第45話 高潔な涙

「メアリ、部屋に戻るか?」


 『13人と依授』の一階で、そうラムズに声をかけられた。今まで話していたリューキに挨拶をして、わたしたちは部屋に向かう。

 近くにいたレオンやロゼリィも、もう自分たちの宿に帰ったみたいね。




 わたしが先に部屋に入り、ラムズは扉を閉めて鍵をかけた。

 もう夜分遅く、部屋の隅には闇が落ちている。窓からの明かりも少し漏れているけど、大して手助けにはなってない。外の街灯も少ないからね

(街灯は魔道具で高価だから、たくさんは作っていられないのよ。王都ならもう少し多いわ。ここは栄えている港町アゴールだし、まだマシな方だとは思うけどね)。

 黄色い月が窓から見えて、それが部屋を怪しく照らしている。反射した月明かりのせいか、ベッドの白さだけがぼんやりと闇に浮かんで見える。

 


 ラムズは部屋にある、小さな棚に置いてあった服を手に取った。


「これ、着替えておけ。寝る時に着るものだから」

「え? 分かったわ……」


 いちいち服なんて着替えるんだ。今まで寝る前に着替えたことなんてなかったな。わたしが服を受け取ると、ラムズはまたわたしに綺麗にする魔法をかけた。

 全身に魔法をかけたせいか、少しよれていた服も元通りになる。この魔法、便利ね。わたしも使えるようにしようかな。今度教えてもらおう

(この魔法で服も綺麗になるなら、そもそも着替える必要なんてないんじゃないの? という疑問は心の内に閉まっておいた)。



「まだ鱗は変色しているんだろ?」

「ええ、まぁね……」

「じゃあ俺が後ろを向いている間に着替えろ」


 鱗のこと、忘れてた。服に隠れていつもは見えないから……。

 思い出すと落ち込む。だって本当に、見ていられないくらい汚かったから。体についている鱗は段々自然治癒していくと思うけど、治るのにどのくらいかかるんだろう。


 ラムズが背を向けたので、わたしは急いで着替え始めた。なるべく鱗を見ないようにして。

 ラムズにとってわたしの鱗は宝石と同じだから、変色した鱗を見るのは辛いんだって、ジウが言ってた。わたしの鱗のことを同じくらい悲しく思う人がいるのは、辛い気持ちがちょっとは和らぐかな。


 ──あ、さっき着ていた服よりも着やすい。たしかにこれで寝る方が体を休めることができるような気がする。




 着替えが終わったので、ラムズに声をかける。わたしはベッドに座った。布団が少し凹んだ。


「もう寝るわ。疲れちゃった、お酒も飲んだし」

「また飲みすぎたのか?」

「飲みすぎてないわよ。この前みたいに倒れてないでしょ」

「ああ、たしかに。リューキはけっこう飲ませてくるからな。気をつけろよ」


 はあい、とテキトウに返事をして、倒れるようにベッドへ横たわった。ベッドは部屋の左側に縦向きに置いてあり、片側が壁にくっついている。だからわたしはベッドの左側に体を寄せた

(ラムズが寝られるようにするために決まっているじゃない)。

 布団を掛けて、首まですっぽりと収まった。枕は一つしかなかったから、同じく枕の左側に頭を載せる

(二人で寝るんだから、枕くらい二人分用意してくれてもいいのにね。これじゃあ船のハンモックの方がまだ寝心地いいかも)。



 布団の中でラムズを見ていたけど、彼は一向にベッドに入る気配がない。着替えてもいないし。

 まだ眠くないのかな。でも後でラムズが布団に入ってきて、起きちゃうのも嫌だし。


「ねえラムズ、寝ないの?」

「俺は別に眠くないしな」

「でも寝ないと起きられなくなるわよ。せっかく空けたんだから寝たら?」


 わたしはそう言って、布団の右側をぽんぽんと叩いた。ラムズは小首を傾げている。わたし変なことしたかな、もしかしてもっと空けてほしいってこと?

 気持ち左にずれたら、ラムズはベッドに腰掛けた。ぎしりとベッドがきしむ。



 しばらく待っていたけど、ラムズは座っているだけで一向に寝ない。まだ狭いって思っているのかしら。でもわたしはもう壁のギリギリまで来ているんだけどな。

 

「寝ないの?」

「そんなに寝てほしいのか。そこまで言うなら、じゃあ寝てやるよ」


 ラムズは面白そうにわたしを見たあと、隣に寝転んだ。布団はかぶってない。

 そこまで言うならってよく分からないけど、あとで起こされるよりいいわよね。わたしは疲れているから、できれば朝まで寝ていたいの

(船では交代制で寝るせいで、いつも少ししか寝られない。夜に三時間寝たら交代して、また昼頃に寝たりとかね。長い時間寝続けることってあんまりないわ)。


 

 それにしてもベッドが狭いわね。ちょっと動いたらラムズに当たるし。もしもラムズが寝相悪かったらどうしよう? あ、でも、わたしの方が壁側だから、ベッドから落ちる心配はないか。

 ラムズはしばらく仰向けで寝ていたけど、わたしの方を向いて、枕の上で頬杖ほおづえをついた。


 ……なんだろう?


