ナイトとするとラムズの方が目上──ワリドーはただの騎士で、ラムズはその上の聖魔士だものね。

 こういうことを考えなきゃいけないのかと思うと、貴族はとても大変そうに見えるわ)。


 なんだか面倒なことになってきた……。ラピスフィーネ様はいつの間にか、ラムズの腕を取ってそれを抱いている。けど、ラムズは全く気にしていないような顔だ。


 ワリドーに対して、ラムズが返事をする。


「そちらこそ、殿下の立場を考えたらどうだ? 彼女には夫がいるだろう?」

「それはたしかにそうですが……」

「私はそんなこと気にしませんわ。ラムズ、お願い」


 ラピスフィーネ様は、また上目遣いでラムズのことを見ている。金色の瞳が揺れていて、今にも泣き出しそうだ。よっぽどラムズのことを気に入っているのね

(わたし? わたしも確かにラムズのことは好きだけど、ここまでじゃないわ。それにラピスフィーネ様は、ラムズに恋をしているんじゃない? わたしのは恋じゃないもの……たぶん)。



 その時、馬車の中から若い男の声が聞こえた。さっきワリドーに話しかけた人だと思う。


「ラピスフィーネ様、もうやめにしましょう。国で待っているカイル殿下が悲しみますよ」

「リッタラム、それは言わない約束よ……」


 ラピスフィーネ様がうつむいて悩んでいる一方、ラムズは頭を傾げた。何かを気にしているのかな。わたしの勘違いかしら。


 ラムズはラピスフィーネ様に話しかける。


「フィーネ様は、どうしてベルンに?」

「ハイマー王国との同盟の件でちょっとね。こちらに戦争の手助けを要請してきたのよ」

「殿下、そのような話は……」

「ワリドー、ラムズにならこういうことを話してもいいのよ。ねえラムズ?」


 ラピスフィーネ様は意味ありげな視線をラムズに向けた。ラムズは微笑みを向けながらも、腕をそっと引いた

(ラピスフィーネ様はずっとラムズの腕を抱いていたのよ)。


「フィーネ様、護衛の方々が困っておりますよ。私めはこの辺で失礼してもいいでしょうか?」

「もう。ラムズはいつもそうね。いくら追いかけてもこっちに振り向いてくれないんだから。それよりあの子たちはなあに? ラムズと旅ができるなんて羨ましいわ」


 ラピスフィーネ様は、ちらりとわたしたちを視界に入れた。一瞬目が合った気がするけど、たぶん気のせい。

 ヴァニラは既に飽きたみたいで、地面に座って魔植ましょくむしっている。お酒はどうしたんだろう。

 

