第59話 偽物の悲哀 *

[*三人称視点]


 ロミューとヴァニラは一旦宿に帰ると言い、ラムズとメアリだけで『13人と依授いじゅ』に戻った。帰り道、ラムズはずっと無言で歩いていた。メアリは心配そうにそれを見ていたが、結局話しかけることはしなかった。




 部屋に戻り、ラムズはベッドの上に腰掛ける。

 ラムズの頭の中で目まぐるしく先程のことが回っている。何が起こったのか考えているのだ。初めは落ち込んでいたが、ラムズはもう平常心を取り戻していた。

 以前ロミューが話していた通り、ラムズは時の神ミラームの決めた運命を信用している。自分がこの事態を防げなかったこと、今になって気付いたこと、これも全ては時の神ミラームの選んだ運命だ。これが運命であるならばと、ラムズは早々に受け入れていた。

 

 ただ、受け入れるとは言っても、なぜこんなことが起こったのかを考える必要はある。また、もう船を使うことが出来ない。メアリとヴァニラ、ロミューだけではさすがに船を動かす人数が足りないのだ。フェアリーに会いにいく件についても、どうすべきかと考えていた。



 ラムズは顔を上げて、椅子に座るメアリの方を見る。不安げに揺れる瞳がそこにあった。ラムズはわざと目を伏せてみた。長い睫毛がラムズの瞳を陰らせる。


「ラムズ……」


 彼女の心配する声に、ラムズは先程のアイロスの言葉を思い出した。


 ──人魚は悲しみにのみ同情する。


 メアリが同情する時には、一体どこまで心を開くのか。慰めるためにどこまでやるのか。"悲しみに暮れる"自分のために、メアリは何をしてくれる──?


 ラムズはそっと視線を上げた。わずかに濡らした瞳を、メアリのそれと交わらせる。


「なあ、メアリ……」


 ラムズはいつもより一段と低い声を出した。

 メアリがはっとして、ラムズの方を見る。気遣うような優しい声が、メアリの唇から溢れた。


「どうしたの? 大丈夫?」

「分からない。どうしたらいい? そもそもなぜこんなことになったのか、俺は分からないんだ……」

「そうよね。誰かから聞いたって言ってるけど、そんなに噂になっているのかしら」

「メアリはどっちを信じてる?」

「え?」


 メアリは口をつぐんだ。眉間にしわを寄せ、首を小さく傾げる。そのまま床に視線を落とし、しばらく考え込んでいた。


「……そうね、ラムズは本当に売る気はなかったんでしょう?」

「ない。誰ともそんな話はしてない」

「そうよね。普通に考えて変だもの。ルテミスを売った方が、ずっと損だわ」

「ああ……」


 ラムズは肩を落として俯いた。前髪が揺れ、彼の目元を覆い隠す。すだれのようなそれの奥を、メアリは探るようにして見つめた。


「ラムズ、大丈夫?」

「いや……まさかこんなことになるなんて……」


 わずかに掠れたラムズの声に、メアリは心臓が疼(うず)くのを感じた。はっとして胸を押さえつける。そこに渦巻く哀しみが、人魚の性(さが)によるものなのか、自分の心によるものなのか、メアリには分からなかった。


「落ち込んでいるの?」


 誤魔化すように口を開き、メアリが立ち上がった。足早に距離を詰め、ラムズの隣に座る。ベッドが少し沈み込んだ。


 ラムズは悲哀を顔に貼り付けて、メアリの方を見る。

 ゆっくりとメアリを捉えたその目には、薄く涙で潤んでいた。窓から差し込む夕日のせいで、彼の顔は赤く染まっている。青い瞳と赤い光が混ざる様子に、メアリの目が引きつけられた。


「メアリ……」


 湿った声を聞いて、彼女は我に返った。ラムズは目を涙で曇らせ、辛そうにメアリを見つめている。彼女の胸はまたしても鋭く疼いた。絞り出すように言葉を紡ぐ。


「大丈夫よ。その……いつか誤解は解けるわ……」

「俺さ、どうしたらいいと思う」

「分からないわ。とりあえず元気になるしかないと思うの……」


 メアリはラムズの瞳をじっと見ながら、心配そうに顔を歪める。眉尻が下がって、彼女の視界はゆらゆらと揺れた。滲み始めた涙をこらえようと、彼女は目を瞬く。細かい雫が睫毛に移り、目元を淡くきらめかせた。


 冷えた碧眼の奥、無機質な視線がそんな彼女を見ていた。悲しみに沈むメアリを前に、ラムズは「へえ」と胸の中で呟いた。

 相手が泣いているだけで自分も泣くのか──ラムズは静かにそう考える。メアリの髪を一束手に取って、ゆっくりといた。メアリはびくりと肩を震わせたが、その身をラムズから離すことはない。


