第8話 クラーケン 前編

 甲板の上から海を見る。一帯はいつものように青々と輝いている。


 でももう、時間の問題だ。



 別に意識していなくても"海の声"は聞こえてくる。

 もちろん海も魚も、言葉を話さないわ。でも、わたしたちには感じられる。海の声、海で生きる魚たちの声。そして、深海に潜むあの使族しぞくの息遣いが────。

 朝、浅海で過ごす魚たちが騒いでいると思っていたけど、こういうことだったのね

(といっても魚も魔物だけど。海の中にいる魔物は魚系の魔物っていうの。食べられる魔物も少しいるわ)。



 船員の多くが、メインマストの近く──船の真ん中あたりに集まっている。

 円を作っている船員の中心に置かれているのは、息のない魚たち。浅海で見つかる魚よりもグロテスクな見た目をしている。

 

 それは正午過ぎ、太陽がようやく傾いてくる頃だった。

 船の周りに銀や黒の魚が浮かんできた。みんなは最初はゴミだと思っていたみたいだけど、「近くに沈没した船があるわけでもないし、こんな大海原にゴミなんておかしい」って思い直したみたい。

 それで試しに網で引き上げて、この魔物に驚いているってわけ。



「なんだこの魚。おらぁこんなの見たことないぜえ」

「気持ちわりいな。食べれんの、これ」

「ロミューは知ってるっすか?」

「いや、俺も知らない」


 みんなは口々に魚の正体について言い合っている。

 船長のラムズはほとんど船長室で過ごしていて、今日もまだ出てきていない。一番知っていそうなロミューも顔をしかめている。ジウは……分かるわけないか。ただの操舵手だもんね。年齢的にもそんなに経験豊富って感じじゃないもの。

 

「それ、深海にいる魔物よ」


 わたしは組んでいた腕を解くと、中心に寄せ集められた魚の方へ歩いた。周りの船員は、進むわたしを見て固まっている

(男の癖に度胸がないわね。いくら見た目が気持ち悪いからって、一歩引いて見てるなんてただの怖がりじゃない)。


「おい! 生きてるかもしれねえだろ!」


 船員の声を無視して、わたしは一際体の大きな魚を掴んだ。お、重い。わたしの体の半分以上はある。


「全て死んでいるわ。これはカクヅノザメの仲間で、ダークツノザメよ。ほら、死んでいるでしょ?」


 その魚の持つツノの方を船員の方に掲げると、誰かの息を飲む音が聞こえた。

 

「こいつの眼は、深海だと光るの。ヒカリギル」


 さっきのサメを床に置いて、もっと口の開いている魚を手に取った。歯の大きさはマチマチだけど、ものすごく鋭い。

 その魚も床に置くと、わたしはまた他の魚に手を伸ばす。

 

「わあっ!」

「やっ、やめろよ!」


 この魚が迫ってきたら、もう恐怖以外の何物でもないわね。この顔、本当に凄いわ。驚かすのにぴったり。

 わたしは、床に転がっている魚を次々と指差していった。

 

「こっちはリュキ。これは陸でいうとサンドワームみたいなものね。サンドワームが大きくなったみたいな感じ。シーワームって名前。これはサペンティ。舌にも歯が生えているのよ」

「メアリ、もういい」


 ロミューがわたしの方に近付いて、ポンと肩に手をおいた。 


「そう? これなんて可愛くない?」


 顔の半分くらいの目を持つ魚を、ロミューの方へにゅっと突き出した。 


「す、少し怖いから下に置いてくれ」

「ロミューも意外と怖がりなのね」


 見た目も厳ついし、図体も大きいロミューがこんなことを言うなんて。 

 わたしはその魚を優しく床に置いた。どの魚も、死んでいるとさらに醜悪な姿になる。



「それより、なんで死んでんのに魔石が出てきてねえんだよ」


 船員の一人がそう声を上げる。


「ただ死ぬだけじゃ魔石が出現しない魔物だからよ。そうじゃない魔物は、死んだ途端魔石だけ海に沈んだわ」


 どの魔物も討伐レベルはDランク以上

(魔物の討伐レベルはSランクからFランクまであるわ。例えばスライムはFランク。ウロボロスがSランクね。こんなんで大体分かった?)

に指定されているわけだけど、実は本当の強さはEくらい。

 死んでも魔石には変わらないからこういうランク付けになっている。後処理がめんどくさいってだけでランクが上がるなんてテキトウすぎる。


 ちなみに彼らは、深海に住む魔物なのに浅海に持ち上げられたから、急な環境の変化についていけなくて死んだのだ。



 わたしは動かないシーワームを掴んだ。

 太さはわたしのてのひらくらいの長細い体で、頭部には大きな口だけがある。筒がそのまま口になったような感じだ。口を開くと、胴体の2倍以上の大きさになる。体にびっしり生えた鱗はとても硬く、そこらの武器じゃ割れない。

 わたしは柔らかい口の方から鱗を剥がした。それでもけっこう力がいる。表皮ごとビリビリ割いていく。


 全ての鱗を剥がし終わると、てのひらに魔石がポロリと転がった。濁った深緑色で、お世辞にも綺麗とは言えない。シーワームを示す文字が1つ彫られている。

 近くにいたロミューに、魔石とシーワームを渡す。


「ほら、魔石よ。やり方は違うけど、他の魚もきちんと処理すれば魔石が出てくるわ。でも今はこんなことしている場合じゃない」

「どうかしたのか?」

「やってくるわ。きっともう、すぐに」





 船尾楼せんびろうで舵を操っているジウは、既に海のおかしさに気付いているみたいだった。いつも楽しそうに海を見ているのに、今はあどけない顔にしわが寄っている。舵を触る手も、どこか震えているように見える。

