第14話 魔物の知性
森の中が暗いせいで、時間すらも分からなくなってきた。けっこう歩いてたし、たぶんお昼は回ったはず。日が沈むまでには帰るってことだったわよね……。
石に座って、足をブラブラとさせる。眼前に落ちていた、何かの
わたしたちは、少し休憩をしていた。凶暴ではない
そもそもこの休憩もラムズが言い出したのだ。息を切らせているし、顔は真っ青だし、一体どうしたのかと思ったくらい。人間たちも驚いていたわ。
──魔力切れ、なのかな。あんなに魔法を使っていたら、切れていてもおかしくないし。
「結界魔法、を、張る」
「結界魔法?」
「魔物避けの、ためだ。
ジウはあんまり魔法に詳しくないみたいね。
ラムズは疲れているせいか、声が途切れ途切れだ。本当どうしちゃったのかしら。というか魔力切れなら
結界魔法は時の属性ね。これも、同じく人間以外の使族は無詠唱で使えるんだけど
(そもそも人間は、時の属性が基本使えなかったんだった。使族にはそれぞれ特化している属性があるの。特化していない属性は、相当苦労して鍛錬を積まないと使えるようにはならないわ)、
広範囲になる場合は
「そこ、どけ」
「わあ、ごめん」
ジウはちょっと前に歩く。
ラムズはペンを出して、地面に
(ペンは魔道具で、魔力で文字を書けるの。微量な魔力でいいから、ほとんど誰でも使えるわ。人間が発明したのよ。
そのペンは
ラムズが淡々とした声で詠唱する。
「【結界、
──
ふわっと白い文字が浮かび上がった。複雑な記号やわけの分からない言葉がたくさん書いてある。それらは怪しく光ったかと思うと、空中で溶けるようにして消えた。
「これで、魔物は、来ない」
「船長ありがと」
「ああ」
ジウに言われて、ラムズは頷いた。そして彼も同じく黒っぽい石の上に座る。
わたしは顔を上に向けた。
木の枝が色んな方向に伸びていて、めちゃくちゃに絡み合っている。中には動いている枝もあって、それが他の木を揺すったり葉を落としたりしている。たまに、木を渡る魔物にもちょっかいを出しているようだ。
風が吹くと、全ての魔木が揺れた。枝を動かせる魔木が、まるでその風と踊るようにして宙を
例のニンフという
ニンフはわたしも聞いたことがある。たしか地の神アルティドによって
あとはドライアドっていうのはなんだろう? わたしはさっきのニンフについて、ラムズに聞いてみることにした。
「ラムズ、喋れる?」
「あ? ああ。まあ、喋るくらい、なら」
「……大丈夫? 無理なら言ってね? あのさ、さっきのニンフって何なの? 途中でドライアドとか言ってたわよね。ニンフとドライアドって違うの?」
「それ、ボクも気になってた」
「ああ。ドライアド、な。ニンフは──」
「船長、俺が説明しますよ。知ってるんで」
どうやらフェンリルの
わたしは彼の方に向き直った。グレンは灰色の髪の毛をかきあげて、ブルっと身体を振った。まるで水に濡れたフェンリルが、その水気を飛ばすみたいに。
グレンは話し始めた。
「ニンフは自然で生きている使族なんだ。全部で四種類あって、さっきのは木の中に住むド
「さっきのはドライアドだったニャ。ドライアドは木の中に人を招き入れてしまうんだニャ」
「ネレイドは見たことあるわ。海の中でヒッポカンポスやドルフィードと遊んでいる者たちのことよね」
「わっちはネレイドはあんまり見たことないニャ」
ロコルケットシーのリーチェも、なんとなくニンフについては知っているみたいだった。自然に住んでいる使族なら、たしかに魔物だった
海に住むネレイドだけど、わたしには思い当たる者たちがいた。ヒッポカンポスやドルフィードという魔物と一緒に遊んでいる、人間とよく似た見た目の女の子だ。男は見たことがない。ニンフとは聞いていたけど、ネレイドという名前もあったのね。
彼らも髪の毛がまるで水みたいだった。髪は海と同化しているわけではなく、ちゃんと形や色がある。着ている服も、泡で作った服という感じ。
