第68話 王女様
王女様の言葉に、わたしはぎょっとして隣のラムズを見た。彼はにこやかな笑みで彼女に言葉を返す
(これは絶対に作り笑顔のはずなのに、すごく
「殿下、それは既にお断りしたはずでございます。
「その話し方はやめてっていつも言っているでしょう?」
「ラピスフィーネ様! かのような者に、そんな扱いをする必要はございません」
騎士のワリドーがそう声を上げた。彼女の名前はラピスフィーネというらしいわね。ラピスフィーネ様は、人形みたいなその顔を僅かに緩ませた。
「あら、ワリドー。シャーク男爵は
「なに? シャーク男爵、それは本当か?」
嘘でしょ……。聖騎士と同じ、最上級の
(本当は
ラムズは相当力を抑えているでしょうね。ラムズが通常運転で魔法を使ったら、すぐに人間じゃないことがバレてしまうわ。そこは上手くやったんだろうな。
かくいうわたしも、実はこれは同じことをしようと思っていたの。だから人のことは責められないわ、てへ。
人魚でも
それにしても、ラムズが『シャーク男爵』なんて呼ばれていると、違和感を禁じ得ないわね。本当にラムズのことを言ってるの?って思っちゃう。
ラムズがワリドーに返事をする。
「ああ、聖魔士だ」
「ラムズ、それよりも本当に私の護衛をするつもりはないの? こんなに私が頼んでいるのに……」
ラピスフィーネ様は、長い睫毛をパチパチと瞬いた。ラムズはそれを見て、また優しげな笑みを浮かべる。
「申し訳ございません、殿下」
「せめてその呼び方はやめてくださらない?」
「ですが」
「お願い、ラムズ」
ラピスフィーネ様はしずしずと近付いてくる。わたしはなんとなくこの場にいたらダメな気がして、少しずつ後ずさった。ラピスフィーネ様は全くわたしには目を向けていない。
ラムズはラピスフィーネ様の方へ近付いた。
「ねえ、だめかしら?」
ラピスフィーネ様は優雅に微笑んで、ラムズの手を取った。藍色の髪がさらりと流れる。ラムズの手を自分の掌で包み、上目遣いでラムズを見ている。
ラピスフィーネ様はラムズのことが好きなのかな……。人間がこんな風に好意を示すところ、初めて見たかも。ラムズはどう思ってるんだろう。
ラムズは少しだけ、困ったように眉尻を下げた。それでも笑みは絶やさない。
「ラピスフィーネ様」
「フィーネよ」
「……フィーネ様」
「もう、全然言うことを聞いてくれないんだから」
ラピスフィーネ様は、唇をツンと尖らせて不機嫌そうに言った。女のわたしから見てもとってもかわいい。ラムズはこんなかわいいラピスフィーネ様に言い寄られているなんて。
例のワリドーという騎士も驚いているのか、肩をわなわなと震わせている。少し怒ってる?
「それより、彼らと一緒に旅をしているの? よかったら
「いえ、フィーネ様のお手を
「まあ……ケンタウロスだなんて。後ろにいる者たちは人間ですの?」
「もちろん、そうですよ」
ラピスフィーネ様の言葉に、ヘレウェスたちは怒っているかしら。ちょっと盗み見てみたけど、そんな様子はない。あんまり気にしないのかもしれないわね
(わたしだったらちょっと
「ラムズ、お願い。退屈なの。少し乗るだけよ?」
「申し訳ありませんが……」
「シャーク男爵、殿下の願いを聞き届けられないというのですか?」
ワリドーが金の瞳を尖らせた
(ワリドーの話し方が今度は変わっていたわね。ラムズが
こういうことを考えなきゃいけないのかと思うと、貴族はとても大変そうに見えるわ)。
なんだか面倒なことになってきた……。ラピスフィーネ様はいつの間にか、ラムズの腕を取ってそれを抱いている。けど、ラムズは全く気にしていないような顔だ。
ワリドーに対して、ラムズが返事をする。
「そちらこそ、殿下の立場を考えたらどうだ? 彼女には夫がいるだろう?」
「それはたしかにそうですが……」
「私はそんなこと気にしませんわ。ラムズ、お願い」
ラピスフィーネ様は、また上目遣いでラムズのことを見ている。金色の瞳が揺れていて、今にも泣き出しそうだ。よっぽどラムズのことを気に入っているのね
(わたし? わたしも確かにラムズのことは好きだけど、ここまでじゃないわ。それにラピスフィーネ様は、ラムズに恋をしているんじゃない? わたしのは恋じゃないもの……たぶん)。
その時、馬車の中から若い男の声が聞こえた。さっきワリドーに話しかけた人だと思う。
「ラピスフィーネ様、もうやめにしましょう。国で待っているカイル殿下が悲しみますよ」
「リッタラム、それは言わない約束よ……」
ラピスフィーネ様が
ラムズはラピスフィーネ様に話しかける。
