第4話 海賊の掟

[メアリ視点]



「来たぜ、ほら」


 ラムズはこちらに振り向かなかった。



 わたしは髪を縛っていたゴムを取った。真っ赤な髪が風でなびく。ラムズの後ろ姿を真っ直ぐにとらえた。


「よろしくね、ラムズ船長」


 にこりと笑って、両手を広げスカートのすそを掴むような素振りをする。そして膝を曲げると、うやうやしく、頭を下げた。

 王子様プリンスとして誘われたなら、王女様プリンセスとしてお返事しないとね。



 ──こうしてわたしは、女としてシャーク海賊団の仲間入りを果たした。




 ◆◆◆




 まさかこんなことになるとは思ってなかった。だってこんなの、誰が予測できる? わたしがあのラムズ・シャークの船に乗るなんて!


「もう後悔をしているのか。さっき乗ったばかりだろう」


 海を見ていたわたしに、低く太い声がかかった。にゅっと影が広がって、視界が暗くなる。

 ここシャーク海賊団の甲板長かんぱんちょう、ロミュー・ヴァノスだ。わたしをこの船まで飛んで運んでくれた赤髪赤目の船員


(あの時ラムズたちにはシャーク海賊団に入ることを断ったけど、結局思い直したの。このチャンスを掴まなきゃ絶対にサフィアは見つけられないんじゃないかって、そんな気がして。

 元の船にはロミューがまだ残っていたから、頼んで一緒にガーネット号に連れてきてもらったってわけ)。


 ロミューは背も高いし、体つきは岩みたいにがっしりしているし、これぞルテミスって感じの体型よね

(チビのジウは、全くもってルテミスらしくない。あれはただの子供よ、子供!)。


「ううん、そうじゃないの。ただあの有名な船に乗ることになるなんて、と思って。こんな偶然、なかなかないわよね」

「……偶然か。案外これは、あらかじめ決まっていた運命かもしれんぞ」


 ロミューは大きな口を開けて笑った。頬からこめかみにかけてある深い傷が、伸びたり縮んだりする。きっとこれは、ルテミスになる前──つまり、斬られた傷なんだろうな。


 ロミューは急に手を伸ばすと、厚みのある指でわたしの頬に触れた。


「服も顔も血塗れだ。あとで拭いておけ」

「わかった」


 ロミューの指が頬をこすると、固まった血がポロポロと落ちた。自分の服を見ると、元からこうだったのかと思うくらい、服は真っ赤に染まっている。

 血の匂いは感じなかったんだけどな。鼻が慣れちゃったのかも。


「そうだ、メアリと呼んでいいのか?」

「いいわよ」


 キリルという名前はとりあえず捨てることにした。この船は女の乗船も認めているし、掟で女への暴行を禁じているからだ。女の船員もいたしね。

 それに最近男装も無理が出てきたのよね……

(ちょっと! 今まで胸が小さかったわけじゃないから! 潰してたのよ。まぁそれでも小──なんでもない。……聞こえてないよね?)。



 わたしが胸元を見て少し悲しい気持ちになっていたら、またロミューから話しかけられた。


「それとな、さっき口頭で確認はしたが、一応ここにサインをもらえんか。これもガーネット号の決まりなのだ。文字が書けない場合は代筆するぞ」


 どこから出したのか、ロミューは羊皮紙をひらひらと振った。羊皮紙があるなんてどれほどもうかっているの?! この船!

 ──なんて感情はもちろんおくびにも出さずに、わたしは紙を受け取った。紙にはずらりと船のおきてが書いてある。全部で六つ。はっきり言って、シャーク海賊団がこんなにも規則に厳しいとは思っていなかった。

