第44話 愛と恋 後編 *

[*三人称視点]


 怜苑れおんはラムズを盗み見た。

 ラムズはくるくると赤ワインの入ったグラスを回している。赤い液体の表面が、中に溶け込んで混ざっていく。一口それを飲むと、彼の唇に雫がついた。真っ赤な舌でペロリと舐める。


 ラムズはもう一度、怜苑にたたみ掛けるようにして言葉を紡いだ。真剣な声だった。


「レオンに迷惑はかけない。もちろんその子にお前のことを話しもしない。これが交換材料になるならば、俺の使族しぞくでよければ教える」


 怜苑の心の内を知ってか知らずか、ラムズはそう言った。

 葛藤の天秤がぐらりと揺れる。


 ──ラムズの使族。


 なぜか怜苑は、それがいつまでも気にかかっていた。あれほど脅されたとなると、むしろ気になるというものだ。ただステータスを見ればどう考えても彼に見つかると思い、怖くてそれはしていない。


 また、ラムズの使族については誰に聞いても「分からない」と言われたため、余計気になっていた。恐らく、本人からでしかラムズの使族を聞くことはできないだろう。


 どうしてここまで気になるのか、彼にも分からなかった。だが好奇心は抑えきれない。しかもその“彼女”は、どうやら自分とは無関係である。



 怜苑は重い口を開けた。彼は、身体に大きな何かがのしかかってきたような気がした。

 ラムズの持っていたグラスが、カチャリと音を立てる。


「──分かった。じゃあそれで交換してほしい」

「ああ。その代わり、俺の使族は誰にも言わないでくれ。わざわざ脅すまでもないよな」

「う、うん。それは大丈夫だ。言わない。言ったこともラムズならバレちまいそうだしな」


 怜苑が苦笑したが、ラムズはそれには反応しなかった。彼は相変わらずグラスを混ぜながら、その液体をじっと見ている。

 怜苑は再度口を開く。


「あのさ、俺がその使族について知らなかった場合はどうしたらいい? 知らない使族を教えてもらってもさ……」

「それはアイロスの爺さんとかに聞けばいいだろ」

「でも、しつこく聞いたら怪しまれるかもしれないじゃないか」

「あーなるほど。じゃあ先に使族を教える。使族の説明は、必要であればしよう」

「わかった」


 ラムズは身を乗り出して、怜苑の耳元に唇を近づけた。冷たい息で囁く。



「  」



 怜苑は表情を変えなかった。なんとなく、そうした方がいい気がしたのだ。ラムズは席に戻ると、何事もなかったかのように、また例のグラスを回した。青い眼がグラスに怪しく写った。



 怜苑はラムズの使族について頭の隅に追いやったあと、次は自分の番だということで、ラムズに「恋の落とし方」を説明し始めた。


「その、えっと。俺の知る限りだけど。まず俺がこの世界に来て思ったのは、使族によって恋の落とし方は違うだろうってことだ」

「なるほど」

「俺はまだ全ての使族を知ったわけじゃないけど、例えば俺の身近で言うと、ヴァニラとか。ヴァニラの使族も分からないし、俺としては彼女が恋に落ちるのも想像できない。お酒にしか興味がないからな。だけどもしヴァニラのような者を恋に落とすんだとしたら……」


 怜苑はそこで口篭って、少し考え込んだ。しばらくして、また話し始める。


「うーん。たぶん、有効なのはその子の一番大事な物を守ることかもしれない。でも人によるんだよな。それだけじゃ意味ないかも。人によっては、悪戯された方が意味があるかもしれない」

「悪戯、ねえ」

「駆け引きって、俺たちの世界では呼んでる。例えばいつもは素っ気ない態度で接しておいて、でもいざヴァニラがお酒で困っていたら助けてあげるとか。そういう悪戯、意地悪みたいなやつだ。でも、これは嫌な人と好きな人がいると思う。俺はその子を知らないから、どっちかは分からない」

「それで?」


 怜苑はもぞもぞと体を動かした。首をかしげ、考える素振りをする。自分はなぜここまで人の分析をしているのだろう。誰かを好きになった時、ここまで他人の感情をつぶさに観察していただろうか? もはや自分ではない“何か”が話しているようにすら錯覚する。本当にこんなことを考える能力が自分にあったのだろうか?