「フィーネ様は、どうしてベルンに?」
「ハイマー王国との同盟の件でちょっとね。こちらに戦争の手助けを要請してきたのよ」
「殿下、そのような話は……」
「ワリドー、ラムズにならこういうことを話してもいいのよ。ねえラムズ?」
ラピスフィーネ様は意味ありげな視線をラムズに向けた。ラムズは微笑みを向けながらも、腕をそっと引いた
(ラピスフィーネ様はずっとラムズの腕を抱いていたのよ)。
「フィーネ様、護衛の方々が困っておりますよ。私めはこの辺で失礼してもいいでしょうか?」
「もう。ラムズはいつもそうね。いくら追いかけてもこっちに振り向いてくれないんだから。それよりあの子たちはなあに? ラムズと旅ができるなんて羨ましいわ」
ラピスフィーネ様は、ちらりとわたしたちを視界に入れた。一瞬目が合った気がするけど、たぶん気のせい。
ヴァニラは既に飽きたみたいで、地面に座って
「フィーネ様のお耳に入れるようなことではありません」
「隠さないでよ、ラムズ。私には何でも教えてくれるでしょう?」
「……彼らは私の大切な者たちです」
「あら、何言ってるの? ラムズに大切な人なんていないでしょう?」
「フィーネ様」
ラピスフィーネ様は少しだけ唇を歪めて、寂しそうな顔をした。
「ラムズ、怖い顔をしないで? 分かったわ、やめておくわね。ラムズに嫌われたくはないもの。そういえば、橋の
「お気遣いありがとうございます。ですがこちらでも用意がありますので」
「そう? それならいいのだけど。もう少し親切に話してくれてもいいのに。なんだか冷たいわ」
「私めは、いつもこのような態度ですよ」
「その話し方が悪いんだわ。きっとそう。ねえ、ラムズは関係ないんだからいいでしょう? 前のように話してよ。私はあれが好きって言ったじゃない」
「そうですね……」
ラムズはチラリとワリドーの方を見た。ワリドーは苦しい顔で頷いている。不敬ではあるけど、王女様の言うことなら仕方ないなって顔。
ラムズは髪を
「そんなに仰るなら」
そう言った瞬間、またラムズの雰囲気が変わった。わたしたちと話していた時のような、気怠そうな感じだ。
「じゃ、これでいいか?」
「ええ! それでいいの! ねえラムズ、また王国に来てくだすって。一緒に遊びましょう? 前に来てくれていたじゃない。お願いよ」
「俺も忙しいんだ。悪いな」
「宝石ならあげるわ! だからいいでしょう?」
ラピスフィーネ様のその言葉に、ラムズの瞳が輝いた。やっぱり宝石には抗えないのね……。ラピスフィーネ様はそれを面白そうに見たあと、彼の腕をまた掴んだ。
「とっても素敵な宝石が手に入ったのよ。ラムズの好きなサファイア」
「それはいいな……。いや、だが行けねえみたいだ」
「それなら仕方ないわね……」
「ああ。いつか行くよ」
「絶対よ。私、ずっと待っているからね」
「分かった分かった」
「嘘はダメよ?」
「ああ、お前に嘘はつけねえだろ。つく必要もないし」
ラムズは僅かに笑みをのせて、困ったように言った。ラピスフィーネ様がうっとりとした顔をしている。
「じゃあ次に会う時は、ちゃんとそうやって話しててくれる? 他にも私のお願い、聞いてくれる?」
「まー」
ラムズは騎士のワリドーの方を見た。ワリドーは依然、どこかラムズを警戒するような目付きだ。ラムズは少しだけ声をひそめて、愉悦を込めた声で言った。
「いつも通り、お前しかいないなら、な?」
「分かってるわ! ちゃんと人払いはするから。本当に寂しかったのよ。だって、ずっと会ってくれていないもの」
「そんなことねえだろ。んー、三年前とか?」
「三年も前じゃない……。私はラムズみたいに長生きじゃないのよ?」
「はいはい、そうでしたね」
「もう! 私だって色々してあげてるでしょう? 私に冷たくするなら、ラムズの秘密、みんなに話しちゃうから」
ラピスフィーネはちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべる。ラムズはからかいを含んだ声で返した。
「それは困るなあ。それ知ってるの、ほとんどいないんだぜ? ラピスフィーネなら黙っててくれるだろ?」
「うふふ、もちろん」
ラムズはラピスフィーネ様の手を優しく解いた。彼女はぷくっと顔を膨らませる。
とそこで、また馬車の奥から声がかかった。
「殿下、そろそろ行きましょう。あまり皆を困らせていると、悪魔に取り憑かれますよ」
「またいつものお小言? そんな恐ろしいこと、言わないでちょうだい? その言葉自体、とても嫌いなのに」
ラピスフィーネ様は驚いた顔をして、そのあと顔を険しくさせた。
