第16話 パーンの島

 コツコツという音が止まって、わたしたちは恐怖に足がすくんだ。どうして音が止んだんだろう。もしかして、なにかが近づいて来ていて、それがわたしたちの後ろに────。



「悪い。待たせたな」



 心臓が破裂するくらい、わたしの動悸が早まった。息を飲んだまま、吐くことができない。喉が締め付けられたようになって苦しい。

 わたしはどうにかして後ろを振り返った(相当な努力が必要だったわ)。同じく、一緒に歩いていた他のみんなも。


 ────ラムズがいた。



「そ、その……ラムズ……かな? ……死んでるの?」

「船長……?」


 死体を見たわたしとジウは、特に狼狽ろうばいしていた。だって彼が、無傷で目の前に立っているんだもの。さっき見たあれは夢だったの?

 それとも回復魔法? でもあんな傷をどうやって? それに身体に穴が空いてたのよ。あれでも死んでいなかったっていうの──?


「死んでたらここにいないだろ」

「でも……身体に穴が空いてて……」

「ちょっとしくじったんだ。回復したからもう平気だ」

「回復って、いや、ラムズ死んでたわよね?」

「死んでねえよ。生きてる」


 ラムズは近づいて、わたしの手を触った。暖か──くない。凍えるくらいに冷たい。わたしがびくりと肩を震わせたら、ラムズがしまったという顔をした。


「忘れてた。俺元々冷たいんだった」

「そ、それはたしかに……そうだったわね……」

「んじゃ、はい」


 ラムズはわたしの手を、自分の胸に押し当てた。肌は冷たいけど、たしかにドクンドクンと鼓動の刻む音を感じる。


 服に穴が空いているからか、ラムズの紺のコートとシャツは全開だ。でもそこから見える白い肌には、どこにも傷なんて見当たらない。健康な身体そのもの。さっきまで身体に穴が空いていた人とは思えない。

 服に付いていた血と顔にこびり付いていた肉片は、綺麗さっぱり消えている。ジウも同じことを思ったのか、ラムズに問いかけた。


「その……血は?」

「魔法で洗い流した。やって欲しいならジウにもやるか?」

「そんなの今はいいよ……」

「本当にラムズなの? ニンフが姿を変えて出てきたとか、あの魔物がラムズだとか──」

「本当に俺だ。あれはもう倒したし」


 わたしは開いた口が塞がらなくなった。

 嘘でしょ。あんな傷を負ったあとで、それを全て魔法で治療して、さらに倒したってこと──? 


 ラムズはやっぱりエルフなの? エルフならあの傷を治せるのかしら……。もし息があったなら、頑張れば治せる……? でも瀕死な状態で自分に魔法をかけるなんてできるの……?


 わたしはエルフが回復魔法を使うところをそんなに見たことがあるわけじゃない

(ちなみに回復魔法は光属性の魔法よ。つまりラムズは光属性も特化した使族ってことね。あれ、でも彼は闇属性も使っていたわね。エルフは闇属性は使えないはず)。

 だからもう判断が付かなかった。ラムズがわたしの使族より魔法のテクニックなんかが高いのはそうだけど、案外エルフはこんなものなのかもしれない。それに、そうよ。わたしが知らない使族なんだわ。

 


「あの魔物、強かったでしょ……」

「まあな、かなりキツかった。頭は良かったから、Bランクくらいか? だが宝石が欲しかったからな」

「そ、そっか……」


 ラムズは担いでいた袋を床に下ろした。袋からガチャガチャと音が鳴る。茶色い麻の袋で、かなり大きい。宝石が入っているからか、袋がゴツゴツと歪な形になっている。


「宝石を手に入れた。一応少しは分けてやる。だがほとんど俺が戦っていたから、取り分は俺が多くていいか?」

「いや……、わたしはいらないし……」

「ボクもいらない」

「んじゃ欲しい奴とだけ分けよう」



 そのあと宝石は、グレン、リーチェ、人間の三人だけが貰っていた。といっても、その量は本当に少し。たしかに今までラムズばかり活躍していたし、あの魔物を倒した(わたしはまだ信じられない)のはラムズだしね。