「フィーネ様のお耳に入れるようなことではありません」

「隠さないでよ、ラムズ。私には何でも教えてくれるでしょう?」

「……彼らは私の大切な者たちです」

「あら、何言ってるの? ラムズに大切な人なんていないでしょう?」

「フィーネ様」


 ラピスフィーネ様は少しだけ唇を歪めて、寂しそうな顔をした。


「ラムズ、怖い顔をしないで? 分かったわ、やめておくわね。ラムズに嫌われたくはないもの。そういえば、橋の生贄いけにえはあって? よかったらお譲りするわよ」

「お気遣いありがとうございます。ですがこちらでも用意がありますので」

「そう? それならいいのだけど。もう少し親切に話してくれてもいいのに。なんだか冷たいわ」

「私めは、いつもこのような態度ですよ」

「その話し方が悪いんだわ。きっとそう。ねえ、ラムズは関係ないんだからいいでしょう? 前のように話してよ。私はあれが好きって言ったじゃない」

「そうですね……」


 ラムズはチラリとワリドーの方を見た。ワリドーは苦しい顔で頷いている。不敬ではあるけど、王女様の言うことなら仕方ないなって顔。

 ラムズは髪をき上げると、また芝居がかかった笑みを向ける。


「そんなに仰るなら」


 そう言った瞬間、またラムズの雰囲気が変わった。わたしたちと話していた時のような、気怠そうな感じだ。


「じゃ、これでいいか?」

「ええ! それでいいの! ねえラムズ、また王国に来てくだすって。一緒に遊びましょう? 前に来てくれていたじゃない。お願いよ」

「俺も忙しいんだ。悪いな」

「宝石ならあげるわ! だからいいでしょう?」


 ラピスフィーネ様のその言葉に、ラムズの瞳が輝いた。やっぱり宝石には抗えないのね……。ラピスフィーネ様はそれを面白そうに見たあと、彼の腕をまた掴んだ。


「とっても素敵な宝石が手に入ったのよ。ラムズの好きなサファイア」

「それはいいな……。いや、だが行けねえみたいだ」

「それなら仕方ないわね……」

「ああ。いつか行くよ」

「絶対よ。私、ずっと待っているからね」

「分かった分かった」

「嘘はダメよ?」

「ああ、お前に嘘はつけねえだろ。つく必要もないし」


 ラムズは僅かに笑みをのせて、困ったように言った。ラピスフィーネ様がうっとりとした顔をしている。


「じゃあ次に会う時は、ちゃんとそうやって話しててくれる? 他にも私のお願い、聞いてくれる?」

「まー」


 ラムズは騎士のワリドーの方を見た。ワリドーは依然、どこかラムズを警戒するような目付きだ。ラムズは少しだけ声をひそめて、愉悦を込めた声で言った。


「いつも通り、お前しかいないなら、な?」

「分かってるわ! ちゃんと人払いはするから。本当に寂しかったのよ。だって、ずっと会ってくれていないもの」

「そんなことねえだろ。んー、三年前とか?」

「三年も前じゃない……。私はラムズみたいに長生きじゃないのよ?」

「はいはい、そうでしたね」

「もう! 私だって色々してあげてるでしょう? 私に冷たくするなら、ラムズの秘密、みんなに話しちゃうから」


 ラピスフィーネはちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべる。ラムズはからかいを含んだ声で返した。


「それは困るなあ。それ知ってるの、ほとんどいないんだぜ? ラピスフィーネなら黙っててくれるだろ?」

「うふふ、もちろん」


 ラムズはラピスフィーネ様の手を優しく解いた。彼女はぷくっと顔を膨らませる。

 とそこで、また馬車の奥から声がかかった。


「殿下、そろそろ行きましょう。あまり皆を困らせていると、悪魔に取り憑かれますよ」

「またいつものお小言? そんな恐ろしいこと、言わないでちょうだい? その言葉自体、とても嫌いなのに」


 ラピスフィーネ様は驚いた顔をして、そのあと顔を険しくさせた。悪魔デモン教では、悪いことをするとああやって注意するのかもしれないわね。わたしたち人魚の教訓に似てる

(人間に恋をすると、スキュラのような化け物になってしまうっていうやつよ)。


 おしとやかな手つきで、ラピスフィーネ様は小さく手を振った。


「またね、ラムズ」


 ラピスフィーネ様はラムズに背を向ける。ドレスを手で持ち上げながら、馬車に乗り込んだ。例のワリドーという騎士は、明らかにホッとした顔をしている。



 既にラムズは、騎士らしい顔つきに戻っていた。ワリドーはラムズの元に来ると、さっと敬礼する。


「シャーク男爵、またまみえることがあれば、是非その腕を披露していただきたく!」

「機会があれば」

「ハッ! それでは失礼致します」


 ワリドーは慣れた感じで、ヒッポスの上にまたがった。ワリドーは馬車の向こう側に回ったあと、魔物の死体をスリーシ川に投げ入れている。

 

 全て投げたのか、定位置に戻ってくる。馬車の前だ。ラムズに再度敬礼したあと、彼は橋を渡り始めた。御者がヒッポカゲのたずなを引く。ヒッポカゲが唸り声を上げる。馬車も橋を渡っていった。




 馬車が50メトルほど進んだあと、ラムズはようやくわたしたちの方に戻ってきた。宝石の話をしたからか、なんだか喜んでいる気がする。

 なんだかむしゃくしゃする。二人だけで会うなんて、王女様には夫がいるらしいのにいいの? それにラムズは──。ううん、これを考えるのはやめよう。


「ラムズはラピスフィーネ様に好かれているの? 彼女はニュクス王国の王女様?」

「ああ、そうだ」

「名前が長いのはどうして? ラピスフィーネ様も本当は長いのかな」

「貴族は皆ミドルネームを持つ。ラピスフィーネの本名は、ラピスフィーネ・ディアウィロン・ニルシィ」

「ふうん。かわいい子ね」

「たしかに人間にしては美人だな」


 美人……。ラムズが美人って言ってる。変なの。

 けど、ああいう子に迫られてときめかないのかな。わたしだったら絶対に可愛くてやられちゃうと思う。でも、ラムズの周りはロゼリィやヴァニラもいるものね。美人慣れしているのかしら。