「メアリ、サフィアという男の話、どうなった?」

「え、あぁ……」


 そういえば、いつか教えようかなって思ってたんだっけ。

 わたしは身体をもぞもぞと動かした。布団に足が当たる。布団に入るって行為も、わたしには今も違和感しかない

(最初に陸を歩いた時は大変だったわよ。というか歩けなかった。頑張って練習したの)。


 ベッドで寝ることも、陸を歩くことも、跳ぶことも、毎日太陽に照らされることも、全部、変な感じがしている。下半身が人間になってからもう二年経つけど、わたしはまだ慣れなかった。


 そして、海が恋しかった。


 いつだってあの快適さを思い出すことができる。わたしはあの場所が好きだ。でも、思い出すと同時に胸がちくりと痛む──。

 これも全てわたしが悪かったんだ。だって『人魚の呪い』の話は知っていたのに、人間を好きになったんだから。どうして好きになっちゃったんだろう。ううん、そんなの分かってる────。



 あと二年で見つけられるかな。よく思い出してみれば、やっぱりサフィアは貴族だったような気がする。貴族のことは陸に上がってからもあまり分かっていないけど、でも普通の人より豪華な服を着ているってくらいは知ってる。そして彼も、そうだった。

 それに彼と最後に別れた時、やってきた衛兵たちが彼のことを守っていた。人魚は危険だから、ってね。その衛兵の一人に、攻撃されそうになったことも覚えてる。



 考えたくなかったけど、やっぱり彼は貴族なんだと思う。でもそうしたら、どうやって見つけたらいい。海賊が、しかも半分人魚のわたしが、どうやって貴族と繋がりを持てばいいの──。


 どうしてあんな馬鹿なことしちゃったんだろう。彼と何度も会ったりなんて、しなきゃよかった。一回だけならきっと恋に落ちることなんてなかったのに。

 人間の足なんて────。



「メアリ」


 低く冷たい温度の声が、わたしの耳に触れた。そのあと、頬にひんやりとした何かがつうっと動いた。ラムズの手だ。

 彼の手が湿っているのを感じて、わたしは自分が泣いていたことに気付く。それに気付いたら、また涙が零れた。

 目尻から落ちた雫が一筋の線を作って、ラムズがそれに触れた。あまりに冷たい指先に、わたしのまぶたがパチパチと瞬く。 


 わたしはラムズの手をどかした。彼の手は、わたしの熱が伝わる余裕もくらいに芯から冷たい。


「……あんまり、見ないで」

「暗いから見えない」

「……でも泣いてるの、分かったんでしょ」


 布団をもっと上までかぶって、わたしはそうモゴモゴと呟いた。

 泣き顔を人に見られるなんて。人間の足ってだけでもう人魚として恥晒はじさらしなのに。わたしって本当、ダメね。

 この前鱗が変色していた時も涙が止まらなかった。ノアが気を遣って出ていってくれたから、まだ良かったけど。



「見られたくないのか」

「……ええ」

「人魚はみんな涙を見せない?」

「え? あぁ、たしかにそうかも。誰の泣いた顔も見たことないわ。みんな泣かないのかもね」


 わざと明るい調子で返す。ラムズの声が布団の向こうから聞こえる。


「人魚は高潔っていうからな。だから誰かに泣いているところを見せたくないのかもしれないな」

「そっか。そんな話聞いたことあるかも。でも、こんなに泣き虫なのって、嫌よね」

「水の神ポシーファルは、悲しみの神だとも聞いた」


 励ましてくれているんだろうか。わたしはぎゅっと布団を持つ手を強くして、小さな声を零した。

 

「じゃあ、仕方ないのかな」

「ああ、気にするな。サフィアのことを話さないのも、同じ理由か?」

「うーん、その。誰も協力してくれなくなっちゃうかなって」

「……そうか」


 布団から顔を出したわたしの耳元に、ラムズの冷たい息がかかる

(本当のことを言うと、寒いわ)。

 わたしは話そうか迷った。ラムズは人間じゃないみたいだから、もしかしたら軽蔑しないかも。むしろ助けてくれるかもしれない。あの時もそう言ってくれたものね……。


 そっか。だって、今まで一人で探していても見つからなかったんだ。それなら違うやり方を取る方がいいはず。同じ失敗を繰り返すのは良くないわ。


 ──やっぱり、話してみよう。



「……あのね」

「ああ」

「わたし、足が人間でしょ」

「そうだな」

「『人魚の呪い』なの」

「呪い?」

「うん。神様がかけたの」

「それで?」

「あと二年以内に解けなかったら、人間になっちゃう」

「ああ」

「身体の鱗が消えて、使族が変わっちゃうの」

「……なるほど」

「わたし、人間の足なんて嫌なの」

「人魚でありたいからか?」

「うん。人魚なのに、変でしょ。人魚じゃないわ、こんな姿」

「それで?」

「だから、戻したいの。でも戻すためには──」

「ああ」


 瞼から、また涙が落ちた。そしたらもう止まらなくなって、はらはらと涙が零れていく。歪んだ視界が、海の中にいるみたいに揺れて潤んだ。


 嫌なの、本当に嫌なの。


 ラムズに涙を見られるくらいなら、いつも夜に泣いてたのをちゃんと直しておけばよかった。船の中じゃみんなイビキをかいて寝ているし、こんなに近い距離でもないし、宿は一人だし。直す必要はないからじゃんじゃん泣いてた。


