第19話 正体

「こいつ! 人魚だ!」


 袖をまくった素肌には、本来人間ならばないものが並んでいる。


 ──うろこ


 ちょうど今は真昼間。鱗は太陽の光に反射してきらめいた。まるでこの状況を皮肉っているみたいに。



 わたしがいけなかったんだ。

 ラムズやジウがいる。それにルテミスが多いって、そうはいってもあそこまで大っぴらにやっちゃったら、バレることだって考えなきゃ。昨日はみんなの前で波も操ったし

(ロミューたちが海の崖に落とされないように、波で船まで運んだのよ)、

クラーケンとの戦いでは歌の能力の方を使っちゃったし。

 どれも助けようと思ってやっただけなのに、結局こうなるのね。


 人魚は歌で操る力を持っている──人間全員じゃないけど、たまにそう誤解している人がいる。

 わたし自身は、たしかに歌で生物を操ることができる(この前のクラーケンとかね)。でもそれは人魚だからじゃない。これは全くだ。これが神力だってラムズは気付いていたけど、その通り。わたしは稀に見る、依授いじゅされた使族──人魚の神力持ちだ。



 再度腕を振りほどこうとしたが、少年ははなさなかった。よっぽど人魚が嫌いらしい。石を投げつけられるまではここに立っていろってことか。


「なんでお前足があるんだよ! おかしいだろ! 船から出ていけ!」


 少年はわたしにそう叫んだ。まわりを見渡すと、思ったよりわたしをにらむ人は少なかった。睨んでいるのはただの人間だけだからだ。ルテミスや獣人ジューマはなぜわたしが睨まれているのかすら分かっていない顔をしている

(実際はそんなことないけどね。ルテミスは元は人間だし、きっと憎んでいる気持ちも昔はあったはず。でもラムズの言う通り忘れたってことなのかしら)。


 わたしは小さく溜息を吐く。

 船を下りたいんだけど。その腕放してよ。

 わたしはもう一度抵抗を試みたけど、やっぱり無理だった。魔法なんて、こんなところで使いたくないんだけどな。


「人魚だ! お前らも石とか、投げろよ!」


 少年は睨んでいる人間たちに向かってそう言った。そして掴んでいなかった方の手で、今度はわたしの鱗を剥ぎ取ろうとした。ビリリとした痛みが全身を走った。


「い、痛たっ……。やめてよ!」


 鱗はそう簡単には剥がれない。でも、だからこそ剥がされたら痛い。わたしは躍起やっきになって少年に抵抗した。


「人魚は鱗を剥がして殺すんだ! それが常識だろ!」

「……っ、そうだ! なんで人魚が船に乗ってるんだ! 人間の真似をするな!」


 ついに、他の人間も一緒になって騒ぎ始めた。

 ほんと、嫌になっちゃうよ。




 わたしは人魚だ。


 その証拠に体の至る所に鱗があるし(顔はないわよ)、前は人間の足の代わりに魚のような尾が付いていた。そして人魚は、波を操ること、同じ人魚の仲間と嵐をしずめることができる。魚の声や、クラーケンの雰囲気が感じられるのも人魚であるおかげ。

 今はこんな体だけど、海の中では普通に息もできる(もちろん泳ぎは大得意)。


 人魚が恨まれるのは、人間に誤解されているから。

 海で嵐が起こることも、船が沈没するのも、クラーケンが現れることも────。全部わたしたちのせいだと思われている。クラーケンは水の神ポシーファルのせいだってことはみんな知っているけど、人魚も関与していると思われているのだ。

 どうしてこんな誤解が生まれたんだか。でもずーっと昔からだから、わたしにはどうにもできない。



「手を放して! 船から下りればいいんでしょ! 下りるから放してよ!」

「下りる前に鱗を剥がすんだよ! 人魚のくせに抵抗するな!」


 少年は懸命に鱗を剥がそうとするが、わたしが抵抗しているから上手くいかない。でもこれも、他の人間も一緒になってやって来たらお終いだ。

 その終わりも、どうやらかなり近くまで来ているみたい。人間たちは一人、また一人とわたしに木々を投げ始めた

(甲板に修繕用の木材が置いてあったみたい。前に使った残りかな)。


「痛い! やめてよ!」


 そう言うのは逆効果だった。ますます投げられる数が増えている気がする。同じく差別対象になり得る獣人ジューマは、わたしに同情の目は向けても助けてはくれない。もちろんだ。だってわたしを助けたら、当たり前に獣人も石を投げられるもの。


