第17話 スキュラ *
[*三人称視点]
戦えるのは四人──ラムズ、メアリ、ジウ、グレンだ。人間の男は意味がないからと言って、一人洞窟の通路の奥へ下がった。
ラムズが隣にいるメアリに叫ぶ。
「メアリ! 泉を凍らせろ!」
メアリは怪物の左側に駆け、
「【氷塊と化せ ──
ピキキと音を立てて泉が凍った。泉は、まるでエメラルド色の巨大な鉱石のようだ。そして、これで泉の水で攻撃されることはなくなった。
ラムズはジウとグレンに目で合図をする。ラムズは六頭のフェンリルの動きを止めようと試みた。
「【闇よ、拘束せよ ──
黒い
「それじゃあよろしくね、っと!」
ジウは一頭のフェンリルの口をがっと掴んだ。上顎と下顎に手を置いて、それぞれ上下に引っ張る。
ラムズの魔法で制御の利かないフェンリルだったが、完全に動きを封じられたわけではない。口を閉じ、ジウの腕を飲み込もうとする。喉の奥から唸った。
「グルルルル」
「いっちょあーがり」
だがジウの方が優勢だった。彼は勢いよく口をおっ広げる。フェンリルは顎が外れて、息絶えた。
横にいた二頭のフェンリルが、ジウを襲う。両足でフェンリルを蹴って、ジウは跳んで避けた。
一方グレンは、鋭い爪で別のフェンリルの眼を引っ
同じく周りにいたフェンリルもグレンを攻撃しようとしたが、グレンは無詠唱で火炎魔法を放った。真っ赤な
「クソッ」
フェンリルはまだ死んでいない。
「【稲妻よ、全てを裂かん
──
ラムズは離れたところから、雷魔法を落とした。空間を金の稲妻が裂く。ジウとグレンを避けて、的確に怪物の上半身に当たる。焦げた匂いは漂うが、怪物の女は
「前衛が潰れたらどうするかしら?」
地属性の魔法で出した
「メアリ!」
「分かってる!
【
キンと尖った氷柱がツタを切り裂き、空中で
ラムズは迫り来るツタに電撃をのせて、残りをすべて焦がす。ツタは黒い灰になってゆっくりと落ちていく。
メアリは水属性の魔法で大量の水を出し、それを一頭のフェンリルの口の中へ噴射した。フェンリルは慌てて口から水を出す。そして同時に炎を吐いた。
「うわっ!」
「気を付けて」
ジウが跳んでメアリの身体を掴む。跳ぶと同時に女の頭に蹴りを入れる。怪物はグラリと体制を崩した。
「ちょうどいいところにいるじゃない」
女は闇属性の魔法で、近くにいたグレンの動きを封じた。
「うっ……。あ、無理だ……威、力が……」
「【風よ、刃に ──
それを見たラムズが、風属性の
女の魔法が途切れて、グレンは首を抑えながらよろめいた。フェンリルがグレンに噛み付こうとして、グレンはその口の中へ炎を押し込んだ。フェンリルの口の中がボワッと
「っはぁ……」
グレンは間一髪で
「よくも……二頭も……。許さない」
女は充血した金の目を爛々と輝かせた。眼球から血が流れていく。それがポタリポタリと女の肢体に落ちる。
メアリはそれを見て、闇属性と水属性の混合魔法、
「痛いじゃなああい!」
女は
「ありがと。
ジウはメアリを掴む腕を強めた。ジウが跳んで避けてはいても、メアリの足や顔は氷柱で怪我をしている。
「今度はボクの番」
ジウはメアリを下ろして、一頭のフェンリルに蹴りを入れた。よろめいたフェンリルに向かって、メアリがカトラスで上から刺す。
だが違うフェンリルがメアリの髪を噛んだ。ブチブチと音がして髪が抜けていく。
「痛い!」
ジウがそのフェンリルの目玉を殴る。フェンリルは一度口を離して、今度は彼の方に噛み付こうとする。ジウの後ろにいるフェンリルもまた、彼の方へ迫る。
「おい!」
二頭に挟まれたジウを見て、ラムズは駆けた。彼らの元まで来ると、ラムズは一頭のフェンリルの頭に触れる。
「【電撃よ、水の如き ──
白銀の電撃が、滝のごとくフェンリルに流れ込んでゆく。フェンリルの体が一瞬光に包まれた。真っ黒に焦げたフェンリルが、その場に倒れる。
「写し終わったニャ!」
リーチェの声に、一同がハッとした。彼らは一つの黒い穴を見た。怪物が出てきた穴だ。ラムズはあれが出口だと確信し、目で全員に合図をした。
「そうはさせない! 逃がさないんだから!」
怪物は残りのフェンリルを動かして、ラムズの方へ迫った。同時に怪物の放った草魔法の棘は、まるで降り注ぐ
「任せて!」
メアリは空中に大きな水の塊を出して、棘の勢いを減らす。だが、それでも落ちてくる棘は全員の身体を傷つけた。
「【
ラムズは刃風魔法で風の刃を出した。何十にも渡るそれが女に向かう。白い刃がおびただしく宙を飛ぶ様子は、まるで空間に霧がかかったかのようだ。