ジウが口を開いて、グレンに尋ねる。
「山にいるオレアードって、ここにもいるのかな?」
「いると思うぜ。川や泉があれば、ナイアドもいるんじゃねえ? ナイアドは川の中に引きずり込むな」
「なんでそんなことをするのかしら?」
「たぶん暇なんだニャ。魔物だった時に話しかけられたことがあるニャ。あんまりちゃんと受け答えできた気はしないけどニャ」
「魔物って知性があるの?」
最後のはジウだ。
わたしもそれは気になった。魔物は、知性と人間の見た目──という神力を
でも、そもそも知性ってなんだろう。
「知性というと分からないけど、わっちは多分、なんとなくニンフたちと話していたと思うニャ。でもニンフはつまらなそうだったから、多分大して内容味のあることは話せなかったんだと思うニャ」
「まぁ言ってしまえば、魔物はバカってことじゃねえ? 一応考えることはできるんだろうけど、まず言葉が覚えられるほど頭は良くなかったと思うぜ。ニンフは、魔物の鳴き声で何を言っているか当てられるんじゃねえか?」
「じゃあ話すことはできないのかな」
ジウの言葉に、ラムズが顔を上げて言った。
「他人がいた時、俺たち使族は基本的には仲良くなろうと、もしくは喧嘩はしねえようにすんだろ。だがもしも、他人を見るとすぐに戦いたくなるっつう思いしかねえなら、言葉は必要ないんじゃねえか? 話すって、相手と関わるために生まれるもんだろ」
ラムズは疲れが取れているようだ。彼の声はいつも通りに戻っている。顔もいくらかさっきよりマシだ。
わたしはラムズの言葉に返してみた。
「魔物は戦いたいという思いしかないってこと?」
「俺は、魔物の時それしかなかったと思うぜ。とりあえず使族を見たら攻撃しようと思ってたな。たぶん、考えるって行為もできてなかったんじゃねえかな。少なくとも他人と楽しい会話ができるような知性がないっつうか」
「あれが美味しいとかアイツは強すぎるとかそんなことしか考えてなかった気がするニャ。だからニンフはつまんないと思ったのかもしれないニャ」
「人間にも、あんまり考えないやつがいるっすよ」
そう言ったのは人間だ。こんな人外だらけの会話に入ろうとするなんて、なかなかその勇気を
わたしたちから少し離れたところで、先ほど声を上げた人間が話し始めた。
「人間にも話が通じないやつがいるんすよ。ほんと暴力で解決しようとするって感じっす。ちょっとでも気にくわないことがあるとすぐ殴ってくるんす。暴力以外で問題を解決する気がない奴は、考えるとか話すって行為にあんまし意味を見出さないんじゃないっすかね」
「人間は変わってんな。最初から魔物以上の知性を持つはずなのに、なんでそういうやつも生まれんだろうな。お前の知るその男は、魔物のように戦いたい欲望が強いってことか?」
ラムズの話を聞きながら、わたしは傾げていた首をどんどん深くした。
人間って本当に色々な人がいるのね。魔物のような人間もいるってこと? どうしてそんなに性格が分かれるんだろう。むしろそれが人間という使族の特徴なのかしら。
「
「うーん。もうボクも分からなくなってきた」
「最初に知性について持ち出したのは、確かジウだったニャ」
「そういえばそうだった。アハハ」
「獣人は依授で、たぶん戦いたい欲望が抑えられて、代わりに他人と関わろうとする欲望を貰ったんじゃねえのかな。知性はあとから付いてきた、とか」
「魔物の中で、一番多くを占めていた戦いたい欲望が減ったんだな。さて、そろそろ行くか」
ラムズは結界魔法を解除したみたいだ。わたしたちは荷物をもって、また森を歩き始めた。
◆◆◆
あれから、一時間くらい経っていた。わたしたちがまた現れたロコルアイベアー(目玉だけ狙えばいい魔物よ)を倒し終わった頃、突然泣き声が聞こえた。わたしはドキリとして立ち止まった。