 ──人間の足なんて。


 

 ラムズは、また手を伸ばしてわたしの頬に触れた。涙を拭ったあと、彼はわたしの身体を横に向ける。

 月の光は、なんだか忍び寄るみたいにしてラムズの顔を照らしていた。髪の毛がダイアモンドのようにきらめく。あんまり綺麗だから、泣いているのも忘れて、わたしはそれに見とれた。

 ラムズは宝石が好きだけれど、彼自身もそれのようだった。


 彼はわたしの頭にポンと手を載せた。

 


「戻すために、どうするんだ?」


「…………サフィアを、殺すの」



 彼の髪の毛は、依然光っているままだった。

 また涙が溢れて、視界が水浸しになった。ラムズはわたしの顔に、そっと触れた。彼の顔は無表情のままだけど、なんとなく優しい瞳をしているような気もする。

 ラムズはしばらく、何も言わなかった。



 わたしは小さな声で、ごめんと謝った。こんな悪い雰囲気にして、申し訳なくなったのだ。人を殺すために探しているなんて、やっぱりラムズも軽蔑したのかもしれない。


「なぜ謝る?」

「軽蔑……したかなって」

「今更だろ。俺が宝石を盗まれて殺しているのも、軽蔑されていてもおかしくない」

「それ、気付いてたんだ」

「まあな」


 ラムズはふっと唇を歪ませた。

 ラムズはわたしの頭から手をどかして、さらさらになったわたしの髪を撫でた

(海の中じゃ髪は揺れているから、あんまりこういうことってされたことない。不思議な感覚になるわね、これって)。


「……協力、してくれない? きっと貴族だと思うの。貴族の知り合いなんて、いなくて」

「ああ、分かった。俺もあまり多くはないが、当たってみるよ」

「ありがとう」


 ラムズはわたしの頭の方を見て、そのまま髪を撫でている。だから目は合わない。

 不思議な感覚はわたしの頭を撫で続け、内に浸透していくようだった。これにもいずれ慣れちゃうのかな。今のわたしは陸に住んでいるから。

 彼の瞳をじっと見た。青色の眼は濁り一つなく澄んでいて、朝の海みたいだ。わたしも同じ青色なんだけどね。わたしの目なんてこんなに綺麗だったかな。

 ラムズの海の色をした目が、心を少しずつ落ち着かせた。



 わたしはふと、ヴァンピールについて思い出した。青い瞳とは対照的なイメージがあるけど、むしろだからこそ思い出したのかもしれない。


「ねえラムズ」

「なんだ?」

「ラムズってヴァンピールなの?」


 ラムズは一瞬髪を触っている手を止めた。でも、またすぐに動かす。表情からは何も読み取れない。


「どうしてそう思う?」

「だって……いつか言ってたわ。ブラッドを飲んでるって。ブラッドって、血のことでしょ」

「ああ。そうだな」


 ラムズはわたしの髪を触りながら、じっとそれを見ている。何かを考えているみたいだ。

 あの時ラムズが船長室で飲んでいたあれ。ドロドロしていて、色も赤黒くて、本人の言う通り、あれはブラッド──血だった。

 ラムズはやっぱりヴァンピールなんだ。だけど教えたくないのかな、自分がそれだって。

 

 ラムズはすっと髪をいたあと、口を開いた。

 

「ああ、俺はヴァンピールだ」

「……そっか。ヴァンピールって、魔力が無限だったのね」

「リューキに聞いたのか」

「ええ」

「そうだな、無限だ」

「わたしの血は飲みたくないの?」

「飲みたい」


 わたしの台詞に被せるように、ラムズはそう言った。髪の毛を触るのをやめて、わたしの事をじっと見下ろしている。

 彼の視線になぜかドキリとして、わたしは目を逸らした。人魚の血でも、いいのかな。もしかして人間の血が……混ざっているのかな。


「まあ、今は大丈夫だ。腹も減ってないし」

「血は全部は飲まないんでしょ?」

「ああ。だから飲まれても死んだりしない」

「普段はどうしてるの?」

「テキトウに飲んでる」

「美味しいとか、あるの?」

「んー、あるかな。メアリのは、美味しそうだな?」


 ラムズはそう言って、わたしの頬をさらりと撫でた。ひやりとして、全身に鳥肌が立った。彼はもう寝ろ、と言って仰向けになる。



 しばらくして、わたしも天井の方を見た。冷たい手だったはずなのに、ラムズに触られていた髪や頬が、僅かに熱を持っている気がした。


 そしてその日、わたしはまたサフィアの夢を見た。太陽のように眩しい彼の笑顔に、夢の中でも胸がズキズキしていた。サフィアは二年前からずっと、わたしを掴んで離さないのだ。

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