第3話 移乗戦 後編 *

[*三人称視点]


 ジウは手の力を少し緩めて、声の方へ頭を動かす。青の右眼と視線がかち合った。

 ジウは不機嫌そうにもごもごと口を動かす。


「なんだよ、船長」

「俺はそいつと話がある。ちょっと離せ」

「ええー。ボクが捕まえたんだよ、これ」

「船長命令、従うよな?」

「はいはい、ラムズ船長さまー」


 ジウは大きな溜息をつき、渋々しぶしぶキリルの体から身を起こした。



 首を絞めていた手がなくなり、キリルはぱっと眼を見開く。そして顔を近づけてきたラムズへ向かって、カトラスを思い切り振った。

 ジウが即座に手を出し、カトラスを弾く。

 空中に飛んだカトラスを、ラムズは手を伸ばしてぎゅっと掴んだ。の方ではなく、刃を握っている。


 刃はラムズの皮膚を切り裂いた。てのひらの中は、みるみる血液であふれていく。手が真っ赤に染まり、濁った血はぽたりぽたりと床に落ちた。

 痛みがあるはずなのに、表情は一切変わらない。そんなラムズを見て、キリルは小さく舌打ちをする。そして今度は魔法を繰り出そうとした。



「なあ、メアリ」


 ラムズの声に、彼女はぴたりと動きを止めた。メアリという名は、キリルの本名だった。

 海賊にメアリという本名を知っている者は誰もいないはずだった。ましてやラムズとメアリは初対面である。


「俺は人よりもココが賢くてさ」


 ラムズは人差し指でこめかみを叩いた。美青年なのに、彼の表情には氷のような冷たさが張り付いている。

 未だてのひらから血が滴り落ちているのに気付いて、ラムズはぱっと手を広げカトラスを落とした。そして腰をかがめ、傷のないその手を、メアリの足へ優しくのせた。


「メアリ、あんたに何があった?

 こんな…………分かるよなあ? 俺はこんな奴、見たことない」


 口元は緩み、青い眼はぎらりと光った。嘲笑う声は、メアリの耳から脳内までを一舐ひとなめした。それは凍えるほど冷たい。メアリの背筋には悪寒おかんが走った。

 だが次の瞬間、メアリははっとして眼を見開いた。ラムズを睨み、足にのっている手を素早く払う。


「殺したいなら早く殺せばいいだろ!」

「殺す? 俺はそんな残酷なことはしない」


 ラムズはさもおかしそうに笑った。


「じゃあ売るんだな?」

「まさか。あんたを仲間にしようと思って」



 ラムズは腰を上げると、メアリを見下ろした。メアリは床の上で、口をあんぐりと開けたまま固まっている。

 ラムズは唇を吊り上げ、意地悪く笑った。一歩片方の足を引き、左手を自分の背中に回す。そしてうやうやしく、メアリに右手を差し出した。


「メアリ、俺たちの船に乗らないか?」


 メアリはパチパチと瞬きをしたあと、喉から声を絞り出した。


「…………何を、言っているんだ?」

「そのまま。俺たちの噂は知ってるよな。悪い話じゃねえだろ? 船長直々のお誘いだぜ?」

「……お前、何か勘違いをしてるんじゃないのか?」

「いいや。なんならその腕、まくってやろうか?」


 ラムズの手がなめらかに伸びていく。

 自分の腕に触れるというところで、メアリはさっと体を引いて手から逃れた。ラムズを見上げ、眼をとがらせる。そしてゆっくりと口を開いた。


「断る。人間は敵だ。オレの正体を知っているやつのところにノコノコついていくなんて、馬鹿のすることだ。お前だってオレたちが憎いはずだ」


 甲板かんぱんに座ったまま、ラムズをじっと見据える。二人の青い眼は、お互いを掴んで離さない。


「俺はあんたのことなんてなにも憎くない。むしろあんたたちが好きだ。とても美しいからな」


 ラムズはメアリを右の瞳に映したまま、笑いかけた。

 さっきまでの意地悪い態度と今発せられた「美しい」という言葉は、どこか不釣り合いだった。だがラムズの優しい笑みは、それはもう恐ろしいほど「美しさ」に魅入っている。その笑みに嘘偽りはなかった。




