第58話 エルフの謎

 ノアは落ちてきた金の前髪を、さらりと横にずらす。レオンに向かって言った。


「それは、ラムズのところかレオンのところかで選べということだな? それなら、自分はどちらも選ばない。ここで去ろう」

「えっ?! いなくなるのか?!」

「あぁ。それではな」


 ノアはそう言い残すと、ふっと消えた。みんなの髪の毛が揺れる。ノアは《風》になった

(風は風よ。ピューっと吹く風のこと。そんなのも分からないの?)。


 レオンは突然消えたノアに驚いている。ノアが立っていた場所には何も残っていない。これは転移テレポートとも違うから、魔法陣ペンタクルが地面に残ってるっていうわけでもない

(来る時は風にのってくる以外に、魔法陣ペンタクルが現れることもたまにある。でも去る時は必ず《風》になって消える。来る時の違いは何によるものなのかしら)。


 エルフの話くらい、誰かしてあげればよかったのに。このタイミングで教えるのも変だけど、今言うしかないかな。



 わたしは呆然としているレオンの腕を、ちょんとつついた。


「レオン、エルフにはああやって誘ったらダメなのよ。まぁ今は平等に選択肢が二つあったから、この結末しかなかったかもしれないけどね。けど最初に呼んだヴァニラが頼めば……」


 まぁ今考えることではないわね。わたしはとりあえずその思考を止める。レオンが眉間に皺を寄せた。


「どういうことだ? そもそもノアはどこに行ったんだ?」

「ノアはエルフでしょ。だから《風》になったの。エルフは普段は《風》なの。これも《使族特有の能力》みたいなものよ。そしてエルフは自分の意志がない。だから意思を尋ねても意味が無いの。命令して言うことを聞いてもらうしかない。仮に意思を聞いても、半分の答えしか返ってこないわ」

「は? え? エルフっていう使族の特徴ってことか? それに消えてもまた呼べばいいじゃないか」

「もうノアがそう決めちゃったから、一度決めた選択は取り消せないわ。エルフは、えっとー。なんて言うんだっけな……。ラムズ、分かる?」

「エルフは……"中庸"だ」


 ラムズは力ない声で、そう呟いた。レオンはきっとラムズに鋭い視線を向けるが、ラムズは下を向いたままだから気付いていない。


「エルフは全ての中庸を成す者。だから意志はない。好き嫌いという感情もない。知識や事実を使って推論することはできる。だが意思はない。今のように選択肢がある場合、どちらも選ばない。一つしかない場合は、その中間を行く」

「中間?」

「レオンは前に、ノアに『俺たちと一緒に、ノアもドラゴンに会いに行かないか』と聞こうとした。あの時選択肢は行くか行かないかしかなかった。するとノアはこう答えたはず──『途中まで付き合おう』。つまり、道半ばで離脱するという意味」

「途中って、どのタイミングだ?」

「中庸、つまり真ん中」


 レオンは呆気に捉えて、口をパクパクさせた。けど何かを思い直したのか、投げ捨てるように言う。


「ドラゴンに会いに行くのに、真ん中も何もあるかよ! そんなの全てが終わってみないと分からないだろ」

「エルフは運命が分かる。だからドラゴンに会うまでにかかる時間の、ちょうど半分のところで、今のように消える」


 わけが分からないという顔で、レオンは頭をひねっている。初めてエルフの特徴を知った人って、あんな反応をするのね……。わたしもそうだったかしら。いやでも、それがそうと教わっていたから、何も疑問に思うことはなかったな。

 レオンはうーんと唸ってから、ラムズに返事をした。


「エルフは未来が予測できるのか?」

「……さあ? エルフは誰かに呼ばれない限り、普段は《風》として存在している。一人では行動出来ない。"中庸"は一人では成り立たない。周りがあって初めて、真ん中がある」


 エルフはみんながいないと生きていけないのだ。誰かと関わることでしか存在できない。だから一人で歩いている瞬間はない

(三つ選択肢があった場合も、どれも選ばなかったような気がする。三つのうち一つがその中庸を成しているなら、それを選ぶんだけどね。例えばこのアプルが好きか嫌いか、それともどちらでもないか、だとしたら、「どちらでもない」を選ぶと思うわ。

 でもアプルとチェリイとオランゼを比べられたら、きっとどれも選ばない。どれも同じくらい好きだって言ってね)。



 ラムズは気を紛らわせるために、こんなことをわざわざ解説したのかも。もしくは何も考えずにただ言葉を流しただけか。なんだか話し方が変だったもの。頭の中では全く違うことを考えていそうね。

 レオンはなんとか理解したようだけど、まだ腑に落ちない顔をしている。


「レオン、どうかしたの?」

「エルフは誰かが呼ばないとやって来ないんだよな。魔法で呼ぶってことだろ?」

「そうよ。元々エルフと知り合っている人がいないと、エルフとは出会えないの。知り合いになったらお互いの魔力を登録して、通信テレパシー魔法を使えるようにする。通信テレパシー魔法を使える関係になった人が、エルフを呼び出すのよ」