 今までの船じゃないみたいだった。わたしだけ違う船に間違えて乗っちゃったみたい。この状況、そうと言われたらたしかにそうだけね。

 冷ややかな人間たちの視線と、赤い帆に妙な温度差があって、それがなんとも気持ち悪い。これ、どうしたらいいんだろ。



「おい。何やってんだ?」


 冷ややかな声がわたしの方まで通り抜けた。

 いつも通り、ラムズの声でピタリと罵声ばせいがやむ。もちろん物を投げる手も。誰もラムズの質問には答えない、と思ったら、少年が叫んだ。


「こいつ、人魚なんだ! だから罰を受けさせる。これが証拠だ!」


 少年はわたしの腕を、無理やり高く上げさせた。鱗が光に反射してキラキラと光る。


「ああ?」


 ラムズはつかつかとわたしたちの方まで歩いて来る。そして少年の腕を掴んで、思いっきり締め上げた。少年は慌ててわたしから手を放す。


「痛いだろ! 何すんだよ!」

「お前こそ何してんだ? おきてを忘れたか? 人魚に暴行を働いた者は死刑だ」


 そういえばそんな掟があったわね、変だと思ってたんだ。でもそれって効力あるのかしら。人間がこんなにいるのに。

 というか、死刑だっけ?! もう少し罰は軽くなかった?


「そんな……そんな掟が通るわけないだろ! 人魚は死刑だ!」

「ここは俺の船だ! 俺の掟を守らねえなら船から下りろ」


 ラムズはそう言うと少年の肩を押して転ばせた。少年は床からわたしを睨んでいる。

 解放されていた腕を、わたしはしげしげと見る。剥がされそうになった鱗の部分がジンジンする。掴まれていたところも痛い

(鱗を剥がされる痛みは、爪を剥がされるのと同じくらいよ。もう慣れているけど)。


「こんなのおかしいやい! 人魚なんてただの魔物だ! 汚い鱗を剥がして人間のために使うんだ!」


 少年は床からそう叫ぶと、急に身体を起こし、またわたしに掴みかかってきた。わたしが避けようとするその前に、ラムズが少年の両腕を掴んだ。


「おい」

「いいいい、痛い!」

「もう一度言ってみろ」

「や、や、やめてよ…………」

「もう一度言ってみろよ!」


 ラムズは彼の腕をかなり強く掴んでいるみたいだ。でも少年が怖がっているのはそれだけじゃない。襲いかかる殺気にきもを冷やしているのだ。


「せっかく見逃してやろうと思っていたけどな。気が変わった。お前のことは殺す」

「……な、なな、なんでだよ! うう、お、下ろすだけってさっき言った、だろ……。オレは何もしてない……」


 少年は口をパクパクさせて、か細い声でそう言った。さっきまでの勢いはもうなくなってしまっている。ラムズの声が、彼の勢いを削ぎ落としたのだ。腕は放されているけど、少年はそこから一歩も動けないみたい。


 ラムズがかなり怒っているのは、誰がみても瞭然りょうぜんだった。こんなに感情をあらわにするなんてラムズらしくない。どうしてわたしの代わりに怒ってるんだろう。


「何もしてない? 何寝ぼけたこと言ってんだ? 俺様がじきじきに教えてやるよ、お前の罪状をな!」


 ラムズはそう言うと、少年の右手をわし掴みにした。そして空いている手でカトラスを出す。



 凍てついた視線が少年を貫いた。


「まず一つ、鱗を剥ごうとしたこと」


 ラムズはそう言うと、カトラスで彼の指を全て切り落とした。


「い、いああぁぁあぁああ゛」


 ぼとぼとと指が落ちていく。血が指から噴射して、辺りに飛び散った。床がどんどん赤く染まっていく。

 ラムズは少年の右手を投げ捨てるように放すと、今度は左手を掴む。


「次に、鱗を汚いと言ったこと」

「あ、あぁぁあぁぁぁあ…………ああ……」


 言わずもがな、左手の指が切り落とされた。

 少年は立っていられなくなり、崩れるようにへたり込んだ。だがラムズは彼の腕を掴んで膝立ちをさせる。

 

