第10話 盗まれた宝石
わたしはなんとか力を振り絞って、マストに掴まりながら立ち上がった。
──大丈夫、まだ間に合う。
波ならわたしの専売特許なはずでしょ。
目を閉じて波を掴む。掴んだところから黒い水は青く透き通っていく。
全ての波を船から引き剥がして、わたしは目を開けた。甲板で呆気に捉えている船員が見える。無意識に頬が緩んだ。助かったんだ。
やっと、終わったんだ。
クラーケンが海に
ほんと神様は仕事が早いんだから。
温かい太陽に照らされて、わたしはなんだか余計に力が抜けてしまった。
ラムズもおんなじみたいで、少し離れたところで生気がなくなったような顔をして座り込んでいた。
……いや、生気がない顔ってやばいんじゃない? 魔力切れでもあんなに疲れた人は見たことがないわ。どうしたんだろう。
「ぜんぢょ~」
ぽかぽかして暖かくて、幸せな気分だったのにそれをぶち壊したのはジウだ。一人
「なんだよ……」
ラムズはすこぶる機嫌が悪そうだし、迷惑そうだ。同情するわ。
「助かってよかったー……。ボク本気で死ぬかと思った。船長ありがとう。メアリも」
ジウは意味ありげな顔をしながらも、感謝の笑顔を見せるという器用なことをした。認めてやるよ、お前のこと、ってところかしら? まぁ認めてもらえてなにより。
「ロミューを呼んでくれ」
疲れきった声だ。元気そうなジウにラムズは頼む。ジウは「あいあいさー」と威勢のいい返事をすると、走ってロミューを探しに行った。
座っているからか、甲板の振動が体によく伝わる。なんだかこれ、ちょっと気持ちいいかも。
ロミューは意外と近いところにいたみたいで、すぐにやってきた。
「少し疲れた。事後処理の指示、頼む」
ラムズはそう言うとロミューに手を伸ばす。ロミューはその手をガシッと掴むと、勢いよくラムズを立たせた。どうやら船長室まで連れていってあげるらしい。なんて優しいの、ロミュー
(わたしも……とか思って……いるわ。わたしのことも立たせてロミュー!)。
「メアリ」
ラムズはふと思いついたようにわたしに声をかけた。
「あんた、
「……んー、まぁね」
「もうその力は使うな。分かってんのか?」
「何が? 別に大丈夫よ」
「……ハァ。とにかく、使うなよ」
ラムズはそう言うと、またロミューに連れられて階段を降りた。しばらくするとロミューの指示を出す声が聞こえ始める。
それにしても、どうしてこんなに念推しされたんだろう。ちょっとくらい指先が痛くなったって、全然平気なんだけどな。
重い体を無理やり起こして、わたしも船尾楼の階段を降りた。
◆◆◆
ようやく船の
(修繕のための木材なんかは、元々船に用意されているわ。基本的にこういうのは船長が港なんかで購入している。直す時は、魔法を使ったり釘を使ったり色々ね)。
折れているマストはあるし、船体の
船内は日常を取り戻した。みんなもう嵐のことは忘れたみたいに、普通に働いている。
いつの間にか太陽は地平線の後ろへ沈みかけている。仕事に戻らなきゃ。くるりと身体をまわして歩き出した時だった。
「おい。聞け」
鋭利な声が、心臓をざくりと刺した。きっとこの船にいる誰もがそう感じたと思う。
全ての船員がピタリと動きを止め、船が一瞬で静寂に包まれる。船が小さく軋む音と、たまに吹き付ける風音だけが、嫌にその空間で目立っている。
いつの間にかラムズは船長室から出ていたようだ。青い炎が燃えているような、ギラギラとした眼がわたしたちを襲った。
「誰か俺の宝石盗んだな? 誰だ?」
うそ、ラムズの宝石を盗んだ人がいるの?! それは相当の馬鹿か命知らずとしか思えない。あんなに宝石を愛しているラムズの宝石を盗むなんて、気が触れてしまったのかしら。それとも自殺志願者?