 シャーク海賊団の掟に、さらっと目を通した。



…………………………


シャーク海賊団 掟



1. 乗組員全てに平等な投票権・投票発起権を与える


2. 戦利品の新鮮な食料、酒に対して平等な権利を有す


3. 仲間内で金品を窃盗・横領した者は死刑


4. 戦いの中で船を見捨て降伏した者は、死刑もしくは孤島ことう置き去りの刑


5. 収益は役割別に平等に配分。戦闘において負傷した者には手当てを別に支給


6. 女性や子ども、特に人魚に乱暴を働いた者は船から下ろす


…………………………



 海賊界には、こうやって掟を作って守らせている船がある。これは、国や貴族からの支配に耐えきれなくなった、貧しい人間が海賊業に身をやつしたことに由来する。

 もうこんな辛い思いはしたくない。海賊でいる限りはみんな平等だ!ってわけ。



「さっきまで乗っていた船にも、掟はあったのか?」

「一応ね。戦利品は平等、負傷者手当が優先、ってくらいは」

「そうか。それすらなかったら、相当苦しい船になるからなあ」

「そんな船最悪よ。海賊になった意味がないじゃない」


 ロミューは神妙な顔で頷いている。

 規則がない船。そんな船は、きっと船員は船長のこまでしかない。そう、奴隷と同じってこと。


「うちの船長は掟に厳しいから気を付けてな。特に三番目と六番目だ。よく読んでおけ。むろん、メアリはそんなことしないと思うがな」


 そこまで言われると気になっちゃう。わたしは羊皮紙に再度目を通した。

 盗みで死刑か、これは少し重いな。他の船では、船から下ろすかちょっとした罰を与えるくらいだった気がする。


「盗みを働いたら死刑なんだ?」

「まぁな……」


 ロミューは苦々しい顔をして、船尾楼せんびろうに立つラムズの方を見た。

 ──あぁ、そういうこと。


「あんな船長を持つなんて大変ね」

「お前さんも他人事じゃないぞ?」


 たしかに。わたしは笑って、紙にサインをした

(名前くらいは書けるようにしたのよ)。

 ロミューは甲板長だから、こういう規則事について任されているみたい。甲板長は、全ての船員のまとめ役ってところ。年長者がやることが多い。ロミューは24歳って言っていたっけ。


「船長の宝石への執念は伊達だてじゃない。触るだけで怒り狂うくらいだ。気をつけろよ」

「ラムズの宝石に触らなきゃいいんでしょ? もちろんよ」


 甲板長にここまで言われるなんて、本当に相当なようね。別に盗むつもりなんかないけど。

 そういえば、あの話って本当かしら。


「どこかで聞いたんだけど、ラムズって宝石のために海に落ちたの?」


 ロミューはぎょっとした顔でわたしを見た。どうやら本当みたい。ロミューは言いにくそうな顔をして逡巡しゅんじゅんしている。



 少し待っていると、彼は重そうな口を少しずつ開いた。


「……うむ。実は前にな、ラムズの宝石を盗んだやつが逆切れして、あいつの宝石を海に投げたんだ。ラムズは迷うことなく飛び込んだ……と言いたいところだが、体につけたピアスやらネックレスやらを全部俺に託してから、飛び込んだ」

「さすがね。頭が回るというか。結局見つかったの?」

「かれこれ2時間は潜っていたと思う。もちろんたまに海面に出てはいたが。それでとうとう全部見つけたよ。その日のあれはもう……。はあ……。思い出すだけで胃が痛くなりそうだ」


 あれって何かしら。

 ロミューは本当に痛いみたいで、胃のあたりをさすって苦しそうにしている。いつもは堂々としている顔や姿勢も、どこか恐怖に包まれたような感じだ。聞かない方がいいのかも。


「お大事にね。もう聞かないでおくわ」

「あぁ、是非そうしてくれ」

「……あ、そうだ! サフィアっていう男のこと、知らない?」

「サフィア? うーん、知らんな」

「わかったわ。ありがとう」


 やっぱり知らないか。

 わたしはロミューに軽く手を振って去る。

 



 少し移動して、わたしは船のへりにもたれかかった。海の向こうに太陽がある。波は静かで、ゆっくりと船を運んでくれていた。海上の風は少し冷たい。それはわたしの頬に吹き付けて、肌をひんやりとさせた。戦いで熱くなった体を冷やしてくれる。