 瞳に涙と影を湛(たた)えたまま、ラムズは薄く唇を開いた。


「元気、出ない」

「どうしたらいい? わたしにできることって、ある?」

「メアリは、俺の宝石か?」

「へ? えっとー、どういうこと?」

「俺の宝石だと思っていい?」


 ラムズはじっとメアリを見つめた。小さく首を傾げ、目尻をそっと垂らす。メアリはおどおどと視線を泳がせている。ラムズはただただ、無垢な表情を貼り付けて待った。


 メアリの青い瞳が三度目にラムズに戻ったとき、彼女はこくりと頷いた。


「ま、まぁ、別に……。それで気分が良くなるなら……」

「分かった」


 そう言うと同時に、ラムズはメアリの腕を掴んだ。彼女がそれに気づくよりも早く、力を込めて引き寄せる。


「……えっ?」


 ラムズの両腕は、メアリの背と腰に回っていた。抱きしめられている──それに気付いた瞬間、メアリの頰がカッと熱を持った。耳元に冷たい息が触れる。


「俺の宝石、だろ? しばらくこうさせて」


 ラムズはうれいを載せてそう囁いた。

 ラムズ、とメアリが消え入るような声で言う。だが、彼女を抱く冷たい腕は死んだように動かない。彼女は全身が凍えそうだったが、そのままラムズに身を預けた。



 果たして抱きしめることに意味があるのかと、ラムズはふと疑問に思った。だがふつう恋人同士でやるはずのことだし、ボディタッチに効果があるなら、これも同じはずだ。


 ラムズはメアリの背中をゆっくりと撫でながら、同時にジウたちのことを思い出した。


 まるで何かに洗脳されているかのように、彼らは頑としてラムズの言うことを聞かなかった。

 そもそも、ルテミスを船員にしてシャーク海賊団を作ったのはラムズである。もっと言うならば、ルテミスを作ったのはラムズだ。人間をしのぐ力を持つ化系トランシィ殊人シューマを神が作るよう、ラムズが仕向けたのだ。


 奴隷にされたり、迫害されたりしているジウやロミューを見付けて、ラムズは段々とシャーク海賊団の規模を大きくしていった。それについて、ジウやロミューはよく知っているはずだ。それなのになぜ、赤の他人の言うことをこうも頑なに信じているのか。


 ラムズの脳内で、ちらりとその影が掠った。


ジョーカー  嘘つき  か」



 ラムズの呟いた声に、メアリが頭を動かした。ラムズは彼女の頭を撫でて、「なんでもない」と呟く。

 メアリはラムズから離れようとしたが、ぐいっとまた引き寄せられる。決して強い力ではないが、彼女の腰に回す手は緩まない。メアリは、彼の胸元で話した。


「えっと……。いつまでこうしているの?」

「俺が元気になるまで」

「まだ悲しいの?」

「ああ。ずっと一緒に旅をしていた奴らだから……」


 沈む声を聞いて、メアリはラムズの背中をぎゅっと掴んだ。「きっと仲直りできるわ」と返す。

 ラムズの手が、メアリの髪の毛につうっと触れた。メアリは全身が熱くなったように感じる。それに気付かないふりをして、言葉を紡いだ。


「ラムズ、その。血が飲みたくなったり、しないの?」

「うん? なんで?」

「だってヴァンピールは首元から血を吸うんでしょ」

「ああ、たしかに」


 ラムズはふっと唇を歪めた。メアリは胸に顔をうずめているせいで、ラムズのその顔を見ることはできない。

 悲哀を滲ませた声で、ラムズはメアリに言う。


「今は、そういう気分じゃないから」

「そっか、そうよね。でもその、どうして抱きしめているの? えっと、これは軽いことなの?」

「メアリにとっては?」

「え? ん……恋人、しか、しないかな……」

「悪い。もうやめた方がいいよな……」


 聞き取れないほど小さな声で、言葉尻は消えていく。メアリは慌てて口を開く。


「違うの、大丈夫。いいの。これで元気になるなら……」

「メアリは俺の宝石だから、抱いていたら元気になる。俺が宝石を撫でるのと同じだ」

「そっか。たしかにそう考えると、同じよね」


 メアリは気が動転しているのか、意味の分からない理論でも素直に受け入れた。そしてなされるがまま、ずっとラムズの冷たい腕の中で凍えていた。



 そのあいだ、ラムズは化系トランシィ殊人シューマのジョーカーについても考えていた。


「メアリ、船内で変なことがなかったか?」

「変なこと?」

「なんていうか……。誰かがありえない事実を信じている、というか」

「ありえない事実? うーん」

「何でもいい。何か違和感を感じたことはないか?」


 ──ジョーカー。

 それはまた、厄介な化系トランシィ殊人シューマだった。黒い瞳と、他者に嘘を信じ込ませるという神力を持つ。相手の目をじっと見ることで、ジョーカーの信じ込ませたい事柄を、相手に真実として刷り込むことが出来るのだ。