ロミューの忠告を聞かなかった人がいるってことね。本当、その勇気を
ラムズは依然睨みつけているが、誰も声を上げない。
「ふん、だろうと思った。おいジウ、あれやれ」
「えー? やっちゃうの?」
「当たり前だろ、宝石盗んだんだぞ?」
「だよね。はいはーい」
船尾楼甲板で叫んでいたジウは、小柄な体を踊らせるように階段から降りてきた。なんだかとても楽しそうだ。ロミューと操舵手をバトンタッチして、集まる船員の前まで来た。
あれってなんだろう。もしかして前にロミューが言っていたやつ? というか、わたしも疑われてる?
「船長ー、準備が整ったよ!」
船員は皆メインマスト近くまで集まると(船の真ん中あたりよ)、ジウの言われるがままに武器を持たされた。わたしもだ。
「じゃあやれ」
「はーい。えっとねー、さっき指名した人達は、ボクの真似をして? ちなみにちゃんと真似できなかった人はボクが殺すからね」
ジウは頬に貼り付けた笑みを深めた。赤い瞳が背筋を凍らせる。
その言葉に嘘がないのはきっとみんなが察した。ジウの殺気もなかなか怖い。といっても、それはラムズのものとは種類が違う。ジウは殺すのを楽しんでいて、ただ"狂っている"って感じだ。むしろ真似できなかった人が現れて、人殺しができるのを楽しみにしている気がする。
──というか、まってまって。やっぱりわたしも疑われているじゃない!
「ラムズ! わたしは盗んでないから抜けちゃダメ?」
「ああ? あー、そうだ。海に誓えるか?」
「誓えるわよ」
「じゃあメアリはいい」
わーい!
わたしは手に持った武器を樽の上に置くと、その場から離れた。何をやるか知らないけど、ジウとラムズの考えることだ。絶対に抜けておいた方がいい
(せこくないせこくない。回避できる危険は回避しなきゃ。それにわたしの使族は海に誓うって言えばそれは本当のことなのよ)。
わたしが抜けてから、ジウは目の前の船員の指へ、突然ズブリとカトラスを差し込んだ。
「あ、あぁぁあ゛!」
「これ、やってね? 一周したら、次はもっと強く、
「あぁぁぁあぁあ゛!」
痛過ぎて「痛い」という声もでないみたい。
船員はそれぞれ二人ずつペアになっていて、片方が片方を拷問するのだ。このやり方は初めて見た。でも拷問自体は知っている。痛くないと拷問じゃないわけだけど、まぁ、とても痛い。
その拷問を見ていた一人の船員が、ジウに話しかける。
「こ、これを本当にやるのか?」
「ちゃんとやらない人は死刑だよ。宝石を盗んだ犯人としてね。本当の犯人が自白するまでやり続けて」
「ジウの拷問は酷いからな。だが、そこを真似しろよ」
「船長に言われたくないけどなー」
なんだか
どうやら、やる方も辛そうだった。でも言われた通り拷問をしないと殺されるのだ。渋々船員たちはジウに
うるさいくらいに叫び声が上がり始める。近くで船が通ったり誰かが海で泳いでたりしてないよね? こんな声が聞こえたら優雅な航海が台無しだ。人魚だって溺れるかも。
「ねえ、キミ、手抜いてるよね? 死刑だよ」
ジウは肩にとんと手を載せると、その船員を殺した。船員の頭だけがゴロゴロと鳴りながら
それを見て他の船員は目の色を変えて拷問し始めた
(拷問の内容が知りたいですって? せっかく言わないであげたのに。でも知りたいなら教えてあげる。
よくある拷問よ。カトラスの先を、爪と爪の下の皮膚のあいだに入れるの。それだけ。まずは全ての指に少しずつ入れる。それが終わったら今度はもっと深くまで入れる。爪が剥がれることもあるわ。
それでも誰も吐かなかったら……。まぁ続きを読んでみなさいよ)。
