第32話 出航
[メアリ視点]
あれから三日、約束の時間になった。太陽はちょうど真上だ。
わたしはガーネット号に乗り込んだ。あとから船員が何人か続く。もう船に乗っていた船員が、勢いよく帆を開いた。帆が一斉に降り、バタンと大きな音がした。
トルティガーにいるあいだに、船を修繕しておいたみたい。折れていたマストは違うものに変わっているし、船内も掃除がしてある。魔法を使ったようで、薄汚れていた帆もシミ一つなくなっている。
赤い帆に縁取られた金の
出航時は、ラムズが風属性の魔法を使って船を動かした。その方がすぐに港から離れることができるからね。
無事に船が陸から離れると、ラムズは船員に指示を出す。ひゅっと冷たい風が甲板を通り抜けた。
「全員、持ち場につけ」
「いえっさー!」
ルテミスの船員たちが動き出す。
船員は以前よりも人数が減っていた。例のわたしに石を投げた人間がいなくなったのと、今回何人かのルテミスが乗船しなかったからだ。それでも、船を動かす人数は十分に足りている。なんなら、戦いのための人数もね
(というより、個々が強すぎるんだけどね。魔導師、エルフ、
新しく入ったエルフのノアや、魔導師のアイロスさん、
(能系殊人は、
あとはロゼリィとヴァニラの方に、ラムズは話しかけた。彼らはまだ船の操り方を知らないから、ラムズの周りに立っていたのだ。
わたしはみんなの様子を見たかったから、今も一緒にいる。
「爺さんやレオンは思うところがあるだろうが、俺たちは海賊だ。他の船を見かけたら即座に襲撃体制に入る。戦うのが嫌なら地下の倉庫にいてもいい。ノアは俺たちと一緒に戦ってくれ」
「いいだろう。そうしよう」
ノアはそう返事をする。エルフが戦闘に参加するなんて、こんなに心強いことはないわ。
今度は、アイロスさんが白い
「そうじゃの……。わしは戦闘が終わったあと、回復に回るとするよ。どうしても同じ人間を無闇に殺す気にはなれんからの」
ラムズはそれを聞いて頷く。
わたしもこれで構わない。アイロスさんの老体を見ていると、いくら魔法が得意とはいえちょっと怖い。荒くれ者の海賊に吹き飛ばされて、甲板に腰を打ち付けたりしそうだ。回復役としてでも、十分船に貢献できるはずだ。
「ヴァニはもちろん戦うの!」
「
「そうそう長期戦にはならない」
ラムズがロゼリィに返事をする。
ロゼリィはともかく、ヴァニラはどうも戦う様子が想像できない。酒瓶は持ったまま戦うのかしら? だって持っていない瞬間を見たことがないもの。
それにあんなに小さな身体で、どうやって戦うっていうんだろう。カトラスは腰に下げていないし、魔法を使うのかな。魔法の威力も低いと思うんだけど
(子供は大人よりも威力が低いのよ。歳をとる以外に、魔法の訓練したり身体を鍛えたりしても、威力が上がるわ)。
小さい体って便利だし、もしかしてすばしっこいとか? ちょっと楽しみだ。
横にいたレオンは、やっぱり迷っていた。船に乗る時も少し挙動不審だったし、略奪行為や人を殺すことに、まだ慣れないのかもしれない。
慣れていないうちはいらない。彼が無駄死にするだけだ。わたしはそう思って、レオンに声をかけた。
「無理しなくていいわよ、レオン。他で働いてくれればいいわ。レオンの意志が決まったら、戦うなり船を降りるなりすればいい」
「ありがとう。じゃあそうするよ。俺も地下でアイロスさんと待ってる。何もできなくてごめん」
「いいんですよ。ですが、力はつけた方がいいと思いますわ。ここにはちょうどいい先生もいらっしゃるではないですか」
ロゼリィはそう言って、アイロスさんとルテミスたちの方を見た。戦闘と魔法、たしかに彼らでばっちりだ。でもロゼリィは、そのあとわたしの方にも顔を向けた。
え? わたしに何かあったっけ?