 海から顔を背けると、わたしと同じ青い眼とかち合った。わたしがいるところより、ひと一人分、高くなった船尾楼甲板に立っている。彼はわざとらしく手を挙げる。

 ハァ。


 わたしがガーネット号に乗ることを決めたのは、女の乗船が許可されていたから……なんて、無理矢理つけた理由。

 本当は────。



 色濃いくまと、輝く銀の髪。

 真っ黒な左の眼帯に、宝石できらめく長い紺のコート。


「メアリ・シレーン、俺の船はどうだ?」

「悪くないわ」

 あなたのその薄笑いがなかったら、もっと最高。



 ────他ならぬ、ラムズ・シャークのせいだ。



 分からない。あいつはわたしの正体を知っているんだから、この船に乗るのは危険だったんだ

(そういえば名前も知っていたわね。なんでかしら。

 シレーンっていう苗字は偽名よ。人間は必ず苗字があるから、人間として過ごす時はこれを使うの。わたしの使族しぞくは人間にかなり憎まれているし、バレたら大変だからね)。


 わたしがガーネット号に乗ったあと、全ての船員に正体を暴露して、わたしを殺しても全くおかしくない。海への身投げなんてモンじゃない。髪を全部引き千切ちぎられて、指を一本ずつ折られ、歯を抜かれ、体を覆う──。

 やめよう。想像するだけで痛くなりそう。


 それなのにわたしは、馬鹿なわたしは、この船に乗ってしまった!

 わざわざロミューに頼んでまで!


 何がわたしにこうさせたのか、本当に分からない。

 言い訳をするなら、何かにきつけられてしまったの。ラムズ・シャークについていかなゃいけないって、そう感じた。

 ロミューの言うとおり、これは「運命」ってヤツなのかも。でもあれ、わたしの使族しぞくにミラームとの繋がりなんてないんだけどな

(わたしの使族をつくった──創造したのは水の神ポシーファル。

 時の神ミラームが創造に関わっている使族は、最初から運命を知っていて道に迷わないの。ちなみに人間は迷いまくりね)。




 わたしがぼうっとそんなことを考えていると、またラムズから声がかかった。


「おい、あとで俺の船長室に来い」


 叫んでいるわけでもないし、大きな声を出しているわけでもない。けどラムズの声はよく通る。あんな細い体から、どうやってそんな不思議な声を出すんだろう。なんていうか、全ての障害物が彼の声の通る道を空けているみたい。


「わかった」


 船のヘリから体を離し、がやがやと仕事をする船員たちの方へ歩いていく。



 真っ赤なが風でなびいている。ルテミスの髪の色に合わせているらしい。

 それにしても、この船には本当にルテミスが多い。ルテミス──元は人間で、殊人シューマの内の一つだ。これだけルテミスがいたら、シャーク海賊団が強さで有名になるのも頷ける。もちろん、普通の人間もいるんだけどね。


 船自体は、他の船と大して違うところはなかった。あ、赤い帆以外。

 あれはやっぱり、船の中にいても視界にうるさく主張してくる。でも少し汚れているところや、千切れている帆もあった。それでも白い帆よりは立派に見えるけど


(それ以外の描写も欲しい? 船内の様子なんてどこの船も変わんないわよ。

 ──そっか、あなたは帆船に乗ることなんてないんだっけ。じゃあ教えてあげるわ。


 船に使われている木はそこそこ新しそう。嵐で大きく破損したような跡もない。もちろんいくつか修繕した形跡はあるけどね。少し小汚いけど、ボロボロってほどじゃない。


 船首せんしゅ船尾せんび──船の前と後ろにそれぞれろうがあって、船尾楼に船長室があるわ。

 楼は甲板の上にあるちょっとした建物みたいな感じ。船首楼甲板は普通の甲板より高いから、船長がそこに立って指示を出したりする。あぁ、甲板は船の床のことよ。

 舵輪だりんも、船首と船尾、両方にあった。ここは他の船と違うかも。ふつうかじは船尾だけのことが多いからね。理由? 今度にして。


 こんなもんかな。視界に入るものなんて、茶色の船体と赤い帆ばっかりよ)。



 とりあえずはやることないし。わたしはすぐにラムズのところへ向かうことに決め、船尾楼の方へ歩を進めた。

 宝石狂いの『海賊の王子様プリンス』、その全貌が明らかになりそうだ。そしてもしかしたら、彼がわたしを誘った理由も──。

 

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