第13話 ニンフ

 魔木まきの側で、わたしたちは一旦立ち止まって様子を見た。ラムズが「まだ行くな」と制したからだ。


 枝は幾重にも重なり合って、静かなざわめきを作っている。森が呼吸をしているみたいだ。今まで散々現れていた魔物は、気配を消してわたしたちを伺っているのだろうか。

 ──誰かに見られている気がする。

 わたしのゴクリと唾を飲む音が、嫌に大きく聞こえた。



 目の前には鋭いとげをいくつもこしらえた魔植ましょくがある。それがわたしたちを例の魔物から隠してくれていた。棘を触りそうで怖くて、わたしはそこから一歩後ろへ下がる。息を潜めた。


「まずい、コカトリスか。あーそうだな……」


 ラムズは小さな声で呟く。あの魔物はコカトリスというらしいわね。


 ラムズがまずいというくらいだ。相当"まずい"んだろう。もしかしてAランク……。

 いやいや、Aランクはさすがにありえないわよね。Aランクの魔物なら逃げた方が絶対にいい。あそこにいる船員たちを見殺しにしてでも。


 わたしはコカトリスをよく観察してみた

(あまり凶暴じゃないみたいで、今は全然動いていないの)。


 基本は、鳥系の魔物のような見た目だ。でも翼はドラゴンのようで、頭に赤い鶏冠とさかがある。そして尾はポイズスネイクのような見た目だ。鱗があってかなり長い。

 体はわたしの身長と同じくらいで、瞳は小さい。顔だけ見るとそこまでグロテスクじゃないんだけど……、鳥にポイズスネイクにドラゴンで、色々と混じっているのがなんだか変だ。


「コカトリスはBランクの魔物だ。あいつと目が合うと石になる」


 ラムズはさらっと、そう恐ろしいことを言ってのけた。目を見るだけで石になるなんて、勝つ術はあるの?! どうやって戦うっていうのかしら。相手の姿を見ないように気合で頑張るってこと?

 そしてわたしはドキリとして、コカトリスから目を逸らした。もしもコカトリスがわたしに気付いていたら、わたしは今頃石だったわ────。



「メアリ、水鏡すいきょう魔法は使えるか?」

「一応。でも10枚しか出せないわ」

「一枚でいい。コカトリスにバレないように、水鏡魔法を放て。あいつの目の前だ」


 わたしはゆっくり手を動かして、コカトリスの前に水鏡を出した

(水鏡は、水が鏡のようになっていて、そこに全く同じ姿の者を映し出す。本来は20枚くらい水鏡を出して、自分が分身したように見せる技なの。でもわたしはどんなに頑張っても10枚が限度。そのせいで、戦いの場面で使ったことはまだないわ)。


 コカトリスは水鏡に現れた自分の姿を見た。「コケッ」と変な声を出すと、石になって倒れた。


「え。エッ?」

「簡単だったろ」

「いや……Bランクじゃないの?」

「Bランクに登録されてるのは本当だ。だが人間は、これの討伐方法も知らねえんだな。珍しいし早々出会うことがねえから仕方ない。目を見ると石になることすら、知らねえんじゃねえか」

「そ、そうなの……」


 魔物のランクがテキトウに振り分けられすぎて、わたしはとても驚いた。でも、石になるのを知らなかったら確かに苦戦しそうね。


「コカトリスを石にしたせいで魔石は手に入らねえが、別にいいよな」

「いいわよ、そんなの」


 木の影で隠れていたわたしたちは、腰を抜かしている彼らのそばに向かった。人間が三人、ルテミスが一人、フェンリルとロコルケットシーの獣人ジューマがそれぞれわたしたちを待っていた。