(人間に恋をすると、スキュラのような化け物になってしまうっていうやつよ)。
お
「またね、ラムズ」
ラピスフィーネ様はラムズに背を向ける。ドレスを手で持ち上げながら、馬車に乗り込んだ。例のワリドーという騎士は、明らかにホッとした顔をしている。
既にラムズは、騎士らしい顔つきに戻っていた。ワリドーはラムズの元に来ると、さっと敬礼する。
「シャーク男爵、また
「機会があれば」
「ハッ! それでは失礼致します」
ワリドーは慣れた感じで、ヒッポスの上に
全て投げたのか、定位置に戻ってくる。馬車の前だ。ラムズに再度敬礼したあと、彼は橋を渡り始めた。御者がヒッポカゲの
馬車が50メトルほど進んだあと、ラムズはようやくわたしたちの方に戻ってきた。宝石の話をしたからか、なんだか喜んでいる気がする。
なんだかむしゃくしゃする。二人だけで会うなんて、王女様には夫がいるらしいのにいいの? それにラムズは──。ううん、これを考えるのはやめよう。
「ラムズはラピスフィーネ様に好かれているの? 彼女はニュクス王国の王女様?」
「ああ、そうだ」
「名前が長いのはどうして? ラピスフィーネ様も本当は長いのかな」
「貴族は皆ミドルネームを持つ。ラピスフィーネの本名は、ラピスフィーネ・ディアウィロン・ニルシィ」
「ふうん。かわいい子ね」
「たしかに人間にしては美人だな」
美人……。ラムズが美人って言ってる。変なの。
けど、ああいう子に迫られてときめかないのかな。わたしだったら絶対に可愛くてやられちゃうと思う。でも、ラムズの周りはロゼリィやヴァニラもいるものね。美人慣れしているのかしら。
ヘレウェスが心配そうな顔でこちらにやって来る。
「すまないな! ラムズに全て任せてしまって!」
「別にいい。あいつの発言で、気を悪くさせたな」
「全然気にしていない!
ヘレウェスは大きな声でそう返す。いつも元気なヘレウェスの存在はなんだか安心するわね。
ヘレウェスは膝を曲げてしゃがんだ。
ラムズが
わたしたちは、ゆっくりと橋の方まで進んだ。石で出来た橋は、割と古そうに見える。ずっと前に誰かが魔法で作ってくれたんだろうな。
橋の前まで来て、ロミューがケンタウロスの背中から降りた。ラムズが言う。
「ロミュー、頼む」
「あいよー」
ロミューはアウダーの背中に置いてあった、五つの魔物の死体を軽々と持ち上げる。どれもさほど大きな魔物じゃなかったから、そんなに難しくない。
「これで大丈夫なのよね? えっと……」
「ヒュドラ、な。ああ。魔物の死体を生贄として捧げれば出てこない」
ラムズが後ろからそう返す。わたしはほっと安心して、また前を見据える。
──ヒュドラ。
Sランクに指定されてる魔物だ。
このスリーシ川は、他の魔物か使族を五体、もしくは五人投げ入れないと渡れないらしい。つまりそれをしないとヒュドラに襲われるってこと
(ヒュドラは五匹のポイ
この話はさっきラムズたちに聞いた。それで五体の魔物の死体を用意しておいたってわけ。ヒュドラに襲われるなんて
まぁけど魔物を用意すれば襲われることはないから、基本的にはこの川は安全に渡れるみたいだ。
ロミューが川に魔物を投げた。水音が何度か鳴り、彼が戻ってくる。
ロミューもアウダーの背中にのった。
「よし! これでいい! 行こう!」
ヘレウェスの合図に、わたしたちはゆっくり橋の方まで向かった。ロミューをのせたアウダーが先に橋を渡り始める。その次にヴァニラとフォルティ。最後にわたしとラムズとヘレウェスだ。
ヘレウェスがヒッポスの足を橋に乗せ────。
サバンッ!
川の水が橋の上まで流れ込み、前にいるアウダーとフォルティの足をもつれさせた。まるで洪水のように水が溢れてくる。なんとかケンタウロスは倒れることがなかったけど、現れた
「グィアァォォアァアァアィォォオ」
──ヒュドラだ!
絶叫のような鳴き声が耳をつんざく。五匹のポイズスネイクがにょろにょろと
どうして?! 魔物を生贄にしたのに?!
「おい! 戻れ!」
ラムズが大声で張り上げた。ヒュドラは怒り狂っている。
ヒュドラは口から炎を吐いた。ラムズが即座に魔法を使って炎を打ち消す。ヴァニラも魔法で応戦し、じわりじわりとこちらに戻ってくる。
「まずい、なんでだ? なんで怒ってんだ?!」
ラムズの分からないことが、わたしに分かるわけがない。その時、ヴァニラの甲高い悲鳴が聞こえた。
「いやああぁぁぁああぁぁ」
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