第43話 愛と恋 前編 *

[*三人称視点]


 『13人と依授いじゅ』の宿屋で、ラムズとロゼリィは会話をしていた。

 何も食べていないのはさすがに不自然かと思い、二人は赤ワインを頼んでいた。それをゆっくりと飲みながら、話を続けている。



 ロゼリィは頬に手をあてて、小首を傾げた。


「それで……。わたくしには愛について聞くために?」

「ああ、そうだ。愛といえばあんたしか思いつかなかったからな」

「ですが、ラムズも“愛”くらい知っているでしょう? あなたの思うところもあるのでは?」


 ラムズはくくと笑う。


「まあ、それらしきものはな。後学のためだ。『愛の化身』から話を聞くのも悪くないだろう?」

「そんなふうに褒められると、嬉しいですね」


 ロゼリィは愛らしい顔を少し緩ませて微笑む。


「それでは、愛について語ればよろしくて?」

「まあとりあえずそれで頼む」


 ロゼリィはほうっと息を吐いて、物憂げな表情をする。彼女が椅子に座り直すと、絹のような金の髪の毛がさらさらと流れていった。

 はかない唇を動かして、玉の転がすような声でロゼリィは語り始めた。


「そうですね……わたくしの思う愛は、まずありのままをお互いが受け入れていること。そして一方通行ではないこと、これが大前提です」

「ありのままを、か」

「ええ、そうです。よく人間の恋人同士で、『俺を愛しているなら分かってくれるはずだ』とか、『私を愛しているならこうしてくれ』とか、そんな話を聞きます。ですがこれは愛ではないのです。そう言っている側も、そして言っている側が愛でない時点で、その相手側も」

「だが愛しているから相手のために頑張る、とも聞くが?」


 ロゼリィはゆっくりと首を振った。金の髪がさらさらと揺れる。


「いいえ。愛ならば、お互い頑張る必要はないのです。ありのままで過ごすことができる関係、それが愛なのです。愛を理由にして相手を変えようとしたり、愛を理由に自分を変えるのは、わたくしの思う愛ではございません」

「なぜ愛を理由に変えてはならない?」


 彼女は瞳に慈愛を灯して、何かを乞い願うような口振りで話した。


「愛は無償で受け入れるものだからです。愛に見返りはないのです……。誉めてくれたから、育ててくれたから、そばにいてくれるから、頼るとか、愛するとか、感謝するとか、それは違うのです。贈与の関係ではありません。一方的でありながら、両者が同じことを思っている、それが愛なのです……」


 ラムズはゆっくりと言葉を咀嚼そしゃくしたあと、自分の身の回りにある“愛”らしきものについて考えはじめた。

 彼が一番初めに思いついたのは、言わずもがな“宝石”だった。ラムズは、如何なることもできる。そして自分が、永遠に宝石を眺めるためにも。


 ラムズはロゼリィに尋ねる。


「俺の、宝石に対する愛についてはどう思う?」

「ラムズの宝石に対する思いは、愛ではありません」

「え? 俺はこんなに愛しているのに?」


 ロゼリィはゆっくりと頷いた。決して押し付けがましくない言い方で、静かに言う。


「貴方のそれは、ただの執着です。一方的ではありませんか。宝石は貴方に何も与えてはいませんし、貴方を受け入れているわけでもありません。そして貴方は、異常なほど宝石を求めている。宝石のために危険を犯すことや、宝石のために我を失うこと、それは愛とは呼べません」

「なに……これは愛ではないと」

「ええ。少なくとも、わたくしの目指す愛ではありません」


 ラムズは顎を触って考える素振りをする。首をかしげて言った。


「そうすると、お前の“愛”に対する思いも愛ではない?」

「はい。残念ながら、わたくしも愛を育むことはできませんわ。貴方と同じです。私は愛に執着しているだけ……。私は愛を求めている──ただ“愛”を見ていたい。本当に愛し合っている二人を見つけたい。そういう意味で、愛を求めています」


 ロゼリィはそこで、ゆっくりと息を吐く。悲哀に見える何かを瞳にたたえながら続けた。


「そしてわたくしも、見つけた愛が壊れてしまった時、我がもののように悲しむでしょう。そんな姿は、愛ではないのです」

「悲しむのもダメなのか?」

「そうです。愛は受け入れることです。例えば恋人の男女がいて、女が死にそうになった時。もちろん男に助ける術があるならば、助けてもいいでしょう。ですが、身を危険に晒してまで助ける行為は愛ではないのです」


 ラムズはワインを手に取り、眉をひそめた。疑問をそっと口にする。


「……つまり?」

「愛は、そこで『受け入れる』のです。彼女がもう死んでしまうことを。助けられないことを。自分を犠牲にするのは、愛ではありません。自分を変えているではありませんか。そして受け入れた彼を責めないことも、愛です」