 自分の中の違和感に戸惑いつつも、怜苑は口に任せて話し続けた。


「あとはそうだな……。例えばメアリだったら、メアリって人魚だよな。そのせいか知らないけど、なんか照れるところが違うんだ。普通の人間と」

「照れるところ?」

「やっぱり女の子を落とすには、女の子を喜ばせるのが一番だと思うんだ。例えば『かわいい』って言ってみるとか、何か助けてあげるとか、物を買ってあげるとか……」

「自分が犠牲になって、相手に何かするということだな」

「うーん、まぁたしかにそんな感じだね。その犠牲が大きければ大きいほど、相手の心には響くと思う」


 ラムズは怜苑のその台詞の意味を尋ねる。怜苑は顎を摩りながら答えた。


「例えば、すごく貧乏な人が頑張って高いネックレスを買うのと、元々金持ちの人が同じ値段のネックレスを買うのじゃ、犠牲が違うだろ」

「ああ、たしかにそうだな」

「その“犠牲”だ。つまり今の話なら、基本的には、貧乏な人が頑張って高いネックレスを買った方が、女の子は喜ぶってこと。別に貧乏がいいわけじゃないよ。金持ちだったら、金持ちなりに頑張って買えばいい。例えば探すのが難しい稀有けうなものを渡すとかな」

「犠牲には努力の度合いも入ると」


 怜苑はこくこくと頷く。


「そうそう。行動で愛を示すって感じか? あとは、『かわいい』って言葉も同じ。普段から色んな子に『かわいい』と言っている人の『かわいい』は、女の子にとって価値がない。でも、普段は全く誰にも言っていないのに、それをある子だけに言ったら、たぶんその子は喜ぶ。だってそれって、『頑張ってその子だけに言った』ことになるし、レアじゃん?」

「たしかに。なるほどな、人間の視点からするとそう説明できるのか。レオン、お前がそこまで理論立てて男女の機微について語れるとは、思ってもいなかった」


 怜苑はいぶかしげにラムズを見た。

 ラムズは本当に興味深そうに、話を聞いている。身体を横に向けて、彼は微妙な笑みを浮かべながら返事をしていた。時折横目で、怜苑のことを盗み見るようにして瞳を動かしている。


「それで……本当はメアリの話だったよな。メアリは、俺が『かわいい』って言っても全然照れないし、喜ばないんだ。多分他の人が言ってもそうかも。あとは、裸を見られても何も思わなそうだろ?」

「ん、あー、そうかもしれないな。人魚は普段裸同然だからな」


 一瞬『裸』という言葉にドキリとしたが、それには気付かないふりをして、怜苑は話を続ける。


「うん、そのせいなのかな。それがもしも人間の女の子だったら、例えばたまたまその子の裸を見ちゃったとか、そんな事件が起こったら、良くも悪くも相手の男を意識すると思うんだ」

「たしかに人間は自分の体を隠したがるからな。秘密を見られるせいで、距離が縮まるということだろう」

「そうそう。特に女の人はそうだと思うよ」

「“悪くも”というのは?」

「大して仲良くないとか、嫌悪感を抱いている相手だったら、嫌われるかもってこと。まぁ本当に事故だったら、一応仕方ないってことになるだろうけど」

「……ああ。だから一度体を許すとやたら好意が表に出るのか」


 一体なにをやったんだと責めるような目でラムズを見たが、彼は飄々としたまま首を傾けた。しらばっくれるらしい。


「まぁやるとかはともかく、単純に裸を見せるなんてそんなことは滅多に起こらないけど。とにかく、その子が隠したがってることとか、みんなには見せていないこととか、特別な人にやるはずのこととか、そういうのを知って、それを聞いたりやったりすればいいんだ。タイミングは間違えないようにしないといけないけど」


 隠していることか、とラムズは呟いた。


 怜苑は、自分はペラペラと話しているが、その子は大丈夫なんだろうかと思った。まるで他人事のようだが、そのように心配しないと罪悪感はさらに押しかけてくるのだ。

 元々騙すような行為が嫌いであった怜苑は、それに加担している自分に少しずつ嫌気が差していた。それでも、一度交わした約束は守らねばならないと、そうも思って律義に話し続けている。


 怜苑はまた口を開く。


「あ、あとな。その子の使族の子供を作る方法を知るのもいいかも」

「子供を作る方法?」

「人間の方法は知っているよな?」

「そりゃまあ」


 人間じゃないのに知っているのもおかしな話に思えた。だが問い詰めても意味はないだろう。怜苑は首を振って続ける。


「とにかく人間はそんな感じだろ。で、メアリ曰く、人魚の子供を生む方法は全然違ったんだ。それどころか、メアリにとってキスをするのはめちゃくちゃ照れることらしい」

「キスがか? まあ、人間もある程度は照れてると思ったが」

「いやその比じゃないんだって」

 

 こほんと一つ咳をすると、怜苑は語り始めた。


「人間だったらキスはそれなりにはときめくし、意味はある。全ての中では軽い方の愛情表現だけどね。人間にとってはキスが下位、逆に裸を見せるのは親密にならないとできないかな。まぁその辺は人それぞれかもしれない。でもメアリにとっては、それが真逆なんだ」