「船長がやってくれたんだニャ?」


 ロコルケットシーの女獣人ジューマが、そうラムズに声をかけた。なんで「ニャ」って言っているんだろう

(ケットシーの鳴き声は「ニャ」だけど、獣人になった時点でそんな鳴き声はなくなるの。変ね、依授いじゅが失敗したのかしら)。

 黒い髪の毛、黒い耳と二本の細い尻尾。瞳は紫色で、瞳孔は縦に線が入っている。ケットシーの瞳そのもの。少し茶目っ気のある顔で、わたしよりも背が高い。


「ああ。リーチェたちは無事だったのか」

「そうニャ。見たことがない魔物だったから警戒してたんだけど、この二人の人間はすぐに戦おうとして、石になったんだニャ」

「なるほどな」


 ロコルケットシーの獣人は

(ロコルケットシーは四本足の獣系の魔物よ。夜目が利き、漆黒しっこくの毛が生え、細長い二又の尾と三角形の耳、口に並んだ鋭い歯が特徴的ね。ロコルケットシーはケットシーの上位種。「ロコル」っていうのは上位種っていう意味。「リル」は下位種)、

リーチェという名前らしい。そういえば、この前のクラーケンとの戦いで活躍していた獣人だった気がする。


「船長、一緒に戦わせてもらっていいですか?」

「勝手にしろ」


 今ラムズに話しかけたのは、フェンリルの獣人ジューマだ。

 黒と灰色の混じった髪で、耳と尻尾もそんな感じね。全体的に髪の毛が多いみたい。髪は大きく跳ねていて、襟足も長め。尻尾はもふもふのふさふさ。コボルトとは大違いだわ

(フェンリルも獣系の魔物で、コボルトと少しだけ似ているわ。でもコボルトより凶暴で大型。三角の耳、尾はケットシーやコボルトよりも大きくて雄々おおしい。灰色の厚い毛皮を持ち、口からは長く鋭いきばが生えている)。


 確かに金の目も鋭く切れ長で強そうなんだけど、フェンリルの獣人ジューマにしては、彼は少しおどおどしている。


「グレンはこすいニャ」

「なんでだよ」

「船長が強いからって、それにあやかろうとしているニャ」

「そ、それはまぁ……」


 やっぱり気が弱そうだ。フェンリルの獣人は、グレンという名前らしいわね。

 フェンリルは本来C+ランクの魔物だし、ロコルケットシーはCランク。たぶん二人はかなり魔法の威力が高いはず。


 他に人間三人とルテミス一人も仲間に加わって、全部で九人でまた林を歩き始めた。




 人間と一緒に戦っていると、可哀想になるくらい、人間は弱かった。


 まず魔法。三人の人間はどうやら魔法が苦手らしかった。冒険者でなく海賊になるという選択からも、そのへんは察せる。でもかと言って、じゃあ剣術が得意かというとそうでもない。はっきり言って、彼らは足でまといにしかなっていない

(たしかにさっきまでは、わたしも足でまといそうだったけど、今は違うわよ。人間のことを守る役目みたいになっているわ。そういう意味では彼らはわたしに居場所を作ってくれたわね)。

 体術に関しても、ジウともう一人のルテミスに完全に負けている。

 ──人間、頑張れ。


 獣人ジューマの二人は耳や鼻がよく利くから、魔物が来る前に伝えてくれた。しかも魔物の種類もよく知っている。まぁ昔魔物だったんだもんね。当たり前かも。


 

 一番前にジウともう一人のルテミス。その次にラムズ、リーチェ、グレン。その後ろにわたし。そのまた後ろに、人間が三人仲良く並んでいる。

 リーチェは、隣のラムズに話しかけた。


「船長疲れてないニャ?」

「ああ。まだ平気だ。言うほど歩いてねえしな」

「船長のおかげで戦うのが楽です。助かります」

「グレンは、やっぱり船長の魔法を当てにしてたんだニャ!」

「うるせえ! リーチェも同じじゃねえか!」

「ねえラムズ、どこに向かっているの?」


 わたしはラムズに言う。彼は顔を後ろに少し向けたあと、また前を向く。魔物が来たからだ。

 ラムズが魔法を放つ前に、ジウが魔物の体を持ち上げて、それを地面に叩き落とした。魔物は死んだ

(よくあんな気持ち悪い魔物を素手で掴めると思って……。そうしないと生きていけないんだし仕方ないんだけどね。それでも、今のは本当に気持ち悪かったの。毒虫系の魔物で、身体に毛が大量に生えていた。紫色の身体にある黄色い斑点は、さらに不気味さを引き立てていたわね)。