 くるくるとラムズの赤いワインが渦を巻く。ロゼリィは続けた。


「彼は『彼女の死』を受け入れ、『彼が自分の死を受け入れたこと』を彼女は受け入れる。こうやってお互いに受け入れることこそが愛なのです。男は自分の命を大切にする。男は彼女も大切にする、つまり彼女のことを受け入れる。だから仮に彼女が死んでも、男は立ち直り、彼女の死さえも受け入れていくのです。死もまた、その人を構成する一つの要素ですから。これが、愛です」


 ロゼリィの考える愛は、ほとんど起こりえない愛だと、ラムズは思った。


 彼女は畳みかけるように、さらなる言葉を紡いでいく。


「あとは、見返りを求めないこと。友情や家族愛でも同じです。見返りを求めている時点で、それはもはや愛ではありません。ですが、相手からの愛がなければ、それは一方的なものになり、それもまた愛とは呼べない」

「見返りを求めはしないが、お互い愛していないといけないということか」

「そうです。自然であらねばならないのです。お互い見返りを求めずに、つまり何も意識せずにただ相手を受け入れている。それが両者で起こっている関係が、愛なのです」


 ラムズはとりあえず頷いた。机の上のワインをなんとなく見やる。


 ロゼリィの話を聞いていると、やはり自分が求めているのは愛ではないと分かった。少なくとも、“彼女”が自分のために身を捨てることができないならば、彼の思惑は達成しない。

 ラムズはそれについてロゼリィに説明した。自分が求めているのは愛ではない。


 ──、“彼女”から自分へ恋をしてほしいだけだと。


 だがこうしてロゼリィと話し、彼女に求めるものと“純粋なる愛”が違うと明白に分かった以上、ラムズがやらんとしていることはさほど難しいことではないように思えた。これまでとそう変わらないはずだ。もちろんその程度の差こそあり、これまで以上に神経を貼り詰めなければいけないだろうが、“愛”よりマシだ。



 ロゼリィは表情を曇らせ、少し俯いた。


「はあ、貴方はそんなことを考えていたのですね。それをまさか、愛を求めるわたくしに話すなんて。心が引き千切れそうな思いですわ」

「悪い。だが少なくとも、俺は“彼女”を愛することなんてできない。俺が愛しているのは宝石だけだ」

「分かっていますわ……。そして貴方が求めるそれは、たしかに愛ではありませんね。ただの、『彼女からの執着と恋』でしょう。愛になりきれない、むしろ歪んだ愛のことです」

「歪んだ愛?」


 「はい」、とロゼリィは小さく言う。金色の瞳がぱちぱちと瞬く。ラムズの方をじっと見据えたまま言った。


「恋は、自分と相手を捻じ曲げてしまうのです」

「ああ……そうか。たしかにそうだな」


 ラムズはかつての記憶を辿り始めた。そして静かに声を落とす。


「人は皆、自分の見たいように相手を見、自分の思うように相手を望む。──恋は、その究極系だな」


 ロゼリィは儚く笑みを零した。


「そうです。私に聞かずとも、もう知っていたことでしょう? 恋をすると、皆その逆を行うのだと。自分なりに考えた『相手が望む理想像』に己を近付けようとする。そういった“恋”はあくまで自分のため。もちろん“執着”も」


 ロゼリィは静けさを含んだ声で、続けて話していく。


「自分を磨くことも相手に変化を求めることも、既に“ありのまま”ではなくなっています。私の思う愛は“ありのままである”こと。ですから、恋は愛ではないのです。歪んだ愛なのです」


 そこまで言い切って、ロゼリィはふっと顔に僅かなしわを寄せた。


わたくしは人を恋に落とす方法は知りませんわ。そんなもの、知りたくもありません」


 ロゼリィがツンとましてしまったので、ラムズは慌てて取りつくろった。そう考えた理由を事細かに説明する。ロゼリィは「それくらいは分かっております。それでも……」と言って少し涙ぐんでしまっていた。


 

 ロゼリィはつつつ、とワインを口に入れた。そして口直しをして、濡れた瞳を拭く。ロゼリィはにこやかに笑いかけて、ラムズに言った。


わたくしよりも、レオンに聞いた方がいいですわ。恋に関しては、人間の方がずっとよく知っていますから」

「ああ、そうだな。悪かった。俺が無頓着に聞いたせいで」

「いえ、いいんですわ。愛と恋を混同してしまう人はたくさんいますから」


 ロゼリィがそう言うと、ラムズは席を立った。

 そしてラムズは怜苑れおんを呼びに行く。今まで怜苑と話していたメアリは、「まだ妖鬼オニのリューキと話していたいから」と言ったため、ラムズは怜苑一人をこの場に連れてきた。



 