「うん。じゃあさ、初めはどうだったんだ?」

「初め?」

「初めだよ。そのエルフが生まれた時ってこと。生まれたばかりの時は、誰も知り合いなんていないだろ。それにエルフという使族が生まれた瞬間だって、初めが《風》なら誰とも知り合えないじゃないか」


 わたしはドキリとした。そしてなんだかゾッとした。ちょうどが吹き込んできて、背筋が凍る。──よく分からないけど、変だ。怖い。

 そんなこと思いもよらなかった。全く知らない人からすると、こういう疑問がむしろ出てくるのかもしれない。ちょっとレオンを見直したかも。


 ぶるっと肩を震わせて、わたしはレオンに返した。


「初めね……。たしかにそうよね……。考えたことなかったわ。ノアだって、初めに知り合った人がいたはず。それって誰なの? どうやってエルフを知る者が現れるんだろう」

「はて……。わしもそれについては考えたことがあったんじゃが、結局分からなかったんじゃよ」


 考えれば考えるほど分からなくなってきた。

 そもそもエルフってどうやって生まれるんだろう。恋愛をしないのは確かだから、子供は作れない気がする。何から生まれるんだろう。


 そしてレオンの言う通り、エルフは初め誰と知り合うの? 同じエルフ同士で呼び出すって話は聞いたことがない。だから、エルフ以外の使族の知り合いがいない限り、エルフは《風》でない姿を現すことはできないはずよ────。



「ラムズは知っているの?」

「ああ……。いや、あ、知らねえ」


 『知らねえ』? こんな言葉遣いだったっけ。まぁいいか。ラムズはぼうっとしてるみたいだわ。


 というか今はエルフの話じゃなくて、ラムズがルテミスを奴隷にしたって話だったわよね。レオンもそれを思い出したのか、またラムズに声をかける。


「と、とりあえず。俺とアイロスさんは行くから。ヴァニラはどうするんだ?」

「ヴァニはルテミスとか奴隷とか何にも気にしてないの。お酒があればどうでもいいの。だからこのままラムズと一緒にいるのー!」

「それもそれで、俺は理解出来ないけどな。まぁヴァニラがそう言うなら、それでいいよ。メアリは?」


 わたしはどうしたらいいのか分からなくなって、レオンとラムズを交互に見る。レオンは厳しい顔つきで、ラムズのことをまだ睨んでいる。ラムズはわたしの視線を感じたのか、立ち上がってこちらの方へやって来た。


「レオンの所へ行くのか?」


 ラムズはわたしの腕を掴みじっと見下ろしている。


「わ、分からない……。何を信じたらいいのかも分からないし……」

「メアリは行かないでくれ」

「ラムズがそんなこと言う資格はないだろ! メアリ、信じるなよ。ラムズはメアリのことも、きっとどこかで売るよ」

「そんなことするわけないだろ。分かるよな? 俺がどんなにあんたの鱗を愛しているか」

「そ、そうね。たしかにラムズはわたしを売ることはないはずよ」

「それでも分かんないだろ! メアリの鱗だけ剥がして、メアリ自体は見捨てるかも!」


 わたしはぎょっとしてラムズを見た。ラムズもラムズで、驚いてレオンを見ている。想定外って感じかしら。


 ラムズに腕を引っ張られて、そのまま身体を引き寄せられる。わたしはぐらりと体勢を崩した。


「そんなこと絶対にしない。するわけがない。メアリは、メアリのままで宝石なんだ。それを壊すわけない」

「は、はあ……。そうなの……」


 レオンは一瞬呆れたような顔をしたが、気を取り直してまた強い口調で言った。


「そうだとしても! メアリ、そんな気の触れたやつと一緒に行くのかよ?!」

「気の触れた? ラムズが?」

「そうだよ! 仲間を売るなんておかしいだろ?」

「たしかにそれはおかしいわよね。アイロスさんの言う通り、ルテミスを売って手に入れる宝石の量よりも、このまま一緒に航海を続けて頂戴できる宝石の量の方がずっと多いもの」


 「は?」と気の抜けた声がする。レオンはぽかんとした顔をわたしに向けた。


「そ、そうじゃなくてさ……。人間としておかしいっていうか……」

「人間として? ラムズは人間じゃないわ」

「いや。だから、人格がおかしいだろ?! 今まで仲が良かったやつを裏切るなんて」

「仲が良かった人を裏切る? それくらいみんなしているじゃない。わたしだって、人魚だとバレた途端、仲が良かった人間にてのひらを返されたわ。それと同じじゃないの?」

「それは……だって差別で……」

「わたしからしたら、レオンの方が気が触れているわ。どうしてあなたが怒っているの? レオンは売られたわけじゃないでしょ。全く関係ないのに、どうしてそこまで怒るのかしら」