「カトラスはメアリに習えばいいのではなくて? メアリは得意だと聞きましたわ」
「ヴァニもそれがいいと思うの!」
「じゃあメアリ、教えてくれないか?」
「いいけど……。わたしの腕なんてそんなに大したことないわよ?」
実際大した剣術なんて持ってない。わたしよりも上手にカトラスを扱う海賊なんて、もっとたくさんいる。
わたしの強みは、無詠唱の魔法とカトラスを同時に扱うところ。何度
(複雑なことをする時は、想像力をフル活用させないといけないから少し大変なのよ。その時はむしろ詠唱をした方が楽だったりするの。詠唱と無詠唱の違いは────また今度ね)。
人間は必ず詠唱が必要だからその分時間がかかるし、何の魔法を使ったかもバレてしまう。だからレオンとわたしは少し戦い方も変わると思うんだけど、とりあえず基礎だけ教えればいいかな。
全員の意向が決まり、話が終わりそうだ。っと、そうだった。このタイミングでみんなに聞いておきましょ。
「ねえ、サフィアっていう男のことを知らない?」
今回の新しく入ることになった彼らには聞いていなかったのだ。全員が首を振る。
「俺は知らない」
「わしも知らんなぁ」
「
「ヴァニも分かんないのー」
「まぁ、俺が知るわけないよな」
「自分も知らない。すまないな」
なんだかこの状況、どこかで見なかった? 全員で「知らない」って言うやつ……(思い出したら教えてよ)。
とりあえずやっぱり皆も知らないみたい。ほんと、手掛かりさえ掴まらないな。
──あと2年しかないのに。
わたしは一瞬
ラムズはわたしの話が終わったと察したみたいで、口を開いた。
「戦闘の話は分かった。この後は他の船員に船の仕事を教われ。海賊でなくたって、知っていて損はないはずだ」
わたしたちは返事をして、ラムズの側から離れていった。
レオンも同じく向こうに行こうとしていたが、どうやらまだ怖いみたいだ。彼はぴたと立ち止まって、ルテミスたちを警戒して見ている。
わたしはレオンの肩を叩いて声をかける。
「怖いの?」
「え? なにが?」
「ルテミスが」
「あー、そうじゃなくて。知らない人に声をかけるの緊張するなって」
「緊張? なんで知らない人に声をかけると緊張するの?」
「だって知らない人だよ?」
「え?」
よく分からない。もしかしてこれも人間独自の感情ってやつ? 他人に声をかけるだけで緊張するなんて、とっても生き辛そうね。
例えば周りが注目している中で戦いをすることになったら、人間は震えが止まらなくなるんじゃないかしら
(それとこれとは違うの? ふーん)。
「人魚だと分からないのかな」
「そうかも。人間はみんなそうなの?」
「いや、俺は人見知りなんだ。つまり他人に話しかけるのが苦手な性格ってこと」
「へえ、そうなのね。じゃあ船の仕事くらい、わたしが教えようか?」
「いいのか?! 助かる、教えてくれ!」
そういえば、いつかの沈んだ表情は嘘みたいだ。新しく手に入れたカトラスも大事そうに持っているし、なんだかやる気満々って感じ。
「この前ジウが人を殺して落ち込んでいたの、もう元気になったの?」
「……あぁ、あの時か。悪かったよ、何も知らないのにあんなこと言って」
「知らないんだから仕方ないわ」
「そ、そっか。人間以外と接するの、なんだか
レオンは顔付きを険しくして、めらめらと金の瞳を燃やした。強い意思ののった声で言う。
「俺さ、とりあえず全部受け入れようと思って。最初にここに来た時も、エルフとか人魚に驚かないようにしようって思ってたんだけど、まだ甘かったみたいだ。ごめんな。俺の世界の過去にも、似たような歴史があったはずなんだ。その時代でも略奪行為とかが肯定されていたわけじゃないけど、当たり前だったとは思う。きっとそれと同じだよな」
半分くらい言っていることが分からなかったけど
(裏表がないとか。わたしにも裏と表くらいあるわよ。背中と正面でしょ?)、
とりあえず頷いておいた。レオンは勝手に自己解決してくれたみたいだ。
「へえ、同じなのね。あなたの世界と似ているところがあるってことかしら?」
「似ているところもあるかな。だから頑張れば理解できるって感じ」
「人を殺すのはまだ怖いって思ってる?」
「さすがにね。死体や血を見ることも全然なかったし、それだけでも怖いよ」
「死体や血?! それすらもない世界だったの? ここと違いすぎるわね。よく受け入れられたわ。むしろありがとう」
死体も普段見ないような世界なんて信じられない(信じられる?)。でも逆に言えば、それほど死が身近になかったってことよね。そう考えれば彼のこの前の反応も納得できる。わたしだって今、全く想像もつかない環境の話を聞いただけで、こんなに驚いちゃったんだから。
「じゃあ船員の仕事を教えるわ。縄の結び方も知らないよね?」
「うん、教えてくれ」
わたしは近くに落ちていた縄を手に取った。片手でぐるりと回して結んでみる。
──なんだか弟子ができた気分。ちょっと楽しいかも?
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