女は魔法で大量の水を出し、刃から逃れようとした。だが水が出された瞬間、メアリがそれを全て氷に変える──この間一刹那。ラムズが風を起こして、風の刃と一緒に大きな氷を彼女にぶつけた。
「う、うわぁっ」
女がよろめいた隙に、リーチェと人間も一緒になって黒い穴へ走った。
だが一頭のフェンリルがジウの足を噛む。そのまま引きちぎろうと、フェンリルが後ろへ下がる。リーチェが闇属性の魔法でフェンリルの口だけを麻痺させる。グレンは鋭い爪でフェンリルの二つの瞳を引っ掻く。
フェンリルは口を離した。
怪物が起き上がって空間を見渡した時には、最後尾の人間が穴に吸い込まれていくところだった。
「ちくしょう!」
女のしわがれた声が、空間内で何度も何度も木霊した。
六人が穴を出ると、入ったところと全く同じ場所に出た。例の岩壁にある穴だ。五人は肩で息をしながら、その場でへたりこんだ。
「なんとか逃げきれたニャ」
「疲れたぜ。怪物相手はキツイな」
「ボクはもう少し戦いたかったな」
「何言ってるのよ。……って、島が!」
メアリははっとして空を見上げる。なぜか先程までの薄暗さはなくなり、いつもの森に戻っていた。夕暮れの太陽のせいで、木々がすべて赤く染まっている。もうじき日が暮れる。
「急がなきゃ! 島が沈むの! 沈んだら死ぬわ! 戻ってこれない」
「い、行こう」
ラムズは
「メアリは走れる?!」
「なんとか。大丈夫よ」
メアリはジウの方を見て力強く頷いた。彼女は、ラムズよりは疲れていなかった。人間は戦っていないし、
途中魔物が何度も襲い、ジウの背中からラムズが魔法を放った。主にリーチェとグレンは前衛を務め、ラムズが逃した魔物を殺していく。道はすべてラムズが指示した。道は正しいようで、段々と斜面が緩やかになっていく。
走っていると、またロコルアイベアーが現れた。
「ボクに任せてー」
真ん中の巨大な紫の瞳に、ジウは蹴りを入れる。バリバリと音がして、目玉がガラスのように砕け散った。
ロコルアイベアーがこちらに倒れてきたのを、グレンとリーチェが支える。
「よっと」
「ニャっと」
「真似すんな!」
軽口を叩きながら、彼らはそれを横に投げ飛ばした。
六人は先を急ぐ。
しばらく進み、今度は巨大な毒虫系の魔物が現れる。
「何これ……。大きすぎるでしょ」
メアリは、あまりの気色悪い見た目に顔をしかめた。
体はメアリたちと同じくらいで、体に付いた四枚の白く濁った羽はかなり大きい。羽を動かす度にブーンと嫌な音が辺りを震わせた。体は黒い毛で覆われており、真っ黒い尻はツンと尖っている。瞳孔のない赤い目玉はギョロギョロとしていて、出っ張っている。赤い球がただ貼り付いているだけに見える。
「面倒な、ベルゼビィか。羽を
ラムズの不快そうなその声を聞いて、ジウは一度その場にラムズを下ろした。
まずジウが跳んでベルゼビィの羽を掴もうとする。ベルゼビィはブーンと音を立てながら上へ上がり、地属性の土砂の塊を辺りに投げ始めた。
「なっ、なにこれ!」
「ニャッ!」
「あぁー!
腐乱臭のする土砂のせいで、全員がその臭いに目眩を覚えた。メアリはなんとか踏みとどまって、大量の水を出して土砂を洗い流す。
いくらか臭いはマシになり、グレンは走って火炎魔法を放った。ベルゼビィがそれを飛んで避けると、その場所を狙ったかのようにジウが現れる。
「ざんねん!」
ジウは四枚の羽をすべて掴んで、重力に任せて地面に降り立つ。ビリビリと音がして、羽が全て剥がれた。ベルゼビィはそのままふわりと地面に落ちる。
ベルゼビィは身体に付いている八本の足をチロチロと動かして、なんとか地面から起き上がろうとしている。足にはそれぞれ毛が生えていて、それが勢いよく動く姿はおぞましい。
「気持ち悪……。俺無理だ……」
「だらしないニャ」
グレンがベルゼビィから後ずさると、呆れた顔をしてリーチェがベルゼビィの身体を踏み潰した。
だがベルゼビィから黒い触覚のようなものが現れる。長いそれはリーチェの脚に巻き付いた。グルグルと
「ニャッ?!」
「油断すんな」
ラムズは駆けて触覚に触れた。神経が切れたようにへなりとなって、触覚が脚から剥がれていく。最後に電撃を流し込まれ、ベルゼビィは死んだ。
「ベルゼビィって、その……Cランクの魔物っすよね」
死んだベルゼビィに
「ああ、そうだ」
「人間だったらあんな簡単には……。詠唱だってなんで……。それにさっきの戦い、
それには誰も返事をしなかった。ジウはもう一度ラムズを背負って、走り始めた。人間は
そのあとは、特に見慣れない魔物はいなかった。魔木が攻撃することもあったが、ジウがその枝を折るか、幹を掴んで引っこ抜くか、もしくはラムズが腐らせて倒していた。