 わたしはとりあえず、現状を受け止めることにした。しばらく話していたけど違和感は全くない。さっきまでのラムズと変わっていないはず。

 そしてジウが見たいというから、みんなでさっきの魔物がいたところに戻った。魔物はたしかに死んでいた。全ての宝石が剥がされたせいで、ただの石の塊みたいになっていた。




 ◆◆◆




 わたしたちはあれからずっと洞窟の通路を歩き続けていた。たまに道が狭いところや、普通より暗いところもある。


 魔物は相変わらず少なかったけど、代わりに床にいくつものが落ちていた。人間やエルフの骨とはちがう気がする。魔物の骨って訳でもない。

 それに、魔物が頻繁に襲ってくるわけじゃないのに、どうしてこんなに骨があるんだろう。後ろにいる人間だけは骨に怯えていたみたいだけど、わたしも含めて、他の五人は気にしていなかった。



 ラムズとわたしが先頭になって歩いていると、急に通路が狭くなった。さっきまでは三人くらいが余裕で歩ける幅だったのに、今は二人が限界だ。

 光る鉱石が減って、少しだけ薄暗くなる。狭いせいか、壁の模様がより見えるようになった。鉱石の薄い光に照らされて、赤や緑の濁った色が奇怪な背景を作り出す。ぞわっと鳥肌が立った。わたしはラムズに少し近付く。


「なんだか怖いわ。何かがいる気がする。それにどうやって帰ればいいんだろう」

「目的を果たしたら、出口も分かるんじゃねえか」


 無関心そうな声に余計不安を覚える。ラムズを頼りすぎていた自分を、もっと反省した。


 それにしても、ラムズは自分の運命を信用しすぎじゃない? 運命が死を導いていたらどうするんだろう。

 あの黒い穴は見つかるかな。もしかして入口と出口が違うとか。洞窟の最深部までいけば、そこに出口用の黒い穴があるのかもしれない。なんだか変な島だしね。

 変な島か。変な島って、なんか聞いたことがあるような────。




 狭い通路を抜けると、ぱっと広い空間が目に入った。目を細めてその奥を見ても、もう道はない。どうやらここが洞窟の最深部みたい。

 わたしたちは空間の手前で立ち止まって、辺りを見渡した。


「変な場所だニャ」

「ああ。おそらく、ここが俺の来たかった場所だ」

「ちょっと綺麗だな」


 たしかに、綺麗かも。

 壁はさっきと同じく灰色で、光る鉱石がいくつも埋め込まれている。その数は今までよりも多い。

 そして目の前に広い泉があった。広いと言っても、端から端まで歩いても一分はかからないくらいかな。ただ洞窟の中にあるにしては、少し大きい気がした。

 

 泉は青緑色に光っていた。水が光っているのか、底が光っているのかは分からない。泉から湧き上がるようなその光は、辺りを怪しく照らしている。泉には波紋一つなく、なんだか時が止まっているみたいに見える。

 岩壁の鉱石の光もあいまって、そこは幻想的な空間になっていた。


 泉の中心に、石版のような物が浮いていた。何か書いてあるようだわ。中心といっても少し遠いせいで、石版の文字は読めない。


「あれ、なんて書いてあるんだろう?」


 わたしがもう少し近づこうとして、通路を出て泉の方へ足を伸ばした時だった。横の壁が崩れるようにして穴が空き、その空間から"何か"が出てきた。

 


「ずうっと暇だったの。ようやく遊び相手が来たのね」


 ──嘘でしょ、もしかして、ここって……。

 しわがれた声が、空間の中で妖しげに木霊していく。目の前の怪物は、魔物と人間が混じった様な姿をしている。六頭のフェンリルを動かしながら、"彼女"は泉の真ん前にやってきた。

 