 黒い瞳しか特徴がないため、ジョーカーが誰かを見抜くのは至難の業だ。黒い瞳を持っていても、ジョーカーではない人間などは当たり前にいるのだ。また、例えジョーカーが誰か分かっても、一度信じ込まされた嘘を自分で見破ることは出来ない。


 それを見破ることが出来るのは、高い光属性の魔法の威力を持つ、アークエンジェルとフェアリー、そして嘘を見抜く神力を持つ能系アビリィ殊人シューマのみだった。

 商人のメルケル・タゲールのような、嘘を見抜く神力を持つ能系殊人は、まるでジョーカーと対を成すかのように生まれた存在だった。



 まだ悩んでいるメアリに、ラムズは優しく声をかける。


「分からないなら、大丈夫だ」

「そうね……。あ、そういえば、あれは変だったんじゃない?」

「何だ?」

「宝石が盗まれて獣人ジューマを拷問した時、最初ルドのことも犯人だって言っていたでしょ。それなのに彼を外したじゃない。ルドは拷問している時、余裕そうな表情だったのよ。だからわたしもルドは怪しいと思ったんだけど、ラムズが『彼は違ったんだ』って言うから……」

「ああ、ルドは違ったんだ。でもメアリがそう言うなら、もしかすると俺は嘘を信じ込まされているのかもしれない。ジョーカーはルドだ」


 ラムズは、ようやくメアリを身体から離した。メアリの頭をぽんぽんと撫でる。

 メアリはきょとんとした顔でラムズを見た。そして今まで抱きしめられていたことを再度思い出したのか、ラムズの目を見て俯いた。


「メアリ、ありがとう。元気になった」

「……本当? よかった。そろそろ寒かったのよ」

「ああ、そうだったな。悪いな」


 ラムズは自分の身体を見ながら、やはり冷たいことは不便だろうかと少し考えた。メアリに泣いている様子はもうない。ラムズの顔から悲哀の仮面が剥がれたからだろう。


 

 宝石を盗んだ犯人はルドではないと考えるラムズであったが、ルドがジョーカーらしいと見当を付ける。おそらくルドが、一人でルテミス全員に嘘を触れ回ったのだろう。

 ルドの本名はルド・アネル。先ほどのルデルス、アルディ、アリルン──咄嗟とっさに考えた偽名だから、どれも名前が似ているのだろう。


 「俺は商人で、ルドではない」などと言えば、皆がその通りに信じる。いくら見た目がルドであり、貴族や商人、冒険者に見えないとしても、彼らはその嘘を信じ込んでしまうのだ。



 ラムズはぽつりと呟いた。


「面倒なことになった。これはスワトが関係してるのか? それともルドが独りで行ったことか……?」

「ルドがどうかしたの?」 

「あいつは化系トランシィ殊人シューマだったんだ。ジョーカーという」

「ジョーカー? 何それ?」


 説明が必要かと一瞬迷ったが、最近は一応優しくしようと心がけている。面倒だと思いながらも、それを感じさせない口調で、ラムズは淡々と返す。


「ジョーカーは瞳の色が黒くなり、他者にどんな嘘でも信じ込ませることができるという神力を持つ。また性格も、周りを混乱させたいと思うようになる。光の神フシューリアに依授いじゅされるからな」

「混乱させたい……。あぁ、光神カオス教と同じね。"無秩序"だっけ」

「そうだ。だからルドは、もしかしたらただ単独で混乱させようとしていただけかもしれない。だがスワトと通じているような気も、するんだ……」


 メアリは眉をひそめて、むっと唇を歪ませた。何やら考え込んでいるようだ。

 


 ラムズはベッドから腰を上げた。


 ルテミスが全員離れたのは痛手だったが、メルケルやフェアリーを使えば信じ込まされた嘘に気付くことが出来る。そうすれば彼らは全員戻ってくるだろう。時間はかかるかもしれないが、大したことはない。

 船が使えない件についても、どうせ海は渦のせいで自由が効かない。すると、今は船員は必要ないだろう。ロミューだけでも戦力としては十分だ。


 ジウの泣き顔が頭によぎるが、ラムズは文字通り思わなかった。

 いずれまたジウも見つかるだろう。ジウはラムズのことを相当慕っていた。むしろ何もせずとも、こちらを頼ってくるかもしれない。今は必要ないのだから、離れていても全く問題ない。


 そう考えると、時の神ミラームが選んだ運命は満足のいくものだった。


 抱きしめているあいだ、メアリは肩がこわばっていたような気がしたのだ。彼女を見た時もどうやらかなり緊張しているみたいだったし、少なくとも何らかの意識はしているようだった。

 また人魚が悲しみに同情するという事実は、かなり有意義な情報だった。人魚はあまり海から出ないのもあって、ラムズはそれほど深く人魚の性格を熟知してはいなかったのである。


 ──泣き落としでも何とかなるかもしれない。


 ラムズは秘かにわらう。彼らの歪な歯車が、カチカチと回り始めていた。



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original&remix : 夢伽莉斗

remake : 野々

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