「ここはどこ、なの? 助けれぇ、お母さぁん」
舌っ足らずな話し方で、女の子の声だ。ぐすんと鼻をすする声まで、こっちに響いている。他のみんなにも聞こえたのか、足を止めている。
でもどこから聞こえてくるのか全く分からない。近くで聞こえているような気もするけど、遠い気もする。風が声を運んで、わたしたちの耳に直接届けているようだ。
「あの子を助けに行こう!」
さっき魔物について話していた人間とは、また別の人間がそう言った。ラムズは首を振って拒否を示す。人間は驚いた顔をして、声を大きくした。
「なんで?! 女の子が一人で泣いてるのに!」
「こんな森に女の子がいること自体おかしい」
「それでも、前に漂着した船に乗っていた子かもしれないじゃないか! 奴隷の女の子かも。このまま放っておいたら魔物に殺される!」
「助けたところで何の意味もねえ。俺たちの命を危険に晒すだけだ」
「なんでだよ! 人の心ってものがないのか?!」
ラムズは疲れた顔をして、男の発言に無視を決め込んだ。そのまま歩き始める。人間の男は無視されたことにも腹を立てて、さらに声を荒らげた。
「おかしいってば! 行こうぜ! それに昨日の拷問だって、なんで関係ない俺たちまで巻き込まれなきゃいけなかったんだよ。指、回復魔法で治すの大変だったんだぞ?!」
ラムズは振り返ると、面白そうに
「『なんで関係ない俺たちまで巻き込まれなきゃいけないんだ?』」
「何を言って────」
男は意味を理解したのか、耳まで赤くして俯いた。ラムズはまた前を向いて歩き始めた。
人間の言い分は、ラムズがそう
ちなみに、わたしもあの子を助けたいとは思わない。近くにいれば助けるけど、どこにいるかすら分からない。意味がないっていうラムズの意見にも賛成するわ。
それになんとなく、これもニンフの仕業なんじゃないかって思ったのだ。ただの勘だけどね。でも、ラムズの言う通りこんな場所に女の子がいるなんて変だもの。
女の子の泣き声は、依然聞こえ続けていた。わたしたちは歩いているはずなのに、その声の音量は全く変わらない。
それに聞こえてくる方向も変だ。右側から聞こえたかと思ったら、上からも左からも聞こえることがある。やっぱりニンフだと思う。ニンフが声色を変えているのかな。
例の人間はまだ諦めていないようで、隣にいるもう一人の男に話しかけていた。
「なあ、やっぱり助けに行こうよ」
「あっしは……いいっす」
「なんでだよ!」
「あっしらのカトラスじゃ、魔物なんて倒せないじゃないっすか。行く意味がないっす。助けるどころか、辿り着く前に死んじまうっす」
「……たしかに、そうかな」
「ねえ、どうして他の人を誘おうとするの? 女の子を助けたい気持ちは、他人に頼ったら意味はなくなるんじゃないの?」
わたしがそう後ろに向かって声をかけた。しばらく間があって、また例の男が喋った。
「俺一人で行けばいいってことだろ! 分かったよ。行くよ!」
「別に行けばいいなんて言ってないわ。危険だからやめた方がいいわよ。それにニンフな気がするし」
「うるせえ! そうやって逃げてればいいんだ! 俺は助けに行く!」
「ちょっと! 待つっす!」
止める手を振り切って、男は走り出した。どこにいるのかも分からないのに。
「誰かァ、助けれぇ。お願い……」
「助けれぇ、魔物に食べられちゃうの」
四方八方から声が聞こえる。同じ少女が何人もいるみたいだ。途中から、クスクスと笑い声が聞こえ始めた。それは森の中で変に木霊して、木々をポンポンと乗り移っていく。
「見ーつけた」
わたしが後ろを振り返ると、少女を探しに行ったはずの人間が地面に埋もれていた。文字通り、体の半分以上が地面の下に潜っているのだ。もう顔しか出ていない。叫ぼうとした彼の口を、細く白い腕が塞いだ。
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