第56話 チェスゲーム

 明日は出航の日。わたしは毎日出かけるのに疲れちゃって、今日は宿屋の部屋で一日中ダラダラしていた。

 ラムズは午前中出かけていたけど、昼過ぎに帰ってきてずっと宝石を磨いていた。本当阿呆なんじゃないかと思ったわ。全然汚れてないのに、一つ一つ取り上げて念入りに確認してるの。面白いわよね。


 わたしがその様子をじっと見ていたせいか、ラムズが「暇ならチェスでもやるか」と言った。やり方はなんとなく知っていたけど

(ある船の船長もチェスが好きで、やり方を教えてもらったことがあるの。海の中にもチェスは落ちていたけどね)、

ラムズにもう一度ルールを教えてもらった。



 そうしてラムズとかれこれやり続けて、今は五戦目。

 光が窓から入っているから、部屋は明るい。ベットの横にある丸い小さなテーブルで、向かいに座って、わたしたちはチェスをしている。ラムズは椅子の背もたれに身体を預けて、なんだかつまらなそうな顔をしている。

 

 ラムズはブラックダイヤモンドのポーンの駒を、とんと動かした

(そうなの、宝石で出来た駒なのよ……。触るのが怖かったけど、ようやく慣れてきた。でも床に落としたりしたら殺されそう)。


「チェックメイト」

「えっ?! あれ、本当だ……。いつの間に……」


 五戦中五敗。つまり全敗……。

 ラムズはよくチェスゲームをしているみたいだし、きっと強いのよね。わたしが特別弱いわけじゃないはず。それにしても全敗は辛いけど。


「あんなに教えてやったのに、よくそこまで負けられるな」


 ラムズはゲームの途中、何度かアドバイスをしてくれていた。「その手を使うと取られるぞ」とか、「ここのビショップ取れるだろ」とか。

 ラムズのアドバイスの通り駒を動かすと彼は悩んでいたから、わざと間違えたことを言っていたわけじゃない。でも、わたしは負け続けた。


「苦手なのよ……」

「まあ俺が強いから仕方ないか」

「自分で言うのね、それ」

「本当のことだから」


 冗談じゃなく、本気で言っているらしい。自信家とかそういうことではないみたい。真顔でこういうこと言われると反応に困る。まぁ、それでもテキトウに返すんだけど。


「はいはい」


 ラムズはわたしをちらっと見て、すぐに視線を戻した。

 ラムズって意外と自分のこと褒めるわよね。俺は賢い、とかね。たしかに賢いし色々なことを知っているとは思うけど。


 ラムズはチェス盤の上の駒を動かして、元に戻している。ダイヤモンドのポーンが、光に当たってキラキラと輝く。


「ラムズって何歳なの? ヴァンピールは長寿よね。時の神ミラームが創造に関わっている使族だし」

「人間に比べれば長寿な方だな。俺の年齢は──、あんたの倍以上かな」

「わたしが今17だから、34?」

「もっとだな」

「50?」

「もっとだな」

「100?」

「もっとかな。だがこの辺でやめておくか」


 ラムズはそれこそをしているかのように、楽しそうに笑った

(いや、大して表情は変わってないけど、雰囲気ね。雰囲気笑ってるように見えるわけ)。


「それくらい教えてよ! というか、見た目と年齢が釣り合ってないのね。わたしと同じくらいに見えるし」

「ああ」

「本当は何歳なの?」

「何歳だと思う?」

「うーん。そういえばクラーケンの雰囲気を感じていたわよね。50回クラーケンを見たことがあるとして、クラーケンを見るのはふつう三年に一度くらいの頻度よね。ということは150歳は超えてる?」