「なるほどな。それは使族によっても変わると。子供を生む方法に近ければ近いほど、それは親密にならないと教えないし、したくないということだな」

「うん、そういうことだ。だから例えばもしもメアリだったら、それを知らないふりをしてキスをしたら、彼女は相当動揺するんじゃないかな。少なくとも意識はするかもしれない。でも、こういうのは間違えるとダメなんだ」


 ラムズが首を傾げ「間違えると?」と、怜苑の発言を復唱する。


「例えば無理やりメアリにキスしても、意識させるどころか、ただ自分の貞操を破った最低な男としてしか認識されない。だからこう……上手いことやらないといけない。無理やりキスするのは、メアリにとって強姦と同じだと思う。えっと、人間の強姦って分かるか?」

「ああ。男がよく、女を捕まえて殺す前にやることだな。たしかに恐怖を抱いてるな」

「おう。人間だったらまだマシだけどね。他の使族もそれぞれ違うと思う。だからまずはその子の使族の、子供を作る方法を聞いてみるのがいいかな。いや、本人に聞かないで調べた方がいいや」


 怜苑は、微妙な笑みを零した。さっきはメアリにやり過ぎた感じがしていたのだ。

 メアリはそのあと気にしていないみたいだったが、やっぱり女の子にそんな方法を聞くのは破廉恥だったな、と後悔していた。そしてやはり、自分はあの時酔っていたのかもしれないとも。



 ラムズは手に持っているワイングラスを、また回した。灯りのせいか、先ほどよりもそれは赤黒い。

 ラムズは、回っていた液体が、ゆっくりと止まっていく様子を眺めている。グラスに僅かに歪んだ唇が映った。


「とても参考になった。他にはまだあるか?」

「うーん。これも使族によるかもしれないけど、吊り橋効果、とか?」

「吊り橋効果?」

「吊り橋って分かるだろ。あそこ渡るのって怖いじゃんか。で、もしも男女二人がその吊り橋を一緒に渡って、怖い思いを二人ですると、二人は結ばれるってやつだ」


 ラムズは露骨に顔を歪めた。怜苑に言う。


「はあ? なぜ二人で怖い思いをすると結ばれるんだ?」

「いや……なんか、怖い時って心臓がドキドキするだろ。だから、それを恋のドキドキと勘違いするらしいんだ。でも、別にこれは吊り橋じゃなくてもいい。危険な場所にいる時とかに二人でいると、勘違いして恋に落ちるかもって感じだ」

「はあ……。なんだか変な理論だな。あーだがまあ、思い当たる節がないでもないな……」


 怜苑は苦々しく笑った。少し思案して、新たに思い出したことを話す。


「あとは、単純にボディタッチとかもいいんじゃない? ラムズも言ってたじゃん。その方が心がこもってるみたいだって」

「待て。ボディタッチってなんのことだ?」

「手に触れてみるとか、できることなら頭を撫でるとか髪の毛を触るとか、とりあえず身体に触るってこと」


 ラムズは疑るような目で怜苑を見た。何か探られているのかと思い、冷や汗が流れる。だがラムズは、これに関しては何も聞いてこなかった。


「人間的には触れられるとどう思ってるんだ?」

「うーん。上手く言葉には言えないな。けど、やっぱり心の距離が近くなるんじゃないか? 物理的な距離と心理的な距離って、けっこうリンクするからな。まぁ最初から嫌われてたら意味ないけど」

「心の距離、な。とりあえず、助かった」

「ほんとかよ。そんな大した話でもなかっただろ? ラムズも知ってそうだったし」


 ラムズは笑う。


「知ってるか知らないかが重要なんじゃない。お前に聞いたことが重要なんだろう。──それにこうして人間本人から話を聞くと、行動原理にリアルな理屈を与えられたようで興味深い。己のみの感覚と、相手側からの理屈をより多く聞くのでまた変わるからな」

「……よ、よくわかんないけど、ためになったならよかったぜ」

「ああ」


 ラムズは歪に笑った。怜苑がそれ以上話す素振りを見せなかったので、ラムズは席を立とうとした。

 だがそこで、怜苑はもう一つ言い忘れたことを思い出した。


「ラムズ!」

「なんだ?」

「ラムズに好意がないことをその子が知ったら、全てが失敗すると思う。そうやって思わせぶりな態度をしていたのに、実は違ったなんて知ったら、それは恋じゃなくて憎しみに変わる」

「ああ。分かってるよ」


 ラムズはそう言うと、席を立った。背を向けて歩き出す。


 心ばかし足取りの軽くなっているようなラムズの後ろ姿を見て、怜苑はまた“彼女”のことを考えた。“彼女”は今自分の言ったやり方で、恋に落ちてしまうのかと。



 ラムズに恋をして、“彼女”は果たして幸せになれるのだろうか──、と。

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