 レオンは首を左右に振って、目を瞬いた。そして横でぼうっとしていたヴァニラの方を向く。レオンはヴァニラの肩を掴み、ゆっくり揺さぶる。


「おい! 俺がおかしいのか? ふつう今まで一緒にいた仲間が売られたら怒るだろ?」

「ヴァニはどうでもいいって言ってるの~」

「ヴァニラも俺がおかしいと思うのか?」

「おかしい? うーん。レオンは人間としては普通なの」


 ヴァニラは持っている酒瓶をふらふら動かしながら、つまらなそうな顔で話す。


「でも、人魚のメアリには理解出来ないんじゃないかの。ヴァニも理解は出来ないけど、人間がそういう感情を持っているってことは知ってるの」

「ロゼリィもか? でもロゼリィは悲しんでるだろ?」

「ロゼリィは違うの。愛がどうとか言って悲しんでるだけなのー。別にルテミスが売られたこと自体はどうでもいいと思うの」


 ヴァニラは鬱陶しそうな顔で、レオンの腕を払った。横のツインドリルを手で触りながら返答している。ヴァニラは、レオンのせいで少し乱れた服を、ぽんぽんと叩いて直した。


 レオンは今度は、ロゼリィの方へ声をかける。


「そうなのか? ロゼリィ」

「上手く言えませんが、わたしが悲しんでいるのは、ラムズが愛を壊してしまったからですわ……。目に見えない形ではあったけど、それでも存在していたというのに……」


 横にいたアイロスさんが、レオンの肩を優しく叩く。レオンは焦燥と困惑をごちゃまぜにしたような顔で、アイロスさんの方を見た。


「レオン、落ち着くのじゃ。わしはちゃんとお主の考えが分かる。わしもラムズは変だと思うのじゃ。じゃが、その感情は人間が持つ気持ちじゃ。わしはそれを知っておるから、ラムズをそう強くは責めなかったのじゃよ。基本的には、同情心は人間しか持っておらん。おお、じゃが人魚は持っているな」

「え? わたし?」

「うむ。悲しみに対してだけ、人魚は同情してしまうのじゃよ」

「そうなのか?」


 最後のはラムズだ。長寿と言えど、たまには知らないことがあるみたいね。

 わたしは自分のことだからあんまり分かっていなかった。でも確かに、泣いている顔を見るとわたしも泣きたくなっちゃうのよね。あ、さっきのジウのもそうだったのかな……。

 これが同情ってやつ? レオンはそれと同じように、怒っている人を見ると怒りたくなるのかしら。



 レオンは肩を落として、わたしとラムズの方へ向き直った。疲れた顔で言う。


「もう、いいや。疲れたわ俺。俺からしたらみんな意味不明だよ……。とりあえずでも、メアリ。俺と一緒に旅をしようよ。最初はフェアリーの所に行くんだよね」

「ええ、まぁ……」

「なぜお前がメアリを連れていくんだ」

「ラムズに預けておいたら、メアリがおかしくなるだろ」


 レオンは依然、ラムズに対してだけ口調が強い。とそこで、ロミューが声を上げた。


「レオン、その辺でやめておいてくれないか」


 ロミューはレオンの肩に触れて、ラムズから遠ざける。レオンは不服そうな顔でロミューを見上げた。ロミューは静かに語りかける。


「メアリを助けたのも、鱗を直したいのもラムズだ。ラムズにとってメアリは本当に大事な存在なんだ。レオンが怒るのも理解が出来ないわけじゃないが、メアリも今回の話とは関係ないだろ。それに、ラムズは絶対にメアリを理不尽な目に合わせはしないはずだ」


 レオンはロミューの顔を見たあと、わたしに視線を移した。何かを言いかけて──でも、口を閉じた。諦めた声で呟く。


「そう、かよ。じゃあいいよ。メアリ、いつかまたどこかで会えたらいいな」

「え、ええ。わたしはラムズと行くことになったの? レオンはいなくなっちゃうの?」

「ああ。あんたは俺と来るんだ」


 ラムズはもう一度わたしの腕を引いて、自分の側に寄せた。ラムズって、よっぽどわたしの鱗が大切なのね。まぁでも、汚れていても大切にしてくれるならよかったのかな……。


 レオンはそんなわたしたちの様子を見て、やれやれと言う風に頭を振った。そして後ろに立っていたロゼリィに声をかける。


「ロゼリィはどうするんだ?」

わたくしは……。もう去りますわ。悲しい気持ちを抑えきれないんですの。ラムズと戦っても仕方がありませんしね。ごめんなさい。さようなら」

「待って! じゃあまたな、メアリもロミューも。ヴァニラもな。今までありがと」


 去っていくロゼリィを、レオンは追いかけていった。



 ロミューは小さく溜息を吐いて、ラムズの方に向き直る。ロミューが声をかけようとしたら、先にラムズが口を開いた。


「教えてきた奴らの名前はなんだ?」

「俺はえっと……。冒険者のルデルス──とか言ってたな。茶髪の男だ」

「ヴァニは商人で、アルディって言ってたの。その人も茶髪だったの。ロゼリィはええっとの……たしかアリルン? だったかの」

「分かった」


 ラムズは目を伏せて口をつぐんだ。表情が険しい。彼らのこと、ラムズは知っているのかな。船員がいなくなったのはどうするんだろう。船、もう乗れないのかしら。

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