「残念。もっとだな」

「もっと? 教えてよ」


 ラムズは口角を上げて、悪戯っぽく眼を細めた。足を組み直してから、こちらに少し顔を寄せる。


「なぜ知りたがるんだ?」

「なんでだろう。気になるじゃない? ラムズのことが知りたいというか」

「俺に興味を持っているということか?」

「興味……なのかな」


 ラムズはわざとらしく首を傾げて、瞳をぱちぱちと瞬いた。怪しく唇を歪める。


「じゃあ、教えたら代わりに何をしてくれる?」

「年齢を伝えるだけなのに、わたしが何かしないといけないの?」

「俺の歳を知っている者は少ないからな」

「レアってことね。なんだか余計知りたくなっちゃった。何をしたら教えてくれるの?」

「そうだな……」


 ラムズは掌の上で、チェスの駒をもてあそんだ。くるくると指のあいだで回して遊んでいる。

 盤の上は、既に駒が並べてあった。ラムズは弄んでいた駒を、正しい場所に戻す。とん、と小さく音が鳴った。



「じゃあ、俺にキスして」


「……え?」



 わたしは自分の耳を本気で疑った。ラムズは盤の上に載っている、駒の頭をゆっくり撫でた。口を開く。


「俺の手の甲に、キスして」

「……いや、え? それでもあんまり変わらないわよ。というか! どうしてそういうことばっかり言ってくるのよ」

「ばっかりって?」

「この前だって、その。キス、してきた、じゃない」


 わたしはラムズに、手の甲にキスされたことを思い出した。かあっと顔が熱くなった気がして、わたしは目を伏せる。掌を小さく握った。


「この前のは、あんたが聞いてきたから教えただけだろ? ちょっとは危機感を持たないと、他の男に襲われると思ってさ」

「それは……たしかに、そうかな……」

「だろ?」

「でも今のは……」

「今のは条件。俺の年齢を教えるための」

「キス、の方が、重くない?」

「重くないだろ。俺はしたのになあ」

「勝手にしたんでしょ!」


 ラムズはきょとんとしたような目付きで言う。


「嫌だ?」

「嫌っていうか……」


 背中を背もたれに預けて、ラムズはそっけなく言った。


「嫌ならいい。じゃあ、年齢の話はまた今度な」


 わたしは彼をじっと見る。本当に教えるか教えないかはどっちでもいいらしい。全然興味がなさそうな顔だ。なんだかしゃくに障る。ここで負けるのは──なんとなく、ムカつくかも。

 手を机の上に載せて、わたしは強く言った。


「──待って、分かった。すればいいんでしょ」

「するんだ?」


 ラムズは唇をくいっと寄せて笑った。瞳を細めて、わたしに向かって手を出す。

 やる、しか、ないよね。知りたいし……。そういえば陸の人にとっては、キスなんて軽いんだっけ。それならいいかな……。ラムズにとってあんまり意味のあることじゃないんだろうし。わたしにとっては……あるけど……気にしたら負けよね。

 

 わたしは彼の手を両手で掴んだ。ひんやりとしていて、本当に死んでいるみたい。そして顔を近づけて────唇を当てた。


 氷のような冷たさが、唇から全身に回る。ぞわりと鳥肌が立った。わたしは手を放す。


「は、はい! やったわよ!」

「ああ」 


 ラムズはわたしの方を見て、楽しそうにわらっている。口を開いて、「どうも」と小さく言った。


「どうしてこんなことやらせるのよ……。ヴァンピールにとっても、キスは軽いものなの?」

「ヴァンピールにとってはかなり軽いな」

「なんだ、やっぱりそうなのね」

「やっぱり?」


 ラムズは考える素振りをして、もう一度言った。小首を傾げる。


「んー。まあ俺にとっては重いけどな?」

「え? ラムズは重いの?」

「ああ」

「どういうこと? 恋人にしかやらないってこと?」

「そうだな。されたこともしたこともない」

「えっ?! なのにわたしにしたの?」

「ああ」

「どうして?」

「さあ? どうしてだろうな?」


 さも面白いというような顔で笑っている。さっきのチェスよりずっと楽しそうだ。わたしは負けてばっかりっていう気分。


「それより、年齢は教えなくていいのか?」

「知りたいけど!」

「今じゃないと言わない」

「分かったわよ、早く教えて」

「そうだな……。さっきクラーケンがどうとか言ってたな。その考え方でいくと、俺はクラーケンを1600回以上見たことになるな」

「せ、1600?! ということは……えっと、5000歳くらい?」

「ああ」

「ちゃんと教えてよ。わたしはやったんだから」

「分かってるって。あんまり覚えてないんだよ。たしか5010だったかな」

「5010歳……。どうりで、そんなに色々知っているわけね……」


 ラムズが5000歳を超えていると聞いても、わたしはそこまで驚かなかった。たしかにわたしよりもずっと年上だけど、使族によっては案外普通だったりするしね

(エルフの寿命は1万歳くらいだっけ。ドラゴンは10万歳って言われているわ。でも、そもそもドラゴンはまだ死んだことがないんじゃないかな。人間の寿命は60、人魚は100歳くらい)。