「まだあ? はやく誰か自白しなよ。ボクは楽しいからいいけどさ」
全員が必死に拷問をしているが、叫び声が鳴り止まないだけで自白の声は上がらない。まるで断末魔の叫びのようだ。これだけじゃ死なないのにね。
船員は
でも、拷問している側は楽すぎるんじゃないの? これ。
「おい、やめろ」
ラムズの声は大して大きな声じゃなかったけど、全員が気付いた。拷問をしている側が手を止める。でも船員は
「あいつが犯人だ、連れてこい」
「はいはーい」
ジウはそう言うと、拷問をしていた側の一人の
魔物が
(コボルトは毛皮があって四本足で歩き、頭の三角形の耳は少し垂れている。獣系の魔物よ。三角の耳と言ってもケットシーとは違うわ。鼻が突き出ていて、口から小さな牙も出ている。そうそう、鼻がよく利くって言うわね。
獣人の男は、頭についたコボルトの焦げ茶の耳をダランと下げている。ついでに尻尾も。
ちょっと可愛いな、あの尻尾。細いけどもふもふしていそうだし、触ってみたい
(実際のコボルトの尻尾はもふもふじゃない。毛がチクチクする。そうすると、あの男のもそうなのかな……)。
「お前が盗んだな? はやく宝石を出せ」
「俺は……、やって、ない……」
「本当にやってねえのか?」
ラムズはそう言いながら、こっそり拷問をしている(こっそりでもなんでもないけど)。
今と同じく爪の間に刃を差し込んでいるのだ。でも
「早く自白しろよ? お前なのは分かってんだよ」
ラムズはそう言うと、勢いよく指の中に刃を差し込んだ。鈍い音がこっちまで伝わってくる。
獣人もその痛みには耐えられなかったようで、ついに叫び声を挙げた
(知りたいの? 耳と尻尾は両方とも一斉にピン!と張ったわよ)。
「わ、わ、わがっだ……。お゛れ、れ……だ……」
本当にこの人だったのね。間違えてたら可哀想だなとは思っていたけど。
獣人は震える手で懐から宝石を出した
(その通り。耳と尻尾も震えているわ)。
ラピスラズリのゴツゴツした宝石だ。宝飾具ではないよう。
「まだあるな? ブラックダイアモンドのピアスと、オパールとサファイアのネックレス。ルビーのボタン、サファイアとダイヤのブレスレット。それに水晶とエメラルドもだ。早く出せ」
あんだけ宝石が部屋にあるのに、よく把握しているわ……。
(手は拷問で負傷しているからかなり遅い動きだけど、彼としてはできる限り急いでいるんだろうなと思ったのよ)
全ての宝石を出している。
もしかしてさっき盗んだばかりなのかな。ふつう、盗んだあと全部服の中に隠すなんてことはしないわよね。嵐の中でどさくさに紛れて盗んだのかもしれない。
「これで全部だな。おいジウ、そこの人間も連れて来い」
「こいつ? はいよー」
ラムズは名前を覚えていないらしい。呼ばれたのはルドだった。ルド、ラムズを尊敬しているとか言っていたのに嘘だったのかしら?
ジウに連れてこられたルドは、即座に口を開いた。
「俺はやってないっす!」
「はあ? 何言ってんだ? お前も関わってんだろ」
「関わってないっす」
さっきわたしが見た時も、ルドは少し変に思えたんだけどな。みんなが苦しんでいたのに、ルドは平然としていた。それにルドってこの船に乗ってからなんだか変なのだ。どこか霧に包まれているように思えるっていうか──。ううん、わたしの気のせいよね。
ルドはラムズをじっと見ている。わたしは横から彼らを見ているだけなのに、ルドの黒い瞳はまるで闇を吸い込んでいるかのように見える──。
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