 怜苑はラムズに呼ばれていぶかしげな顔をするが、ロゼリィも机にいるのを見て、笑みを作る。

 怜苑が椅子に座ったのを見て、ラムズが口を開いた。


「レオン、お前の恋に落とす方法を教えてくれ」

「は、はぁ?! なんだよ、いきなり……」


 さほど恋愛に苦労しているとは思えないラムズから、改まって伺いを立てるような態度を取られたことに怜苑は驚いた。


 怜苑の恋愛経験は豊富な方ではなく、それなりにしたことはあるという程度だった。成功する時もあれば失敗することもある──ごく普通の高校生くらいの恋愛経験だろう。

 ちなみに彼はキスまではこぎ着けていたが、その先はまだであった。転移した当時は彼女がいなかったが。


「なんでラムズは急に恋なんかを……」

「人間ならば恋について分かるだろ。落とし方も」

「いや……分かるって言ってもそんな。普通だよ。俺だってモテてたわけじゃないし」

「モテテタ?」

「色んな女の子に好かれるってことだ。うーん。そもそも誰を好きになったんだ?」


 ラムズは一度黙ったが、悩む素振りはないままに言葉を落とした。


「誰も好きになっていないが」


 ラムズが淡々とそう言ってのけたため、怜苑は再度目をまたたいた。「好きな人がいるから、その子に自分を好きになって欲しい」というわけじゃない……。


 怜苑はさらに、ラムズという男が分からなくなった。そもそもラムズは、意味もなく女に好かれるよう頑張る男なのだろうか? わざわざこうして怜苑に尋ね、『恋に落とす』と意気込んでまで? それも好きでもない女を──。

 ああ見えてラムズも船員には慕われているのだ、それも彼の魅力のなせる技のはず。事実、船員の女の子への扱いが上手いと感じた時もあった。だがそうなれば、自分に聞かずとも勝手にやればいいではないか。


 自分に尋ねる意味も、そもそも恋に落とそうと心を決めている理由も、怜苑は検討がつかなかった。否、「宝石に関わることかも」とは一瞬思ったが、それと恋に落とすことがどう繋がるのか分からなかった。


「それってかなりえげつなくないか? 女の子が可哀想だぞ」

「ああ、ロゼリィにもそう言われた」

「ほらな! なんでそんなことするんだよ!」

「それは言えない」

「なら俺も言わないよ。そんなの協力したくないし」


 怜苑はある程度は男のさがとして割り切っている部分もあったが、さすがに意識的に「好きでもない女の子をわざと恋に落とす」なんてことはしたことがない。

 ちょっと女の子にかわいいと言ってからかうのとは、わけが違う。ラムズの物言いからも、本気で恋に落とそうとしていることが感じられる。

 少しからかうことはあっても、相手を傷つけるのは違う。だから、怜苑にはラムズのその言い分が許せなかった。


「頼む」

「そもそも俺に聞かなくても、ラムズなら恋に落とすくらいできるだろ?!」


 ラムズは一度口をつぐみ、コツコツと机を叩いた。


「まあ」

「じゃあ俺に聞くなよ!」

「……念には念を?」

「はぁ~?」


 ラムズは言い直した。


「俺も理由は分からん。運命のせいだな」

「運命? 俺に聞けって?」

「お前は水の神に依授いじゅされたんだろ。たぶんそのせいだ」

「え? なんでそれとこれが関係あるんだよ」


 彼は黙ったあと、首を振って怜苑の質問を逸らした。


「やろうと思えばできるだろう。だがそいつは俺が今まで知り合った使族や獣人ジューマとは違うし、失敗するとまずい」

「失敗するとって、相手がラムズを好きにならないとまずいってことか?」

「ああ」

「『好きにならない』に好きにならない以上の失敗なんてあんのかよ」

「──まあ、ある」


 怜苑は少し思考をめぐらせたあと、もごもごと口を動かした。


「それに……そういうのは俺の意に反するんだよ」

「だがレオンには関係ない話だろ? 相手はお前じゃないし」

「そ、そりゃそうだろうけどさ。でもその子が……」


 ラムズは一旦俯いた。

 怜苑はラムズが少し苦手な節があった。以前に脅された時から、彼が怖いのだ。普段はさほど怖くないのだが、ふとある時に脅された時の顔を思い出す。いつでも自分を殺すことができると分かっているので、あまり長く拒否するのもなかなかやりづらかった。それで逆恨みをされるのが嫌だったからだ。


「あのな、お前の知る者じゃない。だから教えてくれないか」

「──俺の知り合いじゃないのか」


 少しだけ気持ちが揺らぐ。そもそも自分にこんな頼み事をしないで欲しいと思っていたくらいだ。早くここから解放されたいという思いもあった。


 ラムズが成功するか否かは置いておいて、ラムズに少しでも加担した自分は、やはり悪者なんじゃないか。それでもラムズは怖いし、言う事を聞いておいた方がいい気がする。そんな二つの思いが葛藤する。


 だが、もしそれが自分の全く知らない女の子なのであれば────。

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