 ラムズは手に持っていたポーンから目を離し、わたしの方を見た。青い瞳が少し陰る。


「メアリにだけに教えてやったんだから、他の奴らには言うなよ?」

「秘密なの? 分かった。それにしてもヴァンピールって、とっても長生きなのね。エルフくらいじゃない」

「あー。これは俺だけだ」

「これも?! どうしてラムズだけ違うのよ」

「そんなに気にするな。本当は、ヴァンピールの寿命は200歳くらいだ」

「全然違うんだけど……」

「だから特別だって言ってるだろ」

「ふうん」


 全然よく分からないけど、ヴァンピールの中にも色々あるのかな。彼がそう言うんだし、まぁそういうことなんだろう。



 わたしが一息ついて椅子にもたれ掛かると、トントンと部屋の扉を叩く音が聞こえた。ラムズが立ち上がって、扉を開けに行く。

 宿の店員だ。白いパリッとしたシャツに、黒のベストを着ている。いつもはもう少し落ち着いた雰囲気を持っているのに、なんだか焦っているような顔だ。


「シャーク様。実は知り合いだと仰っている方が一階で待っておられるのですが……」

「知り合い? 誰だ?」

「それぞれ、ジウ、ロミュー、レオン、アイロス、ノア、ヴァニラ、ロゼリィと名乗っております」

「……なんであいつらが急に? とりあえず分かった。迷惑をかけた」

「はい。なんだか気が立っておられるようですので、出来ればなるべく早くお越しいただけると助かります」

「ああ。すぐに行こう」

「分かりました。それではお待ちしております。失礼致します」


 店員はホッとしたような顔で、扉を閉めた。よっぽどジウたちが何か騒いでいたんだろうか。それにしても、どうして突然やって来たんだろう。気が立っているなんて、なんだか只事じゃない感じ。


 ラムズは何やら考えながら、ゆっくりとこちらに戻ってくる。椅子に座った。

 

「何が起こったんだ……?」

「どうかしたの?」

「ジウやロミューは、俺の宿に来ることなんてほとんどない。来るための服も持っていないからな。気が立っていると言っていたよな。俺に怒っているのか? なぜ?」

「とりあえず行ってみましょうよ」

「ああ……」


 ラムズはどうにもに落ちない顔で、席を立った。わたしも椅子から立ち上がる。扉を開けて、廊下に出た。ラムズは扉に鍵をかけた。




 一階に降りると、数人の人達が食事をしていた。みんなわたしやラムズのような、高級そうで変わった服を着ている。おしとやかに食事をしている彼らの側で、一際目立つ集団がある。ジウたちだ。


 ジウたちの周りだけ、たしかに異様な空気を感じる。さらに服装が宿屋と合っていないせいで、彼らは酷く浮いて見える

(ジウたちは平民、例えば冒険者みたいな格好だからね。レオンの黒い服だけは浮いてないけど)。

 ジウは特に怒っているみたいだ。服装のことなんて全く頭になさそうね。レオンもイライラしているようだ。ロゼリィは悲しんでる? ロミューはかなりやつれた顔をしている。ノアはいつも通りね。


 わたしたちは七人の座っている机の前まできた。ラムズは「外に出ろ」と言い放つ。ジウはそれを聞いてラムズに掴みかかろうとしたけど、なんとかロミューが止めた。一体どうしたって言うんだろう。



 外に出て、ラムズは黙ったまま歩き続けた。たぶんまだ貴族や金持ちが多い通りだからだ。こういうところはきちっとするタイプなのかな。

 後ろのジウたちも、何も言わずに付いてくる。すごく変な空気。どうしてこんなことになったのか、ラムズはもう分かったのかな。




 ようやく、わたしたちは小広場に着いた。ラムズは噴水の石段に座った。さらさらと噴水の流れる音が聞こえる。この空気には似合わないわね。まだ日が暮れるには早い。歩く人は意外と多く、露店でる声も聞こえてくる。

 全部で九人の集団が集まっているわけだから、わたしたちは少し注目を集めていた。小広場を歩く人達がチラチラこちらを見ている。それでも、宿屋にいるよりはマシかな。

 

 ジウたちは座らず、ラムズの前で立っていた。そしてジウは苛立ちを抑えきれないという風に、わっと言葉を投げた。


「船長、どういうつもり?」

「何がだ」

「知ってるんだからね?! 本当に許せない! 明日、もうルテミスは全員船には乗らないから。みんなもう何処かに行ったよ。計画は失敗だね。ボクだって逃げようとしていたけど、ロミューがうるさいからわざわざ来たんだよ。でもお仲間はいないみたいだね? 船長一人でボクたちを捕まえる気? お得意の魔法でかな」


 ジウは冷え冷えとした声で、一気にまくし立てた。一言もラムズに話す隙を与えない。こんなに怒っているジウは見たことがないわ。いつもの可愛らしい声ではなく、低く威圧するような声だ。ラムズのことを睨みつけている。


 わたしは全くジウの話が理解出来なかった。ラムズはいぶかしげにジウを見つめている。彼も困惑しているようね。ラムズは首を傾げてロミューを見た。


「こいつは何を言っている?」

「船長、とぼけるのはやめてくれ。悪いが聞いてしまったんだ。ジウはこの通りかなり怒っている。それでも俺は……船長を見捨てられなかった。あの時俺たちを拾ってくれた船長を忘れられなくてな……。だからこうして今やってきた。でも悲しいぞ。俺もショックを受けた」

「いや待て。本気で分からないんだ。何の話をしているんだ? 聞いたって何を?」


「奴隷商人に下げ渡すんだろ!」


 黙って聞いていたレオンが、大声でそう張り上げた。

 どうやら、分かっていないのはわたしとラムズだけみたい。レオンはつかつかとラムズの方へ歩いていく。また怒鳴り出す雰囲気だ。レオンの口から、言葉が流れ出した。

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