 ジウは何が来るか分かっているのかしら。


 わたしは階段を登っていく。

 ギシギシと音がした。船がさっきよりも揺れている。


 空はまだ明るいけど、たぶんもうじき雲がやってくる。もちろん、黒い雲。水の神ポシーファルがこうやってを呼び出すときは、風の神セーヴィも大張り切りで海上の空を操るのだ。


 耳に違和感を感じて、少し頭を振った。内耳がぽくんと鳴る。──気圧がもう下がっている。



「海が変なんだ」


 わたしが声をかける前に、ジウはぼそりと言った。

 真っ青な海が、だんだん濁っていく。ジウは海から目を離さない。

 

「人魚のせいかな」

「人魚じゃないと思うわ」

「じゃあ、だね」


 ジウはにかっと笑うと、力強く舵輪を握った。

 

「大丈夫。ボク嵐には慣れてるから」

「そう聞いたわ。そうね、たぶん大丈夫よ」


 わたしは手すりから下を見下ろして、甲板かんぱんに転がっている魚を見た。最初はどうにか魔石を出そうとしていたみたいだけど

(魔石はそこそこお金になる。しかも深海にいる魔物とくれば、かなりレアだから普通のDランクの魔物の魔石より高いはずよ)、

船員たちは飽きたみたいで、魚を見ている者はもうほとんどいない。

 ここ一体の海はさらに黒くなっている。


 ……クラーケンか。この船、もつといいんだけど。



 クラーケンは、水の神ポシーファルがつくった使族しぞく(というより怪物よね)だ。

 よくある帆船よりも一回り大きいくらいで、何十本も触手を持つ。その触手一本一本に吸盤きゅうばんが付いていて、複数の触手に絡まれたら間違いなくその船は沈む。吸盤はなかなかがれないし、剥がそうとしている間にクラーケンの怪力で海の中に引きずり込まれてしまうのだ。


 しかもクラーケンは当たり前に魔法も使う。特化しているのは地、風、水。

 地も風もかなりやっかいだ。地の属性は防御力を、風の属性はスピードを上げる補助魔法が含まれる。

 

 クラーケンは、こうやってまれに水の神ポシーファルから呼び起こされる。ポシーファルの声を聞く……とは違うけど、クラーケンも、やっぱり無意識に何かを感じるんだと思う。


 クラーケンが深海から上がってくるとき、波に流されて近くにいた深海魚も浅海に上がる。そして、海面にはあんな風に魚の死骸が浮かぶ。

 ──それが、クラーケンの現れる前兆だ。

 


 わたしが海賊を始めてから、海上でクラーケンを見るのは二回目だった。一年に一回も見るって、けっこう珍しい方なのよ。運がいいというか、悪いというか。

 風の神セーヴィは、水の神ポシーファルと一緒に海の嵐を起こす。さしずめ、セーヴィが雷や雨を降らせて、ポシーファルが海を荒らすって感じかしら。

 神様なのによくやってくれるわよね

(そうそう、わたしたちの世界では特に神様は崇められていない。わたしたち使族を創り、自然現象を操る者としか考えられていないわ。人間の中にはどうやら違う考えの人もいるみたいだけどね)。




 わたしはそんなことを考えながら、ぼうっと空を眺めていた。そのとき、船員の声で騒がしかった船内が急に冷たく静まり返る。

 船のきしむ音だけが不穏ふおんに鳴っている。


 しん────と沈黙の降りた船に一声。


「嵐が来る。各自持ち場につけ」


 船はすぐに元に戻った。ざわめきが嘘のように戻ってきて、船員が嵐の準備にせわしなく動き始める。


 それにしても、いつから外に出ていたのかしら。わたしはラムズを見ようと、手すりから身を乗り出した。

 眼が合う。

 

『降りてこい』


 ラムズは何も言わなかった。けど、そう言った気がしたのだ。別に以心伝心なんてものじゃない。なんていうか、彼は──。とにかく、たまに普通の人とは違うものを感じることがある。

 わたしが手すりから離れると、ラムズは三角帽子を被り直した。




「なに?」


 わたしは階段を降りてラムズの前に立つと、開口かいこう一番そう言った。

 いきなりこんな発言おかしいけど、わたしを呼んだ気がしたんだもの。それに、たぶんそれは間違ってない。

 

「クラーケンが来る。嵐の方はなんとかできるか」


 わたしはドキリとして、ラムズの顔を二度見した。


 朝から船長室に閉じこもっていたラムズが、一体どうしてクラーケンが現れることを知っているの?

 たしかに船長室に小さな窓はあるけど、そこからの海を見ただけで分かるなんて相当なものよ。クラーケンがやってくると空気が変わるって言うけど、まさかそれを感じたの?

 クラーケンを100回見たことがあるって言うなら納得できるけど

(100回は言い過ぎかな。50回くらい見れば、その空気を感じられるかもね)。



「ちょっと大変よ。時間はかかるわ。仲間の力も借りないといけないし。それに天候はどうにもできない。あとは運と、ジウの腕にかかってるわね」

「それでいい。頼んだ」


 ラムズは表情を崩さないまま言った。宝石を見る時以外、ラムズはほとんど無表情だってことに最近気付いた。

 ほんと、よくこれで船長が務まるわ。



「いいか、俺の船は沈ませない」



 ……ふうん。こんな船長でも、案外頼りになるのかもしれないわね。

 首筋に立った鳥肌を無視して、わたしはラムズの次なる指示を待った。

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