第15話 脱落者四名

 森のどんどん奥深くまで来ているけど、景色は大して変わらなかった。いつまで経っても木、木、木……。

 明るさも地面の土の感触も、なんなら気温や風の冷たさも変わらない。同じところをぐるぐる回っているんじゃないかって、わたしはついにそう思い始めた。


 ラムズは運命を知っているかもしれないけど、その彼の運命が「この島で永遠に森を彷徨さまよい続ける」ってことだったらどうするんだろう。あくまで運命っていうのは、ただ"決まっている"というだけ。それが良いか悪いかは神様しか知らない。


 ちなみに、運命が決まっている使族しぞくはそれに逆らうこともできる。自分がこっちだと思った方と逆を行けばいい。一度運命を変えると、今度は別の運命が作られる。そのあとはまた運命を感じ始める。

 ずっと運命に逆らい続けたらどうなるのかしらね。でも、心の中で「絶対こっちだ」って思っているわけだから、それに逆らうのは大変そうな気もする。わたしは「運命が分かる」っていう感覚がないから、何とも言えないけど。



 そんなことを考えていたら、前にいるラムズがわたしの方へ声を放った。


「さっきの、ニンフだったのか」

「そうみたい。たぶんオレアー山精ド。人間と一緒に土の中へ消えたの」

「そうか。あいつ、あれで諦めると思ったんだけどな。人間は他人の命まで守らないといけねえんだから、大変だな」

「でも彼は他の人を頼ろうとしていたわ。自分自身で守るわけじゃないなら、それに意味はあるの?」

「さあ。俺は分からん」


 ラムズは揶揄やゆの混じったような声で返した。隣で歩いていたジウが、わたしに返事をする。


「たぶんあのヒトは、正義が欲しかったんだよ」

「正義?」

「あのヒトの気持ちは分からなくはなかったよ。ボクも人間だった時なら、少しは心が揺らいだかもね。人間って、きっと不安なんだよ」

「不安? 何が?」

「メアリは自分のこと、信じられる? 独りで生きていける?」

「一人で生きていく、って……。分からないけど、今この森に取り残されたら死ぬわね」


 わたしは怪しい雰囲気の森をもう一度眺めた。足元で魔木の根っこが少し動いて、わたしは慌てて脇に避ける。魔木は襲って来なかった。でも急に動いたせいで、つまづいて転びそうになる。ジウはわたしの様子を見て、ケラケラと笑った。

 でもなんだろう、これ。なんだか白い骨みたいに見える。そういう魔植なのかな。


 ジウは話を続ける。


「たぶん人間は誰かがいないと生きていけないんだ。それは物理的に生きられないとかじゃなくて、精神的にも。誰かに認められたいんじゃないかな。だから彼は正義を求めたんだよ。誰かに『ありがと』って言われたかったんじゃない?」

「ジウもそうなの?」

「んん……昔はね」

「ふうん。でも、彼は結局死んじゃったし」

「助けたいって言うだけでいいんじゃねえの?」


 横にいたグレンが、そう声を出した。


 口に出したところで、結果が伴っていないなら何も変わらないじゃない。ここで問答した時間を、ただ無駄にしただけのような気もする。

 わたしがそう伝えると、グレンはうーんと唸った。


 人間のことじゃないから、グレンも分からないみたいだった。最後一人残っている人間は、依然黙ったままだった。もしかしたら、彼がいなくなったのが悲しかったのかもしれない。