五人が砂浜に着いた時には、太陽は地平線から少し顔を出しているだけだった。それは半円程もない。ラムズはジウの背中から降りると、船に乗り込んだ。彼の後ろに皆が続く。
山に出かけた船員のうち、ほとんどは戻ってきていた。彼らは初め山に潜ったあと、魔物の多さに
だが、ロミューを含め数人がまだ戻っていない。
ラムズは
「出航の準備だ! 今すぐここを発つ!」
ラムズの焦燥を含んだ声に、船員が慌てて動き始めた。
さらに早く岸から離れられるよう、ラムズは風属性の魔法を使った。風に赤い帆がたなびき、パタパタと音が鳴った。船はゆっくりと動き始める。
同じく船首楼甲板に立っているメアリに、ラムズは話しかけた。
「これくらいなら大丈夫か?」
「ええ、たぶん。でも島が沈み始めたらもっと離れた方がいいわ」
「わかった」
ラムズの隣で、メアリは島を見ていた。
パーンの島。本来島はそう呼ばれていた。昔は、光の神フシューリアの創った
彼らはくるりと曲がった白い
パーンは、同じく共に住んでいたニンフに虐殺されたのだ。その島にしか生息していなかったパーンは、これがきっかけで絶滅した。
──
それからこの島は、二重の意味でそう呼ばれ始めた。訪れた者が消える、島自体が消える、と。
全ての元凶を引き起こしたのは、先程の怪物──スキュラという名のニンフのせいだった。
メアリはこの話を、よく他の仲間から聞いていた。彼女らの呪いと似通うところがあったのだ。そして話の最後には、いつもこう付け足された。
『わたしたちも人間に恋なんてしちゃいけないのよ』
と。
岸から10メトルほど離れてから、船はゆっくりと旋回した。風向きと垂直の向きに船がとどまる。
ラムズは、岸に近いところへ魔法を放った。稲妻が現れる。それは空を裂くようにして、海に落ちていく。ゴロゴロと音が鳴った。
メアリはぽつりと呟いた。
「間に合うかしら」
「分からん」
ラムズはじっと島を見つめた。稲妻はロミューたちへの警告だった。夕暮れまでには帰れと伝えてあった以上、間に合わなかった者は島に置き去りだ。これは海賊界では暗黙のルールであった。
ラムズとメアリの顔が、真っ赤に染まっていく。もう太陽が消える。まるで一本の線のようになった太陽を、メアリはじっと見つめた。
「来た」
メアリがその声を聞いて、島の方へ目を細める。たしかに赤髪の船員が二人、そして人間が二人砂浜に立っている。
砂浜で、ロミューはガーネット号が海上に浮かんでいるのを見た。何か考えがあって出航したに違いないと、ロミューは推測を立てる。
「お前さんたち、向こうに投げるぞ! そこから泳げ!」
「えっ、まじ?! 怖いって!」
ロミューは慌てる人間を無視して、急いで彼を
「嘘だろおぉぉお」
「うわあぁぁあ!」
人間の二人は船の近くの海へ落ちた。船にいる者が縄を渡して、人間たちを引き上げているのが見える。
ロミューはもう一人のルテミスに向かって頷き、二人で砂浜を跳んだ。彼らが跳んだ瞬間、日が落ちた。と同時に、海の水が吸いこまれるようにして島が沈んでいく。
島が沈むのに
「なんだ……あれは……」
空中でそれを見ながら、ロミューは身震いをした。
ロミューともう一人のルテミスは、崖のようになった海のすぐ横に落ちた。勢いよく流れ落ちる水が彼らを
「うっ……。わぁっ!」
「泳げっ! 泳ぐんだっ!」
彼らはそこから離れようと、懸命に手足を動かす。
二人に船から縄が渡され、二人はがっちりとそれを掴んだ。船のヘリに掴まっているメアリは、何やら目を
波の上に座るようにして、二人は海上をすうっと移動していく。まるで波が彼らを運んでいるようだ。
ロミューは左右を見渡しながら呟いた。
「不思議なことが多いもんだ」
「……本当だな」
船の高さまで波が上がり、甲板に打ち付けた。バシャンと音がして、甲板が濡れる。波が消え、二人は甲板の上で身を起こした。
ラムズは船尾楼甲板の上から彼らを見下ろす。
「間に合ったな」
「ふう……。助かったよ。だが、何なんだ、あれは。島が沈むなんて」
ロミューは濡れた服をいくらか絞った。そして島があった所を見つめる。
「パーンの島だ」
ラムズは落ちていく島をじっと見つめた。しばらくすると、海に空いた穴が小さくなっていく。
──そして、消えた。
真っ平らな海が広がっている。波が模様を作り、ゆらゆらと揺れる。今までそこに島があったことが嘘に見えるくらい、ただの"海"だった。
甲板にいる誰もがその様子に
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます