第46話 不気味な影 *

[*三人称視点]


 ラムズは、彼女が寝たあともずっと目を開いて起きていた。時折ぱちぱちと眼をしばたいて、隣の彼女に冷えた視線を向けた。




 それから三、四時間ほどして、ラムズは起き上がった。メアリの首筋に、冷たいてのひらを載せる。彼女は小さく声を漏らしたが、そのまま寝ているようだ。

 ラムズはしばらく彼女を見ていたが、ゆっくりと立ち上がった。


 もうじき朝日が昇ってくる時間だ。暗闇の落ちていた部屋が、少しずつ明るさを取り戻している。



 ラムズはベッドから離れて、自分の荷物から赤い果物──トメトを出した。

 ベッドのそばには、丸い机が一つ、椅子は二つ向かい合わせに置いてある。

 ラムズは片方の椅子に腰を下ろすと、机に置いてあったグラスを手元に引き寄せた。そして、同じく机にあるウォッカの瓶を傾け、グラス半分くらいのところまで注ぐ。そのあと、トメトをグラスの上に掲げた。

 手を離すと、トメトが浮く。ラムズは、魔法でそのトメトを潰した。


 真っ赤な液体が、たらりたらりとグラスに落ちていく。トメトとウォッカはドロドロになって、グラスの中で混ざる。濁った赤黒い液体は、お世辞にも綺麗な飲み物とは言えなかった。だがラムズは、それを満足そうに見ている。

 全てのトメトが潰れてウォッカの中に入ると、マドラーでそれをかき混ぜた。トメトの独特な匂いと、ウォッカのツンとくる匂いが鼻をつく。



 そのあとラムズは、一枚の羊皮紙に手紙を書き始めた。起きたメアリのためだ。


 ラムズは手紙を書きながら、例の赤黒い飲み物を口に含んだ。それはワインなどよりも重さを含んでいて、ドロリとグラスを伝っていく。

 チェスがあればもっといいのに、と彼は心の中で呟く。を飲んでいる途中、メアリが船長屋に入ってきたのをまた思い出した。ラムズの口元に皮肉な微笑が浮かぶ。


 手紙を書き終わると、空になったグラスを魔法で洗った。



 ラムズは席を立つと、寝ているメアリを見やった。まだ起きてはいないようだ。

 彼女に背を向け、ラムズは部屋を出ていく。冷笑の影が頬をかすめた。傾けた三日月のようなその唇から、舌が覗く。口元についた先程の赤い液体をゆっくりと舐めた。


 メアリが“ブラッド”と呼んだ、そのBloody ブラッディ -Mary メアリー を。




 ◆◆◆




 太陽がちょうど天辺てっぺんに昇る頃に、ラムズはメルケル・タゲールの店の前まで来ていた。まだメアリの服ができていないのは知っていたが、頼みたいことがあったのである。


 からんと音が鳴って、扉が開く。シャリフィ商会の店は殺風景な内装だ。目の前に受付があり、奥に店員だけが出入りする扉、採寸用の小さな小部屋があるのみである。

 受付の机には、呼び鈴のみが置いてある。

 

 ラムズが待っていると、昨日の青年が出てきた。すぐにラムズのことを思い出したのか「少々お待ちください」と言って、奥に戻った。



 しばらくすると、ゆったりとした歩き方でメルケルがやって来る。


「シャーク様。これはこれは。どう致しました?」

「やっぱり、サフィアという男を探しておいてもらえるか」

「いいですよ。かしこまりました」

「昨日の今日ではあるが、クラーケンの件はどうなった?」

「調べていたところ、シエリ・クロスという名前が見つかりました。あとはデキオスという男も関わっているとか」

「はあ、あいつか」


 デキオスという名前の男を、ラムズは知っていた。彼の性格ならやりかねないと溜息をつく。ただ、もう一人の人物は聞いたことがない。おそらくそのシエリ・クロスがデキオスをそそのかしてクラーケン討伐をしたのだろう。

 

 ただデキオスとその者だけでは、どうもクラーケンを倒せるとは思えない。シエリ・クロスがドラゴンならば分かるが、それは有り得ない。ドラゴンがそのような巫山戯ふざけたことに付き合うとは考えられないからだ。それにドラゴン全員の名前を、ラムズは知っている。