「あいつは報われたんじゃないか。とりあえず助けようとした心だけは、一応本物なんだからな。ま、俺もよく知らねえけど」

「本物ね。あれは本物の正義だったのかな」


 わたしはラムズに返す。

 人間ってほんとう、分からないわ。一緒に過ごしているうちにいつか分かる時が来るかしら。




 ◆◆◆




 ようやく、わたしたちは目的地らしいところに着いた。魔植ましょくで覆われた大きな穴があったのだ。茶色い岩肌が見え隠れしている所に、様々な種類の魔植が張り付いている

(え、植物と魔植? それも同じ意味よ。ただちょっと言い方が違うだけ。木のことは魔木って言うでしょ。そんな感じね)。

 細いツタに棘が生えたもの、緑ではなく紫色の茎、茎がそれぞれ縦に裂けて、そこが口になっている魔植──。危険そうな魔植もあって、触るだけで攻撃して来そうだ。


「危ないからどけ。俺がやる」


 ラムズはわたしの身体を制して、穴の近くに立った。

 彼が無詠唱で付近一帯に電撃を流し込むと、穴の周りの魔植が全て灰になった。残ったのは、茶色い岩肌と大きな穴だけだ。

 わたし達は近づいて、その穴をしげしげと見た。


「何これ……」

「真っ暗じゃねえか。怖いんだけど」

「グレンは弱虫だニャ」


 穴の中は真っ暗で何も見えない。光が差し込んでいるはずなのに、穴には闇しか存在していない。穴が光を吸い込んでいるみたい。



 穴は大きな岩壁の表面にあった。岩壁自体は人の高さくらいだ。ジウが跳んで上に登ってみたけど、大して何もなかったよう。

 ジウが戻ってくると、ラムズが口を開いた。


「この穴に入ろう」


 わたしはぎょっとして彼を見た。見るからに怪しい穴だ。入ったら一生抜けられないような気もする。だって光を吸い込んでいるのよ。

 みんなも浮かない顔だ。でもラムズはそれを見ても特に何も思わなかったみたい。「じゃあ俺は行く」とだけ言って、穴の中に入ろうとした。

 わたしは彼の裾を急いで掴んだ。


「ちょ、ちょっと待って! 行くの?!」

「ああ。別に一人でもいいしな」

「それはそうかもしれないけど……。どうしよう。ジウは行くの?」

「どうでもいいが、俺はもう入る」


 ラムズはわたしの手を払って、穴の中に吸いこまれるようにして消えた。わたしは一瞬躊躇ためらったけど、彼のあとに続く

(ちょっと怖かったけどね、興味もあったの。それにラムズは強いから、残って魔物に食い殺されるよりは、ラムズと穴の中で戦った方がマシかなって)。



 一瞬視界が真っ暗になって、でもすぐに霧が晴れたように明るくなった。明るさはさっきの森と同じくらいだ。

 そこは、案外普通の洞窟のようだった。岩肌は灰色でゴツゴツとしている。天井から垂れ下がるしょうにゅうせきは、まるで石の氷柱つららだ。灰色の壁には、濁った赤や緑色に変色している部分があって、それがなんとも空間を奇怪にさせていた。

 

 石でできている地面には、ところどころに光る石が埋め込まれている。宝石みたいにも見えるけど、どうやらただの鉱石のよう。光る鉱石だし、かなり珍しいものだとは思うけどね。


 ラムズはそれに近付いて、よく観察していた。もしかして宝石だと思ったのかな。

 わたしとラムズが奥に進もうとしたら、急にジウが現れた。


「置いていかないでよー」

「来ると思わなくて……。って、あれ?」


 ──そういえば出口がない。入ってきた穴がどこにもないのだ。今も、ジウは空気から溶けだすようにして現れた。出口がないなんてどうしたらいいんだろう。

 ラムズを見たけど、彼は全くに気にしていないようだ。聞こうとも思ったけど、軽く一蹴いっしゅうされそうだからやめておこう。



「ニャ!」

「う、うわぁ! よかった、見えるようになった」

「意外と明るいな」

「ハァ……。なんでこんな所にまで……」


 そのあと、ジウ以外の者たちも洞穴に現れた。リーチェにグレン、もう一人のルテミスと、人間だ。みんなあの森に取り残されるのは嫌だったのね。



 わたしたちは恐る恐る

(ラムズは全然そんな感じじゃなかったけど)

足を踏み出した。七人の歩く音が、コツコツと響き始める。それは洞窟内で何度も木霊する。


 洞窟には魔物はほとんどいない。たまに見かけても逃げていくか

(あんまり弱い魔物だと、こちらの強さを図って逃げていくことがあるの。強さを調べることができるのは、魔物のすごい所かもね)、

ラムズがすぐに殺している。ラムズは気に入っているのか、ずっと電撃魔法を使っていた。電撃魔法って耐性がある魔物は少ないし、たしかに便利かもね。

 しばらく進むと、道が二本に分かれた。ラムズは迷わず片方の道を選ぶ。




 少し進むと、また道が別れた。ラムズはなんだか迷っている。


「あれ、なんで迷っているの?」

「うん? ああ、どっちも行きたいんだ。だから……。まあこっちからにするか」


 運命はどちらでもいいと言っているってことかな。ラムズは左の道を選んで、進み始めた。わたしたちもそのあとを追う

(順番はさっきとは変わって、ラムズが先頭、そのあとにわたしともう一人のルテミス、次に獣人ジューマとジウ、人間という感じで歩いているわ)。



「何かある」


 ラムズが急に声を出して、駆け始めた。上擦った声で、絶対に今のは喜んでいた。宝石があるとか? わたしは小首を傾げてから、一応足を早める。


 ラムズはわたしとの距離をどんどんと伸ばしていく。彼が道なりに曲がると、姿が見えなくなった。わたしも急いでそのあとを追いかける。

 そして同じく曲がったところで、わたしは血の気がサアッと引いた。体中の血液が全て水になったかのように、一気に皮膚が冷たくなる。手足が震えて、喉が締め付けられる。わたしはそこから、一歩も動けなくなった。