「ねえ船長、船離れていってるよ」

「ん?」


 ジウは後ろからラムズに声をかけ、海の方へ目を動かした。視線の先は、離れていく自分たちの船、ガーネット号である。

 先ほどから、ここオパール号とガーネット号の距離が広がりつつあった。オパール号の敗北を察したメアリが、これ以上自分の船員が殺されないよう、波を操って船を動かしていたのである。


 ジウに襲われる直前、メアリは海に呼びかけていた。

 初めに何をしてほしいか伝えれば、あとは海がやってくれる。もちろん海に意識はないが、メアリの使族しぞくは海と"話す"ことができるのだ。海が好きな使族が持つに相応しい能力である。


 両船の船員たちは、そのほとんどが自分の船に戻っていた。戦いに夢中だったジウは、船が離れていることに気付かなかったのだ。



 ラムズは目を細めて、海に浮かぶ自分の船を見た。縄を使ってここからガーネット号に飛んでいくのは、不可能な距離だ。だがラムズは全く焦っていない。

 ジウの方を見て、意味ありげに笑った。


「なんとかなるだろ。なあジウ?」

「はいはい、ボクがなんとかするんでしょ」

「そーいうこと」


 それだけ言うと、ラムズはメアリの方へ向き直った。


「で、どうするんだ?」

「断る」

「こんなに頼んでいるのに?」

「行かないと言ったら行かない。人間を信じられるわけがないだろ!」


 メアリは勢いよく立ち上がった。足は根を下ろした木のように、ずんと構えて全く動こうとしない。


「それは残念」


 ほとんど残念と思っていないような声だった。

 ラムズは胸元のサファイアに手を伸ばし、それをコロコロとてのひらで転がす。メアリをもう一度見、薄く唇を開く。きらりと何かが光った。

 メアリは憎々しげにラムズをにらみながらも、呟く声は小さかった。


「…………絶対、行かないから」


 ラムズは楽しそうにそれを見てから、ジウの方へ向き直った。


「ジウ、頼む」

「はいはーい」


 ジウはラムズの腰を片腕で抱えると、近くにぶら下がっていた縄を掴んだ。そのまま助走をつけて飛び上がる。船のへりを蹴ったあと、人間とは思えない跳躍力ちょうやくりょくで空を切った。




 ジウとラムズは、ガーネット号の船の上へ降り立った。

 他の船員は、もう怪我の手当てをし終えていた。各々が持ち場につき、船を動かしている。


 死んでしまった船員がいる代わりに、何人かオパール号の船員が乗っている。彼らは、さっき船が離れていったとき、自分の船に戻ることができなかった者たちだった。このように他の船にやむを得なく乗り込んだ場合は、その船で働くか、海へ身投げをするかを選ぶのである。



 ジウは甲板長かんぱんちょうを目で探した。ざっと船内を見渡したが、見つからない。地下にいるのかもしれないと思い、ジウはそのままラムズの隣にとどまった。


「それにしても余裕だね、こんくらいの距離を飛ぶくらいなら。船長もルテミスならいいのにね!」

「ルテミスねえ」


 ラムズは船のへりに体重をのせ、海の方を見ている。視界の隅、ルテミスがまた船に乗り込んだのが写った。


「船長の銀髪はなに? ただの地毛?」


 ジウは物珍しそうに、ラムズの髪を見た。ジウの赤髪赤目はルテミスの証である。


「なんだと思う?」

「……別に。やっぱどうでもいいや」


 ジウはそう言うと、ラムズと同じように海の方を見た。だが見ていてもつまらないのか、すぐにまたラムズに話しかける。


「なんであの女誘ったの?」

「俺の気まぐれだ」

「気まぐれじゃないくせに。でも来ないって言ってたよ」


 眩しい太陽が二人を照りつける。白銀の髪が反射して光ったとき、ラムズの唇が歪にわらった。

 それはまるで、何かを予測しているかのように────。

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