 ヘレウェスが心配そうな顔でこちらにやって来る。


「すまないな! ラムズに全て任せてしまって!」

「別にいい。あいつの発言で、気を悪くさせたな」

「全然気にしていない! 悪魔デモン教なんだから仕方ないさ!」


 ヘレウェスは大きな声でそう返す。いつも元気なヘレウェスの存在はなんだか安心するわね。


 ヘレウェスは膝を曲げてしゃがんだ。

 ラムズがまたがり、わたしも同じようにヘレウェスの上に乗った。ラムズがわたしのお腹に腕を回す。ヴァニラやロミューもそれぞれケンタウロスに乗った。



 わたしたちは、ゆっくりと橋の方まで進んだ。石で出来た橋は、割と古そうに見える。ずっと前に誰かが魔法で作ってくれたんだろうな。

 橋の前まで来て、ロミューがケンタウロスの背中から降りた。ラムズが言う。


「ロミュー、頼む」

「あいよー」


 ロミューはアウダーの背中に置いてあった、五つの魔物の死体を軽々と持ち上げる。どれもさほど大きな魔物じゃなかったから、そんなに難しくない。


「これで大丈夫なのよね? えっと……」

「ヒュドラ、な。ああ。魔物の死体を生贄として捧げれば出てこない」


 ラムズが後ろからそう返す。わたしはほっと安心して、また前を見据える。


 ──ヒュドラ。


 Sランクに指定されてる魔物だ。

 このスリーシ川は、他の魔物か使族を五体、もしくは五人投げ入れないと渡れないらしい。つまりそれをしないとヒュドラに襲われるってこと

(ヒュドラは五匹のポイズスネへびイクをくっつけたような魔物よ。でもその一匹ごとの大きさは、遥かに普通のポイズスネイクを超えるわ。Sランク──つまり絶対に倒せない災害級の魔物……。ドラゴン以外はみんな尻尾を巻いて逃げ出すわ。尻尾があればね)。


 この話はさっきラムズたちに聞いた。それで五体の魔物の死体を用意しておいたってわけ。ヒュドラに襲われるなんてたまったもんじゃない。確実に死ぬと言っても過言じゃないわ。

 まぁけど魔物を用意すれば襲われることはないから、基本的にはこの川は安全に渡れるみたいだ。



 ロミューが川に魔物を投げた。水音が何度か鳴り、彼が戻ってくる。

 ロミューもアウダーの背中にのった。


「よし! これでいい! 行こう!」


 ヘレウェスの合図に、わたしたちはゆっくり橋の方まで向かった。ロミューをのせたアウダーが先に橋を渡り始める。その次にヴァニラとフォルティ。最後にわたしとラムズとヘレウェスだ。

 ヘレウェスがヒッポスの足を橋に乗せ────。


 サバンッ!


 川の水が橋の上まで流れ込み、前にいるアウダーとフォルティの足をもつれさせた。まるで洪水のように水が溢れてくる。なんとかケンタウロスは倒れることがなかったけど、現れたにみんなの目が釘付けになった。


「グィアァォォアァアァアィォォオ」


 ──ヒュドラだ!


 絶叫のような鳴き声が耳をつんざく。五匹のポイズスネイクがにょろにょろとうごめき、10の金の瞳がわたしたちをじろりと睨んだ。

 どうして?! 魔物を生贄にしたのに?!


「おい! 戻れ!」


 ラムズが大声で張り上げた。ヒュドラは怒り狂っている。 

 ヒュドラは口から炎を吐いた。ラムズが即座に魔法を使って炎を打ち消す。ヴァニラも魔法で応戦し、じわりじわりとこちらに戻ってくる。


「まずい、なんでだ? なんで怒ってんだ?!」


 ラムズの分からないことが、わたしに分かるわけがない。その時、ヴァニラの甲高い悲鳴が聞こえた。


「いやああぁぁぁああぁぁ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る