 ────ラムズが、死んでいた。




 誰かが後ろから叫んだ。


「おい! 逃げろ!」


 わたしがゆっくりと顔を上げると、目の前に巨大な魔物がいた。

 横幅はわたしの五倍、高さは二倍。全身は黒い岩みたいな体で、一応手足、顔はあるようだ。それに大量の宝石が鱗のようにへばりついている。宝石には様々な色があるせいか、綺麗と言うより禍々まがまがしい。

 目玉がなくて、本来あるべき所は真っ黒な深淵になっていた。その深淵が、わたしの姿を捉える。頭の方の岩がぱっくりと割れた。宝石でできたような赤いギザギザの歯が、わたしの身体を飲み込もうとする。


「危ねえ!」


 後ろにいたらしい赤髪の男が飛び出した。まずは魔物の歯の宝石に拳を入れて、それを割った。魔物はゆっくりとルテミスの男を見る。


 彼は宝石の魔物の顔を掴んで、それを投げ飛ばそうとした。でも魔物の方が力が強いようだった。

 魔物の顔が動くことはなく、彼は魔物が振った腕に弾かれる。そして洞窟の壁に叩き付けられた。壁がぐらりと揺れる。天井のつらら石が降る。かろうじてわたしには当たらなかった。


 ルテミスの男は壁に当たった時に首の骨が折れ、死んでしまったようだった。



 宝石の魔物は今度こそわたしを襲おうとした。再び深淵がこちらを捉える。その時、誰かがわたしの身体を抱えて後方に跳んだ。


「ここから離れよう!」


 動けないのを知ってか知らずか、ジウはわたしを背負って走り出した。こちらに向かっていた獣人ジューマたちと鉢合わせると、彼らも只事でない様子を感じ取って、一緒に今来た道を引き返す。


「キエェェエエ」


 耳をつんざく声が洞窟に木霊する。何度も何度もそれは繰り返され、脳内にまで響き渡った。わたしはジウの背中の上で耳を塞いだ。




 例の魔物は追いかけて来なかった。わたしたちは先ほどラムズが迷っていた二本道にまで戻った。


 ジウがわたしを下ろすと、わたしはその場にへたり込んだ。


 ────ラムズが、死んだ。

 彼の死体はかなりグロテスクで、見ているだけで恐ろしくなった。身体に大きな穴が開いていて、そこから床の岩肌が見えていた。まるでさっきの魔物の、深淵の瞳を見ているような気がした。

 もちろん身体は血塗れで、顔も潰れていたような気がする。


 ラムズが負けるようなあんな魔物、一体どうやって倒したらいい? そもそも、この洞窟を抜け出す方法なんてあるの────。


 わたしはラムズに頼りすぎていたことに気付いた。クラーケンと戦っていた時も、彼の魔法、戦う姿を信用していたんだと思う。じゃなきゃあんな力は使わなかった。

 意外と抜けているところもあったかもしれないけど、彼はちゃんと"船長"をやっていた。若くて見た目も変だけど、彼は、"船長"だった────。



「メアリ、大丈夫?」

「え、あ、うん」


 今まであまり他人とそこまで仲良くしたことがないせいか、身近な者が死ぬという衝撃が大きすぎたみたいだ。

 不思議と涙が出ることはない。でも、心から何かが抜け落ちてしまったような、そんな感じがする。真っ黒な穴が心の底にできたような。


「帰る方法を探さないと」

「ジウは、平気なの?」

「うーん、まぁね……。平気じゃないけど、船に戻らなきゃ。ラムズ船長がいなくなったら、船長はボクだから」


 ジウはそう言って、赤い瞳を僅かに潤ませた。顔がくしゃりと緩んだ。

 何も話さなかった獣人ジューマのリーチェとグレンは、何が起こったのか察しているようだった。彼らは黙りこくったまま、座るわたしを見ていた。




 どのくらい座っていただろうか。魔物の奇声が何度か聞こえたけど、それはやってこなかった。小さな魔物もそばに寄ることはなかったから、わたしたちは随分長く、そこでぼうっとしていた。

 わたしが重い気持ちを押しやって、出口を探そうと声をかけようとした所だった。


 コツ、コツと何かを叩くような音が聞こえた。かなりゆっくりだ。辺りに木霊しているせいで、どこから聞こえてくるのか判断できない。わたしたちは顔を見合わせて、最初に来た道へ戻ることにする。

 

 何の音なのか分からない。足音のようにも聞こえるけど、わたしたち以外に人がいるとは思えない。知らない魔物か、もしくはさっきの魔物が出している音か────。

 音はゆっくりと近付いている気がした。



 その音に合わせる様にして、わたしたちは忍び足で歩み始めた。一定のリズムを刻みながら、例の音は響き続ける。わたしたちが10歩くらい歩いた頃、ついにそれが止まった。

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