 また、例えシエリ・クロスがエルフや妖鬼オニだったとしても、デキオスと二人でクラーケンを倒すのはほぼ不可能である。



「おそらく、まだ協力者がいるはずだ」

「クラーケンですからね……」

「シエリ・クロスについてはこっちでも調べる」

「ありがとうございます」

「ああ。情報料は服代に付けておけ」


 ラムズが背を向けて店を出ようとすると、メルケルがそれを止めた。ラムズは振り返る。


「なんだ?」

「実は、スワト氏がこの街アゴールに来ているようなのです」

「次から次へと……」

「どうか気をつけてください」

「ああ。そういえば、人魚に関する噂はないか?」

「シャーク様はさすがお耳が早いのですね。実はわたくしも昨日知ったのです」

「何を聞いた?」

「まだあまり分かっておりませんで、ただ人間の足を持つ人魚がいるから気をつけろと、そのようなことだけ耳に入れました」

「そいつの容姿は?」

「それもまだ。ただ、女ではあるようです。あとは、そのことについてハイマー王国のある貴族が気にしておりました」

「貴族が?」

「はい。ここアゴールの領主、アロスティア候爵こうしゃくです」

「アロスティア候爵? かなり大物じゃないか」

「そうなのです。彼らは人魚の鱗を求めているようです」

「人魚の鱗ぐらい、探せば売っているだろう」

「ここだけの話……」


 メルケルは、急に声を小さくした。聞き耳を立てるようにして周りを伺ったあと、そのまま小さな声で話し始める。


「アロスティア家の長男が、病気なのだそうです。それ以外の息子は正妻との子でないらしく、とにかくその病気を治そうとしているとか」

「はあ、よくそんなことを知ったな」


 メルケルは灰色の目を細めて、柔らかく笑う。小さく会釈をした。


「お褒めに預かり光栄です。エルフやアークエンジェルも雇ったようなのですが、病気は治らないようです。もちろん、購入した鱗も無理だったそうで」

「傷のない鱗が欲しいのか」

「ええ。それなら治るかもしれないと考えているようです」


 ラムズはしばらく視線を彷徨さまよわせて、考える素振りをする。流れてきた前髪を払う。メルケルに言った。


「じゃあなんだ、スワトなどと組んで探しているとか?」

「いえ、そうではないらしいのです。なぜかアロスティア家では人魚をそれほど蔑視べっしする傾向にないらしく、特に候爵はそれを貫いているとか」

「なに? 人間なのにか?」

「はい。私も半信半疑でしたが、御本人にお会い致しましたところでした。もしその半人半人魚の彼女が鱗を提供してくれるなら、正式な養女として迎えるとまで公言しているそうです」

「そんな話、お前が能系アビリィ殊人シューマでなかったら信じなかったぞ」

「ははは、それは神に依授いじゅされたことを感謝せねばなりませんね」


 メルケルはあまり大きな声を出さずに、上品に笑った。

 ラムズは彼の話を聞きながら、メアリのことを思い出した。彼女が貴族と関係を持ちたいと言っていたことだ。だが、今のメアリの鱗は変色してしまって、恐らく治療に使うことはできない。

 それにそもそも、ラムズは彼女の鱗を他人に寄越すつもりはなかった。

 

 ラムズはメルケルの方へ、再度口を開いた。


「その病気はどんなものなんだ?」

「爪が全て硬化しているそうです。さらに喉が引き千切れるくらいに痛いんだとか。肌の色は紫に変色しているらしいです」

「なるほどな……」


 ラムズの含みのある声に、メルケルはくいっと眉を上げた。


「おや、思い当たる節がおありで?」

「お前がそれを聞くのはこすいだろう、メルケル」

「たしかに、そうでしたね」


 メルケルは少し楽しそうに言った。ラムズはその様子を黙って見ている。一度頷き、話し始める。


「まあ治す方法は知っている。だが今は伝えない。これはいつか俺が利用する。これだけアロスティア候爵に教えておいてやれ、息子が死ぬことはないとな」


 他人の嘘本当が見破れる──そんな神力を持つ能系アビリィ殊人シューマのメルケルは、今の彼の言葉にも嘘がないことを悟った。


 メルケルが「有難い情報を助かります」と言うと、ラムズは腕を軽く上げて店を出た。




 そのあとラムズは、何人かの貴族の知り合いに当たった。サフィアという男について聞くのと、シエリ・クロスについての情報を探すためだ。


 また、スワトに関しても油断ならなかった。スワトというのは、10年ほど前からここハイマー王国の裏社会を牛耳っている男である。裏社会で大きな貢献を果たすような化系トランシィ殊人シューマを雇い、スワト会の規模は大きく膨れ上がっていた。

 さらにスワト会は、光神カオス教の先駆者と呼ばれるほど、光神カオス教の浸透に大きく貢献したグループである。光神カオス教はプルシオ帝国で主流の宗教だが、ここ最近ハイマー王国も大きく影響を受けていた。それこそ、スワト会の力によるものだ。


 光神カオス教──プルシオ帝国に、無謀な戦いをしたり、争い事をしょっちゅう起こしたりする者が多いのは、この宗教のせいだった。



 この光神カオス教を広めるくらいのスワト会であるから、もちろん彼らは争いや災いを好む。あえて無秩序、混乱を招く様な真似をしているのだ。


 スワト会が雇っている化系トランシィ殊人シューマは、大きく二種類ある。その内ラムズが特に気にしなければいけないのは、シーフと呼ばれる化系トランシィ殊人シューマだった。

 ──シーフ。

 ルテミスと同じく、一定数同じ神力を持つ者がおり、人間の頃と一部の容姿と性格が変わるため、化系殊人に分類されている。そして、彼らはシーフと名付けられたのだ。

 

 ルテミスやワーウルフとは違って、シーフという化系トランシィ殊人シューマはかなりやっかいな殊人だった。特にこの、宝石狂いのラムズ・シャークにとっては。

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