「はやく来なさいよ。食べてあげるから」


 "彼女"は泉の前で止まったまま、そう言った。


 彼女と言っていいのかは分からない。上半身は一応人間ぽい見た目なんだけど、下半身はフェンリルのような魔物が六体繋がっている

(うまく言えないけど、六頭のフェンリルが放射状に並んでいて、腰で全員が繋がっているの。で、その上に女の子の上半身が載っているって感じ。これ以上はわたしも説明のしようがないわ)。


 グレンたちが驚き、小さな声で話し始める。


「なんだよ! あれ!」

「強そうな敵が出てきたね!」

「魔物かニャ? 使族かニャ?」

「あれは──」

 

 ラムズの呟く声に気付いて、その怪物はわたしたちを睨みつけた。

 上半身の人間の体は灰色で、髪の毛はかなり長く、フェンリルの毛皮のようにゴワゴワだ。口は裂けて、黄色い瞳は充血して血が垂れている。妖艶な笑みを浮かべていると言いたいところだけど、彼女の上半身の容姿がグロテスクすぎて、笑みはただの恐怖しか生んでいない。


 唇が恐怖で震えた。


「……スキュラ、だ」


 わたしは、ようやくこの島の正体に気付いた。



 ──パーンの島消える島




 ラムズはわたしの隣で、ぽつりと呟いた。


「あいつの後ろにある石版の文字が読みたい」

「ダメ! もう帰らなきゃ! 日が落ちるまでに帰らなきゃ。どうして気付かなかったんだろう、馬鹿だわ。あれはパーンの骨だったんだ。そしてあの怪物は────」


 『パーン』という言葉が聞こえたのか、彼女の形相ぎょうそうがさらに醜くなる。怪物は足(というか下にくっついているフェンリル)を動かしてゆっくりとこちらに近付いてくる。


「私の前でパーンなんて言葉、よく使えるわね?」


 干からびた喉から声を出し、彼女は不快感をあらわにした。

 ラムズに説明している暇はない。わたしは彼の腕を掴んで、来た道を引き返そうとした。


「帰らなきゃ!」

「あいつが何であろうと、俺はここで絶対にあの石版を見る。俺の直感がそう言ってる」

「運命のことでしょ?! でもその運命が死を指していたらどうするの?!」

「きっと大丈夫だ」

「ここまで来たからには、わっちは手伝うニャ。逃げることもできない気がするニャ」

「ボクもいいよ! 久しぶりに強い相手と戦えるね!」

「リーチェ、石版は頼む。これに文字を写してくれ」


 ラムズは羊皮紙とペンをリーチェに寄越した。彼女はそれを受け取ると、壁を机のようにして、素早く文字を書き写し始めた

(獣人ジューマは使族よりもずっと目がいいの。魔物の時の特徴がいくつか残るからね。聴覚、嗅覚なんかも発達しているわ。グレンとリーチェだと、リーチェのほうが目はいいかもね。ロコルケットシーは夜目も利くって言うし)。



「もう! 日が落ちたらこの島は沈むの! みんな海の藻屑になるわ!」


 わたしは最後の切り札と言わんばかりにラムズに叫んだ。彼は一瞬驚いたけど、すぐに首を振って怪物の方へ向き直った。──戦うつもりだ。

 ジウはとっくに準備ができている。手首をポキポキと鳴らして、怪物をじっと睨んでいる。


「メアリ、あいつの弱点を教えて?」

「そんなの知らないわよ! あ、でもそういえばあの泉の水に触れちゃいけないの──」


 わたしがそう言い終わるや否や、フェンリルの一頭が口から水を吹き出した。これって、泉の水?!


 即座に魔法を使って、わたしは飛んできた水を凍らせる。空中で時が止まったように、水は氷にすげ変わった。途端、槍のように尖った氷が床に落ちる。ガシャンと大きな音がして、氷の粒が砕け散った。

 ラムズが風属性の魔法を放ち氷の粒を怪物の方へ飛ばす。怪物は本気で怒り始めた。


 ──もうやるしかない。

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