 ラムズは死んだ魔物を足で潰して、そのまま進んでいく。わたしに返事をした。


「分からんが、こっちに行くといいことがある気がすんだ」

「へ、へえ……」


 さっきから迷わず道を選んでいることからも、ラムズは時の神ミラームが創造に関わる使族しぞくだと思う。時の神ミラームが関わっていると自分の運命が分かる。良くも悪くも、「進むべき道が分かる」というわけ。

 わたしは運命を知らないから

(つまり時の神ミラームが創造に関わってない。わたしの使族は水の神ポシーファルだけが──って、これ前に話したわよね?)、

当たり前に道に迷う。どうしようか考えることもしばしば。


 優柔不断なんて言葉があるけど、あれは完全に人間のためにあるような言葉よね。人間ほど迷う使族はいない気がする。関わっている神が多いせいで、運命の道もたくさんあるのかしら。




 森は暗いというだけで、それ以外は普通の森と変わらない感じがした。ザクザクと枯れた葉を踏みつける音が聞こえる。風のざわめき、魔物の奇妙な鳴き声も他と変わらない。なんとなく湿っぽい風が服の中にまで通り抜けていく。

 木々の隙間から差し込む光の矢は、黄色というより薄い紫で、そのせいで「暗い森」ができあがっている。



「────うふふふ、うふふ」

「……あははッ。──あははは」


 わたしはハッとして顔を上げた。八人ともその声を聞いたようだ。みんな辺りを見渡している。

 か細く、まるで森に溶け込んでいるような物憂ものうげな声。でもどこか不気味さを含んでいて、まるでこの森が囁いているかのように錯覚する。


「──あはッ。アハッ、アハハハハ!」

「うふふ。うふ。ウフフフフ……うふふ……」


 声はわたしたちの周りをぐるぐると回っている。あちこちから笑い声が聞こえてきた。透き通る綺麗な声だけど、なんだか変。



「ねえ、遊びましょう」



 はっきり聞こえた。


 わたしは後ろを振り返る。後ろにいた人間の一人が、緑色の髪のようなものを持つ女性に手を引かれている。男は彼女の美貌にとろけてしまったのか、顔がだらしなく緩んでいる。


 彼女の頭にあるのは髪の毛じゃない。

 草だ。

 草が髪のように伸びて、そこに花や蕾がついている。色が抜けたような白い肌、薄いピンク色のはかない唇。着ている服のようなものは、全部木々の葉や茎だ。


「──ニンフだ! おいお前! ドライア木精ドから離れろ!」


 ラムズがそう人間の男に声をかけたが、彼は全く聞こえていないようだ。目は完全に彼女──ラムズに言わせれば──ニンフに釘付けで、彼女に引かれるままゆっくりと足を動かしている。まるで操られているみたい。

 近くにいる他の人間がニンフを引き剥がそうとして、男の腕を引いた。でも男は意にも返さない。そのまま腕をすり抜けて、彼女について行く。

 わたしたちがいることを忘れてしまっているの?


 わたしは、離れてくれとニンフに向かって話しかけようとした。

 

「メアリ! 話しかけんな! あんたも連れていかれる!」

「え? わ、分かった……」


 話しかけるのをやめて、もう一度ニンフと男を見た。ニンフは大きな幹に彼を連れて行きたいようだ。

 そして彼女に腕を掴まれたまま、男は木の中に消えた。

 まるでそこに木なんてなかったかのように、幹に吸い込まれていった。



「えっ? 今の……何……?」

「少し変だが、ニンフという使族だ。人間が好きなんだ。もうあの人間は戻ってこないと思え」

「ちょっと待ってくれよ?! あいつは死んだってことか?! 俺たち止めたのに! 声が聞こえてないみたいで……」

「死んだわけじゃねえ。誘われるとああなるんだ。気を強く持たねえと、お前らもそうなる。それにニンフにはこっちから話しかけない方がいい。それだけで引き込まれるんだ」


 二人の人間はガクリと肩を落とした。虚ろな目で、さっきの幹を見ている。

 この森はなんだか怖い。やってくる者を一人ずつ食べてしまうような、そんな気がした。



 ──脱落者一名。わたしたちは八人になった。




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 ケットシー→猫

 コボルト→犬

 フェンリル→狼

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