「最後に、俺の宝石を汚したことだ!」

「あっ、う゛っ……」


 カトラスが少年の腹に刺さっていた。どくどくと血が流れていく。彼の身体の芯は消え、腕がラムズの手からすり抜ける。大きな音を立てて、甲板の上に死体が転がった。


「これだけで済んだことを光栄に思え」


 これでもまだ足りないんだ。わたしは密かに失笑した。


 周りで見ていた人間たちは、足をがくがくさせて震えている。わたしとしてはちょっとさ晴らしができて嬉しいけど、むしろ敵を作っちゃった気もする。

 でも最後の「俺の宝石」って何かしら。わたしが宝石ってこと?



 ラムズは煮え切らない怒りを必死で抑えているように見えた。青い眼から火が出ているように見える。怖がる船員をぐるりと見回して、その眼を金属のように尖らせた。ドスのきいた低い声が空気を震わせる。


「──おい、お前らも船から降りろ」

「待って。わたしが下りるわ。その方がみんなもいいでしょ」

「メアリは下りるな。俺は人魚が好きなんだ。俺はあんたが人魚だと知ってて船に呼んだんだ」


 ラムズがそう言うと、周りの人間は信じられないという顔をした。そんな顔をすることないのに。わたしって嫌われすぎじゃない?


「おい、お前船から下りろ。お前もだ、お前も。メアリに石を投げたやつは全員船から下りろ。分かったか、。ロミュー」

「あいよ」

「待ってよ! そんなにたくさん下ろしたら船員が足りなくなるでしょ!」

「メアリに暴行を働くやつなんていらねえよ。はやく船から下ろせ!」


 ラムズはどうしてこんなに怒っているんだろう。もしかして、わたしが好きとか? わたしがいじめられていたから助けてくれたの?

(たしかに。もう虐めているのはどっちか分からないわね)



 ロミューや他のルテミスたちによって、海に落とされる人間が選抜され終わる

(念のため言っておくけど、ここ海のど真ん中だからね? 少なくともしばらくはもう島もないわよ。どう考えても溺れちゃうだろうし、今下ろしたら死刑と変わらないと思う)。


「待って。下ろすのはあとでにしましょ。トルティガーにもうすぐ着くんじゃなかった? そこで下ろしてあげましょうよ」

「こいつらに同情すんのか?」

「同情じゃなくて、ここで海に落として万が一生き延びたら、わたしの評判が更に悪くなるじゃない」


(別にわたしは彼らが死んでも気にしない。しかも物を投げてきたような奴らだし。でもあとで怖いのよね、人間って。団結力があるって言うじゃない?)


「今下ろさないのか……。でもたしかにあんたの言うことも最もか。ロミュー、そいつらには目印でも付けとけ」

「あいよ」



 石を投げた人間たちは、みんな片方の手首を縄で縛られた。元々シャーク海賊団にいた「人間」という使族しぞくの内、そのほとんどが石を投げていたようだ

(この前、無人島で一緒だった人間も投げていたみたいね)。

 人魚って本当、人間に嫌われているわね。今まで仲良くしていた船員に、こんなに手のひら返しをされるなんて

(傷ついてないわよ? いつものことだし、仲良くしていたからってたしかに憎い使族なら仕方ないわ。そういうものよ)。



 ラムズは縛られた人間の方へ、再び鋭い声を放った。


「今度メアリに何かしたら死刑だからな。物を投げるだけでもだ。海から落とすんじゃなく、。分かったか?!」


 彼の「殺す」には、それ以上の意味が含まれているような気がした。ただ殺されるとは思えないほど、声も眼も怖い。

 眼から火花が散っているような、でもむしろ、目線の先にいると凍傷してしまうような恐ろしさだった。冷たい恐怖っていうの? 声だって全身を震え上がらせるものだ。関係ないわたしまで背筋が凍っちゃった。ううー、ブルブル。



 ラムズはわたしの方を向くと、まくられていた袖を丁寧に戻してくれた。優しい手付きがむしろ不気味に感じる。ラムズは顔を上げて、視線を交わせた。


「来い」

「え? あ、はい」


 腕を触っていた時とは違って、有無を言わさぬその物言いに、思わず頷いてしまった。ラムズに腕を掴まれて、わたしは船長室へ連れていかれた。

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